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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
六章 天衣無縫の章
98/314

#01 祇園精舎の鐘の音、運ぶ真夏の夜の愛逢

 



 永禄十二年(1569)七月十五日






 酉刻黄昏時、あちこちで暮れ六つの鐘がなるころ。まだ日の入りまでには余裕がある。

 それでも陽はいつまでも高くはない。常なら人々は帰り支度に忙しい時間帯、あるいは既に帰途にあるのか。夜はどうしたって人を惑わせるから。


 これでも京町の治安は相当かなり改善された。劇的と形容してもよいだろう。それもこれも近頃見ない日はないほどあちらこちらで散見される水色桔梗紋のお陰もあって。

 たとえ誰かの思惑含みだとしても構いはしない。京の民にとっては事実こそがすべてである。今や惟任、神様仏様の次くらいには尊敬の序列を上げている。


 この水色桔梗を敵視するとか。あまつさえ敵対しようとしているとか。笑いのダブルで草が生えまくって森林化すること請け負いである。

 正当性はさて措いて民心を味方につけない勝利条件などこの世のどこにもありはしない。民あっての国家、民あっての発展と平和。その観点からならまさしく正しい論法である。

 だがそれでも強盗や辻斬りがまったくなくなったわけではない。悪はかならず蔓延っていて、想像力のない愚かな馬鹿者と善悪の区別がつけられない短絡思考のDQNはどこにでも存在した。


 しかしこの数日間だけはどうだろう。何やら京町全体が浮かれている風にある。あるいは浮かれることが許されるのか。まさに陽が陰ってからが本領発揮といった具合に、誰も彼もが浮かれていて町ぐるみで風情を振りまいている。そんな感じに思えてならない。


 するとどこからともなく“こんこんちきちんこんちきちん”。耳を澄ませばどこからか十人が十人とも胸をわくわくとさせる音色が聞こえる。

 これぞ夏の京の風物詩。洛中洛外問わず京都中の京雀が“こんこんちきちんこんちきちん”のリズムとメロディにそわそわとする文月宵山、祇園囃子が正体であった。


「ええ音色さんやわぁ」

「なんや子龍。ゆうてることと違うやないか」

「身共は終始一貫してますけど」

「何が一貫や。祭りは苦手やゆうて付き添い役を固辞してごねたん誰さんや」

「意味が違いますやん」

「なんやそのダルそうな顔は。面倒がらんと説明せい」


 アホやろ、お前。


 この事情を知らんの京都中探してもお前とお雪ちゃんくらいやぞ。

 天彦は喉まで出かかった言葉を飲み込む。生きる知恵とも違うけれど殴られるのはおもしろくないという思いから斯く斯くしかじか説明を始めた。


「――ということにおじゃります」

「なるほど。それがあの二条城普請の裏話か。そら祇園さんには足向けにくいわな。それにしても吉田屋とばっかし上手いことやりおって。おい子龍、麿に銭を寄越せ」

「アホやろお前」

「あ゛」

「ははは、口が滑った。ほら前に話しましたよね。帝に寄進致しましたと。銭なんかありませんよ。それより実益さん銭なんか何に使わはる心算です」

「そんなもん鉄砲に決まってるやろ。子龍が二千なら麿は二万挺揃えたるんや」

「ああ」


 自分が大暴れしたのが元凶。天彦は秒で猛省する。


「どっちにしてもありませんわ」

「ちっ、そうやった。しかし三万貫か。払うた方も方やが主上さんも無茶な制裁金を課したもんや。そやけど子龍。上杉と徳川の和睦の件もそうやが、もし次のオモシロに麿を混ぜへんかったら承知せんぞ」

