魔女の庭は空想の森
大雨が降り続いています。
空の上の水がめが逆さまになったままなのでしょうか。丘の上にある家の屋根を、絶え間なく雨粒がたたいています。
魔女にとって、こんな憂うつなことはありません。
玄関へ出ると、ため息をついて腰をさすりながらも、魔女は黒い傘をさします。背の縮んだおばあさんの魔女に、その傘は大きすぎるくらいでした。
そのまま魔女は、家のとなりにある庭へ向かいました。
庭の前の扉を開け放ちます。そうすると、魔法が町まで早く届くと言われているからです。
魔女の庭は、丘のほとんどを占めるくらい広くて、大きな木がたくさん生い茂っています。
誰も立ち入ることなく、長い間手入れをされていないので、外から見るとまるでこんもりとした森のようになっていました。
この魔法の庭は今、雨を止ませるためだけに使われているのです。
家に帰ると、魔女は両手でやっと持てるほどの大きな水晶球をきゅっきゅっと磨きます。水晶球は、周りの景色をすべて曇りなく映し込むくらい透明になりました。
そのあと、魔女はお気に入りのカップを取り出し、甘酸っぱくて爽やかなハーブティーを飲んで、ひと休みしました。
これから、やかましい子どもの相手をしなければならないのです。
丘の上にたったひとつ建っている家で、魔女はいつもひとりで静かに過ごしています。それなのに、雨が降り続くたびに、町から子どもたちがやってくるのです。
全く面倒なことだねぇ。
魔女はそう思っていました。
やがて、二人の女の子が訪ねてきました。
家に子どもたちを招き入れ、水晶球の前に座らせます。
その頃には、水晶球のなかは緑におおわれた庭が映っていました。魔女が扉を開けた庭がそのなかにすっぽりと入っているようでした。
庭の上には、この町じゅうに広がっているのと同じ空があって、雨がざあざあと降りそそいでいました。
魔女は女の子たちに問いかけます。
「さあ、雨が止んだらどうなるか、想像してごらん」
雨を止ませるために必要なのは、子どもたちの想像力でした。
水晶球に映った雨の庭に、子どもたちが晴れていくところを想像して、言葉にしていきます。
そうすると、水晶球のなかの庭はそのとおりの庭に変わっていきます。
晴れた庭を空想すれば、晴れた庭ができあがります。不思議なことに、その天候は町じゅうへと広がっていくのです。
大雨が続くと、雨を止ませるために子どもたちが魔女のところへやってくることになっていました。
二人の女の子はおしゃべりを始めました。
「ええと、雲が途切れて庭が明るくなるよ。それで、小鳥が巣から出てくるの」
「水たまりが静かになって、日の光が当たるのはどうかな」
すると、水晶球がぴかりと光り輝きました。
「うん、いい調子だよ」
魔女は子どもたちに、雨の止んだ庭をどんどん想像させていくのです。
想像したものが水晶球のなかの庭に受け入れられると、水晶球は一度光を放つのでした。
「晴れてきたら、クマの親子が洞穴から出てきて、お散歩するの」
次の女の子の言葉に、魔女はびっくりしました。
「えっ、クマ」
「クマはだめかしら?」
あの庭にクマがすんでいることはないでしょう。それでも、魔女は考えました。
「うーん、こんな庭だからね、そんな想像もしたくなるかね。まあ、いいでしょう」
その言葉に、女の子たちは安心してにこりと笑いました。そのあともたくさんの空想を重ねて、水晶球も何度もぴかりと輝くのでした。
水晶球のなかの庭は、いつしか雨が止んでいました。
空が明るくなり、小鳥が空へ飛び立ち、ピピピと鳴いています。それに、どこからかクマがやってきて、のしのしと歩き出しました。小さな子グマも後ろからついていきます。
明るく晴れた庭の様子は、やがて水晶球のなかだけでなく外の世界にも行きわたり、ついにはどこの雨も上がるのでした。
けれども、帰りがけに子どもたちは気づいてしまいました。
何しろ、本当はいないはずの子グマを、開け放たれた庭にちらりと見かけたのですから。
水晶球のなかだけでなく本物の魔女の庭にも、しばらくの間、自分たちが想像して話した世界が、本当にできているのでした。
魔女しか知らなかった秘密を、女の子たちはこの日、知ってしまったのでした。
次に大雨が降り続いた日のことです。
魔女は気が重くなりつつも、子どもたちを迎え入れました。
いつもどおりにしようと思うのに、今日は子どもの数が六人。この間の二人の女の子の他に、小さな女の子が一人、男の子も三人います。
