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EPISODE1不死身の女子高生

 生きていると、どうしようもなく空虚な気持ちになることがある。

 それは例えば、漫画を読んでいるときだったり、家に現れた虫を追い払ったときだったり、朝食を食べているときだったり。何気ない日常でそういうことがたまに起こる。

 これは多分、俺の気のせいなのだと思うけど、でも確かにそういう切ないような、何か欠けているようなそんな空虚な気持ちに支配されることがある。

 そういう日はいつもより無性にピアノを弾きたくなった。


 *


 7月14日


 夏。照りつける太陽の下、俺は自転車を漕いでいた。その日は、午前でバイトが終わり、いつもよりも早い時間帯に帰路についていた。

 まだ夏は始まったばかりだと言うのにこの気温、この日差し。


「し、死ぬ…」


 この街は坂が多く、バイト先から家のアパートまではそう遠くは無いものの、結構体力を消耗する。蝉の声が嫌に耳に響いた。

 もう俺は汗だくだった。


 上り坂を登り終え、下り坂に入ったタイミングでふと空を見た。もくもくと膨れ上がった入道雲がゆったりと風に流れているのが見えた。カァー、カァー。それを横切って羽ばたいたカラスが鳴いた。晴天の下では少し不憫に思える漆黒の大きな翼を広げ、こちらに近づいたかと思うと方向を変えてある場所に降り立った。そこには数年ほど前に廃校となった中学校の校舎があった。俺が降りているこの坂の突き当たりを曲がり、また坂を登った先にちょうど校門がある。カァー。カラスがもう一度鳴いた。


 その廃校を注視してみると屋上に人影があることに気がついた。坂の途中で自転車を止めてよく見てみる。陽炎かもしれない。もしくは、カラスの影か。


 そんな淡い期待はすぐに裏切られた。目を眇めてみてみると、高校生ぐらいの髪の長い女の子?が、屋上の柵を越えたところにたっているのが見える。


 自殺。


 俺の脳内にはすぐにこの言葉が浮かび上がった。汗だくな体に寒気が走った。

 俺はすぐに止めていた自転車を動かし、その廃校に向かった。


 自殺じゃないかもしれない、ただの度胸試しかも。そう思いながらも、ただただ不安だけが俺を駆り立てた。

 必死で坂を登り、校門前に着いた。辺鄙な場所で草木が生い茂って、道も少しガタガタだった。俺は素早く自転車を止め、門を登った。


 敷地は当然誰もいなかった。校舎内に入ろうと昇降口のドアに手をかけたが、開かない。少し逸る気持ちで乱暴に開けようとするが、ガシャガシャと音を鳴らすだけだった。ドアから手を離して、ほんの少しだけ考える。


 あの子が鍵を持っているとは考えずらい。どこかに入れる場所があってそこからあの子は入ったはずだ。


 校舎裏に回って空いている窓がないか隈無く調べる。手付かずのままで自由に伸びた草が足に当たって少し不快だったが、四の五の言える状況では無いので我慢した。


 そしてようやく、入口を見つけた。校舎の裏にあるアルミ製のドアの下半分の四角い場所が上手くくり抜かれていた。覗くと少し薄暗い廊下が見えた。迷わず俺は校舎に入った。


 この校舎の構造がどうなっているのかは分からないが、とりあえず屋上を目指すために走って近くの階段を上る。


「はぁ、はぁ」


 さっきからずっと息が上がっている。上り坂で体力を消耗し、ここまで来るのに息をつく間もなく走ってきた。少し頭がクラクラし始めてきた。足も重い。こんなに全力で走ったの高校以来だ。


「はぁー!キツい!」


 自分の足に鼓舞して階段を上る。無我夢中で登っていると、


「ドスッ」


 何かにぶつかった。


「うわっ」


 そのまま倒れるように床に手を着くと、ぶつかったものが視界に入った。生徒立ち入り禁止、と書いてある。ぶつかったのは看板だったようだ。それと同時に確信する。この先が屋上だ。


 そのまま登ると階段の突き当たりに扉が見えた。多分屋上に繋がっている。


 一度止まって、ドアノブに手をかけた。ドアノブをひねる。どうやら鍵はかかっていないようだ。それもそうだ。鍵がかかっているのなら誰も入れない。周りを見ても抜け穴のようなものはなかった。俺は息を深く吸ってドアを開ける。


 眩い太陽の日差しが俺をさした。風が俺の髪を撫でるように通る。手のひらで目元に影を作り、上下する肩を出来るだけ落ち着かせた。


 だんだんとモザイクが取れていくように焦点があっていき、これまで情報を受けつけまいとしていた脳がゆっくりと動き出すのを感じる。遠くでカラスが飛んでいるのが見えた。


 屋上の真ん中には一本の木が生えていた。レンガの囲いの中に小高い丘のように土が盛られていて、いちばん高い所にまだ少し小さいそれは一切の葉っぱもつけずに悠然と佇んでいた。俺はそれに少し驚きつつも、すぐに少女を探すことに意識を戻した。


 その少女は柵の向こう側にいた。さっき見た位置から一歩も動いていないようだった。遠くから見た時はよく見えなかったが、彼女は制服を着ていた。

 そして彼女は何故か両腕を広げた、あるハリウッド映画のワンシーンのようなポーズをとっている。


 こういう場面ではなんと声をかければいいのだろうか。俺に誰かの自殺を止めた経験なんてある訳ないし、そもそも周りに自殺を図った人なんかもいなかった。


 まあ、俺は友達が少ない方だから断言なんて出来ないが…。そんな平凡を窮めた日常を送ってきた俺には荷が重すぎる。しかし、何か言わなければ始まらない。


 俺は出来るだけ落ち着いた声で彼女に声をかけた。

 

