15. あなたさまはこれから、いかがなさるおつもりでありますか?
「なぁ、メル」
「……」
……翌朝。宣言どおりメルはセオに無視を決め込んだ。セオの声かけに口を聞かない、見ない、そしてスチュワートとの会話でセオを話題にのぼらせない。
彼女の徹底的な行動にセオは半分あきれ、半分、心が傷ついた。昨夜からわかっていたつもりでいたが、実際にやられるとこの辛さはきつい。朝食をひとりで終えたセオはいつもの柱に腰を据え、うなだれた。
このままアーヴィンたちに立ち向かう選択はきっと『負けにかぎりなく近い博打』だ。定石ならば勝ち目のない戦はするべきではない。三日間という猶予は去るための荷支度に使うほうが正解といえる。
……アーヴィンの言葉をいやでも思い出す。彼の言うとおりなのだ。幽霊を除く、つまり生者から見れば俺はすでに『廃墟をあさる盗人』。街で売った宝物は盗品であって、それで得た貨幣は……。とどのつまりはそういうこと。メルたちがしてくれた、いままでの好意には申し訳ないが……。俺はもう騎士ではない。薄汚い盗人がねつらう獲物をかえることなんて、息をするようにあたりまえなのだろう。
だけれども俺はやはりその決心をつけられないでいた。思考を巡らせるたびに脳裏をよぎるものは、ここ『リメイア城』で暮らした、メルたちとの穏やかな日々――思い出だ。もし俺がいなくなったとしたらこの城はどうなる。アーヴィンたちの縄張りになって、スチュワートは、そしてメルは……。俺が身の上を話したあの夜に「居てくれるだけで嬉しい」と言ったメルの笑顔を、俺は忘れていないんだ。
メルは俺を避けるように、俺から離れた場所で城を見上げていた。メルは言っていた、「あのひとみたいにならないで」と……。つい想像してしまう。あのひと、彼女が生前、世話になっていた『例の騎士』はどのような人物だったのだろうか。
しかし同時にあることに気づいた。……スチュワートがいない。どこだ?
「お話よろしいですかセオさま」
「……どわぁぁっ!」
考えごとをしているさなかの、背後からきた呼びかけにセオは腰を浮かせた。スチュワートはといえば「それほど驚かれなくても」と眉をハの字にしている。音もなく忍び寄るお前が言うな、そう言いたくなる気持ちをセオは自制した。スチュワートは、咳払いをひとつした。
「セオさま。あなたさまはこれから、いかがなさるおつもりでありますか?」
「……っ」
その質問にセオは、息をのむ。聞き覚えがあるひとこと。それはリメイア城に迷い込んだ初めての日の夜、彼から投げかけられた言葉だ。……あのときも俺は迷っていた。そしていまも。そう思いながらセオは、我慢できずスチュワートに尋ねていた。
「俺は、これからどうなるんだスチュワート? お前には未来が見えるはずだろ」
スチュワートが意地悪に思えていた。しかし予想に反しスチュワートは、首を小さく横に振った。
「えぇと、すこしばかり違うのですセオさま。長らく説明不足でありましたね。私がもつ未来予知とは……いいえ。そもそも私が見ることのできる未来それ自体が、『今後起こる確率が無数に存在する』出来事から選ばれた、『とくに発生する可能性が高いもの』、なのでございます。ですから、」
「可能性が、高いもの……?」
スチュワートが告げてきたものにセオは拍子抜けした。てっきり、彼が教えてくれる未来とはすでに定まっている将来のことだと勝手に思っていたからだ。つい彼の言葉をセオは遮っていたが、スチュワートは落ち着いた口調で取り直してくれた。
「はい。『可能性』です。例外的にほぼ決まっている未来も、あることはあります。以前にお話した遠い未来の衣装や遠い他国の話題などが当てはまりますね。しかしながら、未来のほとんどはあやふやで、ある意味で移り気なのですよ。私はいつも、頭に浮かぶ『霧のように霞んだ虚像』を見ているだけ。……未来の行くすえは、現在を生きる者が決めていくのですから」スチュワートは続けた。
「人の営みは今を生きる者の願い、行動がなければ始まりません。ひとりの、そしてたくさんの人々のそれが重なり、ぶつかって、結果として確実視できる未来が存在するようになるのです。現在のセオさまの未来は霞んだまま。あなたさまはいま、ずいぶんと迷っておられます」
……スチュワートの「いかがなさるおつもりか」は、意地悪や皮肉でもない、まったくもってまっすぐな質問だった。昨夜に彼が、セオの未来について当惑していたことにも合点がいった。セオは改めて自覚する。そのとおりだ。すべてに、自分は迷っている。
胸の奥が苦しくなる。セオは、白状した。
