EPISODE6帰り道
俺は移動してまたスーパーに戻ってきた。鉢合わせないよう物陰にかくれながら移動していたから傍から見たら不審者だろう。しかし、今そんなことを考えている余裕はなかった。
その人はまだお惣菜コーナーにいた。さっき見た時と同じ場所に立っている。明らかに様子がおかしい。知り合って間もなくドジというか抜けているというか、そういうものを感じ取ったがそれとは全く違うように思えた。
その人を気にかけながら何となくアイスコーナーに足が向いた。多種多様なアイスがあり、その中でお気に入りのやつを見つけた。それを手に取り、何か柊にも買って行ってやろうと思っていた時に。
「洋樹さん」
隣からひょっこりと柊が現れた。声をかけられるまで気が付かなかったので少し驚いた。
「…なんだ、柊か」
柊が小首を傾げるのでなんでもないと誤魔化しておいた。
「アイス買ってるの?」
「お前もなんかいるか」
「えー、じゃあ……ていうか、なんでこんなに悠長にアイス買ってるの」
アイスを選びかけた柊だったが、このおかしな状況に気がついたようだ。
「洋樹さんが急かせたのに、話が違うよ!」
「それにしても随分早かったな、ほんとに買ったのか」
「いやいや、買ったよ」
呆れ顔で下着屋さんのロゴが入っている紙袋を掲げた。
「別にブラつけて確認するだけだし…というかそうじゃなくて、洋樹さんの知り合いはもう居なくなったの?」
「いや、居るんだけど」
「いや、いるんじゃん!じゃあ、もう早く帰ろ」
今度は柊が妙に急かしてくる。
「どうした?柊も会うのは嫌なのか?」
まあ、知らない奴と会っても気まずいだけだしなと思っていたがどうやら少し違かったらしい。
「いや、その…ちょっと怖いかなって」
怖い?俺はふとあの人を思い浮かべた。あの人はなんというか危なっかしくて心配になるというか、そんなイレージはあったが怖いなんて思ったことは一度もなかった。
「別に怖くはないぞ、お前と身長も同じくらいだしな」
「へー、ちっちゃいんだ」
「いや、割と平均的だと思うけど、確かに少し身長は低めかな」
「いや、ちょっと待って」
柊が俺の顔を前にずいと手のひらを掲げた。
「その人って男の人?」
「いや、女性だけど」
「あー、そう、なんだぁ」
掲げられた柊の手が力無く下がっていき、ぽつり呟いた。
「男の人かと思ってた」
「ああ、そういう事か」
俺は過去自分の言ったことを思い返して納得した。
「俺の知り合いは、脳みそちんこじゃないぞ」
「ちょっ!」
柊はすぐ顔を赤らめた。なんでこんなに下の話に耐性のか。男子よりもむしろ女子の方がえぐいという話は何度か聞いたことがあるが、それは男子から見る女子への偏見というかただの幻想だったのだろうか、とそんなどうでもいいことを思い返していた。
「もう、いいよ。早く行こうよ」
「アイスはいいのか?」
「本当にいいの?」
「アイスぐらいで遠慮しすぎだ」
じゃあ、と言ってアイスのショーケースを眺め少し悩む素振りを見せたが、俺の手にしているアイスを見て柊は同じものを選んだ。
「私も同じのにしよっと!」
柊からアイスを受け取り、レジに向かう。会計を済ませて、帰ろうと自動ドアをくぐる瞬間に、少し気になって足を止めてお惣菜コーナーのところを見た。
お惣菜コーナーはここからでは死角になって見えない。俺は周りを見渡してから前を歩く柊を呼び止めた。
「柊」
柊は振り返って俺を正視する。
「どうしたの?」
「すまん、ちょっと待っててくれ」
「え」
「もし、俺が女の人と出てきたらばれないようについてきて」
そう言い残し、踵を返す。後ろでは柊が嘆いていた。
お惣菜コーナーのところへ着くと、まだその人はぼーっと立ったままだった。夕飯を何にしようか悩んでいる様子でもない。そもそも、お惣菜自体がほとんど残っていなかった。
俺は近寄って声をかける。
「矢神さん」
