8. ザコって、おいちょっと
「ちなみに、さ。セオはどうして幽霊が苦手なの?」
おたがいに無言のまま荒れ地を歩いてしばらくあと、メルが急に尋ねてきた。
「……えぇっと。俺は、幽霊じゃなくて、幽霊を含む『お化け』全般、化け物が苦手なんだ」
セオはメルの質問に答えていった。
齢五つのときに、ある絵本を兄に読まされたこと、
それはしつけ用の『お化けを題材にした本』で、異形の怪物や幽霊が出てくる内容だったこと、
絵本があまりに怖くてその日の夜は眠れず、さらに催した尿意を我慢できなくなり、セオ少年は真っ暗な館でトイレを探したということ、
それから……、
「運悪く、夜の廊下で『誰か』と鉢合わせしたんだ。姿はよく見えなかったし、無茶苦茶怖かった。叫んだ俺は……トイレに行く必要性をその場で失った。あとで色々な人に聞いても、その夜に廊下を歩いていた人間はいなかったそうだ。……あれからもうトラウマで」
口を閉じたセオに、さきを歩くメルは背中越しに言った。
「なるほどね。ザコじゃん」
「……ザコって、おいちょっと」
「だってザコだもん。はい、この話題はおしまい。街はまだ遠いから別の話をして」
メルはつぎの話題をせがんできた。……まぁ思いのほか元気そうでよかった。リメイアの騎士について尋ねたら、いきなり様子が変になったから気がかりだった。単なる『から元気』、かもしれないが……。
メルが生きていたころの、話を聞くに彼女と仲がよかったひとりの騎士。裏切ったという彼は、いかなる人物だったのだろうか。……セオはそう考えながらも、以後メルに騎士のことには触れず、彼女とたわいのない会話を続けることにした。
荒れ地を過ぎて東の小高い丘を越え、さらに歩きようやく街の入り口である門が見えてきた。時刻を知ろうと空を見ると、太陽は見事に登りきっていた。
近寄ってきたメルが指をさす。
「ここっ! この街がリメイアの商街『クワルツヴィル』だよ」
ふたりは道なりを進んで門へと向かう。ちなみにだがメルの姿はセオにしか見えない。彼女は聞こえる声や姿を晒す相手を自由に選べるのだ。
クワルツヴィルとは『水晶の街』なる意味だそうだ。当初は水晶など限られた鉱石を単に売る小さな集落だった。それが取りあつかう鉱石をしだいに増やしていき、さらに商売気をかぎつけた商人たちが集いだした。
メルが生きているころは、他国の販路をも巻き込んだ緻密な販売網をもち、高度な加工を鉱石に施す、リメイア王国いちの商人街と化していた。
飲み屋や宿屋、服屋など生活に関わる商売も活況で、当時お忍びで訪れたメルはそれらが放つ輝きに胸躍らせたと、彼女自身からセオは聞かされた。
だが――
「なに、これ……」
つぶやいた彼女の声は戸惑いを隠せていない。
横顔からもわかる。思い出の街は、変わってしまったのだと。
街は重苦しく沈んでいた。道を歩く人はまばらで、笑顔はない。戸を閉ざした店が点在し、下を向いて歩く者や、あたりを神経質に見まわす者など、メルが語った光景とはあきらかに違うものだ。それはまるで、街全体が色を失ったかのよう。
セオはこの異様さを知っていた。……自らの故郷も、おなじ空気で満ちていたから。
「……シュトルグだな」
「えっ?」
「リメイアを滅ぼしたエギシアも、こんなことはしないだろう。ほらあれを見ろ」
セオが視線を送るさきをメルは見る。そこには、街の雰囲気に似合わない、統一感のある紺色の制服を身にまとう男が背筋を伸ばして立っている。独特の風体と腰につけた剣から、あれが兵士だと理解できた。
右胸には紋章、『五角形を組み合わせた幾何学模様』の刺繍がつけられていた。