「なあ、そこで何してるんだ?」


 平静を装ったつもりだったが、声に疲労が滲み出ていた。彼女は振り返らずに答えた。


「んー?こうすると風が気持ちいいでしょう」


 そういうことを聞いているんじゃないんだが。そう思いつつも口には出さない。


「でも、柵越えなくても風は感じられるんじゃないか?」


 話しながら俺はゆっくりと彼女に近づいた。もし、飛び降りようとしたら捕まえられるように。けれど、彼女が焦って飛び降りないようにゆっくりと。


「まぁそうだけど、こっちの方が開放感があっていいよ?」


「そうなのか」


 あと、数メートルのところまできた。残り数歩ぐらいで彼女のすぐそばに着く。


「でも、自殺だけはやめとけよ」


「自殺じゃないよ」


 彼女はそう言った瞬間、一瞬だけ振り返ってそのまま宙へと倒れて消えた。

 想定外だった。俺は必死に走って手を伸ばすが、全く届かずに足が竦んで転んだ。少しだけ見えた彼女の横顔が脳裏に焼き付いて離れない。


 何故、彼女は飛んだ?俺には1ミリも分からなかった。


 俺は柵を掴んで立ち上がる。彼女はどんな思いで飛んだのだろう。下を見るのが、怖い。見上げた先には先程見た入道雲が更に大きくなって流れていた。


「おーい」


 彼女が飛び降りた先から声が聞こえてきた。まさか…。


 彼女が飛び降りた先を見る。すると、彼女はなんでもないかのようにたっていた。上を見上げていた彼女と目が合う。


「おーい。だからー、自殺じゃないって言ったでしょー」


 こんなことが有り得るのか。幻覚かもしれない。目を擦って見てみる。やはり、彼女は立っていた。それでも信じ難い。ここから地面までは相当な高さがある。


「ちょっと、そこで待ってろー」


 そう彼女に言い捨てて、俺は走る余裕もなく歩いて階段を降りた。入ってきた場所から外に出て、昇降口の方に行くと彼女はいた。あさっての方向を見てボーッと立っている。その横顔は儚く消え入りそうだった。足音に気づいたのか彼女は振り返った。


「お前、ほんとに大丈夫なのか…?」


 存在を確かめるかのように彼女をよく見た。彼女はよく見ると綺麗な顔立ちをしていた。背中にかかるぐらいのストレートのロングヘアに、綺麗な目鼻立ち。


彼女は少し遅れて呆れたように返答した。


「だから、大丈夫だってば。そもそも自殺じゃないって言ったでしょ」


 彼女には傷一つもなかった。


 それだけが本当に分からない。この廃校は5階まであり、屋上から地上までは相当な高さがある。運よく生きられても、傷一つないなんてことはないだろう。


 なのに彼女は平然とたっている。制服にも汚れはついていない。瞬間移動でもしたかのようだ。働かない頭で考えあぐねていると、彼女はふふっと笑った。


「私、不死身なの」


「は?」


 ふふーん、と彼女は得意げに自慢してきた。


「なんか、こいつ初対面なのに馴れ馴れしい!」


「いや、つっこむとこそこじゃないでしょ。ていうか貴方も大概よ」


 彼女はため息を漏らした。


「私は不死身なの。理解出来た?」


「出来ない」


 理解出来るはずがない。


「じゃあ、もう一回飛び降りようか?」


「いや、いい」


「え?」


 俺は疲れたとばかりに顔に手を当てた。


「君が無事ならそれでいいから、じゃ」


 俺はそう言い捨て立ち去るように歩き出した。これ以上関わったら駄目な気がする。


「ねぇ、ちょっと待ってよ」


 彼女の声が聞こえるが、俺は無視をして歩く。


「だから、待ってってば!」


 彼女にTシャツを掴まれた。さすがに無視もできないので、振り返る。


「まだ話は終わってない」


「いや、終わったね。君が生きててよかった、よかった」


 じゃあ、と言って踵をかえすとまたTシャツを掴まれた。仕方なく振り返る。


「まだなんかあるのかよ」


「だから、あの、私不死身でしょ?」


 彼女は言い淀んでいるようだった。こいつは何を言おうとしているのか。数秒の後に意を決したように彼女は俺の目を見て言った。


「行くとこないから、泊めて」


 彼女は手を合わせておねだりのポーズをしている。何を言うかと思えば、ほんとに何を言っているんだか。


「無理だ」


「即答ぉ」


 彼女はショックを受けているらしいが俺には一切関係ない。構わずに踵をかえした。


「お願いだから待ってぇ!」


 今度は脚を掴んできた。彼女は地面に這い蹲る形で掴んでいる。くそ、めんどくさい。


「お前不死身なんだったら、この廃校で寝ればいいじゃねーか!俺が住んでるアパートもそんなに綺麗じゃないし、廃校の教室より全然狭いわ!」


「ひどーい、お願いだから、泊めてー」


 彼女は涙目でこっちを見てくる。さっきの凛とした表情はどこにいったんだか。


「知らんがな」


 俺は廃校に不死身の女子高生を残してそそくさと帰った。

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