EPISODE3自殺じゃない理由
「洋樹さんち」
その少女が発した言葉に俺は理解が追いつかなかった。陽気産地?ようきさ、うんち?
「ああ、トイレか」
「何故そうなる」
自分で答えを出したのに、何故か頭のおかしい人を見るような目で見られた。その不可解さに首を傾げていると、
「洋樹さんの家だよ! 家」
「いえ?」
「そう、家」
「俺ん家かー、なんで?」
「昨日、泊めてって言ったじゃん」
「泊めるとは一言も言っていないが」
「え、泊めてくれないの?」
何を当たり前のことを言っているだと、少し呆れながらも頷いた。
「話の流れ的に泊めてくれる流れだったじゃん!酷い」
柊は涙目になって、そのまま膝を抱えて座り込んでしまった。悪いことをしたなと思いつつも、こればっかりは致し方ないと心の中で合掌し、足早にその場を去ろうと、
「ちょっと、まてぇー!」
服の裾を掴まれた。
「なんだよ、ほんともう帰ってレポートやんないと卒業出来なくなる!!」
必死に扉へ目指そうと力づくで前進しようとしたが、柊にがっちり掴まれて前に進めない。この少女、想像の5倍は力ある。それとも、ただ俺が貧弱なだけか。
なんとも微妙な気分になって足を止めた。
「分かったから、ちょっと離ッ!」
話を聞いていないのか、思いっきり後ろに引っ張られそのまま転んでしまった。
体制的に柊が下敷きになってくれたのであまり痛くなかった。
「お、重いー、どいてぇ」
「はいはい」
本当に重そうに声を絞り出すので、直ぐにどいた。起き上がった柊は髪が乱れていたが、それもまた愛着があった。
「ちょっと話し合おう」
「うむ」
体力を消耗したので、木の陰に座ると柊も隣に座った。もうだいぶ日も傾いて影が長い。
「まず、一度断ったにも関わらずもう一度会いに来て君を期待させてしまったのは謝る。けれど、こっちにも事情があることは分かってもらいたい」
「事情とは?」
「大学のレポートも方便じゃないけど、普通に考えて未成年のしかも女子を家に泊めるとかダメだから。俺捕まっちゃうから」
「私不死身なんですけど」
「警察にもそれ言うの?相手してくれないでしょ。それに第一頼る相手間違ってるよ、知人とかせめて同性の人にしようよ。異性のしかも大学生だよ。大学生の男なんてみんな脳みそちんこなんだから」
「それ、自分で言う?」
「とういうわけで、別の人を頼れ。俺は帰る」
最初から俺には彼女を説き伏せる自信があった。ただ、正論なんてほとんど心の内では分かっているものだ。それを改めて突きつけられたら、いい気持ちはしないだろう。けれど、こうやって少しは考え直す機会があった方が彼女のためにもなるか。
俺が立ち上がると、柊は俺を見上げてきた。
「じゃあね」
そう言って微笑んだ。
「じゃあな」
俺は背を向けて屋上を後にした。
階段を降りている最中、何度も最後の柊の顔が頭をよぎった。あのドジで少しおバカで儚げな少女が、あんなにも哀しそうに…。
いや、陰影のせいだ、きっとそうだろう。無理に笑ったとかそういうのでは、ない…のか。
断じて不死身だとか、記憶喪失だとかを真に受けた訳では無いが、もし仮に記憶喪失だとして右も左も分からずにずっと屋上で一人。それは酷く心細いのではないか。いや、記憶喪失でなくともきっとそうだろう。
もしかしたら、彼女はちゃんとした寝床が欲しいとか、ちゃんとしたご飯が食べたいとかそういう事以前に、“寂しい“からあんなにもしつこく迫ってきたのではないだろうか。
そう、あれこれ考えているうちに、自転車を停めたところまで戻ってきてしまった。正直、彼女のことが気がかりだった。今でも彼女の言っていることはなかなかふざけていると思うが、それでもあんなに他人事のように冷たくあしらってしまった。
せめて最後に「また明日」と、声をかけてやればよかった。いや、今からでも…。
そう、脳裏によぎったが校舎を一度振り返るだけにとどまった。また、明日来ればいい。そう思って、自転車に跨った。
坂を下って、また坂を上った。ここら辺は高低差が大きく、普段自転車を漕ぐものとしたはなかなかに骨が折れる。夏場は特に。
坂を登り終え、緩やかな傾斜を下っている時にふと空を見上げた。淡い金色に染まった空が一日の終わりを感じさせた。帰ったら、レポートやんなきゃ。
忙しない現実に戻ろうとした、そんな俺の思考にカァとカラスの鳴き声が響いた。カラスを視界にとらえた俺はそのままカラスを目で追って…。
俺はその行為にデジャブを覚えたが、漠然としたそのデジャブは直ぐに現実のものとなった。
キィー、とブレーキを鳴らす。息を呑む。俺の目は釘付けだった。
俺は直ぐに自転車を回転させて元の道に戻った。猛烈な後悔と自己嫌悪と反省と、色んなものが俺の中で渦巻いて暴れた。俺はただそれを押さえつけるように力強くペダルを漕ぐしか無かった。
自転車を急いで停めて、走って校舎の中に入った。ただ、早く行ってやらねばとそう俺の心臓が鼓動をうった。
階段を昇ってる最中に少し笑ってしまった。前とは意味が違うのに、前よりも必死になっている自分が少しおかしかった。
ドアは閉じてあった、自分が閉じたから当然だ。勢いよくドアを開けた。
風がヒューッと吹き抜ける。中央の木まで走った。
「何してんだ?」
昨日と同じポーズをして、柊は柵の向こう側にたっていた。
「風を感じてるの」
同じセリフに同じ行動。俺の中でバラバラだったものがひとつに繋がった。
「でも、柵越えなくても風は感じられるんじゃないか?」
「まぁそうだけど、こっちの方が開放感があっていいよ?」
「そうなのか。でも、自殺だけはやめとけよ」
「自殺じゃないよ」
知っている。俺はこの行動が自殺では無いことを知っている。俺は迷わず駆けていた。
柊の腕を掴む。
「お前飛び降りたら俺も死ぬから」
「もう、頑固だなあ」
柊は振り返る。少しだけ涙を浮かべて、それでも精一杯に笑って、
「私を見つけてくれてありがとう」
昨日の、今日の行動の理由。自殺じゃない理由。