好きな人の父親がドラマや映画で有名な悪役だった
「根川さん、これ、前に言ってたの」
「ええ!?石黒さん本当にサイン持って来ちゃったの!?」
「う、うん。欲しいって話だったから」
目に被るくらいに前髪が長く、いつも伏し目がちのため何処となく陰気な雰囲気を漂わせる小柄の女子高生、石黒。
そんな彼女が誰かのサインが描かれた色紙をクラスメイトの女子に渡そうとしていた。
しかしその女子は全く嬉しそうではない。
「あんなの冗談に決まってるじゃん」
「え?」
「誰があんたの父親のサインなんか本気で欲しがるかって話よ」
「そんな……」
本気で嫌そうな顔をされ、ショックを受ける石黒。
「うっわ。何書いてあるか分かんない。ミミズがのたうちまわってるみたいで気持ち悪ーい。あいつの性根が反映されてるわね」
「そ……そんなことは……」
「この世で一番いらない物だわ。たとえお金を貰ってでも……あ、そうだ、売れば二束三文にはなるかな。って思ったけどアタシの名前書いてるじゃん。これじゃあ売れないし。使えねー」
「…………」
せっかく善意で準備してプレゼントしようと思ったのに、徹底的にけなされて肩を落とす石黒。それとは対照的に根川は彼女を小馬鹿にしたような意地の悪い笑みを浮かべている。どうやら意図的な行為のようだ。
「親が親なら子も子ね。相手に嫌がらせすることしか考えてないんだから」
「お父さんのこと悪く言わないで!」
「悪くも何も事実でしょ。自分から悪人やってて、そりゃあないわ」
「お、お父さんは演技でやってるだけで、本当は……」
「あ?何?聞こえないんだけど」
石黒の父親は有名な俳優である。
そしてその役柄の多くは『悪役』であり、その演技があまりにも不愉快で悪役の醜悪さを見事に演じているということで、ドラマに映画にと引っ張りだこだ。
だがそれがあまりにも見事すぎた。
人の歪んだ内面を的確に表現し、人気のアイドル俳優を徹底して貶め、美人女優を狡猾な罠で手籠めにする。
その演技のあまりのリアルさに、そこまで悪を演じられるということは本当に悪人なのでは、と演技と現実を混同させる意見が出て来てしまうほどだった。しかもそれがSNSで拡散され、炎上したにも関わらず世の中の一定数の人間はその感覚を認めてしまっていた。
つまりは日本中から嫌われている俳優になってしまったのだ。
そんな父親がけなされているとなれば娘としてフォローしたい。
しかし本当は優しいだなどと声を大にして主張したら父親の仕事の邪魔にならないだろうか。
そう思ったら、嫌がらせをする根川に何も言えなくなってしまったのだ。
「まったく、どうして私達があんたみたいな犯罪者と一緒のクラスにならなきゃならないのよ」
「私は何もしてない……」
「カンニングしてたじゃない」
「してないって言ってるのに……」
「私が見たって言ってるでしょ。あんたがテスト中に教科書をこっそり見てたのを!」
「してないのに……」
「ああそうか。このクソサインもあたしの機嫌を伺ってカンニングなんてやっぱりしてなかったですよーって言わせるための賄賂ってわけね。やっぱり親子ともども卑怯だわ」
「ち、違……そういうんじゃ……」
「違わないでしょ。この犯罪者が」
本当にカンニングしていたのであれば、石黒は罰を受けて普通に高校生活など送れていない。先日の中間テストで根川は彼女のカンニングを強く主張したが、証拠が見つからず認められていない。だがそれでも根川は彼女がカンニングをしたと言い張っている。しかも有名人の娘だから忖度されて無かったことにされているとまで言っている。
悪役の娘だから悪事を働くに違いない。
根川が普段から彼女にきつく当たっているから、カンニング騒ぎは彼女への嫌がらせに違いない。
教室の空気は半々に分かれていた。
だがどちらが正しいにしろ、根川と石黒の話は聞いていて楽しいものではない。教室内は空気が重く、トイレに逃げる人も出て来た。
そんな最悪の空気を破ったのは、一人の男子生徒だった。
「石黒さん!俺にもサイン頂戴!」
「え?」
険悪な空気をものともせず、悩みなど全く無さそうなノー天気な満面の笑みを浮かべている。
「白石君。前にもサインあげたよね?」
「うん!すっごい嬉しかった!でも貰えるなら何枚でも欲しいもん!」
「…………お父さんに聞いてみる」
「マジ!?やったああああ!」
どうやら彼は石黒父の大ファンのようだ。
「ちょっと、何勝手に話に入って来てんのよ」
