奕世の義士
各領地では、大小さまざまな問題を抱えている。
表面化しないものもあれば、シェキーナにも分かる事情があった。
各地を巡るシェキーナは、それらに直面し対応する事になる。
ディナト族領での滞在は3日で終了し、シェキーナたちは次の領地へと向かう為に出発した。
「これが、南部だけで後24箇所にも及ぶわけか……」
御車の中で、シェキーナは頬杖をついて嘆息気味に独り言ちた。これには、彼女にしては珍しく大きな計算違いが含まれていた事による落胆も含まれている。
「……はい。ですが、このディナト領での滞在はまだ短い方です。本来、魔王様の御台臨は各部族として望んでも叶わない僥倖。特に魔王様へ忠誠を誓う友好な部族は、一族総出で全てを以て魔王様がお越し下さるのを待ち侘びている事でしょう。長ければ、7日から10日の御滞在もお覚悟して戴く必要があるかと」
鋭さを感じさせる眼鏡をクイっと上げながら説明する、同乗している秘書であるムニミィに向けて、シェキーナは更に小さく嘆息して見せた。
元より彼女は森の種族であり、余り堅苦しいのを好んではいない。アヴォー老に魔王の責務だと言い包められて今回の視察行を決定していたが、まさかここまで時間の掛かるものとは思っても居なかったのだ。
「……ふむ。だが先のディナト族では、3日の滞在であったぞ? もしやディナト族には、私に対して含む処でもあるのか?」
ただ、それならばムニミィの話には疑念の生じる部分があった。
たった今出発したディナト族領で過ごしたのは僅かに3日。シェキーナにはそれでも長かったのだが、友好的な部族ほど滞在が長くなるならば、ディナト族領ではもっと長期の逗留が考えられたのだ。
「……いえ、その逆でございます。……ディナト領領主は現在、我が父であるフィーリウス。ですがその実権は、アヴォー老が握っております。普段よりシェキーナ様の側にて政務を任されており、改めてその忠誠心を示すまでもないとの判断でしょう。また、ディナト領以降は間違いなく時間が掛かる事を懸念し、出来る限り短期で済むように差配した結果かと」
なるほど、理由を聞いてみればシェキーナも納得する話であった。確かに、今更アヴォー老の忠誠心を疑っても仕方のない事であり、目の前のムニミィも粉骨砕身で働いてくれている。であれば、領地内の生活や治安の状況を実見出来れば長居する必要もない話だった。
もっとも、シェキーナはムニミィの台詞内に別の疑念を抱いたのだが。
ディナト領領主の名を出す直前に、ムニミィは若干の躊躇いを見せていた。本人は上手く隠したつもりだったのだろうが、人生経験で圧倒的に彼女より長いシェキーナにしてみれば容易に看破できた。
(……なるほど。父娘仲は良好とは言い難いのか)
そこにシェキーナは、若干の危惧を覚えていた。今すぐに何かが起こると言う話ではない。だが間違いなく、アヴォー老がフィーリウスやムニミィよりも先に寿命が尽きる。その時果たして、ディナト一族はシェキーナの……いや、エルナーシャの味方となってくれるだろうか。シェキーナは、自分が在位中にその事を確定させると心の片隅に留めたのだった。
そこからシェキーナ率いる一団は、魔王城近郊に領地を構える一族から回って行った。ジェルマの出身であるガーラント族、セヘルの両親が治めるエルケル族、魔王軍全軍副指令を務めるレギオーの出であるユーラーレ族は、ディナト族と同様に気を使ったのだろう、それぞれ3日で各領地を出発する事が出来ていた。無論、これ以上ないと言う豪勢で華やかな歓待が行われたのは言うまでもない。これは恐らくアヴォー老の指示か歎願、もしくは話し合った結果であると思われる。
しかし、必ずしもそうである部族ばかりではなかった。そして、初めてと言っていい問題が起こったのは、イラージュの出身であるセンテニオ領に到着してからだった。
「魔王様。御尊顔を賜り、この上のない多幸でございます。この領地を治めております、バデラス=センテニオと申します。お見知りおきください」
センテニオ領の首都であるセンテリオンの入り口まで出向いたセンテニオ領主バデラスは、シェキーナの御車を前にして片膝を付き頭を垂れて彼女を出迎えた。これは、領主としては大層な行動と言える。
「頭を上げて立つが良い、バデラスよ。直々の出迎え、大儀である」
「滅相もございません。その一言で、我が領民全ての万苦は癒され報われると言うものです。このような場所でお言葉を頂戴するのも恐れ多いと存じますので、どうか我が屋敷へお越しください」
余りにも仰々しいバデラスの対応にシェキーナはわざわざ御車を降りて対応し、これに対してバデラスは更に恐縮し返答したのだった。もっとも、流石にこの場で話し込む愚を避けたのだろう、彼は自分の屋敷への案内を買って出たのだった。
(ここもまた、厄介な事になっていそうだな)
