10. うごくな、動けば首を落とす
セオの身体のなかで、メルは悪態をついた。
(あのクソジジイッ! 完全に騙すつもりだった。ふざけんじゃないっての)
「まぁ、よかっただろメル。望みどおりの金額にできたんだし」
怒りをまき散らすメルをなだめ、セオはバッグを揺らした。あの店以外に質屋はない、という言葉もまったくの大嘘で、遠いが店舗はあると聞かされた。すべては交渉込みで安く仕入れるための駆け引き。……店主の初手は乱暴に感じられたが、おそらくクワルツヴィルの内情を知らない人物と踏んでの行動だったのだろう。盗人の疑いについても、宝物の質と売り手の不似合いさから、カマをかけてきたのかもしれない。そう考えつつ、セオはかばんの重みを感じていた。
手に入った金額はシュトルグで流通する一級金貨二枚と二級金貨八枚、一級銀貨二〇枚だ。身体の主導権がセオに戻ったあと、各店舗で食品や火打石、肌着を買ったため残金は減った。しかしまだひと月以上は生活にじゅうぶん困らないはず。節約すれば三ヶ月はいけるかもしれない。暮らしの見通しが確実についてきたことにセオは内心ほっとしていた。
対してメルのほうは、店主を含むクワルツヴィルの住民たちにあきれたようだった。
(あーあ。わたしが生きていたころもさ、彼らは商売にしたたかだったけど、いまはどの店もそれを超えるしたたかさだよ……。そのうえすっかり旧エギシア国の民になっちゃって)
彼女に、「そりゃ六〇〇年前だぞ」と思わず言いそうになったがセオはやめた。王女メルは、ぼそっとつぶやく。
(……みんな忘れちゃったんだね。リメイア王国)
……いま、メルの表情をセオは見られない。しかし彼女の、……悲しくて、寂しいその心持ちは、彼女が身体のなかにいるせいか、まるで自らの感情のように得ていた。泉から冷えた水があふれるようなその孤独感を、どうにか和らげてあげたいと、セオは思った。
「メル、あの爺さんがおまけでくれた本、リメイア城に帰ったら俺が読ませてやる。チラッと読んだが面白そうじゃないか」
質屋で買い取りが済んだあと、店主が「これもなにかの縁じゃ、おまけをつけよう」と言い、一冊の本をくれた。古びた表紙の本で、広げると頁には挿絵がつけられていた。店主の説明によれば『エギシアに古くから伝わるおとぎ話』だそうだ。店主はこうも言った。
「このおとぎ話は、じつはここらの土地が舞台でのぅ、住んでいる者からすると親しみ深い品じゃな。おぬしも街に通うなら読んでおくとよいぞ」
……エギシアの本だが、リメイア王国だったこの土地が舞台の本。興味深い代物だった。
メルは、つっけんどんな口調でごねる。……まったく正直じゃない王女さまだ。
(なにそれ。わたしが字を読めないとでも? 自分で読むから)
「興味はあるんだな。いま、お前の城には俺がいる。王女らしく俺を使っていいんだぞ。一緒に読もう」
メルは返してこない。だけどそれは、悪い意味ではなさそうだった。
買い物が終わり、帰る途中、……前方の異変に気づいた。道のど真ん中に数人の人物がたむろしている。寂れた街の様子には不自然であり、近づくうちにそこで何が起きているかを理解した。柄の悪そうな男が四人。彼らは、倒れた別の男ひとりを取り囲み、蹴りを入れていたのだ。
あざけり笑う四人の声が、風に乗って聞こえてくる。
「おいおい情けねぇな、はははっ」
「まじで弱いっすねこいつ。馬鹿みたいっす」
「おら! もっとやるぞ、憂さ晴らしだそれ!!」
蹴りはより激しくなり土埃がうすく道に舞う。衣服が靴跡と土汚れにまみれた男は、意識はあるものの弱っている。
「やめて、……ください。やめ、」
(……ひどい。なんなのこれ)メルの憤りが、じかに伝わった。
(セオあいつらをとめて! 弱いものいじめなんて許せない)
セオは四人へさらに近づいていく。と、彼らが言った言葉が耳に届いた。
「こんなやつが『エギシア再興軍』の一派だなんてよ。めちゃくちゃ弱えじゃねぇか」
「再興軍は嘘かもな。けど、口にしたからには帝国の監視兵に渡さねぇと。小金もらおうぜ」