「ああ、ごめんごめん。でもそろそろ昼休み終わるし、石黒さんにどうしてもお願いしたかったからさ」
「ふん。相変わらず物好きなこと。こんな奴の何処が良いんだか」
「聞きたい!?」
「…………チッ。馬鹿馬鹿しい。授業の準備しよ」
石黒の父親を敵視して攻撃しているのに、その父親の良いところなんて主張されたらたまったものではない。根川は不機嫌さを全く隠そうともせずに舌打ちし、この場は退いた。
「絶対にこのままでは済まさない。覚えておきなさいよ」
憎しみに近い感情を湛えた目を石黒に向け、彼女に聞こえないように小声で不穏な言葉をつぶやいて。
「それでさ、石黒さん。昨日のドラマなんだけど……」
「あ、あの、白石君。私も授業の準備しなきゃ」
「あ、そうだったね。ごめんごめん。じゃあまた後でお話しよ!」
結局この時は、白石の介入のおかげで何事もなく口論は終わった。
だがそれはあくまでも根川の悪意が中断させられただけであり、まだ何も終わっていなかったのである。
その日の放課後。
「そうだ、今日はアレの発売日だった!」
石黒父のインタビューが乗っている雑誌。
その発売日ということで白石はコンビニへと向かっていた。
するとそのコンビニに入った直後のこと。
「違います!私やってません!」
「何言ってるのよ。あんたが万引きしてるところを私が見たのよ。それに実際に鞄の中に商品が入ってるじゃない」
「とりあえず裏まで来てくれませんか?」
「違う!本当にやってない!」
悲鳴を挙げる石黒。
正義面する根川。
他の客の迷惑になるからと困っている店長。
その三人がレジ前で諍いを起こしていたのだ。
「石黒さん、どうしたの?」
「白石君!私やってない!万引きなんかやってないの!」
「チッ、どうしてここにあんたが。まぁ良いわ。こいつはここで万引きして今から逮捕されるとこなのよ。ようやく本性を見せたってわけね」
「違う!何かの間違いよ!」
「あの、他のお客様の迷惑になりますから、奥へ……」
そのやりとりだけで大体の事情を察した白石は、ある提案をした。
「とりあえず迷惑になってるみたいだから奥に行ったら?」
「で、でもそれじゃあ!」
犯人だと自供しているものではないか。
ゆえに彼女は店長の指示に従わず抵抗していたのだ。
「大丈夫だよ。防犯カメラを見れば白石さんが何もやってないって証明できるから」
「馬鹿ね。こいつは防犯カメラの位置を確認して、死角になってる場所で盗んでたのよ」
「ふ~ん、そこをタイミング良く根川さんが見てたってことか」
「……何が言いたいの?」
「別に?それにだとしても変わらないし」
「はぁ?」
白石は何もピンチなどではないと言わんばかりに堂々と答えた。
「白石さんが万引きなんてするわけないもん」
「アタシが見たって言ってるでしょ!」
「ううん。白石さんは絶対にそんなことをするような人じゃない」
「はん、どうだか。親があんな極悪人なんだから普通にやるでしょ」
「はぁ……そんなに気に入らないくせに、何も分かって無いんだね」
「何のことよ」
そんなことは決まっている。
白石の態度は何を言われようとも全く変わらず自信満々だ。
「白石さんのお父さんが万引きなんてしょうもない犯罪をするわけないでしょ」
親が悪役だから子供もそうなるとは限らない。
なんてありふれた言葉では無かった。
親が悪役だから子供も悪党、いや、それよりも格が落ちる、悪党だなど表現することすら烏滸がましい犯罪などするわけがない。
あまりに予想外の反論に根川は口を開けて唖然としている。
一方でその言葉に大きく喜んだのは石黒だ。
「流石白石君!分かってるぅ!そうなの、お父さんはもっとすっごい悪なんだから!」
普段の大人しい雰囲気とはうってかわり、大喜びして白石に同意する。もしかするとこちらが本来の彼女の姿なのかもしれない。
「そうそう。カンニングだの万引きだの、スケールが小さすぎるし」
「全然お父さんらしくないよね」
「うん。こんな中途半端な悪事を働くのは本物の悪党じゃない。ただの犯罪者だ」
白石は意味ありげな視線を根川に向ける。
「例えば、父親が有名人ということに嫉妬して、万引きしたと嘘をついて彼女の鞄にこっそり商品を入れる人とかね」
「な!?」
その言葉に根川は顔を真っ赤にして驚いた。
彼女が反論する前に白石は畳みかける。
「それとも、自分が好きなアイドル俳優がドラマの中でボコボコにされたことで恨みを抱いたのかな」
「…………」
「単に自分よりチヤホヤされてることが気に入らないだけだったりして」
「…………」