「そんな無茶な」

「なに」

「あ、はい」


 お前さんとこの五月蠅い家来が許すわけないやろの感情はそっと仕舞い込んでこの件を清算してお仕舞いとする。


「それはそれとして祇園さんを愉しんだらええ」

「はい。おおきにさんにあらしゃります」

「なんでや。なんで今礼を申した」

「実益さん、身共に気を遣うてくれはったんですやろ。そやしおおきに」

「ふん子龍なんか財布代わりや。ほらぼさっとしてんとアレ買うてこい」


 図星だった。


 今回の連れ出し、実益なりに気を遣った慰労の心算なのだろう。というのも天彦の自由は見る者が見ればまったくないとわかるから。

 たとえ違ったとしても天彦自身がそう感じるほど菊亭家中のひりつき感は半端なく、今回の春日山城への単独突撃はかなり尾を引いていた。主従共に愛故の感情の帰結だけにお互いがお互いに落としどころを見失っているのだが、まあ菊亭のこと。日にち薬で上等であろう。


 そんなこととは無関係に実益の言葉に棘はない。棘どころか角さえない。始めっから今に至るまでずっとにんまり。溢れる嬉し味に溶けきっている。

 しかしこう直球で感情を示されてしまうとさすがに天彦も照れてしまう。これだからDQNは……。


 だが確かにいつ以来だろうか。こうして二人きりでの町ぶらなど。実益が供を巻いて抜け出して以来だから三年ぶり二度目か。実益があふれ出している気配はそんな感じであった。


「こっちの御曹司は四本だったね。毎度あり」

「おおきにさん」


 たしかに気付かれない。まったくまるで。やはり助言があった通り庶民の目を欺くなどこの程度。容易いものであった。ちょっと普段着を着替えて身汚くすればお仕舞いなのだから。むろんイルダ仕込みである。


 そんなチョロ感情で甘くないみたらし団子を四本買った。どこからやってきた文化だろうか。少なくとも京風ではない。しかも十六文。せいぜい八文がいいところ。通常の茶屋なら二本で一文。こういった特別感を考慮してもやはり高い。天彦は確実に物価の上昇を体感していた。

 そもそもこうした路面の屋台は江戸まで進まなければ発生しないはずの文化で。やはりここにも戦の少なさが作用しているのだろうか。いずれにせよ人口の増加はこうして文化面での発展を押し上げていた。


「お待たせしました。はいお団子さんどうぞ」

「おう。今夜は市場調査も兼ねてとことん食い尽くす日と決めてるからな」

「あはは、お腹さん壊れん程度になら付き合います」

「さよか。もぐもぐ、あんましやな。よし次はあれや。買うて参れ」

「はやっ」

「なんや文句でもあるんか」

「文句がありそうなんは実益さん違いますか」

「そらあるやろ」

「仲良しのくせに」

「誰がやっ! ……おい子龍、あのボケとどうしても合流せなアカンのか」

「はい。借りがありますよって」

「麿が精算したる」

「おお豪気や。でもその有難いお気持ちだけで十分さんです」

「ふん」


 清算ができるとかできないではない。実益とてできるなど思ってもないはずである。天彦はその気持ちが嬉しかった。ご要望の屋台へ出向く足取りも軽い。


 多くの人出とそれを集客する出店の賑わいが祭りへの期待感を思わせる。

 天彦とて祇園囃子は嫌いではない。因縁的立場関係さえなればはっきりと大好きであると公言するだろうくらいには好き。単純に太鼓と笛と鉦鼓が織り成すメロディとリズムが耳に心地いいのと何となく郷愁をくすぐられるから。


 しかし現実問題として天彦の好き好きなど物ともせず彼方様は120%拒絶なされること請け合いである。天彦の予感とは無関係に彼我の関係性を知らない京都っ子はいないのである。むろん正当性とも無関係に。

 何しろ例の一件で最低でもオニ出禁、酷ければ千年級の呪詛を吐かれている可能性すらあるのだから。いずれにしても天彦の悪名の根拠として今日も今日とて風説は流布され続けているのである。


 故にだから、このともするとなぜと問うことすら憚られる不文律の関係性は、天彦に祇園さん(祇園祭)への参加を億劫にさせるのだが。

 なのに天彦はこうして祇園界隈への来臨を余儀なくされていた。


 まず大前提、現在の菊亭ご家来衆、実益が少々ごねる程度では無理を押し通せないほど鉄強と化している。

 事実として西園寺の大看板を掲げる実益でさえ菊亭直臣衆の首を縦には振らせられなかった。実益はキレるより先に呆れていた。それほどのことを仕出かしたのだと長い付き合いから容易に判断がついたのだろう。


