13. メル。尾行されている
セオは肩にバッグ掛けた。
「さて、と。よし行くぞ」
「はーい!」
元気いっぱいにメルは返事をした。食料品が少なくなったため、きょうはクワルツヴィルヘ買い物に出かける。リメイア城とクワルツヴィルの行き来を二週間おき続け、すでにひと月が経った。お金にまだ余裕はあるものの、セオは少量の宝物もバッグに入れておいた。買い物はこれまでどおりメルと一緒だ。
スチュワートがすこし悲しげにメルを見送る。その様子を見ながら、セオはメルを連れて荒城の敷地を出た。
「なぁメル。そういえばほかの本は読みたくないのか?」
「えぇっと、たしかに欲しいけど、本っていまのクワルツヴィルに売っているかなぁ。それに、『妖精のお話』よりも面白いやつがあればいいけど」
「相当気に入ったんだな、あの絵本」
セオの返しに「と、とうぜんでしょ。ここの土地のお話だしね……」だとかなんとか、メルは口ごもりながら答える。
彼女にとって、当時の敵国だったエギシアがつくった絵本、だがメルはその物語に夢中になっていた。挿絵に描かれた妖精は優美で繊細な姿で、ページを覗くメルの目を輝かせた。彼女の『好き』が増える、その反応がセオは微笑ましかった。まるで自分のことのように嬉しかった。
メルは言う。
「妖精、会ってみたいなぁ。マモノとかはちょっと怖かったけどね」
「おいおい、お話はお話だぞ」
「セオは読んでいてマモノ怖くなかったの」
「……きかないでくれ」
「えぇーっ!」
メルと荒れ地を歩く。いまここにある平穏が、セオは心地よかった。
クワルツヴィルに到着し、セオは買い物を済ませていく。質屋の爺さんに宝物を換金してもらい、ついでに例の絵本の感想も話したら爺さんはとても喜んでくれた。まさかの銀貨二枚のおまけ。思いがけない収穫だった。
「顔が緩んでいないセオ?」
街の通りでメルがニヤニヤしながら聞いてきた。そんなに俺は喜んでいるのだろうかと思ったが、……やはりそうなのだろう。
つぎに寄ったパン屋で、店員の女性がふいに話しかけてきた。
「そこの子はお連れですか」
「……はい?」
店員の視線をたどればメルがいた。なぜ店員に見えているんだ……まさか、
「うん! こいつの連れだよ」
……俺以外にも姿を晒しているのか! よくよく見たら半透明でもない。というか『こいつ』って。たしかに姫と騎士の関係だけど、おい。
店員は「可愛らしいですね」とセオに微笑んだ。
「素敵なお子さまですね。お客さまいつもパンをありがとうございます。ちなみに、いまどのようなご職業をされて?」
優しい笑顔で尋ねてきたが、これの返答はやはり困った。正直に言うわけにもいかない。俺が荒城でやっていることはつまり、……いや、考えるのはよそう。
「えぇっと、屋敷に勤めていまして、そのときのお金と、あとは日雇いで暮らしています」
「そうだったのですか。お子さまもいらして食費もさぞ大変でしょう」
「いえいえ」
……大丈夫です。このお子さま、幽霊ですから。なんて口が裂けても言えないよなぁ、と心のなかでつぶやくセオだった。
しかし店員は目を泳がせたあと、なぜか心配するかのように眉をひそめた。
「あの、大丈夫だと思いますが、くれぐれも暴漢にはお気をつけてくださいね。最近はその、……物騒ですから」
「『物騒』、か」
人もまばらな通りを行きながらセオは、店員の言葉を思い出していた。つぎは肉屋、……だがこの街の様子からして、俺は羽振りがよい男に見られているのだろう。面倒ごとは困る。必要なものを買ったらすぐ城に戻るとしよう。
「きょうは寄り道を考えるなよメル……って、まだその姿なのか」
メルはパン屋にいたときとおなじく、まわりに姿を晒しているようだった。セオの視線に、頭の後ろに手を組んで不満げに口を尖らせた。
「この姿でなにが悪いのさ。だってつまんないんだもん。街のみんなに無視されるの」
「そりゃわかるけどな。ただあの店員が言うように、クワルツヴィルは……」
――と、セオは気づく。自分の背後に、じっとりと息の詰まる気配が向けられていることを。さり気なく確認した。距離はあるが後ろに男がひとり。この気配は戦場で覚えがある。間違いない。
小声で伝えた。
「メル。尾行されている」
「……は?」
「振り向くな。……羽振りがよい俺たちを狙う気だろう。このままやつを撒くぞ」
尾行が気づかない範囲ぎりぎりを狙って、セオは歩く速度をほんの少し早める。メルとともに街路を進み、近くに見えた路地に入った。
が、
「……。なるほど」
路地の奥に、別の男がまるで待ち構えるように立っていた。……もしや尾行の気配があからさまだった理由はこれか。挟みうち――どうやらやり手の連中らしい。
路地の男は、腰に携える剣柄を握った。
「メル、俺の背後で実体化を解け。そして付いてこい。遅れるなよ」
メルは頷き、彼の後ろで姿を霊体化した。
街路からは足音。セオは剣を腰に留めるソードベルトの紐を、緩ませ――
「ぐあぁ!」
ベルトから鞘つきの剣を手早く外したセオは、背後の尾行の顔めがけ殴りつける。襲いかかる鈍器の激痛に、男は膝から崩れた。
「逃げるぞ!」
路地からセオは飛び出した。男たちの怒声を背にして街路を疾走する。メルは地面から浮遊してセオに付いていった。バッグと剣の重みなど感じさせずセオは走っていた。メルは息をのむ。やはり風のよう。クワルツヴィルの道をさながら滑っている。
「速い……」
「そう、長くは続かんさ……もう限界だ」
セオの俊足が鈍り始め、普通の人間の小走り程度に落ちた。それでも追手たちは見えなくなっていた。
「よかった。これでもう、」
「……まだのようだ」
セオはとたんに転がるように何かを避けた。その地面には突き刺さる四本のナイフ。セオたちのほぼ真上――家屋の屋根から男が飛び降りてきた。据わった目で舌なめずりをする男は刀身が返りかえった剣を引き出し、ニタニタと笑いだす。
「イヒヒヒッ……」――だが、
「……ぐ、はぇ!」
衝撃音。男の脇腹に、(姿が見えない)メルのバシバシ殴打が炸裂する。男は背中から倒れた。
「はやく行こうよ!」
「ふっ、だな。行くぞ」
街路を逃げきり、セオたちはようやく街の門を抜けた。門前で待ち伏せにあうことを警戒していたがそういうこともなく、すんなりと街を出られた。
「あいつら、しつこかったね」
メルの問いかけに、しかしセオは口を閉じていた。
「どうしたの? ……そっか、あんな本当の賊みたいなのが街にいると買い物が」
「……。いいや、それ以外だ」
「えっ?」
「門を抜ける直前で、俺たちを後ろから遠巻きで見ている奴らがいた。襲ってきた男たちもいて、そいつらのなかに、知った顔があった」
セオは、唇を噛む。
「彼ならばリーダーが務まるだろう。……俺が帝国の騎士でいたときに滅ぼした旧友好国、トルキス。その騎士……アーヴィン・メアンエルツ」
「逃していいのですか、ボス」
「あぁ。ねぐらの目星はつけてある」
ヨレた金髪の男は、遠ざかるセオの後ろ姿を見据える。彼の長剣がかすかに鳴った。それは持ち主の震えによるものだ。
「セオドア・ベルナルド……。私は、お前を許すことはない」