第4話「迷い獣の巣」
草原の北端に、それは口を開けていた。
薄暗い洞窟。天井から滴る水。苔むした岩。
まるで“生きている”かのように、内部から湿った風が漏れ出していた。
《迷い獣の巣》──第1層、初級向けのインスタンス型ダンジョン。
プレイヤーの進入ごとに構造が微妙に変わる“動的マップ”仕様で、ソロプレイでは危険度が高いとされる区域だ。
「やっぱり……ちょっと、怖いね……」
カレンがクロウの後ろでそっとつぶやいた。
彼女は補助魔法と回復魔法を初期スキルに選んでいた。攻撃手段はないが、支援能力に特化しており、パーティを組めば大きな戦力となるタイプだ。
クロウは洞窟の中に目を凝らす。
「レベル上げにはちょうどいい。敵の配置次第じゃ稼げる」
「稼げる……かぁ。ほんとに、ゲーム感覚だね」
カレンの声は少しだけ震えていた。
だが、逃げ出そうとはしていない。
(根性はある。問題は──俺がパーティでどう動くか、だな)
クロウの戦闘スタイルは完全なソロ仕様だ。
接近戦で斬り、避け、叩き込む。そこに“他人”を組み込んだことはない。
(だが、ヒーラーがいるなら……)
クロウは考えを断ち切り、無言で歩き出す。
「ついてこい。なるべく戦闘を避けて、奥まで進む。宝箱があれば拾うが、基本は経験値重視だ」
「了解っ!」
二人は洞窟へと足を踏み入れた。
すぐに外界の光は消え、音が吸い込まれていくような静寂が訪れる。
足音、呼吸、魔力の微かな波動──あらゆる感覚が研ぎ澄まされていく。
(視界が狭い。だが、敵の数は少ない……今のところは)
最初の遭遇は、洞窟ネズミ《ケイブ・ラット》3体。
レベルは2〜4。小型だが、数で押してくるタイプだ。
クロウは剣を構えた。
「カレン。後ろにいて、俺に《ブースト》と《ヒール》だけ任せる」
「う、うん! 《補助魔法:身体活性・ブースト》発動!」
淡い光がクロウの体を包む。
速度と攻撃力が一時的に上昇。視界が開け、筋肉が反応速度を増すのを感じた。
──刹那、突撃。
「はぁっ!」
一体目をスラッシュで斬り伏せ、二体目の横腹をソードスキル《ブレードライン》で切り裂く。
三体目は攻撃モーションを取るよりも早く、クロウのブーツに踏みつぶされた。
【経験値獲得:+33】
【ドロップアイテム:なし】
【熟練度:片手直剣+3.1、身体強化+2.6】
「おお……強い、ね……」
「お前の補助がなければ、もう少し手間取ってた」
クロウは素直に評価した。
(戦闘中のバフは有効。リキャストを見ながら回復と支援を入れる……こいつ、思ったよりできる)
その後も、二人は慎重に洞窟を進んでいった。
途中、通路が崩れていて戻る場面や、毒沼の罠に引っかかりそうになる場面もあったが、カレンの知識スキル(知識:12)による《識別》で何度も危機を回避できた。
──1時間後。
クロウのレベルは4、カレンもレベル3に上がっていた。
装備品もいくつか拾い、クロウの片手剣は初期装備からドロップ品《獣牙の小剣》に更新されている。
「……奥に、広い空間があるみたい。たぶん、ボスだと思う」
「罠は?」
「確認済み。ないと思う」
クロウは剣を構える。
「行くぞ。ダメだと思ったら即撤退。お前は距離を取れ」
カレンは小さく頷いた。
そして、二人は洞窟の最奥へと足を踏み入れる。
──その空間は、地下聖堂のようだった。
高く広がる天井。石柱。中央に置かれた巨大な骨の山。
そして、その骨の上にうずくまっていた“影”が、こちらを向いた。
《屍食の牙獣・ファングラット(Lv7)》
ボスモンスター──獣系・知性型
ギィ……と、獣が立ち上がる。目が光り、牙がこぼれる。
全長2メートル。強靭な筋肉に覆われた黒い毛並み。
そして、何より異様だったのは──その動き。
四足歩行から二足歩行へと移行したのだ。
「まるで人間みたい……!」
カレンが息を呑んだ。
ファングラットが唸り声を上げる。その瞬間、戦闘が始まった。
──だが、その動きは異常だった。
「くッ──!」
回避を見越した側面に、牙が突き出される。クロウの頬がかすかに裂け、赤いログが走る。
【HP -17】
【流血:小】
「回復!」
「っ、はい! 《回復魔法:ヒール》!」
傷が癒える。しかし、攻撃の速度が通常の獣ではない。
(これ、本当にLv7か……? AI制御が異常に洗練されてる)
クロウはその場で一つの賭けに出る。
「カレン、10秒稼げ。支援は全て火力に回せ」
「わ、わかった!」
クロウは全身の力を収束する。
身体強化スキルを限界まで上げ、ソードスキルを同時発動。
「これで終わらせる──!」
【身体強化:限界出力モード】
【ソードスキル《ソニックブレード》発動】
【連撃:三段】
【急所判定:中・成功】
【敵HP -91】
ファングラットが悲鳴を上げ、膝をついた。
クロウは止めを刺すように剣を振り下ろし──そして、敵は光の粒子となって消えた。
【ボス撃破】
【経験値+140】
【アイテム:牙獣の外殻、獣骨の護符】
【クロウ Lv5 / カレン Lv4 に上昇】
静寂が訪れた。
重い息のなかで、クロウはゆっくりと剣を収めた。
「……ふう」
「や、やったぁ……!」
カレンがその場にへたり込み、嬉しそうに笑う。
クロウは黙って彼女を見た。
そして、言葉を一つだけ選んだ。
「悪くなかった」
「へ?」
「お前の補助。ちゃんと、戦力になってた」
カレンの表情が一瞬で綻ぶ。
その顔を見て、クロウはほんの少しだけ、口元を緩めた──気がした。
──第4話 了