「シュトルグ帝国の植民地監視兵だ。ああやって占領する地の民を監視して、反乱や帝国にとって不都合なことが起こらないように目を光らせている。この街ぐらいの規模なら一〇人以上は配置されているな。密告者を加えればもっと増える」
「……だから、こんな風に」
「そうだ。俺の故郷ユークの街にも大勢いる」
「……っ」
メルは言葉を詰まらせる。セオはただ静かに、監視兵を見つめていた。兵が視線に気づき、セオは「さぁ行こう」とメルを促して、その前を通り過ぎた。
「やっぱり、……ぜんぜん違うよ。わたしが知ってたころとさ」
メルはセオについて行きつつ、ぽつりと言った。店にただよう寂れた雰囲気に住民の様子、遠くを眺めれば彼女が記憶する西の小さな山は、無秩序な採掘が繰り返されたためか抉れるような格好で、茶色の山肌があらわになっている。
「わたしが知っている時代からずいぶん経っちゃったんだね……。ここに住むみんな、六〇〇年まえは楽しそうに暮らしていたのに」
「帝国が掲げた国是はふたつ。『皇帝に身を捧げる』ことと『強き者が国民』だ。帝国に近しいものが優先で、あぶれたものは生活に不満があろうと口にできない。もしおおっぴらに文句を言えば、連行され裁かれるか、監視兵に帝国の権利を侵すものとしてその場で剣の錆にされる」セオは続ける。
「そうやって、帝国は力をたくわえ領土を増やしていった。『この世を統べること』、それが皇帝の目的だそうだ」
メルは、セオを見上げた。
「……ねぇセオ。セオは、嫌だと思わないの?」
彼女の質問にセオは何も言おうとしない。そんなときに、
「あれ例の騎士じゃないかね?」
「ほんとだ、似顔絵そっくりだ。『烈風のセオドア』か」
「幽霊が怖すぎて騎士をやめさせられたって。本当にそいつなら、弱っちい男ねぇ」
すれ違う住人たちが、セオを話題に喋りだした。
「烈風の、セオドア……」
「……。ぜんぶ手遅れなんだ、メル。あそこの質屋に行こう」
セオは彼らに視線を合わせず道を行く。『ぜんぶ手遅れ』。セオの言い方はまるで自分に言い聞かせているようだった。メルはそのまま彼のあとを付いていき、ふたりとも、質屋の看板を掲げている古びた店に入った。
質屋の店内に客は誰もいなかった。埃をかぶった鉱石やら古書やら、品物は物悲しく隙間だらけに陳列され、奥は薄暗い。営業しているのかセオすら一瞬戸惑ったほどだ。すこしだけカビ臭かったりもした。
「いらっしゃい、そこの若い旦那」影に覆われた店の奥から老人の声がして、小柄な男が現れた。店主らしい。しゃがれた声で尋ねてきた。
「初めて見る顔だのう。おひとりかいな? で、あんた買うのかい、売るのかい?」
セオは思わずとなりのメルを確認した。……そうだった、この爺さんの目だと、俺はひとりで来たことになるのか。
「どうかしたかの」
「いや。俺は、売りにきた。査定を頼む」
セオはバッグを店主がいるカウンターのうえにどすんと置き、そこから翡翠の数珠玉を丁寧に取り出した。ほかにも黄鉄鉱の塊やらを並べていく。荒城の下の隠し蔵にある宝物すべてに比べればあまりに些細な量だが、これだけでじゅうぶん高い価値があるはずだ。
カウンターに置いた宝物が、俺の手元に金貨や銀貨として返ってくる、……その本質的な意味がセオの脳裏によぎるものの、ちらと見ればメルの視線が自分に注がれていた。もう知らん! と最後は腹をくくった。
店主の爺さんはどこに隠していたのか、小型のルーペらしきものを右目に当てて翡翠の玉を吟味している。「ふむ」とつぶやき、
そして、こう言った。
「なるほどのう。……『銅貨二枚』じゃな」