多すぎです。きっとうるさくなるでしょう。
魔女はやれやれと深くため息をついて、準備した水晶球に向かうと、仕方なく始めます。
「雨が止んだらどうなるか、想像してごらん」
子どもたちは話します。
「明るくなった空を見て、リスが木の実を探しに出てくるよ」
「川の水に太陽の光がきらきら輝くの」
「いいね。他には?」
魔女が促すと、子どもたちは勢いに乗りました。
男の子が大きな声で話します。
「あのね、晴れたらピピテマスが散歩に出かけるよ」
「は? 何だって」
耳慣れないものに魔女が問い返します。
「ピピテマスはね、土の巨人。地面が乾きはじめると、動けるんだ。大きいけどとっても優しくて、ぼくらを肩に乗せてくれるんだよ」
「そんなの、いないよ」
「当り前だよ。ぼくが今、作ったんだから」
「作っただって?」
魔女は目を丸くして尋ねました。けれど、それに構うことなく、今度は女の子が話しかけてきます。
「あとね、日が当たると、リンリンパの花が咲くの。リンリンパはとっても背の高い木なんだけど、誰でも登れるくらい登りやすいのよ」
「な、何なの。変なものを言うんじゃないよ」
「変なものじゃないよ。私が考えたものだよ」
得意そうに話すので、魔女は思わず椅子から立ち上がりました。その瞬間、水晶球が光を発しました。
どうやら、子どもたちの考えたものは、魔法の庭に受けとめられた様子です。
あわてて魔女は子どもたちを止めようとします。けれども、男の子がすぐに話しはじめました。
「晴れてくると、洞窟が迷路になるんだよ。人の通れるような巨大な迷路」
「そんな洞窟も迷路も庭にはないよ」
「あったらおもしろいよ、おばあちゃん」
「それにね」
子どもたちは晴天の庭に、さまざまなものをどんどん思い浮かべます。そのたびに、水晶球は明るく輝くのでした。
庭に想像したものができていきます。
「信じられない子たちだね。一体どうしてくれるんだい」
魔女が大きな声を上げても、子どもたちは笑っています。
「でも、晴れたらいいんだよね」
「そ、そりゃあそうだけど……」
魔女はぶつぶつとつぶやきます。
「それじゃあ、虹ができて、七色の妖精が降りてくるよ」
水晶球は再びきらめきます。
突然、子どもたちは立ち上がりました。
「そろそろ庭へ行こう。冒険しようよ」
みんなそろって駆けだします。
今、魔女の庭が自分たちの想像したものでいっぱいになっていることを、子どもたちはもう知っていました。
「こら、待ちなさい」
魔女が追いかけようとしますが、すぐに腰を押さえて座り込みました。
「あいたたた。腰が……」
「えっ、おばあちゃん、大丈夫?」
「どうしたの?」
子どもたちは全員すぐさま戻ってきて、魔女を不安げな顔でとり囲みます。
「大丈夫? 痛いの?」
あんまり心配してくれるので、魔女はためらい、恥ずかしくなってしまいました。わざとそっけなく言い放ちます。
「年寄りだからね、腰にくるのさ。全く子どもはいい気なもんだね」
「そっかあ、おばあちゃん、かわいそうだね。冒険もそのままじゃできないよね……」
「何が冒険だよ。年寄りをいたわることも覚えたらどうかね。腰痛持ちは、せいぜいいい椅子と一緒にいるしかないのさ」
つんとすましてみせると、女の子の一人が提案しました。
「だったら、おばあちゃん専用の椅子を作ろうよ。お姫さまが座るような椅子。その椅子は、おばあちゃんの行きたいところにどこでも行けることにしようよ」
途端に水晶球がぴかりと光りました。
「えっ、何を作ったんだい?」
魔女はつい水晶球のなかをのぞいてみました。
透明な水晶の奥には、草の上にきれいな飾りのついた椅子がありました。
「こ、これは……」
魔女だって、お姫さまの使うような物は大好きなのです。立派な椅子に、すっかり見とれてしまいました。
「行ってみようよ、おばあちゃん」
子どもたちに手を引かれ、魔女も一緒に庭へ出かけることになりました。
庭の門扉は、たくさんの蔦でおおわれていました。通り抜けると草の生えた広間があり、おばあさん専用として作られた椅子が置かれていました。
磨かれた木材の部分には複雑な模様が彫られ、ダイヤモンドやルビー、サファイアが散りばめられています。背もたれやひじかけや座面には、赤いきれいな布が張られ、ふっくらとしています。やわらかい綿が入っているのでしょう。
まさしくお姫さまの椅子でした。
