EPISODE2屋上、木の下で
7月15日
謎の少女に出会った翌日、俺はいつも通り大学へ行き講義を受けて、友人とだべってそのまま夕方頃に家に帰ってきた。ベッドに寝っ転がって、蝉の声を聞いているとふと昨日の少女のことが気になった。
一日経ってよく考えてみると、あの出来事にはあまりに現実味がなかったように思えた。
俺は立ち上がって、家を出て自転車に股がった。昨日の出来事は本当だったんだろうかという気持ちはもちろんあったが、ただただもう一度あの少女に会ってみたいという好奇心が俺を駆り立てた。
夕方といってもまだまだ陽は高く、日中とあまり変わらない暑さを誇っている。日差しが肌をジリジリ焼いて、吹き抜ける風は熱くただ煩わしいだけだった。
昨日と同じ校門前に自転車を停めた。校舎を見上げてもちょうど死角になっていて見えなかった。俺は迷わずに昨日と同じ校舎の入口に足を向けた。
不思議なことに、昨日空いていた扉の下半分が閉じられていた。と思ったら、足で軽く押してみると直ぐにパタンと倒れた。
ほとんど立てかけるも同然の状態だったのだろう。昨日とは違う状況に俺は期待しながら中へ入った。
中には案の定誰もいない。誰も居ない学校というのはどこか不思議な雰囲気がある。ゆっくりと階段を昇った。
屋上の扉の近くまで来ると、その扉が開かれていることに気がついた。まるで招いているようだった。屋上に出てみると、どこかで羽の羽ばたく音がした。
中央の木に近づき、覗き込んでみると少女は胡座をかいて座っていた。そのまま惚けて立っていると、少女は振り返った。
「あ、昨日の人」
びっくりした様子でもなくただそう言った。どうやら顔は覚えられていたらしい。
「隣いいか?」
少女はこくりと頷いて「どうぞ」と言ったので、近寄って少し距離を置いて木を背にしてに座った。
少女はそんな俺を一瞥してから、「何しに来たの?」と言った。
「まあ、ちょっと気になったというか…」
「ふーん」
俺の歯切れの悪い答えに興味はなさそうだった。俺は構わずに気になる質問をぶつけてみた。
「昨日からずっとここにいるのか?」
「以前からずっと」
俺のことは気にもとめてない様子だが、受け答えはしてくれるらしい。
「そうか…」
「…」
どうしよう、早々に言葉に詰まってしまった。聞きたいことはもっとあった気がするんだけど、いざ目の前にするとぼんやりとして見えなくなってしまう。
思えば、好奇心と勢いとただ何も考えない時間が怖くて出てきただけだった。それに俺は口が達者じゃないことを今思い出した。
「何も言わないの?」
今度は少女から口を開いた。
「てっきり、お説教されるかと思った」
「お説教?俺が?お前に?」
少女はこくりと頷いて、足を寄せて体を縮こまらせながら、
「家に帰った方がいいとか、家出は良くないとか、そんなの」
そう聞いてからすぐに納得した。少女は不思議そうにしていた。
「ごめん、別にそういう意図はないよ」
「そうなの」
「でも、実際はどうなの?家出?」
「ううん、私実はあんまり記憶がなくて」
「うん」
「帰る場所もわかんなくて」
「うん」
「気づいたらここにいたから、それでずっと」
「うん」
「ねえ」
「うん」
「ちゃんと聞いてる?」
「ごめんまったく、ちょっと暑すぎてさっきからぼーっとして内容頭に入ってこない」
木に葉っぱのひとつも生えていないので、木陰なんてものはなくただ木の幹の影が斜めに伸びているだけだった。ちょうど俺の座っているところは太陽がもろに当たるところで、肌がじりじり焼けて久しい。
「はあ」
少女のものすごい深いため息で凄く呆れていたのは分かった。
「もうちょっとそっち寄っていい?」
ちょうど少女側が木の幹の影が伸びており少し詰めれば、俺も入れた。
汗をTシャツで拭き、服を扇いだ。今日、朝のニュースで真夏日だと言っていたことを思い出した。隣は涼しい顔をしていた。
「ちょっと、あんまりじろじろ見ないで」
「あ、悪い。それにしても全然汗かいてないな」
もう、あまりジロジロは見れないが、一滴も汗が落ちている様子はなかった。
「だって不死身だもん」
「へー、ふじみ」
「ちょっとバカにしてるでしょ」
「してないしてない」
「もういい」
ぷいと拗ねたそうにそっぽをむいた。面白かったので、このまま放置しようかなとも思ったが、さすがに大人げないと思って謝った。
「まあ、別に信じてくれなくてもいいけどね」
「わかったよ、それで家出だっけ?」
「家出じゃなくて記憶喪失!ちゃんと私の話を聞いて!」
ぷりぷりと怒ってきて、反省よりも先に可愛いという感情が前に出た。
物理的な距離は心の距離も縮めるのだろうか。さっきよりも上手く会話ができていることに心が浮き立つのを感じた。
「そうか、記憶喪失か、それは大変だなー」
「またバカにしてる」
「バカにしてないよ、ただちょっと面白かっただけ」
「それをバカにしてるって言うんだよ」
「はいはい、ごめんね、拗ねないで」
「言い方がウザイ」
すん、と少女はへそを曲げたままだ。ここで、俺は一番大切なことをしていないことに気がついた。
「ところで、君の名前は?」
少女は少し考え込むようにして、
「…柊、さくら」
ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「偽名?」
「ちがうよ!多分…」
「多分?あ、そうか記憶喪失って設定だっけ」
「設定言うなし」
少女、柊がちらりと俺の顔を覗いてくるので、
「ああ、俺は夜也洋樹」
「やや?変な苗字、偽名?」
柊が意趣返しとばかりに嫌味ったらしく言ってくるので、
「ふふ、どうかな」
「うざ」
一言吐き捨てられた。
ふと、記憶喪失と反芻して柊の服装を見てみた。昨日から変わらず制服だ。
「それ、どこの制服だよ」
いちいち近くの学校の制服を覚えている訳じゃないが、何となくあまり見たことがないような気がしていた。
「わかんない、気づいたら着てた」
「制服があるなら、どこか特定できそうだよな」
高校の数がどれほどあるかは知らないが、しらみ潰しに調べればいつかは特定できるだろう。そんな事しなくても、今はネットの時代。制服の写真をアップして呼びかけたら、楽に特定出来るかもしれない。
「そうかも、でも変な感じ」
「何が?」
「何故だか初めて着るような気がして」
「なんだそりゃ」
つくづくこの少女の言っていることが分からなかった。制服はほとんど毎日着るものだ。だとするならば、入学したてか、それとも通ったことの無い学校の制服ということか、はたまたコスプレの線もあるか。
「コスプレだとしたらよく似合ってるぞ」
「コスプレじゃないわ!」
そう言う顔は、ニヤついていたので似合うと言われたことは嬉しかったのだろう。俺はよしよしと思いながら立ち上がった。
「そろそろ、帰るか」
「え、もう帰るの?」
「明日も学校あるし」
「大学生?」
「うん」
「ふーん」
柊は覇気なく返事をして立ち上がった。そのまま猫のように伸びると、ゆったりと歩き出した。
「どこ行くんだ?」
「え」
思ってもみないようなことを問われたような、まるで何故それを問うのかというような抜けた声を出し、あたかもそれが当然であるかのように、柊は言った。
「洋樹さんち」