一度声をかけても反応がなかった。俺は諦めずに肩をそっと叩きながら、もう一度声をかけた。
「矢神さん?」
「えっ、あっ、はい」
肩をビクリを震わせて、矢神さんはこちらに振り向いた。
「あ、こんばんは、洋樹さん」
髪型は首ほどまでのボブヘアーで、広い額を出したデコ出しスタイルは、比較的童顔な彼女によく似合っていた。また、片側だけ耳にかけられた髪の毛が少し大人の色気を感じさせた。
服装はショートパンツとTシャツといった、ラフな格好であった。
「こんばんわ」
「…」
「…」
声をかけたはいいものの、いざその人を前にすると次の言葉が出てこなくなってしまう。俺は元々話上手では無い上に、異性を前にすると少ししどろもどろになってしまう質であった。それに矢神さんは気を利かせてくれた。
「何かお買い物ですか?」
「あー、ちょっとアイスを買いに…」
「…」
またもや沈黙。俺は意を決して単刀直入に言った。
「その、声をかけたのは、ずっとここに立ち尽くしていたから、大丈夫かなって思って」
「え、私、立ち尽くしてたってどれくらい」
「15分くらいは」
「えー!」
矢神さんは心底驚いていた。
「お惣菜でも選んでいるのかなとも思ったんだけど、ほら」
お惣菜のほうに目配せすると、矢神さんも振り返って見る。
「もうほとんど残ってないから」
「ほんとだ!」
「俺もう帰るところなんだけど、夜も遅いし一緒に帰る?まだ、用事があるならいいんだけど」
「あ、じゃあ一緒に帰ります。そのこれだけ買ってもいいですか」
矢神さんは自分の目の前にあったお弁当を手に取った。
「今日はなんだか自炊する気にもなれなくて」
矢神さんの表情は少し疲れているようだった。レジに向かう矢神さんの後を追った。
レジに列はできてなくて、すんなりとお会計に入る。矢神さんに元気がないようなので、お弁当でも奢ってあげようと思ったが、思いついた時にはもうレジに入ってしまったので諦めた。
お会計が終わり、矢神さんとスーパーを出ると自動ドアの横で柊が立っていた。少し口を開いて何か言いかけた柊だったが、矢神さんの存在に気がつくと開いた口を閉じた。
ついてきて、と口パクで伝えてみる。おそらくそれが伝わったのか、柊はコクコクと頷いた。矢神さんは柊の存在には気が付かずに少し前を進んでおり、俺はそれに追いつくように足を進めた。
少し風が吹いて、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。香水か何かだろうか。それにしても、なぜ女性はこんなにも甘い匂いを発するのだろう。
一緒に帰っているのに何も話さないのもあれなので、何か話そうと口を開いたが、後輩の女子に対して何を話せば良いか分からず口をついてでたのは、
「それにしても暑いね」
であった。自分で口にしておきながらもなんてつまらないんだと自分に失望した。
「そうですね」
矢神さんが返す。変な間があかないように必死に頭をフル回転させ、話題を探していると、矢神さんの続けて言った。
「正直、意外でした」
「…え?」
矢神さんの不意の言葉に、反応が一瞬遅れて、顔を向けた。
「ほら、一緒に帰ろうって言ったこと」
「そう?」
自分でも珍しい行動だと知りつつもあえて聞き返してみる。
「私てっきり、洋樹さんに嫌われているのかと」
「へっ?」
素っ頓狂な声が出た。あまりに予想外だった。何か嫌な態度をとってしまったのかと思って自分の行動を振り返ったが、思い当たる節はあまり無かった。
「なんでそう思ったの?」
「その、時々避けられているのかなぁと思う部分があって、それであまり好かれてないかもなと」
避けるという点では思い当たる事がいくつかあった。
彼女が引っ越して知り合った当初、何度かキャンパス内で彼女を見かけた。しかし、俺が軽々しく声をかけられる訳もなく、少し自意識過剰だが何となく避けていた。
