EPISODE4ピアノ
ザクザク、ザクザク。荒々しく生えた雑草を踏む足音が二人分あった。それはやがて、コンクリートを踏む音に変わった。
「洋樹さん」
「なんだ」
「私が言うのもなんだけど、本当にいいの?」
本当にいいのか、それはここに至るまでに何度も自分自身に問うた事だった。そんなものは決まってる。いいわけないさ。
でも、実際に今彼女を連れ出そうとしている。分かっている、自分が矛盾していることくらい。
少し前の出来事を回想する。痛く解ってしまった。彼女はどうしようもなく独りだった。だから、誰かに見つけてもらいたかった。そうして、俺が見つけた。
「いいわけないだろ」
これは理屈じゃない。世界がそうあるように、俺もそうあるだけなんだと。ありとあらゆる偶然が、幾千万もの必然から成り立っているように、この出会いもどこか蓋然性の帯びたものを強く感じた。
「…」
自転車のある校門まで来た。門は閉まっており、その前で一度立ち止まる。黙っている柊に振り返った。
「少しの間だけだからな」
そう言うとぱぁと顔を明るくして、
「ありがとう!嬉しい!大好き!」
鬱陶しいほどに飛び上がった。
門を飛び越えて先に降りて、門の上に飛び乗っている柊を支えて下ろしてやった。
自転車を支えながらスタンドを倒した。
「後ろ乗れよ」
「え?」
意味が理解できないというふうに聞き返した。もちろん自転車のサドルは1つ。しかし、その後ろにはチャイルドシートを取り付けたり、そのまま荷物を固定して運べる荷台がある。
「もしかして、そこに座るの?」
「他に場所ないだろ」
柊はものすごく微妙な表情を浮かべた。その様子に少しおちょくってやろうと、
「なんだ、二人乗りしたことないのか」
まるでみなが必ず通る人生経験かのように揶揄すると、
「べ、別に乗れるし…」
意を決したように荷台に座った。サドルをまたいで、
「しっかり掴まれよ」
柊が俺の腰を掴んだのを確認してからペダルを踏んだ。
「うあっ」
動くと思ったより怖かったのか、腰に手を回して引っ付いてくる。がっしり掴まれてるので、少し苦しい。
直ぐに下り坂に差し掛かり、数年前のこの学校の生徒が見ていたであろう景色を眺めた。
「柊、見てみろよ」
この街は坂が多く、それに連なるように並ぶ家。それを突き抜けるように大きめの道路が1つあり、遠くには団地が見えた。その近くには小中学校があり、離れたところに駅があった。手前にはもっこりと膨らんだような山、等間隔に置かれた送電塔、その電線に並んだ鳥たち。
この小高いところから街並みを一望でき、そしてその全てをさっき見たよりも色濃くなった夕焼けが色付けていた。
「……きれい」
呟くように発せられた声に心の中で同意した。夜空に輝く幾千もの星だとか、湖の水面に映る富士山だとか、そういうものでは無い。ましてや、数多の色に光るイルミネーションや、ライトアップされた東京タワーなどでもない。
このどこにでも有り触れたような風景、だけれども、ここ以外には無い風景。土地と文化、生活感がありありと感じられる、そんなこの街並みが好きだった。
坂を自転車が2人を乗せて下るのを電線に並んだ鳥たちが見下ろしていた。
二人乗りに慣れたのか途中から柊は愉快そうに笑っていた。おしりが痛いと柊が不満を言ってから少ししたあと、あるアパートの前で自転車を止めた。
「着いたぞ」
降りるように指示すると、柊はひょいっと身を翻して荷台から降り、スカートを直した。
「おーぉ」
目の前のアパートを見て、感嘆の声のトーンが段々と下がっていく。
「なんだか普通のアパートだね」
「悪かったな普通のアパートで」