……まだこの植民地にはシュトルグに抗う勢力がいるのか。そう思うと同時に故郷ユークでの記憶が脳裏をよぎった。忘れようもない、教訓が。
四人のそばまでセオは行く。
……そうして、彼らの横を通り過ぎた。
(ちょっと! セオ)
「だめだメル。帝国に、たてつくな。俺たちは何もできないんだ」
セオが抱いた感情をメルは否応なく受けとった。――恐怖。心が凍えたような恐ろしさがそこにあった。感情が読めても、なぜここまでセオが怖がるのか、メルにはわからなかい。……どうしてなの、どうして。苛立ちばかりが募って、
メルは、我慢できなくなった。
(もういいよっ! わたしが言ってやるから)
「なっ、おいメル! ……ひゃ!」
セオに悪寒が走り、メルは身体から抜け出た。やからたちに言い放った。
「やめろお前たち! 大勢でひとりをいじめて何が楽しい」
「……あ? なんだこのガキ?」ひとりがメルに気づく。
「ずいぶんと偉そうな態度だなおい。文句あんのか」
ほかの男たちも異変に気づき、蹴られていた男も顔を上げた。鷲鼻から鼻血が垂れて、土がべったりとついていた。メルはいっそう声を張り上げて非難した。
「十二分に文句あるわ小童! ……ここがシュトルグだろうがエギシアだろうが、わたしの土地、わたしの前で、こんな光景をつくったお前らは万死に値する! 温情としていますぐ頭を垂れ詫びるだけで許してやる。詫びが終わったらこの土地から出ていけ!」
「……小童だぁ? ガキのくせに。何様だてめぇ!」
「なぁ、あいつもしや『烈風のセオドア』じゃねぇか」
メルに反応する男を遮る格好で、もうひとりがセオを指さす。ほかのふたりも、セオのほうに注目した。
「シュトルグの掲示新聞の似顔絵にそっくりだ。『幽霊を信じて極度に怖がる騎士、総督府から追放』とかいう記事だったよなたしか」
「だな。こんなところにいたのか」
メルに向いていた男もセオを見た。ニヤニヤと薄笑いを浮かべた。
「ほう、幽霊が怖い騎士……。情けねぇ騎士もいたもんだ、はは、このガキと連れか」
「わたしを見なさいたわけ! お前だ馬鹿者」
足取り荒く、メルは大股で男に迫っていく。
セオは手を伸ばして止めようとしたが、それより速く進むメルを止め損ねた。そのあいだに倒れていた男は叫んでそそくさと逃げ出した。
やからの前にきてメルは、尖った目つきで睨んだ。
「……いい度胸じゃねぇか。それにしてもかわいい顔だな。へっ」男は拳を振り上げる。
「これからぶっ潰してやるっ! おらぁ!」
拳が迫るその刹那――
一陣の風が吹く。驚いた男は目を閉じ、ふたたび開けたとき、
「……うごくな、動けば首を落とす」
男の首筋にはソングソードの刃。距離があったはずの騎士は男の眼前にいた。その瞳は刃よりも鋭利な光を帯びており、男はたちどころに表情を凍りつかせた。
首筋に、血が垂れる。
「拳を下ろして二歩、後ろにさがれ」
男は言葉にならない声を出しながら、セオに従う。かろうじて息を吸い、
「……す、すまなかっ、すみませんでした騎士の方。お連れの、お嬢さんにも、……ご無礼を」
すると、仲間の男が言った。
「……お嬢さん? どこに」
「えっ? いるだろ、ほら」
別の仲間が返す。
「なに言ってるんすか。ずっとセオドアさんに連れの人はいないっすよ。なに独りごとをペラペラ言っているんすか。あっ、セオドアさん、さきほどは仲間がうるさくて大変失礼しました」
男は、メルをもういちど見て、またセオと自分の仲間を何度も見て、……顔を真っ青にした。
「よく見たら透けて……、ででっ出た!! 幽霊っ! うわぁぁぁっ――!」
男は手足をばたつかせて逃げていく。それを追うように仲間たちも、セオたちの前から去っていった。
「……セオ。いまのは」メルが見ると、セオの表情は曇っている。
「どうしたの」
「……。あらためてお前が幽霊だと理解して、身体がこわばった」
「えぇーっ」
「監視兵がくる前に、帰るぞ」
メルは城へ帰るセオについて行く。
だがセオの顔色が悪い理由は、幽霊が怖いだけじゃない。……そんな気がしてならなかった。