9. わたしの国の宝物が『干し肉の価値』だとお前っ!
「……すまない聞き間違えた。ええっと、爺さん、この翡翠は銅貨二枚ではなくて――」
「銅貨二枚じゃ、若いの。あと翡翠にじゃない。ぜんぶひっくるめて銅貨二枚」
訪れる静寂。メルが見上げると、セオは口をあんぐりと開けている。
「セオ、この時代の銅貨二枚っていくらの価値があるの」
セオは、あさってのほうを向いたまま言った。
「……一番安い値段の、干し肉が、ひと切れ買える」
ふたたびの静寂。
そして、罵声が店を貫いた。
「ふざけんなくっそジジイ!! わたしの国の宝物が『干し肉の価値』だとお前っ! ぼったくりにも程度があるわ!」
メルは店主につめ寄る。カウンターを通り抜けてあらゆる方向から睨みつける。もちろん、彼女の金切り声も悪態も、「バシバシしてやろうかぼったくりジジイ」という脅し文句も、店主はわかるはずもない。皺だらけのまぶたの奥にある双眸は、セオひとりに注がれていた。
セオは生唾を飲む。……この老人は俺を試しているのか? まぁどちらにせよこのままではいけない。
店主に咳払いした。
「爺さんそりゃ安すぎる。もっと高いだろ」
店主は、顔色を変えずに返す。
「しかし、のう。店の金がちと少なくてな。無理がある」
「なに? 質屋でか」
「あんたこの街に来るのは初めてじゃろうて。とはいえ見たはず。街の寂しい様子を」
思い出す必要もなく、現在のクワルツヴィルはメルが語った光景とは真反対な、寂れた街だ。故郷のユークも似たような雰囲気とはいえ、まさか、
店主は言った。
「誰も彼も、売るもんすら少なくなってのう。わしの実入りも減った。売り棚の隙間がその証じゃ」
店に入ったすぐに目立った、売る品物の少なさ。……ユークの街すら至っていない状況にここは陥ったのか。なんということだ。
だが、まだ諦めたくはない。こういう場合は別の店を探すものだ。そう考えたセオは、カウンターの宝物を手元に寄せた。
「すまんが、ほかをあたる」
と、
「知っているのかい? ほかの店とやらの場所は?」言葉を詰まらせるセオに構わず店主は続ける。
「この街にある質屋はここだけ。あとは閉まっておる。無駄な散歩になると思うぞぉ。……あと若いの、その品はどこで手に入れたものかね。ん?」
店主の目が鋭くなった。
「もしや盗品、ではあるまいな。出処は? 産地は? 正当な持ち主ならば、その点をよぅく知っているはずじゃがのう」
固まった。もはや言い返せない。騒ぎになれば付近の監視兵が駆けつけるだろう。余計に不安がよぎり、冷や汗が噴きだしそうだった。
店主は「うーむ」と唸った。
「……まぁ、のう。きっと遠路はるばる来たのだから、疑うのはちと失礼じゃな。ほれ、怪しくないものなら、ささっと取引を、のう」
言われるがままに、セオの手はゆっくりと宝物へ届き、そうして店主のほうへ――
「セオちょっと待ったぁぁぁ――!!」
メルがふたりのあいだに割りこんできた。
「どわっ! ビックリした」
「はえ、なんじゃ若いの? いきなり」
彼女に反応するセオと、彼の声で間接的に驚いた店主。メルはセオに怒鳴った。
「ダメ、ダメっ! ぜったいダメ! ちょっとこっちに来て」
「え、なに」
「いいからっ!!」
「……っ。爺さんちょっと待っててくれ。すぐ戻る」
メルに指示されるままにセオはすべての宝物をバッグにしまい、なかば(物理的ではなく)無理やり質屋から連れ出された。さらに店舗の隙間、路地裏まで誘導された。
「……なにするんだメル」
メルは地団駄を踏んだ。
「なにするんだ、じゃない! あんたわかってるの。干し肉だよ!?」
「……。わかっているさ」セオはため息をついた。
「あの状況でそそくさ逃げたら、より盗品に疑われるだろ。……店主にはひと品だけ売る。残った宝物は、物々交換に使おう」
「物々交換って……」メルは、あきれた顔をした。
「もしかして自信ないの?」
「何を?」
「店主のジジイを納得させることっ! 宝物は自分の所有物なんだって、説き伏せたらいいじゃない!」
「メル、俺は宝物についての知識が皆無だ。目利きのプロを騙すのは無理がありすぎる。……だから、」
メルは、拳を固めた。そわそわと、考えるように目を動かし、――セオを見上げた。
「考えがある。セオ、あなたの身体を、貸しなさい」
「まだかのぅ……。おっ」
カウンターで頬づえをつく店主の視界に、セオが現れた。さきほどとは違い、なぜか顔を引きつらせているように店主は感じたが、……気のせいじゃろうと、そう思うことにした。
「さぁ、取引を始めようかのぅ若いの」
セオはカウンターへ歩きながら、その口はかすかに動いていた。
「……思い出せ、思い出せよわたし」
メルがセオに提案したことは、思いもよらないものだった。『セオの身体に入り込み、メル自らが操って店主と交渉する』……。幽霊とはいえそんな芸当ができることにセオは驚いたが、さらに聞けばメルは、売ろうとした宝物についての背景を知っているらしい。