柊がどんなものを想像していたのかは知らないが、大学生の一人暮らしなんて、それ自体がもう贅沢なのだ。普通のアパートなんて良い方。俺の知り合いには信じられないくらいボロいアパートに住んでいるやつもいた。
カツカツと階段を上り一番奥まで進む。そこが俺の部屋だ。鍵を取りだし、鍵を開けて中に入る。
靴を脱ぐと、ドアを支えながらソワソワと柊が立っていた。何しているんだと思ってみていると、キョロキョロと中を見ていた目が合って、
「入ってもいい?」
どうやらお許しを待っていたらしかった。変なところで律儀だなと思いつつ頷くと「やった」と声を出して、ヅカヅカと入ってきた。
部屋は割と小綺麗なつもりだ。それはマメに掃除しているというより、そもそも部屋にある物が少ない。ミニマリストを自称している訳では無いが、案外そういう質なのかもしれない。
物としては本が多い。大きめな棚にずらりと本が並んでいる。本はよく読む方だと思う。ジャンルは問わず、色んな方面に手を出している、いわゆるミーハーだ。
そこまで面白い部屋ではないだろうに、柊は興味深そうに周りを見ていた。
「あ!」
何か面白いものでも見つけたかのように柊が声を上げた。
「ピアノだー!」
部屋の端っこにこじんまりと鎮座しているそれは埃よけのために布が掛けられている。
「弾けるの?」
「…まあ」
少し曖昧に答える。次に言われるであろう言葉を聞くのが憂鬱だったからだ。
「じゃあ、何か弾いてみてよ!」
「いや、今はやめとこう。近所迷惑にもなるしな」
「えー、別にいいじゃん。まだ日も落ちてないのに」
「今は…弾く気分じゃない」
自分でも驚くほどに低い声でそう言った。こんなはずではなかったのに。少し自己嫌悪に陥った。
「そう?」
柊が俺の事を心配そうに覗き込んでいるのに気がついた。
「私、少し困らせちゃったかな?」
「いや、違う。違うんだよ」
俺は慌てて否定した。自分が情けなくなって顔を抑えた。年下に何、気を使わせているんだ。相手を困らせているのは俺の方だ。年甲斐もなく、苛立ちを態度に出して。
「ごめん」
「別に、ほんと謝ることじゃないよ」
柊はそんな俺を見て、わたわたと慌てていた。
感情は、思っているよりも相手に伝わってしまう。感情を態度に出さないことも重要だけれど、あまり波風を立てないように余裕を持っておく事が大事なのだと思う。
何故だが、目の前の小さな頭が愛らしくなって、撫でようと少し腕を上げたが、途中で理性がそれを食止めた。
柊は不思議そうに俺を見ていた。
どこかぎこちない感じになってしまったので、話題を変えたい。
「よし、何かご飯でも作るか」
台所へと向かった。炊飯器の内釜を取り出して、お米を入れた。
「私、お腹すいてないよ」
「痩せ我慢は良くないぞ」
「いや、痩せ我慢でも何でもなくて不死身だから、別に食べなくても大丈夫」
「でも、食おうと思えば食えるんだよな」
「まあ、多分食べれるけど」
「じゃあ、作るよ。チャーハンでいいか」
「いや、その……」
数秒逡巡した後、柊は目を逸らしながらか細い声で言った。
「…いただきます」
その時、炊飯器がピピッと音を鳴らした。
「まあ、もう作ってるんだけどね」
早炊にしたからあと30分ほど待てば炊けるだろう。
俺は柊の正面に座って、目の前にいる少女を見据えた。
「何」
少し居心地悪そうに目線を落として、スカートの裾で遊んでいる。
この少女は一体なんなんだろうと考える。自分を不死身だと言って止まない少女。記憶喪失で昨日からの記憶しかない少女。
どう考えても普通じゃない。家出してきて、家の事を聞かれたくなかったから記憶喪失だと嘘を言ったのか?本当にそうなら、なぜ彼女は何も持っていない?家出するなら携帯電話なり、お金なりを持ってるはずだ。突拍子も無い行動で、ふらっと家を出てきたのか?