 ところがこうして来れている。実益ごときではびくともしなかった鉄強の菊亭ディフェンス陣を押し通った人物の出現によって。

 そう。けっして断れない筋からのオーダーが入ったから。どのくらい断れないかというと門徒動員二十万人分の価値くらいは断れない。それ即ち勅命と同等くらいには厳命であった。


 おいコラ菊亭、儂を接待せんかい。なんやええ音色やな。これでええわ。


 白々しいにも程がある誘いだが乗る手しかない。

 おまけにこれは画期的な発言である。それを察知しただろう菊亭家中にもけっして小さくない動揺が走るほど。

 この祭りを主催している祇園さんは延暦寺の配下である。茶々丸は本願寺の直系嫡子。つまり天台宗と真宗の融和である。融和は盛ったが邂逅である。

 言い換えるなら平和への第一歩と捉えることはできないだろうか。できる。できておくれ。少なくとも天彦は捉えていた。前向きに感情論的に。


 そんな事情も加味しつつさて措いて、今回の茶々丸への借り。天彦はもちろんだが菊亭にとってあまりにも大きすぎたのだ。何しろあの奇策がなければ天彦、無事に戻れた公算は極めて低いと知れたから。むろん与六の口を通じて。

 天彦の身は天彦が思う以上に危うかった。目下の菊亭家と天彦の存在は不可分である。天彦の死イコール菊亭の断絶。そう考えて差し支えない。

 故に天彦、自身の命の価値は家来の危惧と同じくらい今となっては天彦も憂慮している。

 だからこそ逆にこの時期の祇園界隈への来臨は気が乗らないのだが、大恩ある近衛家の猶子殿達てのご要望とあらば否応などあるはずもない。

 そして主家の御曹司主君から供廻役を仰せつかったとあらば二重の意味で参らないわけにはいかないのである(棒)。顔も立てられたし三方善し。

 但し天彦を除く二方の仲が犬猿すぎて白目を剥きたくなる点に関してだけはオニ過ぎる問題ではあるが、それらを差っ引いても楽しいさんやわぁ。


「……あ、やってもた」


 あまりにも場の放つ楽しさに酔いしれてしまったのか。天彦が久しぶりに本気で羽を伸ばしているとはぐれてしまった。完璧に。浮かれていたら一分で己が主君の姿を見失ってしまっていた。あり得んやろ。あり得てるけど。


 天彦は自分がつくづく家来役に適さないと反省しつつ、だがその五秒後には切り替えていた。とて。

 焦ったとて。焦ったところで今更である。どうせと言い換えても意味は同じ。

 けれどけっして投げやりな意味ではなく。むしろ全幅の信頼感を背景にして意味は同じと断言できた。


 天彦はどうせ。とメタ的に思考を切り替え久方ぶりの自由を満喫する気満々で祭りの喧騒に溶け込むのであった。

 むろんどうせとは、どうせ家来が見張っている。天彦が感付いただけでも五人居た。実益だって気付いている。要するに実益の自由行動などあってない名ばかりのもの。

 それが生え抜きの直参を持たない菊亭と名門西園寺との決定的な違いである。西園寺の家来など曲者でない者を探す方が困難であった。




 ◇




 七月の別名は文月という。文月とは詩歌を詠んだり書物を開いて夜風にさらしたりする習慣から転じて名付けられたという説もあるくらい文字と関わり合いが深いことも知られていて、その他にも愛し合う織姫と彦星とが巡り逢える月ということで愛逢月めであいづきと呼ばれたりもする、ちょっと小粋な暦月なのである。


 この文月に愛逢が掛かって更に祇園さん(祭り)の浮かれムードも手伝ってか近頃の京には妙な行事が流行り始めていた。意中の人物に想いを告げるという単純にして究極的な告白イベントが婦女子の間でオニ流行っていたのである。