「俺には、……資格があるんだろうかスチュワート。俺はもはや騎士じゃない。友を裏切り、なのにプライドだけがこびりついたような落ちぶれた男だ。そんな俺は、アーヴィンに歯向かうことが、……王女であるメルを守ることが、許されるのだろうか」
するとスチュワートは、ゆっくりとセオにお辞儀をした。
「しかしながらセオさま、私はもうひとつの事実を知っております。……メルさまはあなたさまをお気に召して、いいえ、大好きなのでございます。セオさまが何者あろうと、あのお方の大切な騎士さまなのですよ」
そう言った彼は、優しく微笑んでいた。
荒れ地はゆるやかに夕方へとかたむいて、荒城の地面を朱色に染めている。メルは古びた切り株に腰をかけ、そのまま枯れた草に目を落としていた。急に後ろから声がくるまで。
「メル。話がある」
メルは背筋をピクリと動かした。振り向きもせず、無言でいたが、
「決めたよ。俺はここに残る」
「……は?」
彼女が口にした「は?」は、息を吸う瞬間と同時だったので、セオの耳にはへんてこな声に聞こえた。立ち上がって向き直ってくれたメルに緩んだ顔をしてはいないか、すこしだけ気になったセオだったが、言いよどむ気はない。
しかめっ面でいるメルにセオは告げた、いまの思いを。
「メル、俺はずっと迷っていたんだ、たくさんのことに。そのなかでも一番迷っていたことは、……自分自身の素直な気持ちなんだ。こんな俺が生きていていいのかとか、アーヴィンと戦っていいのか、とか……。だが、そういう迷いは、もうやめようと思う。なぜなら俺はいまの本心に気づけたからだ」メルを見つめた。
「俺は、メルを守りたい。そしてスチュワートやリメイア城があるこの地を守りたい。それは騎士の使命だとか大それた、形式ばったものじゃない。ただ素直にメル、お前が俺にとって大切なひとであるからだ」
……この気持ちがはっきりとわかるまでに、どれだけの時間を費やしてしまっただろう。それでも、嬉しく思えた。自分の心に正直になれたことが誇らしくさえあった。
「お前が俺を心配する理由は、……以前に一緒だった騎士を重ねてしまうからだよな。彼の名前は?」
メルは、重く閉じていた口を開いた。
「……クラウス。クラウス・エアハルト。あのひとは、優しくて、いつもわたしを守ってくれるひとだったの。……大好きだった」
メルは、まるでせき止めていた水があふれるように、リメイアの騎士のことをたくさん教えてくれた。その柔和な表情からして、もしかすると幼いながら彼女の初恋のひとだったのかもしれない。
名をクラウスという騎士は、リメイアきっての剣豪で、王女であるメルの警護も果たす有能な騎士だったそうだ。メルがお忍びや公に城外へ出かけるとき、クラウスは彼女のそばにいて、いつも一緒だった。彼との思い出は語りだすときりがないらしい。そんなメルの瞳はいつもよりきらきら輝いていた。
しかしある年、エギシアが攻めてきた。
「一度目の侵攻を防いだ戦から帰還したあとクラウスは、急にわたしのまえからいなくなったの。その一週間後くらいかな、広間にエギシアから使者がやってきた。そいつは小さな木箱を持っていてそれを開けた。なかには、……人間の目玉がひとつ。薄灰色の瞳で、それは、クラウスの目だった」
――使者は「クラウスと名乗るこの騎士はこちらの国に寝返ろうとした。我が国は裏切り者を擁しない。よって殺し、同時に貴国の信頼を得たい。我が国王からのお言葉にございます」と言った。メルは、その場で取り乱し、慟哭した。
彼女の父であるリメイアの王は、メルのことを思ってかは不明だそうだがエギシアの求めを却下した。しかしかねてから病に侵されていた王は五日後に死去。……リメイアは二度目の侵攻により滅びた。
メルは胸元に光るペンダントの石に目を落とした。
「わたしの、この宝石もクラウスは褒めてくれたの。すこし恥ずかしかったけど嬉しかったな。……あのひとが死んだと伝えられたとき、ぜんぶが嘘と思った。あのひとはきっと生きている、いつか帰ってくる。……そう信じたときもあったけど、でもそんなのは夢。彼は死んじゃったの」
語るうちにうつむきがちになっていたメルは、顔を上げた。いまにも泣きだしそうに涙を溜めているメルは、セオが知る普段の彼女とはまるで正反対の、弱々しく儚げな少女だった。
「セオ、あなたはクラウスみたいに死んでほしくない。でも、あなたとお別れしたくない……。あなたは生きてくれる?」
セオは、ゆっくりとその身をかがめ、メルと同じ目線になる。
メルに笑いかけた。それは彼が、彼女にほとんど見せなかった、自信にあふれた笑顔だった。
「彼はすばらしいひとだと思う。でも俺は、彼とおなじ結末をたどりはしない。俺はお前と、ずっと一緒だ」
落ちる陽が夕焼けを鮮やかに染めてゆく。ふたりの気持ちは、一緒だった。