不死身というのもよく分からない。けれど、これは正直冗談とも思えない。確かに俺は彼女が不死身だということをこの目で見てはいないが、彼女は校舎から飛び降りても無傷だった。
あの高さなら運良く命拾いしても、骨の一本や二本折れてそうなものだ。ましてや、切り傷一つなく整然と立っているなんて考えらない。
俺はそのまま仰向けに床に寝て、天井を見上げた。部屋を照らす電灯の光が鬱陶しく思えて瞼を閉じた。
俺はどうするべきだったのかと、今更になって思い始めてきていた。あのまま屋上に戻らずに家に帰るのが正解だったのか、それともそもそもこの少女と出会うこと自体が間違いだったのか。そんなことは考えていても仕方がないと分かっているけれども。
けれど、不思議とこの選択が間違いだとは思っていなかった。いや、間違いであったとしても後悔はなかった。おそらく、あの場でどんな神のお告げがあろうと俺は屋上に戻ったに違いなかった。
これが、優しさなんて綺麗事は言わない。俺はそんな過ぎた人間じゃない。これは単なる好奇心と、期待だ。このどうしようもなく愚かで独善的な行動に彼女を巻き込んだことを申し訳なく思う気持ちと同時に、やはり楽しんでいるかのような自分もいた。
「…さん」
いつの間にか重たくなった瞼を開いた。
「洋樹さん」
気がつくとおでことおでこがくっつきそうなほど近くで柊が俺を呼んでいた。顔が逆さに見える。眼前に柊の整った顔が広がって数秒混乱したが、直ぐに柊のおでこに手を当てて顔を退けた。
「なんでそんなに近くで呼ぶんだ」
寝てしまっていたかとすぐ後ろにいた柊に振り向いた。
「えへへ、困るかなって思って」
イタズラ顔で柊が笑う。俺は少し仕返しがしたくなって軽口を叩いた。
「キスされるかと思ったよ」
「え」
柊は、ポッと赤くなった。すぐに言い返してこない。絶妙な間が空いて。
「え、ほんとにキスしようとしてたの…」
「そ、そんな訳ないでしょ」
今度は直ぐに返事が返ってきたが、何となく二の句が継げず困っていると。
「そういえば、そう!ご飯が炊けたよって教えたかったの」
「おお、そうか、そうだった、忘れてた。言うの遅いけど」
「変な事言うからでしょ!」
1人で騒がしい柊をおいて、炒飯を作るのを再開する。料理はあまりしないが、難しい料理でもないので割と直ぐに完成する。お皿に盛ってちゃぶ台に出した。
「美味しそー」
全く心のこもってない声で言われる。まあ、普通のなんの特徴もない見た目の炒飯で、味も普通だから別にいいんだが。
座って早速食べ始める。うん、美味しい。シンプルイズベストだ。柊の方を見てみると、何だか口いっぱいにしてハムスターのごとく食べていた。すると、目が合った。数秒見つめ合って、柊は少し赤くなってから噎せた。
「ああ、お茶、お茶」
お茶を用意していないことに気がつき、直ぐに用意して柊に渡した。柊は受け取って喉に流し込んだ。
「大丈夫か。食事は逃げないから落ち着いて食べな」
柊はゼェハァと息を荒くして、胸を撫でていた。
「あ、ありがとう…」
屋上から飛び降りて無傷だったのに、ただの炒飯で死にかけるなんて変な話だ。柊は胸を撫でながら聞いてもいないのに言い訳をしだした。
「その、食べるの久しぶりだったから」
取り乱したことを恥じている様子だった。
「そんなにお腹減ってたのか」
「…別にお腹は減っては無い」
「おお、そうか」
食べるの久しぶりと言ったいたが。面倒くさいので追及することはやめた。それにしても、
「それにしても、ハムスター顔可愛かったな…」
あ、と思った時には遅かった。柊はぷるぷる震えて、握りこぶしをつくり必死に訴えた。
「今すぐ忘れて!!」
そんなに恥ずかしがるものなのかと頬をかきながら思うのだった。