 しかもこの流行、職業や年代や貴賤にはあまり関係せず婦女子の間で絶大な支持を得たのか今や大流行の兆しを見せ始めていたのである。

 作法は経済的階層によってまちまちだが貴種の間では香りをくぐらせた色薄紙に歌を認めるという作法でオニ流行している。


 祭りの人出に紛れながら絶賛目の前で繰り広げられている町衆の風俗を我が目で観察しながら天彦は自身が世に顕現させたと言っても過言ではない冷やし飴を上機嫌で飲みながら、大通りと脇道とが交錯する窪みに腰を下ろしていると。


「あなた。そこのあなた」


 声をかけられた。目線をあげると女子がいた。普通に上流っぽい。けれど意志と気の強そうな武家の子女がいた。あるいは姫まである感じか。身形から判断するにいずれにしても推定お金持ちの女子だった。

 だがあちらもソロ。怪しさだけでいうならお互いに満点同士。天彦は警戒しつつ問いに答える。


「なにさん」

「お一人なの。だったらお隣、いいかしら」

「ええさんやけど」

「ひょっとしてお連れさんがいたかしら」

「ええさんや」

「そ。ではお言葉に甘えまして」


 ソロ女子は朽ち木にハンカチを広げると天彦の隣に腰を下ろした。距離は適性以上あるいは及第点未満であろう程よい距離に。

 天彦は警戒心半分興味半分で自身がソロであるかは言及せずに相席だけを了承した。

 目の付け所も悪くない。この場所、なにせ虫率が低いのだ。あるいはこの朽ち木に秘密があると踏んでいる。明日にでも木の性質を調べさせようとか何とか考えながら、センスあるやんと天彦は自分はセンスの欠片もないギャグの延長線上の扇子を取り出しパタパタと仰いで無言の間を繋いだ。……すると、


「それ何かしら」

「冷やし飴や」

「あのさ、女子が訊ねたのよ。商品の名前だけぶっきら棒に告げるってなに。男子たるものもう少し愛想よく振舞っては如何かしら」

「ふーん。たとえば」

「普通は勧めるものだけれど。年頃の男女がこうして運命的に出会ったのだから」

「お、おう」


 天彦は本気でびっくりした。何しろこれまでこの方、男子認定されたことなどなかったのだから。嗜好性の奇特な椛姫は除外するとして。

 だがちょっと嬉しい。いや粋らず本音を曝けるならむちゃんこ上がる。単純に男子としての格式の問題として。実益コロス、茶々丸ブチコロス。


 天彦の周囲で女子の歓声を恣に操る二大巨頭を脳内で始末して気をよくしたところでさて、天彦が人知れず感動を噛みしめていると、あ……! 

 気づいたときには手元からひょいっと冷やし飴を引っ手繰られてしまっていた。


「ごきゅごきゅごくり。ぷはぁ。……え、待って。なによこれ。美味しい上に冷たいって。天才の所業!?」


 一気飲みて……。ええけど。


 天彦は端から擬態しているのだ。無礼を咎める気はなかったが不機嫌になる一歩手前の感情は芽生えていた。だがそれも束の間、彼女のその一言でたちまち苛立ちなどなかったかのように夜の虚空に霧散していた。