自分では、バレずに上手くやっていると思っていた。まさか、矢神さんに気取られるなんて夢にも思わなかったため少し驚いた。
「その、俺はあまり人と接するのが得意じゃないんだ」
素直にそう打ち明けた。
「得意じゃないのになんで今日は誘ってくれたんですか?」
矢神さんはニコニコと笑っている。その顔を真っ直ぐ見れなくなって、目を逸らしながら答えた。
「それは、少し様子が変だったから」
顔が熱くなるのを感じる。我ながら恥ずかしいことを言っているなという自覚はある。
「優しいんですね」
頬を緩めせる矢神さんを見ると、何となくうまく誘導させられたのかも知れない。なかなかやり手というか、強かというか。3歳も年下なのに、主導権を握っているのは彼女だ。
「ごめん、余計なお世話だった?」
「いいえ、むしろ嬉しかったです。洋樹さんとはじっくり話してみたかったので」
「そう、なんだ」
面と向かって言われると小っ恥ずかしいものがある。それを恥ずかしげもなく言える矢神さんが眩しかった。
目を背けるようにふと、ふと後ろを見た。すると、怪しげな女子高生が電柱に隠れてこちらを覗いていた。何やってんだ、あいつ。
そんな俺の視線が気になったのか、矢神さんも後ろを見る。やばいと思ったが、遅かった。
「…?」
矢神さんはあまりピンと来ていない様子で、俺に向かって言った。
「何かいたんですか?」
「いやぁ、猫がねぇ…」
どうやら上手く電柱に隠れられたようだ。少しだけスカートの裾が見えるが誤差の範囲だろう。体が小さいと便利なこともあるものだと思った。
「そういえば、洋樹さんってピアノとか弾いてますか?」
急な話題の転換に少し戸惑う。
「たまに、家で弾いてるよ」
そう答えて、何故矢神さんがこの質問をしてきたのかに思い当たる。
「…もしかして、聞こえちゃってた?」
「とてもお上手なんですね」
矢神さんは少しいたずらっぽく笑った。
「ごめんね、音量には気をつけてたんだけど…」
「いいえ、私がベランダに出て勝手に聴いているだけですから」
「そう?」
自分の演奏を誰かに聞かせることなんて、昔に比べてほとんど無くなってしまったから、気恥しかった。
「洋樹さんのピアノを聴いていると、何となく元気が出てきます」
「ほんとに?」
「ほんとです。悲しい気持ちに寄り添ってくれるような優しい音色です」
「そう…それなら良かった」
胸が熱くなるのを感じていた。誰かにこんなに褒められたのはいつぶりだろうか。
――いい曲だ。ありがとう、これからも何度でも弾いてくれよ。
少し昔のことを思い出した。ああ、あの時もこんな気持ちだった。じわじわと目頭が熱くなる。同時に胸も苦しくなって、唇を噛んだ。
「それなのに、どうして最近は弾かなくなっちゃったんですか?」
「…っ、それは」
苦しかった。今の気持ちを全部ぶちまけてしまいたかった。でも、それは意味の無いことだから。仕方の無いことだから。全部呑み込んで建前だけを話した。
「就活で、忙しいんだ」
「あ、そうなんですね。すみません」
「レポートとか、バイトもあるから、時間が無くて。でも、落ち着いたらまた弾くよ」
思ってもいないような事を並び立てて、何を言っているんだともう一人の自分が嗤った。
「じゃあ、その時はそっちに行ってもいいですか?」
矢神さんは真っ直ぐ俺の目を見据えていて、勇気を出しているのだと分かる。そんな彼女にどこか後ろめたさを感じていた。
「いいよ」
「やった!」
矢神さんは小さくガッツポーズをした。まさかの行動に虚を突かれて固まっていると、自分の行動を自覚したのか、握りこぶしを一度見て、それから照れたように笑った。
あまりのあざとさに吹き出すのを堪えていると、ちょっと変な顔しないでくださいと突っ込まれた。
街灯が夜道を照らす。いつの間にかアパートのすぐ近くまで来ていた。部屋の前まで行くと、おやすみなさいと言葉を交わして、矢神さんが部屋に入るのを見送った。
ああ、今日は満月なんだなと空を見て思った。