5. 例の騎士がここを去って何日だ
「例の騎士がここを去って何日だ」
「きょうで五日になります」
昼さがりの静かな広間に、ひとりの騎士と、彼が仕える――ボラス公爵がいた。
「『五日になります』か。ずいぶんと涼やかに答えるな。貴公が、あれを追い出したというのに」
シュトルグ帝国領・第二六植民地。約半世紀前にエギシア国とよばれた地は、統治者もその仕組みも、帝国によって大きく変貌させられた。旧王城もさまざまな改修工事が行われ、現在は『第二六総督府』という名札をぶら下げている。
広間はバルコニーの明るさを逆光に、影の色で覆われていた。
ボラス公爵は笑いを漏らしながら言った。
「まことに傑作だったぞ。貴公が総督府の面々をこの広間に呼びつけたときは何ごとかと思ったが、あれが『幽霊に怯える小心者』だと告発したときは驚いた。貴公があれを、短い語りで怖がらせ、最後にあの小道具。居もしない幽霊をやつは本気で……。ぷっ、いまも笑ろうてしまうわ」
「ありがたきお言葉。しかし小道具とされました一部は偶然であります。広間に強風が吹くなど……。いえ、これは『世を統べんとする帝国に弱い者はいらぬ』、という神のお示しかもしれません」
「ふふふっ。追い出す手筈も見事だったぞ。よくやった、カミル・エーレンベルク卿」
騎士――カミルは、表情ひとつ変えず知事にさらりと礼をした。鴉のような黒髪と鋭い目つき、鼻背には横一文字に斬れた刀傷がある。丁寧に黒錆加工を施した板金鎧を身にまとい、それと同じ色の鞘に入った、厚刃のロングソードを腰にさげていた。
鎧の左胸にはシュトルグを意味する紋章、『多角形を非周期的に組み合わせたタイル状の幾何学模様』が刻まれている。この日カミルは当植民地外の、いまだ帝国に抗おうとする国へ交渉のために赴き、さきほど帰ってきたばかりだった。ボラスは「ご苦労」と言い、それから続けた。
「しかしその鎧は変えないのか。普通は黒錆の鎧など使わぬが」
「申し訳ありません。お言葉ですが、今後もこの装備を変えるつもりはございません。それに意外と使い道もあるのですよ。相手を威圧する効果を得られます」
「なるほど面白いな。剣柄のトンボもそうか?」
ボラスはカミルが携えるロングソードに目を落とす。その鍔には、トンボを模した鉄製の彫刻がつけられている。
カミルは黒鉄のトンボに触れた。
「これは代々、我が一族が受け継ぐ装飾品になりますが、……たしかに、そのような意味でつくられたものかもしれません。トンボの別名が『悪魔の針』ですので」
「はははっ! 悪魔の針か。重ねて面白い男だ。出身はどこになる」
ボラス公爵が続けざまに出す質問にカミルは答えていった。生まれはこの地、第二六植民地だとか、歳は二七だとか。以前は別の植民地に配属されていたとか。
「すまぬな。貴公が騎士としてここに赴任したのは二週間ほど前。わしは忙しくてあまり調べてこなかったのだ。まぁわしも別の地から赴任した身であるが。……そういやあの男、セオドア・ベルナルドだったな。剣術は一流と聞いていたが、あれの赴任もおなじ時期か」
するとカミルは、ボラスの話を遮るように素早く、傅いた。
「私は、やつのような存在を認めません。一流と称される騎士はひとりでいい。手段は問わず。私は以後も帝国のため、より剣術を磨き、励む所存です」
公爵は、カミルに眉をひそめた。
「……本来、人事はわしが決めることだぞ。貴公はいったい、なにを目指す。強さを極めたさきに求めるものはなんだ」
カミルは、頭を上げる。ぎらついた彼の鋭い眼光に、ボラスは無意識に息を止めていた。
「失礼します! 皇帝陛下からの書簡であります!」
漂う空気を断ったのは、広間に現れた連絡兵だった。ボラスはカミルから目をそらした。
「……お、おおっ! きたか。見せろ。……うむ、カミルが件の国と交渉した内容は陛下にしかと伝わったようだ」感嘆のため息を漏らした。
「さすが帝国の情報網だ。こちらが帝国本土に書簡を送ったのは一時間前。月並みの国ならば急いでも九日はかかる距離を……。まさに驚異的だ。これぞ世を治めるべき帝国、陛下の御力であるな」
ボラスは連絡兵を広間から立ち退かせた。
「カミルも下がってよい。帝国のため身を捧げよ。貴公の活躍、これからも期待している」
立ち上がったカミルは、あっさりとした一礼のあときびすを返す。
……と、ボラスに尋ねた。
「ひとつよろしいですか。セオドアというあの男、ここに戻る可能性は」
「……無い、だろうな。例の出来事は植民地に広く知れ渡った。噂はよその国にも広がるはず。もはや騎士は務まらん。せいぜい剣を握る道は、落ちぶれて賊になるほかにあるまいて」
「左様ですか」
カミルは冷ややかに答え、その言葉を最後に歩きだす。ボラスは黒鎧の騎士の後ろ姿に、形容しがたい恐怖を抱きつつ、彼を苦々しく見つめていた。