7. 俺、これだと盗賊にならないか?
セオが幽霊のふたりと出会ってから三日目。荒城前のテント生活はこれという問題もなく、きょうも朝を迎えた。
だが、ついに恐れていたことが起こった。
「……飯、どうしよう」
バッグに持ち歩いていたセオの食料は、五きれの干し肉と乾燥したパンひとつ、それと革製の水袋だった。着の身着のまま追い出されたたせいで、持ち金はほとんど無く、全額を払って商人から買えていたものは、お世辞にも満足とはいえない食物。それすらついに、尽きようとしていた。残るは一日分と、すこしだけ。テントのなかでセオは息をつき、肩を落とした。
飲み水のほうは通りすがりにあった山の沢から汲めるはず。小さな鍋をバッグに入れておいてよかった。汚れを漉して、煮沸すれば飲める。けれど食べ物となると……。
「おはよー。ん、なにしてるの?」
セオが顔を上げると、テントの入り口にメルが立っていた。朝の磨いたような陽光に照らされ、彼女の透ける髪やワンピース、胸元のペンダントがきらめいていた。その姿に息をのむが、すぐに、腹の虫があくびした。
「あ、そっかぁ! 生きてる人間って、おなかが減るよね。ひさしぶりに聞いたなぁその音」
セオは片手でおなかをさする。……なんだか恥ずかしい。
メルに事情を説明すると「なるほど」と、考え始めて、
「よし、あれを使おうかな。いいものがあるの」
「いいもの?」
「うん。ふふっ、さぁわたしについてきなさい我が騎士よ」
わざとらしく改まった言葉を言って、メルは城のほうへと歩きだした。セオは急いで身支度を整え、彼女のあとをついていった。
敷地を進むなか廃墟となったリメイア城内、居住塔のそば、……つまりベッド落下事件の起こった塔を見上げられる場所で、メルの足がとまった。
「ここで待っててね。いろいろ仕掛けが面倒だから、わたしがさきに外しておく」
メルはそう言うと、塔のなかにすうっと消えていった。セオは待たされることに戸惑いつつ、別の気持ちでは感心していた。
……ここが城であるからには、おそらく仕掛けとは罠の一種のはずだ。壁や床は幽霊の身体でとおり抜け、仕掛けを外す場合は、身体の一部を実体化する……。じつに便利だな。
――と、
「メルさまは長くお暇でしたので、リメイア城の構造は時間つぶしがてら調べ尽くしておられます」
「どわっ……! あぁスチュワートか」
「おはようございますセオさま」真横に現れたスチュワートが話しかけてきた。まったく気づかなかった。
「驚かせてしまいましたか。失敬失敬。ですが、幽霊の私に驚かれた、というご様子ではないような?」
はっとする。確かにそうだ。彼らと出会ってすぐ、怒涛のように過ぎたあの夜の自分ならば、こうはいかない。多少はお化けに慣れただろうか……。
いいや、だんだん怖くなってきたぞ!
二歩、スチュワートから離れた。それを見て「おやおや」と言うスチュワート。やめろ、その含みのある笑み。
すると彼は咳払いし、「メルさまは近くに居ませんね」と続ける。ゆったりと一礼した。
「セオさま、あらためて感謝申します。メルさまの『ごっこ遊び』にお付きあいくださいまして……」
「ごっこ、遊び?」
「はい。メルさまは理解されています。祖国は滅び、自らも幽霊になって、いまさら従える者など必要がないことをです。しかしながら心の片隅では願っておいでなのです。以前のように昔の雰囲気を、もういちど、すこしでも味わいたいと」
メルの言動を、セオは思い返した。ずっと昔、この廃墟同然な建物は一国の城だった。壁は美しく、内装に汚れも無く、さまざまな役職の人間が行き来していた。王女メルの家であり、一〇歳の幼き身ながら彼女にとって、大切な思い出に彩られた場所だった。そのすべては、彼女の前から忽然と消えたのだ。
スチュワートは目を細める。
「どうか、あの方のささやかなお戯れにお付きあいくださりませ。それだけであの方は幸せになれるのです」
「セオぉー、できたよー! ……って、あれ。何かあった?」
メルが戻ってきた。スチュワートの発言は彼女の耳には入っていなかったようだ。「たいしたことじゃない」とセオは伝えつつ、白いワンピース姿の幼き王女を、静かに、柔らかい眼差しで見つめた。
メルに先導されてセオは居住塔の一階から、地下の細い螺旋階段を下っていく。当然ながら窓はなく、照らす灯りは、まさかのスチュワートだった。彼自身が淡く光るおかげで階段を踏み外さず歩いていけた。
メルに階段のことを聞けば普段は隠されているもので、『仕掛けを外す』という言葉には隠し階段の入り口を開ける意味も含まれていたそうだ。つぎは細い廊下へとつながり、そこには、やはり罠(おそらく矢が自動で飛び出す仕掛けだったのだろう)を使えなくした形跡があった。
長い壁という壁に、茨の棘なみの密度で矢が突き刺さっている。床に落ちている矢も大量だ。ここを何も知らずに通った場合を考え、セオは生きた心地がしなかった。
「ぜんぶ作動させたほうが正攻法より楽だったからさ、動かしちゃった。つきあたりの部屋、わかる?」
廊下の一番おくには、赤錆のついた金属のドアが見えていた。
ドアを開けると、薄暗い空間が広がっている。ここ以外にほかの出入り口はない。だがセオは部屋を見わたして、驚く。
……なんだこの、まるで壁のようにぎっしり積まれた木箱は!?