魔女が腰かけると、椅子はゆっくり動き出しました。子どもたちがでこぼこ道にさしかかると、椅子はふわりと浮き上って、魔女を運びました。
「まあ、なんて便利な椅子なんだろうね。私が行きたいように行ってくれる。しかも、ふかふかとして座り心地がいいね」
素敵な椅子で移動できるとなると、魔女の心も子どもたちと同じように解放されて、踊りだしました。
そのあと、子どもたちは土でできた巨人のピピテマスに出会いました。肩に乗ったり抱きかかえてもらったりして、ぐんぐん木の茂る奥へと入っていきます。
そうして、リンリンパの木を見つけると、子どもたちはよじ登って遊びました。
魔女は高いところまで椅子で飛んでみました。うす桃色の釣鐘のようなリンリンパの花をたくさん目にすることができたのです。
洞窟が見つかると、子どもたちは一斉に入っていきましたが、すぐに出てきました。
「大変だ。なかが真っ暗だよ。どうしよう。冒険できないよ」
想像したものがそっくりそのままできているとは限りません。うまく想像できていなくて、何か足りなかったり、考えていたものと違ったり。
それが思いがけない冒険となることもあるでしょう。けれど、魔女の力がいることもあるのでした。
「しょうがない子たちだね。ちょっとおどき」
魔女は洞窟の入り口にいる子どもたちへ脇によけるように話すと、手をひと振りします。すると、洞窟の先の方まで小さな明かりがぽんぽんと灯りました。
こんな魔法なら、魔女には簡単にできてしまいます。
「おばあちゃん、すごいね」
子どもたちがほめてくれるので、魔女はすっかりいい気分になりました。
みんなは洞窟探検の一行となりました。魔女は子どもたちのあとをついて、必要なところに明かりをつけてやりました。
洞窟のなかはひんやりとしていて、たけのこのような鍾乳石の生える道を苦労しながら歩いていきます。つららのような岩が下がった天井からコウモリの群れが現れ、驚いた子どもたちは、水たまりに足を取られそうになりました。
迷路になっている道にすっかり惑わされてしまい、ようやく一番奥へたどり着いたのです。
そこには、大きくてどっしりとした宝箱がありました。
子どもたちがその重いふたをゆっくり開けると、なかは色とりどりの宝物でいっぱいでした。
魔女は息を吞みます。きらびやかな宝石に飛びつきたくなりました。
けれど、これは小さな女の子が空想したものだと気づいて、手を引っ込めました。子どもたちはしっかりポケットに入れていましたけどね。
洞窟から出たあとには、陽光に輝く金色の川が見えてきました。
想像していた木の小舟で、一気に下っていきます。思ったより急流で、みんな舟がぐらりとゆれるたびにどきどきしました。
さらに、赤、橙色、黄色、緑、青、藍色、紫の七色の蝶のような羽をつけた七人の小人と触れ合いました。虹からやってきた小さな妖精たちと木々の間で遊んだのでした。
行く先々で想像したものと出会い、予想どおりだったりそうでなかったりしました。そうして、子どもたちは笑顔になったりびっくりしたりして、楽しい時間を過ごしたのです。
みんながこの冒険をたっぷりと味わって、帰り始めるころ、少しずつ魔法が解けていきました。
魔女の庭は、もとのような大木の連なる広々とした敷地に戻っていました。
庭を出ると、丘から雨の止んだ町を見下ろすことができます。
明るく美しい光が町のすべてに降りそそぎ、雲の上には澄んだ青空が見えていました。ぬれた家々の屋根に日の光が射してきらきらとしています。それに、妖精はいなくても、七色に輝く大きな虹がきれいな弧を描いていました。
いつの間にか、宙に浮かぶ椅子はどこかへ消えてしまいました。
それでも、魔女は普段よりもしゃんと背を伸ばして立っていました。子どもたちと冒険をしたことで、久しぶりに力がわいてきたようです。
「ねえ、おばあちゃん。また、大雨の日に来てもいい? それまでに、もっともっとおもしろい冒険ができるように、いろいろ考えておくから」
期待に満ちた子どもたちの問いかけに、魔女は張り切って答えました。
「もちろんだよ。またみんなの作った場所で冒険しようじゃないの」
全く楽しみなことだねぇ。
今度はどんな空想の森が広がるのだろうと、魔女はその日に思いをはせるのです。
大雨が降ったときには、子どもたちのお茶も用意して、たくさんたくさん話をしよう。
それに。
冒険に出かける準備もしておかなくてはね。