想像の翼
今回の件に、シェキーナは自ら動かない事を明言する。
それに、エルナーシャたちは酷く動揺を見せるのだが。
シェキーナの宣言を受けて、その場に集った一同は暫時言葉を失っていた。最も早くその状態から回復したのは、誰あろうエルナーシャだった。
「か……母様! い……いえ、シェキーナ様! それはその……今回の件には同行いただけないと言う事でしょうか?」
魔王の……主人の言に反問し再確認するなど、本来ならばあってはならない事だ。普段のエルナーシャならばその事を弁えているのだが、今回は動転の余りそこまで気が回らなかったのだった。
「……ああ。今回、私はここを動かない。エルナーシャを筆頭として、協力してお前たちだけで事態の収拾を図れ」
その事について、シェキーナは激昂どころか咎める事もしなかった。静かに、落ち着いた声音でもって、改めてエルナーシャに言い渡したのだった。
「で……ですが……。この場を離れ……我々だけで……」
最も不安を露わとしているのは、親衛隊長のジェルマだった。そこには、幾つかの想いが内包されている。
彼は、言うまでもなく魔王の親衛隊長である。守るべき対象から離れ、作戦行動を取る事に疑念が浮かんでいたのだ。
そして何よりも、自分たちだけで事態が解決できるかと言う不安もある。ここにも、シェキーナへの依存が現れているのだが、当の本人……いや、本人たちには、その事に気づいた様子はない。
「ジェルマ、シルカ、メルカ、セヘルよ。今回はレヴィアと共に、エルナーシャを守り補佐してやってくれ」
そんな葛藤を見抜いたのか、シェキーナは親衛隊一同に向けて改めて命令したのだった。魔王直々にその様な下知が下れば、臣下としては逆らい様もない。
「「「はっ!」」」
ジェルマたちは声を揃え、その場で頭を下げて受諾の意を示したのだった。
親衛隊とは言っているが、シェキーナにしてみればそれは自分の為のものでは無いと考えている。
ジェルマたち親衛隊が仕えるべきなのは、次期魔王であるエルナーシャであると思っていた。
「先にも告げた通り、私はこの地に残りセンテニオ領の平定と、万一の事態に備える事とする。アエッタ、お前もここに留まり、ムニミィと共に内政が滞らぬように力を貸してくれ」
「……承知しました」
「えっ⁉ アエッタもここに残るのですか⁉」
シェキーナが改めてセンテニオ領に残る旨を伝え、補佐役にアエッタを指名したことに、エルナーシャは再び疑問を口にした。本来ならばこのような事はご法度であり厳罰もあり得るのだろうが、シェキーナを始めとして誰も窘めるような事は無い。
「そうだ。今回の件はエルナーシャ、お前を筆頭にして、自力で解決して見せろ。……いいな?」
「は……はい。わかりました……」
反論を許さない、やや強い語調でのシェキーナの言葉に、エルナーシャは今度は何も言い返す事が出来ずに俯くしかなかったのだった。
内政を取り仕切るだけならば、何もアエッタは必要ではない。メルルの知識を受け継ぎ内政処理能力も高いアエッタが残るのは、何も不思議な事ではないが、それだけならばシェキーナの秘書を務めるムニミィがいる。彼女ならば、シェキーナの補佐をするのに寸毫の不足もない。
逆にエルナーシャにとってアエッタは、優れた知識を持つ参謀的な存在であり、強力な魔法を行使する頼れる存在であり、何よりも長い付き合いのある親友でもある。彼女が作戦に同行するかどうかは、エルナーシャにとって実質的なものよりも精神面で随分と違ってくるのだ。
「それでは、各自準備に取り掛かれ。早急な行動を常とし、明日早朝にはここを発てるように準備せよ」
「「「はっ!」」」
エルナーシャの心情として不安を抱えていようとも、これは母としてではなく魔王としての命令なのだ。話を打ち切られては、それ以上駄々を捏ねる訳にもいかない。
声を揃えて承服した一同は、一斉に席を立ちそのまま会議室を後にしたのだった。
エルナーシャたちが退室し、部屋に残ったのはシェキーナとムニミィ、そして居残りを命じられたアエッタだった。
「シェキーナ様。アエッタに居残りをお命じになられた真意を伺っても宜しいでしょうか?」
会議中から今まで、発言を控え直立不動でシェキーナの傍らに佇んでいたムニミィが、タイミングを見計らって問いかけた。
ムニミィもまたエルナーシャと同様に、単に内政を滞らせないようにするだけならば自分だけで十分だと考えていたのだ。これは何も自意識過剰という訳ではなく、自身の行政処理能力を冷静に考えての判断だ。
「簡単な話だ。アエッタならば、すぐに事態の真相に行きついてしまう。それでは、依存先が私からアエッタに成りかねないと考えての判断だ」
