参謀の企て
魔王城の一室。
そこでは、3人の少女……と言っていい容姿の女性たちが、深刻な顔を突き合わせて悩み、答えの出ない問答を繰り返していた。
精霊界における最大唯一の拠点、エルフ郷をその手で滅ぼしてより4カ月が過ぎた。その間に、精霊界と人界に大きな動きは無かった。
精霊界に動きが無いのは、これはある意味で当然だと言って良いだろう。人界と直接繋がりのある精霊界の拠点……種族と言えばエルフ族しか無く、そのエルフ族の唯一最大拠点は滅亡の憂き目に合ったのだ。その他の少数種族や精霊が、魔界に対して敵対行動を取れるはずもなかったのだから。
そして人界にとって、エルフ郷は特に必要不可欠な存在ではなかったのだ。滅ぼされたからと言って、報復行動を取る必要も理由にもならなかったのだった。
人界がエルフ郷と繋がっていたのは、偏に利害関係に依る処であった。元勇者パーティが一であり〝暁の聖女〟と謳われた、アルナ=リリーシャの行動によりエルフ郷を従える事に成功した人界にとって、彼の郷は資源と人材を優先的に提出させる事の出来る都合の良い存在でしか無かったのだ。
もっとも人界にしてみれば、それらの供給が途絶えた所で対して痛痒を感じている訳では無いのだが。
それよりも人界では、魔界に対する準備不足の方が問題視されていた。人員の補充は兎も角、その連度を上げる事が急務となっていたのだ。
魔界との戦力差は、単純に人数では測れない。前回の魔界軍侵攻において、人界首脳部はその事を痛感していた。少なくとも、現在人界軍の指揮を任されている元勇者パーティが一にして双槍使い、ベベル=スタンフォードはそう考え、逆侵攻を謳う過激派貴族たちを抑えていたのだった。
そう言った理由で、ある意味で魔界は平穏を継続していた。無論それは、一般住人レベルの視点での話。
「……次は何だったかな?」
「はい。次は、各軍団長を集めての訓練要綱を取りまとめた報告と、今後の指針についての会議でございます」
魔界を治める首脳部にしてみれば、そんな安寧な日々など望むべくもない事だったのだが。
凛とした面持ちで魔王城の廊下を颯爽と歩くのは、この城の主であり闇の女王を名乗る元勇者パーティが一、〝流星の狙撃手〟であり〝闇落ちのエルフ〟でもあるデルフィトス=シェキーナである。齢千数百歳を数える彼女だが、その美貌に一点の衰えも無い。まるで20代半ばの様相に、絵画に描かれた女神の如き麗容を携え、流れる絹の如き銀髪と力を感じさせる曇りなき金眼を備えるハイエルフだ。
容姿端麗、頭脳明晰、千軍万馬の一騎当千と非の打ち所がないシェキーナは、魔王としての政務を精力に熟していた。
これに対して、彼女の秘書を務めるムニミィ=ディナトは問われた質問に淀み無く答えた。見た目も能力も敏腕秘書の彼女は、これまでにシェキーナを失望させた事は唯の一度もない。
そんなムニミィを引き連れ、シェキーナは今日も休む間もなく公務を熟し続けていたのだった。
エルフ郷への侵攻を終え、その時の心労が癒えると同時に、まるで憑りつかれた様に激務を続けて既に数か月が経っている。如何に永遠を生きると言われているハイエルフのシェキーナと言えども、肉体的な限界は当然ある。不老であっても不死ではないのだ。
「このままでは、母様は倒れてしまいます!」
そんなシェキーナの身を案じ顔を青くして訴えているのは、元勇者パーティのリーダーであり勇者であったエルス=センシファーの愛娘であり、その能力を受け継いでいる……と言われている次期魔王、エルナーシャ=センシファーであった。無論、人族であったエルスと魔族であるエルナーシャに血縁的な繋がりは無い。更に付け加えるなら彼女は、現魔王であるシェキーナと、〝大賢者〟と称えられていたメルル=マーキンスの娘でもある。当然、こちらにも血の繋がりは皆無である。
魔族特有のやや浅黒い肌を持ち、蒼く美しい髪と紅玉の様な瞳を湛え、悩まし気に柳眉を寄せているその姿は幼くも美しいと言って良い容姿の持ち主だ。
「分かっております、エルナーシャ様。ですが普通に上申しても、シェキーナ様は受け入れていただけません」
そんなエルナーシャを宥める様に言い聞かせているのは、赤紫の髪と同色の瞳を湛えた、きっちりと深紅のメイド服を着こなしている、彼女の専属従者であり親友でもあるレヴィア=シェシュタークだ。彼女はエルナーシャの身辺の世話を、幅広く行っている忠臣でもあった。