あるいはその全てなのかもしれない。
少なくとも彼女が歯を食いしばって顔を真っ赤にして怒っているところから、いずれかは図星だったのだろう。
「勝手に人のせいにしないでよ!あたしがやったって言うなら証拠を見せて!」
白石にそう詰め寄ってくるということは、防犯カメラの死角でやったということなのだろう。
だがそれでも白石はすまし顔を崩さない。
「良いよ」
「え?」
まさか証拠が出て来るとは思わなかったのだろう。
根川の顔から血の気がひいてきた。
「どうやら根川さんはコンビニの防犯カメラについて詳しく知らないみたいだね。実はアレって大半がダミーで、本物の防犯カメラは簡単には見つからない場所に隠して設置してあるんだよ。もちろん死角が存在しないようにね。だから防犯カメラの映像を見れば何があったか一目瞭然だよ」
「え……マジで……?」
先ほどまでの熱気はどこに行ったのか。
あっという間に死人のように青褪める根川。
「ということで店長さん。この反応で分かりますよね」
「…………ああ」
もし本当に石黒が万引き犯であれば、根川は堂々としていれば良いだけの話。
ここでうろたえるということは、やはり犯人は彼女なのだろう。
店長、そして騒ぎを見学していた野次馬達から彼女に向けて厳しい目が向けられる。
単なる万引きではなく、他人を陥れようとした、より卑劣な行いをしたのだから当然のことである。
「ということで白石さん、もう大丈夫だから安心して奥へ行こう」
「う、うん」
自分が犯人で無いと証明されたのであれば、安心して取り調べに協力できる。
石黒は安心し、白石も内心では緊張していたのか軽く息を吐いた。
「……して」
そんな二人に向けて、根川から怨嗟の声が向けられる。
「どうしてそんな奴を信じられるんだ!あんなクソみたいな男の子供はクソに決まってるのに、どうして皆してあんたばかり!!!!」
自分の方こそ愛して欲しい。
自分の方こそチヤホヤされるべきだ。
それは紛れもなく嫉妬と呼ばれる感情だった。
だが白石はそんな激情を受けてもなお冷静だった。
「そんなの当然でしょ。だって根川さんには人としての魅力が無いから」
それこそが石黒父と根川との決定的な違いだった。
「あんなにもムカつくのに、あんなにも胸糞悪いのに、吐き気を催す程に邪悪なのに、それでもまた見たいと思ってしまう。もうあの人が出演する作品は二度と見たくないと誓ったはずなのに、つい気になって見てしまう。人を惹き付ける力があの人にはある。果たして根川さんの今の行動は、人の心を揺さぶるものだったかな」
胸糞悪い行為であることには違いないが、惹き付けられるだなんてことは間違いなくない。
ただの犯罪者が犯罪行為をしているだけ。
それ以上でもそれ以下でもなく、人としての魅力など皆無である。
「嫉妬するならもっと徹底的にやらなきゃ。『天国のナイトメア』って映画見たこと無い? 嫉妬に狂った石黒さんが何人もの関係者を不幸のどん底に叩き落し、日本の地方都市を悪意を持って占拠する大傑作だよ。カンニングだの偽の万引きだのとはスケールが違いすぎる。『悪役』として目立ちたいならそのくらいやらなきゃ」
もちろん現実で『悪役』になどなってしまったら、大犯罪者として世間から非難されて逮捕されるだけ。現実と妄想の区別がつかない愚か者の烙印を押され、惨めな人生を送るだけだろう。
だとしても、だ。
彼女の行いは同情されるにしても嫌悪されるにしても中途半端な行いでしかない。人々の心を刺激する何かなど全くない。
大悪役と比べるだなど、あまりにも烏滸がましい。
「彼女はそんな父親を尊敬している。それでいて真逆の優しい人になろうとしている」
それは例えば嫌われている相手のためにわざわざサインを貰ってきてプレゼントする、というようなこと。
「根川さんとは格が違う。嫉妬する前に、自分の小者っぷりを先に治した方が良いよ」
「ぐう……ううう……」
「尤も、こんなことをしちゃったら補導確定、退学か停学確定で、もう遅いと思うけどね」
コンビニから今回の件について学校へ連絡が行き、根川はただでは済まないだろう。
事なかれ主義の学校も、超大物俳優の娘に対する扱いには特に気を使っているだろうから、彼女に攻撃を仕掛けた根川に対して甘い処分など決してしない。
自分の未来がお先真っ暗になる。
真っ当なルートから大きく逸脱することが決定的。
そのことに気付いた根川が今になって焦り出す。