そしてシェキーナは、勿体ぶるよう事はせずに、即座に胸襟を開いて語った。ムニミィもアエッタも、これだけを聞いてシェキーナの考えを正確に把握していた。
「つまり、エルナーシャ様の今後の成長の為に今回の対応をなされた……という事でしょうか?」
言わずとも、シェキーナの胸中を図り知る事は出来る。短くない期間をシェキーナの元で過ごし、彼女に心酔するムニミィとアエッタならば容易い事だ。だが敢えて口に出さなければ、会話の広がりは期待できない。
「その通りだ。エルナーシャには、時期魔王として様々な経験が必要だろう。それは何も、武芸のみには留まらない。お前たちの様な優秀な人材に頼るのは勿論だろうが、それでも自分で判断しなければならない場面も少なくないだろうからな」
だからシェキーナも、わざわざ詳しく説明する事を厭わなかった。シェキーナの口にした内容は、ムニミィとアエッタの想像通りの事だった。
しかし、その次に口を突いた内容は、少なくともムニミィには想像の埒外にあるものだった。
「それに……アエッタ。お前が先ほど言おうとした事を、ムニミィにも聞かせてやってくれ」
シェキーナの口にした「アエッタが先ほど語らなかった内容」に、ムニミィには心当たりが無く、少なからず驚きを露としていた。だが冷静に先ほどのやり取りを思い出し、アエッタの報告をシェキーナが押し留めた場面が脳裏に浮かびハッとなった。
「……はい。……魔獣を操る方法を確立し……それを行使した存在を否定出来ません」
「ま……魔獣を操るなんて、そんなっ⁉」
アエッタの仮説を聞いて、ムニミィは思わず声を大にして否定していた。シェキーナを前にしての彼女の態度としては、これまでに見た事のないものだった。
それを見たシェキーナは叱責する事無く、それどころか口元に笑みを浮かべてムニミィを窘めた。
「落ち着け、ムニミィ。これはまだ、仮定の話だ」
「し……失礼いたしました、魔王様」
シェキーナに宥められて、ムニミィは顔を真っ赤にして謝罪した。常に冷静を自身に課している彼女にしてみれば、顔から火が出るほどの失態だった。
「想像の翼を羽ばたかせれば、そういう事もあり得ると言う話だ。だが、可能性が僅かでもあるならば、それを排除して語るのは愚かしい事だと思わないか?」
「お……おっしゃる通りかと。……ですが、現在魔物を操る術を持つのは、我が軍の魔獣奇襲部隊長であるベスティア=ソシオの一族に連なる者であり、彼女の一族は迫害にあい、彼女を含めて数名が生き残るのみ。その全てが、ベスティア殿の元へと集ったと聞いておりますが」
「でも……それで全員だとは……言い切れません」
シェキーナとアエッタの示す可能性は、確かに否定するには論拠がない。散り散りとなった者たちが、1名の脱落もなく再集結する方が荒唐無稽なのである。
「では……この一件には、ベスティア殿の一族、またはその生き残りが関与していると?」
遊撃部隊とは言え、魔王軍の一軍を預かるベスティアの一族が謀反を企んでいるなど、ムニミィには俄かに信じられなかった。また、その生き残りが存在し、その生存者がシェキーナに敵対するなど考えも及ばなかったのだ。
「そうとは限らない。例えば催眠が可能なのであれば、魔獣を従える事は不可能ではない。また服従を強いる方法があるならば、催眠と同等の効果を得る事も考えられるからな」
シェキーナが口にしたことは、はるか以前から魔界より語られてきた可能性であり、そのどれもが不可能だと立証されている事だった。だから、ムニミィの思考からはその可能性が排除されていたのだ。
ただ、それを知らないシェキーナではない。そうにも拘らずその事に触れるからには、何かしらの考えがあっての事だろうとムニミィは考えに至った。
「直接……魔獣を操れなくても……魔獣を操る事の出来る魔獣を従えると言う方法も……考えられます」
そして、アエッタの付け加えた方法を聞いて、ムニミィも深く考えざるを得なかったのだった。
「少しでも人と同等と思われる知性や理性があるのならば、催眠や脅迫は効果的だからな。その可能性を排除するのは早計だろう。アエッタがこの可能性に気づき、それをエルナーシャたちに話してしまえば、余計な混乱を招きかねない。今は、このことは内密に調べるとしよう。何よりも……帰ってきたエルナーシャたちの報告を聞いて結論を出しても、遅くはあるまい」
シェキーナの台詞に、ムニミィとアエッタは同意の意を示し頭を下げたのだった。
魔獣と言う強力な個体を操っているとすれば、これは由々しき事態となる。
その可能性を踏まえつつ、エルナーシャたちにはその事は告げずに調査を命じたシェキーナ。
果たして、エルナーシャたちはシェキーナの思惑に応える事が出来るのか。