 但しそれとは別に発見もあった。この女子京都っ子ではないと。しかも昨日今日京にやって来ていることも半ば確定していた。

 京町で冷やし飴を知らない者は相当にいない。それほど洛中洛外を問わず京の町を席巻していた。飴湯とそれを冷やす氷塊の存在は。


「美味しいさんやろ。欲しいならもう一つ買うたろ」

「……あなたひょっとしてお公家なの」

「ちゃうさんやで」

「無理よ。その染み付いたお公家様口調で話しているかぎりは」

「あ、はい。これでどないさん」

「ほら。庶民はどないに“さん”なんて可愛らしい言葉を添えないもの」

「あ」


 務めて冷静を装ったが、土岐は斯波の手を離れ既に織田の支配下。ではなく時はすでに遅かった。口調! まさかの角度からの痛恨の身バレであった。

 だがそれは彼女もいっしょ。それは彼女にも同じことが言えた。では公家と感付いた上でこれといってリアクションを変えない貴女の身分とは。


「でも訊かないでいてあげる」

「なんでなん」

「私も似たようなものだから」

「身共と似たようなもん、か」

「そうよ。そっちはお忍びでしょ。私もこっそり抜けてきちゃったの。ふふ」


 なるほど推論の正しさが早速証明されたわけだが、となれば。控えめに言って面倒ごとの匂いしかしない。公家ではない高貴な身分。即ち二つの身分に限定された。一武家、二寺社家の二つに絞られた。商家はない。どれだけ大きかろうと身分社会ではあんなものミジンコである。

 だが天彦の中では一択であった。武家以外に存在しない。こんなお転婆女子を育てる家は。


 どこかの武門の姫様か。天彦は推論を半ば断定させて少し思案した。

 だがこの女子を拒絶してしまうにはあまりに今夜のハードルは高すぎたのである。平たく言って天彦はこの夜を誰かと共有したかったのだ。楽しすぎた。

 浮かれているとは厳に違う。故にだからたしかに共有。天彦はその言葉を選んでいた。けれど誰でもいいのでは味消しだ。そんな場面に彼女は現れた。


 運命と言えなくもないのだろう。善いか悪いかは別問題だとしても。


「ほなデートと参るか」

「でーとってなによ。伴天連よね」

「よう知ってるな。そや男女がこうして祭りを楽しみ、その過程でお互いに対する理解度や相性を計る儀礼的な作法やな。知らんけど」

「何よそれ。最後まで話を聞かせておいて突き放すの止めてもらえる」

「あ、うん。どないさん」

「ふーん。いいけど。ひょっとして私に惚れた」

「ほなそれで」

「あ、違うんだ。じゃあいいよ。連れてって」

「よし任せろ。とは請け負えん程度にはこの辺りに無知さんやった」

「あはっ、キミおもしろいね。お名前は――」

「無粋やろ」

「……だね。ありがと」


 立ち上がることを催促されたので付き合ってやる。……シバく。

 見た目同年代っぽい女子のそれは天彦を余裕で下目遣いに見下ろせるサイズ感のそれだった。ぐぬううう。

 食育か。食育なんか。天彦は不憫だった幼少期のカロリー事情に渾身の呪詛を吐きつつ並んで歩く。


「ねえあれ何」

「さっきからねえねえって、物事知らんすぎっ!」

「なによ馬鹿にして。やっぱりお公家さんって意地悪ね」

「やっぱりは酷いやろ。あれは……いや珍しすぎやろっ」


 天彦の視線の先には大玉に乗るという大道芸をしながら寿司を握るという屋台があった。……屋台、なのか。おお何たる無意味の極致。天彦が率直に感心していると、


「何よ自分だって驚いてるくせに」

「はは、あはは、おもろ」

「うふふだよね。さすがにわかるわ。では気を取り直してでーとと参りましょうか」

「うん」


 むろん腕を組み合うとか手を繋ぐとかいった文化はまだない。けれどエスコートの概念は結果的に芽生えているそんな世界線に措いて菊亭にはそれらすべての概念がすでにしっかり存在していて根付いている。そんな菊亭家はやはり異常。


 我が家の異常性に気をよくしながら天彦はふと思う。だが女性が男性の影を踏んではならないようなそんなキモウザい習慣はどの場面でも出くわさないし耳にしない。貴人が顔を隠すのは男女の区別なく一律なので除外される。

 つまりあのキモ男子上げムーブはこの時代以降に醸造または意図的に作りだされた文化なのか。


 天彦の疑念を他所に、そんな距離感で二人は縁日通りを並んで歩いた。


「おお、やりおる」

「なになに、……へー、そういうところは男の子なんだね」


 放っとけ。


 天彦の視線の先には見た目イケてる商家御曹司風男子が複数のこちらもイケている富裕層女子たちから例の流行の香り付きラブレターを頂戴している場面であった。猶因みに薄紙の香りつけに使用されているフレグランスのほとんどすべて菊亭印の香油である。占有率は推定90。残りの10もグループなので実質100。こちらでも油座と揉めているのだが。