「じゃーん! 我が城の、隠し蔵だよ。さぁ、どうぞなかへ」
メルに促され、セオはなかへと入る。三方の壁はもちろん、中央にも木箱は置かれていた、そのうえ、近寄ればそれらはただ乱雑に積まれた単なる木箱ではなかった。丈夫そうな棚に収納され、また箱の縁には金属の細工が飾り付けられていた。どの箱も、あけ口に鍵穴がついている。……これって、まさか。
「メル、もしかして、これすべて……」
「そうだよ。ぜんぶリメイアの財産が入っている宝物箱。エギシア兵たちはほかの蔵は探し当てて荒らしたけど、ここは最後まで見つけられなかったんだ」メルは、にこりとした。
「このなかのお宝を売ればさ、ご飯代になるでしょ? 服とかだって買える。さすがわたし、いいこと思いついたなぁ」
メルは満面の笑みのままセオを見上げていた。
「……あのさ、メル」
「ん、なに?」
「……これみんな、城のだいじな財産だよな」
「うん!」
「許可を出す王はもういないし、王女のあんたは幽霊だよな」
「うん!」
「なぁ、メル。お前が言っていた、『ときどきこの荒城に財産目当てで侵入するやつ』って誰だ」
「とうぞく!」
「……俺、これだと盗賊にならないか?」
「……。うん??」
怒鳴った。
「『うん??』じゃないよ! ぜったいに盗賊のたぐいになっちゃうぞこれ! 仕えた意味ないだろ!」
「はあぁ!? 王女であるわたしの提案を飲めよこの石頭! 盗賊じゃないから、ありがたがって受けとれ! スチュワートあれを」
「かしこまりました。セオさま、こちらの宝物箱はすべて、錠も蝶番も錆びきっており開きません。ですので、」
メルがセオに言い放つ。
「セオ、腕を前に伸ばしなさい。いいからっ!」
メルの剣幕に思わず、セオは利き腕である右腕を前に出した。……するとスチュワートは自分のそばにあった箱に手をつけ、そこからまばゆい光が広がった。同時に、セオが伸ばす右腕の中央あたりからも光の円が出現した。異物の感触が手に伝わって、
「わっ……!?」
セオが思わず腕を引っ込めたとき――彼の手は大玉の、翡翠を数珠つなぎにした宝物を掴んでいた。指のあいだに引っかかった感触に驚き、にぎっていたらしい。
……放心は、短いあいだだけ。
バシバシッ!!
「痛っ! なんで?」
「とったお宝が嬉しくてセオ気絶したかなーって」
「するか馬鹿ぁ!」
ガチャリガチャリと言う小気味よい音が道に鳴っている。剣の反対側にはずっしりと重たくなったバッグを携え、セオは荒れ地を進んだ。
もちろん、なかはリメイア城の宝物がいっぱい。重量のせいか、あるいは別の原因によるものか、自らの足が遅く感じた。それでも、初めにこの地へ来たころよりはいくぶんか気が軽くなった気はする。……やっていることはアレだが。
さきを行くメルがうしろ歩きでセオを導く。
「はいはい歩いて! こっちこっち」
旧リメイア王国は、城から三時間ほど歩いた場所に商人たちの街がある。セオも放浪時に現在も街があると把握していたので、宝物を売るためそこへ向かうことになった。スチュワートは留守番。メルは、六〇〇年ぶりのお出かけとなった。
急かすメルの声はけれど弾んでいて、とても嬉しそうだった。実体をもたない幽霊の彼女は宙に舞って、青空を背景にその身をくるりと回転する。地面に降りても、細い足で軽やかにステップをこなし、金の長髪が滑らかに揺れる。
その姿は小さな身体でありながら優雅だと、セオは思った。……眺めるうちに、宝物を売りはらうという後ろめたい気持ちは不思議と薄れていた。
「その踊りは誰かに習ったのか」
メルは「ふふん」と自慢げに答えた。
「うん。生きているときに教えてもらったんだ。どう上手い?」
「あぁ」
セオは、スチュワートが語ったことを思い出す。彼女の過去をすこし知りたくなった。
「どんな人に教えてもらったんだメル」
「……えっ。騎士、のひと。ダンスもできるひと、だったから」
「すごいな。よく教わったんだな、彼に――」
「やめ、て!」
メルが歩みをとめた。陽気さはふっと消えて、背をむけた。
「……何か、悪いことを言ったか? メル」
「ううん。ごめんね、わたしこそ」
メルは、言った。
「……死んじゃったんだそのひと。死んじゃった。わたしたちを、裏切って。……」
そのあとに彼女が続けた言葉は、とても小さくて、セオの耳には届かなかった。