表の顔でのレヴィアはエルナーシャのメイドをしているが、裏ではエルナーシャに対して不穏な行動を取る者に対して厳粛な対応を行っている。これは既にこの世にはいない前魔界三将軍であった「アスタル」「べべブル」「リリス」より厳命されていた事も然る事ながら、死地へと赴くメルルと〝大剣豪〟カナン=ガルバより託された使命でもある。彼女はこの約束を、文字通り命を賭して守ろうとしていたのであった。
「シェキーナ様は……本当に頑固ですから……」
そして、この部屋にはもう一人。白い髪に白い肌を持ち、唯一深い漆黒を湛えている瞳は、まるで新雪に一滴の墨を滴らせたように強く主張している。だがその割にその眼差しは、どうにも自信なさ気にも感じられる。その髪は短く切りそろえられていたのだが、メルルの死を切っ掛けにしたのか今は随分と伸びてきていた。
彼女はメルル=マーキンスの最後の愛弟子、アエッタ=マーキンス。メルルの死後に、マーキンスの姓を引き継いだ、メルルも認める彼女の後継者だ。
それが証拠に、アエッタはメルルの知識の基とも言える〝知識の宝珠〟を託されている。これが本来の力を発揮すれば、彼女はメルルと同等の魔法力を発揮出来るようになるのだが、エルナーシャ同様にその力はまだ顕現するに至っていなかった。
それでも宝珠の蓄えた膨大な知識を得る事が出来、彼女はエルナーシャ、そしてシェキーナの参謀役としてその責を果たしていた。
3人は三様に、難しい顔をして考え込んでいる。
エルナーシャは、娘として母の体を心の底から心配しての結果だ。例え血の繋がりがなくとも、彼女はシェキーナを実の母と認識しているし、その事に対して何の疑問も感じていない。何よりも、シェキーナが実母と変わらぬ厳しくも深い愛情を注いでくれていると彼女にも分かるから、エルナーシャも心底に信じられるのだろう。
レヴィアが闇の女王の身を案じるのは、偏にエルナーシャがシェキーナを心配して止まないからだ。エルナーシャの従者として、彼女の抱える不安要素を取り除きたいと考えるのは自然な事だろう。もっともそれだけではなく、レヴィア自身もシェキーナに心酔している事もまた理由となっているのに疑いはない。
そしてアエッタもまた、真剣にシェキーナの身を心配している。レヴィア同様にシェキーナに対して心底信頼を寄せている事に疑いはないのだが、何よりも師であり母とも慕うメルルが信を置いていた存在なのだ。アエッタもまた、盲目的にシェキーナを心服していたのだった。
3人は、答えの出ない悩みに答えを出そうと思案に暮れていた。知恵ある者が3人も集まれば、何かしらの良き案が浮かぶものだ……などと良く言われるのだが、こればかりは妙案を得られずにいた。エルナーシャたちが考えうる案のどれを使用しても、シェキーナにやんわりと躱されるのは論じるまでもない事だったからだ。因みに、すでに幾つかを試みてみたのだが、結果は推して知るべしだ。
そこへ、沈黙が支配してしまった部屋のドアをノックする音が響いた。
「ほっほっほ……。中々、良い方法が思い浮かばないようじゃな」
ドアが開き入ってきたのは、小柄な1人の老人だった。特に大きな特徴もなく、見るからに年老いた男性であるのは一目見れば分かる話だ。敢えて言うならば、年齢はすでに720歳と高齢であり杖を突いているにも関わらず、足取りや姿勢は確りしているという点だろうか。
彼はエルナーシャから事情を聴く事もなく、彼女たちが何に対して頭を抱えているのかを開口一番で言い当てた。もっとも、ここ最近のエルナーシャたちの悩みの種はこの件に尽き、実は彼もその事で腐心していたのだった。
「アヴォー老……。そうなんです……」
それに答えたのは、シュンとした表情のエルナーシャだった。すでに意見は出尽くし新しい案も浮かばなくなった彼女たちは、アヴォー老の鋭い指摘にも驚く事はなく素直に認めた。
アヴォー老ことアヴォー=ディナトは、シェキーナの側近を務めるムニミィ=ディナトと血縁にある。さらに言えば「ディナト族」の長を務め、この魔王城での政治中枢を取り纏める一大傑物だ。そんな彼が、まだまだうら若いエルナーシャたちの悩みを言い当てるなど、それこそ朝飯前の芸当と言って過言ではないだろう。
そして……良策を携えている事も、別段驚くべき様な事ではなかった。
「実はのぉ……シェキーナ様には、魔界の視察に赴いて頂こうと考えておるのじゃ」
前置きをして勿体ぶるような事はせず、アヴォー老はエルナーシャたちへその考えを打ち明けたのだった。
エルナーシャたちが相談していた場所へ現れたのは、国の重鎮で相談役でもあるアヴォー老だった。
彼にはエルナーシャたちの悩みに対して、なにやら腹案があるようであったのだがはたして……。