 その御曹司の周囲には未来のあるいは過去の天彦の姿があった。違う。御曹司の取り巻きらしきあからさまにイケていない三軍男子が、死んで腐敗しかけの魚の目をして不貞腐れて待ち惚けていた。

 何たる不条理な流行であるのか。聖なる甘カカオイベもそうだが、どうしてこういった商業イベントは非モテ男子に辛くあたるのか。控えめに言ってコロシタイ。……と、


「欲しいんだ。ああいうの」

「別に」

「ふはっ強がっちゃって。でもキミだってきっと貰えるよ。だってキミ割かしカッコいいじゃん」

「え。まぢ」

「まぢってなによ」

「ホントって意味」

「そ。じゃあまぢ」

「おお……!」

「もちろん顔の造形とかそんなことじゃなくてさ」

「おいコラ、造形とか問題にせえへんカッコ良さってなんやねん。ほんでおもクソ笑い堪えとるやんけ氏ぬ?」

「ぷぷぷ。ふはっ!」


 完璧にツボってしまい天彦にとって屈辱の笑いこけ待ちタイムを挟んで。


「くく、あははは。ごめんごめん。久しぶりに本気で笑っちゃった。ありがと」

「天下で一番惨めなどういたしまして」

「そう拗ねないの。安心しな。キミはきっとモテるから。いい、キミたち男子はある日を境に顔の造形なんか問題ではなくなる日が訪れるから。これは絶対」

「世に絶対はないさんや」

「それでも絶対なの」


 その上で未来には絶望しかなかった。とか。


「じゃあお姉さんが取って置きの秘密教えてあげるから、それでご機嫌直してくれる」

「言いたそうやしまあ訊いたろ」

「生意気。でもいいよ。いいキミは自分が一番不幸だなんて思っているんだろうけど、そんなのぜんぜん。下には下がいるんだよ。私なんてやっと京に戻れると思ったら、ふっ。明日……」

「嫁ぐんか」

「……そ。どこで気付いた」

「気付いたというか勘? その懐紙入れの家紋から想像したん」

「あ。……そっか。気付く人は気付くんだ。へーそれが本当ならすごいね。因みにどんな推理なの。お姉さんに訊かせてくれるかしら」

「ええさんやで。その懐紙入れは惟任日向守からの贈り物。水色桔梗紋はお身内かそれに準ずる者でしか身に着けられへん代物や。そやけど京都奉行所の見回り連中はお前さんの顔を見ても反応せんかった。そういうことやろ」

「すっご。ほとんど当たり。ねえ惟任ってどんな」

「なんで身共が知ってる前提やねん。ていうか嫁ぐん、あれさんに」

「らしいよ。明日顔見世。だから逃げてやってんの」

「ははは、おもろ」

「でしょ。でもそっか。京のお公家さんなら知ってるかと思ったけど。知らないよね。おじさんらしいけどいい人だったらいいのにな」


 身共にとっては最低最悪の性悪やで。女子にとっては知らんけど。

 天彦は言葉を飲み込み思案する。惟任と政略結婚。もしくは将軍義昭への詫びの人質。

 この時期大事な娘を差し出してでも許しを請う、または縁を結びたい相手。それだけでかなりの的が絞られた。

 本線は三好家の類縁。次点で……。天彦は半ばあてずっぽうで予測の片方の名を言い放った。


「お前さんのお家は京兆家さんやな」


 だがどうやら図星のようである。しかも言い当ててはいけなかったようで。

 彼女は表情を完全に消してじっと天彦を見つめながら、美しい指先を震わせながら手に懐刀を握りしめていた。











【文中補足】

 1、祇園祭

 祇園さん(祇園祭)は七月の一カ月間に行われる神事及び祭りの総称であり宵山とは17日に執り行われる神幸祭・山鉾巡行の前祭り(14~16日)である。











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