「ち、違うのよ。これは、その、ちょっと揶揄いたかっただけで、本気で罠に嵌めたとか、そういうんじゃないの。そんなに大事にするような話じゃないでしょ?」
今になって保身に走り、どうにかして助かろうと惨めにあがき出す。
「だからそういうところが格が違うって言うんだよ」
石黒父であれば停学や退学など気にせず、むしろそれを更なる嫉妬の糧として攻撃を激化させてくるだろう。自己保身で助かりたいだなど、決して思わない。
「それに優しい石黒さんならともかく、俺にその同情心を誘うやり方は意味が無い」
「なんでよ。同じクラスの仲間でしょ!?」
「同じクラスの仲間なら知ってるでしょ。俺が石黒さんのお父さんに憧れていることを。『悪役』なら敵が情けを求めて来たときにどうするかな。あの人ならどう答えるかな」
「…………」
「地獄におちろバーカ」
「うう……そんなぁ……」
がっくしと膝をつき、涙を流す根川。
だが彼女に同情する者など誰もいない。それは父親とは正反対に優しくあろうとしている石黒もまた同様だった。
「やっと解放される……」
敵視され続け、面倒だった毎日がこれで終わる。
彼女が感じたのはただそれだけだった。
あるいは根川に対して憎しみを抱かなかったことが、彼女なりの優しさなのかもしれない。
一週間後。
根川の件で慌ただしかった石黒と白石は、ようやく多忙の日々から解放され、並んで歩いて学校から帰宅していた。
「改めまして、助けてくれてありがとう。白石君が来てくれなかったらどうなってたことか」
「偶然だけど駆けつけられて本当に良かったよ」
もしも白石が来なければ、彼女は根川の罠に嵌まり万引きしたことにさせられていたかもしれない。
何故ならば白石の監視カメラの話は全部嘘だったからだ。
「それに他にカメラがあるだなんて話、根川さんが簡単に信じてくれたのもラッキーだったね」
「突然何を言い出すのかってびっくりしちゃったよ」
「あいつお馬鹿そうだし、簡単にひっかかるかと思って」
だがそんなところもまた魅力的な悪役には程遠い理由の一つだろう。
石黒父であれば全く動じず、次々と罪を被せて来たに違いない。
「はぁあ、俺って『悪役』に憧れていて、正義の味方じゃないんだけどなぁ」
「くすくす。私にとってはヒーローだったよ」
「それじゃあ石黒さんのお父さんと敵対しちゃうじゃん!やだー!」
「くすくす」
大げさに頭を抱えて嫌がる様子は、石黒が今回の件で気に病まないようにとわざと茶化しているのだろう。彼女もそんなことは気付いている。石黒の気持ちなど、とっくに理解している。
その上で彼女は聞いてみた。
「どうして白石君はいつも私を助けてくれるの?」
下から白石の顔を覗き込むように、わざとらしくあざとい表情で、長い前髪を手で避けるようにして美しい素顔を見せつけるかのように、彼女は問いかけた。
「そ、そりゃあ、石黒さんのお父さんを尊敬してるから……」
「ホントに?」
「…………」
「…………」
「…………」
じっと見られ、白石の顔は真っ赤に染まる。
その反応から答えなど一目瞭然だ。
だが石黒はそれでも彼の口から答えを聞きたかった。
「い、石黒さんが……その……す、好き、だから……」
それはあまりにもか細く、耳を澄ませていなければ空気に溶けてしまい誰にも届かなそうなほどの声量だった。
だがそれでも石黒には届いていた。
彼女はとても嬉しそうな顔をしている。
「ああもう違う!そうじゃないだろ俺!」
「え?」
しかし白石は、すぐに己の発言を後悔した。
それではまるで告白が嘘だったかのようで、石黒は少し不安になった。
もちろんそんな不安などすぐに消えてしまったが。
「俺は石黒さんが大好きだ。付き合ってほしい!」
もしも石黒父だったらどのように告白するだろうか。
『悪役』である彼はピュアな告白などせず、悪辣な手段で強引に女性をモノにするに違いないが、そういう話では無い。
『悪役』として情けない姿など決して見せない彼に憧れるのであれば、ここで日和った態度など見せるのは間違っていると思い、堂々と告白し直したのだ。
同じ人を尊敬する者として、石黒は彼のその考えに気が付いた。
そのことに対して更に嬉しく思い、彼を愛おしく想う気持ちが激増する。
「うん、いいよ」
その笑顔があまりにも可愛くて、白石は更に彼女に惚れてしまったのだった。
「ちなみに彼氏が出来たら紹介するようにってお父さんに言われてるから頑張ってね」
「!?!?!?!?」
「くすくす」
憧れの人に会える嬉しさと、悪人面の父親に彼氏として挨拶する恐怖で大混乱する白石であった。