「ちょっと忘れかけているけどね。……あの宝物が城に届いたとき、わたしはその場に居合わせて、宝物を語る人たちの話を聞いたの。それから宝石とか鉱物に興味をもってさ、いろいろ調べた。あのひとも一緒に手伝ってくれたり……あ、」
メルは声をしぼませる。あの人とは、やはり例の騎士だろうか。沈んだ表情にだんだん、いたたまれない気持ちになって、
「……そのペンダントの宝石も、産地がわかるのか」
メルの胸元で青色に輝くリング状の宝石。澄んだ色に惹かれる、メルと同じく半透明のペンダントをセオは話題変えの題材に選んだ。メルはペンダントに目を落とした。
「これは、クワルツヴィルでリングの形に加工されたことは確実ね。原産地は……たぶんリメイア領内だと思う。わたしの父上が死ぬ直前になぜかこれをくれたんだ。でも父上嫌いだったけど。それにわたし死んだし」
……逆効果だったかもしれない。セオは少し焦ったが、メルは「で、やるのか答えて」と関係なしに尋ねてきたので、おそらく杞憂のようだ。メルに言った。
「わかった。メル頼むぞ」
「さすがわたしが選んだ騎士だね。ふふっ、じゃぁさっそく」
「お、おい待て! 心の準備が――って、ひゃぁぁ」
お化け、幽霊が苦手なセオのなかへとメルの透けた身体が滑るように入り込む。冷水を浴びたような刺激が一瞬走って、その肉体はメルの意のままに動きだした。
セオ――もとい、メルはカウンターの前に立った。セオの意識自体は失われておらず、メルの行動をセオは固唾をのむ気持ちで見守っている。
息を吸って、吐いて――メルは言った。
「爺さん、もっと高く売ってくれ。そうじゃなきゃ売らない」
店主は「ほほぅ」と目を見開く。
「おかしいのぅ、さっき伝えたはず。『出処、産地』をきちんとな――」
「言える! いまから説明してやろうジジ……ちがった。爺さん」
首をかしげる店主の前でメルは、バッグから宝物すべてを並べた。翡翠を指さす。
「翡翠数珠はこの国が原産だ。採取地はここから北西のチルヌ山。硬玉で発色もよい。商人から祝いの品としていただいた」
店主はさきほどとはうって変わって産地を語る男のその様子に、顎に手をそえる。メルの口角は自然に上がった。……けれどさすがに『リメイアの建国二〇〇周年に献上された品のひとつ』、なんて言ったら、きっと別の意味で怪しまれそうだ。
「おもしろいのぅ。ではそこの黄鉄鉱は?」
巨大な黄鉄鉱の塊に店主は目をやる。
「これは、えぇっと……」メルは黄鉄鉱を持ち上げて、そのまるで刃物で切り取ったかのような結晶の面を回し見た。
「たしか……いや確かに、東のライル鉱山帯で採れる黄鉄鉱だ。そのなかでも最大級の大きさだろう。欠けも無く美しい。飾るもよし、火打石や各素材用に切り分けるもよしだ。それからこっちの宝物はラピスラズリで――」
そのとき、
「のぅ、若いの」店主がメルをとめた。
「産地は『ライル鉱山帯』、と言ったな」
「あ、あぁ。そうだが?」
店主は「ふむふむ」と続け、彼の口元から、隙間の多い歯がチラリと覗いた。
「ライル鉱山帯は、廃れておるぞ。しかもずいぶん前に。記録上は一五〇年くらい前じゃったかな。不思議じゃのぅ」
「……っ!」
「あと翡翠の産地と言ったチルヌ山。そんな山は聞いたことがない。ただ北西にある山に、廃坑で穴だらけの、名前すらわからん山はあるが」
「……エギシアのやつ、乱掘したな」
「なんか言ったかえ?」
「いいや、なにも!」
……まずいことになっている。メルが操る、セオの心臓がはね動く。
傍観していたセオの意識も気が気でない。
(おい大丈夫か、メル)
「……どうしよう」
動揺するメルをよそ目に、店主は畳み掛ける。
「あんた、翡翠は『この国が原産』と口にしたよのぅ。国とは、シュトルグ帝国でよいのかな、え?」
背筋に冷たいものが走る。喉の奥まで乾いて、息を止めてしまう。これはどう返せば正解になる。『はい』か、『いいえ』か……!
だが、
「ふっふ、はははっ!」
「えっ?」
店主の老人は、急に笑いだしたのだった。笑いはしぼんで、店主は答えた。
「ははは……。すまん若いの。ちと試してみたのじゃ。あんたが『いまはシュトルグが原産地だ』とすぐに言うかどうかを」店主は続けた。
「なつかしい、なつかしいのぅ。この地はもともとエギシアと言う国じゃった。うむ、この宝物とやらも遠い昔のエギシアで採られた産物なのであろう。……よいものを見られたぞ」
店主は感慨深げに、顔の皺をさらに濃くして微笑んだ。「よろしい」と言った彼は、小型のルーぺを片目につけた。
「また査定するのか?」
店主は翡翠を吟味しながら笑う。
「さっきのルーペは伊達でな。拡大なぞできはせん。これは度があるホンモノじゃ。買うぞ、金もあるから安心せい。……ほほぅなんと、すばらしい!」
「……うそ、でしょ」
セオを真似ることを、思わず忘れたメルであった。