イラージュの肉親、実の父である事を知っていたシェキーナだが、彼の口からイラージュの話が一切語られなかった事に何かしらの家族内での不調和を感じて、嘆息気味にそんな事を考えていたのだった。
悪い予感というものは、良い予感よりも何故か的中する。
そう言った法則がある訳ではなく、そのような観測結果も出ていない。もしかすると、どちらも同じくらいの割合で起こっているとも考えられる。ただ、良い予感が当たるよりも、そうでない方が印象に残るだけなのかも知れない。
しかしこの時のシェキーナは、己の考えがまさか思いも依らない形で現実となるなど思いもしなかったのだった。
バデラスの屋敷へと到着したシェキーナ一行は、やはり過度だと言って過言ではない歓待を受けた。夜の宴ならばともかく、未だに日中であるにも拘らず、案内された広間には豪華な食事が用意されていたのだった。
以前、勇者アルスとの冒険中に様々な国を訪れ、そこで盛大な歓迎を受ける事があった。無論それは、勇者アルスを称える宴であった訳だが。
人界の王城で催された豪華なパーティーを経験した事のあるシェキーナでさえ、言葉を失うほど華美であるのだ。同行していたエルナーシャ、レヴィア、アエッタは勿論の事、秘書であるムニミィや親衛隊長を務めるジェルマ、シルカとメルカ、セヘルが唖然とするのは言うまでもなかった。もっとも、イラージュだけは平静と……と言うより、どこか不機嫌な表情をしていたのだが。
「……バデラス殿。まだ酒宴には早い時間だと思うのだが?」
余りにも豪奢な振る舞いを受けて、流石のシェキーナも苦言を呈するのがやっとだった。自分を持て成してくれているのが分かるだけに、余り強い口調で言う訳にもいかない。
「いえいえ、滅相もない。魔王様が御出でになるのです。これでもまだ足りないと考えておりまする」
そんなシェキーナの心情など気づきもせず、バデラスは片膝を付き深々と頭を下げた。忠義を尽くして貰えるのは、シェキーナとしては有難い話なのは言うまでもない。だが余りにも過剰であったなら、シェキーナでさえも不安を覚えてしまう。
「……それでは、ご厚意に甘えるとしよう。さぁ、バデラス殿。私の隣へ」
「あ……有難きお言葉!」
だが、そんな思いなどおくびにも出さず、シェキーナはバデラスに声をかける。折角用意して貰えたのだから、せめて無駄にはすまいという考えの元での行動だった。頭の切り替えが早いのもまた、過去の経験が活きているのだろう。
シェキーナの礼と対応にバデラスは感極まったという表情で応じ、恭しい態度で彼女の隣へと移動して着席した。それを見て、他の随伴員もそれぞれの席に着き、それを合図として宴が開始されたのだった。
まだ日も高いうちから始まった酒宴は、当初は和やかな雰囲気で進んでいった。各人それぞれに談笑を行い、シェキーナもバデラスを始めとしてセンテニオに連なる者たちとの会話を楽しんでいた。
和楽の団欒が続く折、バデラスが口幅ったい風情を見せ、何やら話し難そうな姿を見せた。殊更にその様な様子を見せられれば、シェキーナとしてもその点を指摘しない訳にもいかない。
「……バデラス殿。何か、私に話したい事でもお有りかな?」
シェキーナより水を向けられて漸く決意したのか、バデラスはどこか真摯な表情をシェキーナへと向けた。もっとも、次に彼が口にしたのは、恐らくは本題ではないのだろうが。
「シェキーナ様、どうぞ私めの事はバデラスとお呼び下さい」
バデラスの拘りに肩透かしを食った形のシェキーナだが、今はその事で時間を掛けていても仕方がない。
「……心得ました。ではバデラス、私に何か相談でもあるのかな?」
上下関係をより明確にして欲しいとの要望に、シェキーナは口調から変える事で応じ、それがバデラスには腹に落ちたのだろう、改まった表情と口調で切り出したのだった。
「……はい、シェキーナ様。実はこの場をお借りして、折り入ってお伺いしたい事がございますれば」
どうにもバデラスはシェキーナを尊崇しているのだろう、会話にもいちいち手順掛かっている。それでもシェキーナは、それに付き合った。
「よい。是非に話してくれ」
「……はは。我が一族を出自とした者たちが、魔王様に仕えております。その中に我が末子、イラージュがおりますればその……お役に立てておりますでしょうか?」
バデラスが非常に話し難そうに語った内容は、彼の末娘であるイラージュの事であった。ただしその内容は、シェキーナには即座に理解出来ないものでもある。
「……バデラス。それは一体、どういう意味なのだ?」
「……他の者たちは、私も自信を以て送り出す事の出来る実力を有しておりましたがその……。イラージュは他の兄弟姉妹よりも見劣りしておりますれば……」
バデラスの声は、決して大声では無かった。
しかし、彼がそのセリフを口にしたその瞬間に、酒宴の席全体にピリッと張り詰めた空気が流れだしたのだった。
バデラスの質問に疑問を呈するシェキーナ。
親心からの質問だったのだろうが、これが新たな問題の呼び水となった。