#00 和睦の顛末、越後遠征の事後処理と他少し
永禄十二年(1569)七月十五日
菊亭一門御一行様は丸二月という長い旅程を要した外遊から、誰一人として失うことなく無事にホームグラウンド陣屋旅籠へと帰還を果たしていた。
逃げろ与六、副担や。そんなノリで逃げ切ってやろうという天彦のしょーもない魂胆は当然だが見え見えだった。ドラゴン氏に余裕で看破されてしまいあの後すぐにとっ捕まった。
何も可怪しなことはない。天彦の居残りは越後と尾張の政治的擦り合わせのためにもこの和睦の権威付けにも必要な行動なのだから。
何よりこの和睦は天下人に最も近い立場にある織田家からの依頼案件なのだ。手を抜いていいはずがなかった。なぜ帰れると思ったのか。越後と尾張は“では後ほど実務担当官を寄越しますのでここは一旦”なんて余裕をこいた戯言は通用しない緊迫の間柄なのに。
結果、謙信公ご自慢の無敵要塞で丸々五日間ほど過ごすこととなった。夜の大宴会の場で家業の琵琶を披露させられるというオニ辱めイベに泣かさたのは罰として妥当なのだろうか。そのとき謙信公に掛けられた“誰にでも得意不得意はござろう”という気遣いの言葉は、果たして未だに天彦の小さなお胸をちくちくさせているけれど。
その際技前を披露したご褒美に魔王が持たせたお手紙の内容を一部だけ訊かせてもらえた。訊いてビックリ。参議を無事に返さずば越後は血の一滴まで残さず根伐りに致す所存とあったらしい。お、おう。
謙信公は男が見ても惚れる笑顔で“善きご家来を持たれましたな”と真顔で言っていた。もちろん天彦の魂は口から半分漏れ出ていた。
謙信公がこの認識に至ったのもやはり信濃川氾濫を中心とした河川改修の影響が大きいだろう。門徒二十万人の動員力はダテではなかった。
いずれにせよ謙信公は天彦を認めていた。けれど謙信公の天彦評は天元を突破しているともきっと違う、どこか肉親に対する親しみを覚える近しさだった。
だから天彦も受け入れられたのだがこの誤認、天彦が自ら誇張したわけでも誘導したわけでもない。だからといって訂正するつもりもない。
歴史上の偉人云々とは無関係に、高評価といいねを嫌う男子はいない。そういうこと。
さて天彦、その実は天然系お茶目疑惑のかかっているドラゴン氏と寝食を共にしてわかったことは二つある。
家臣の度重なる裏切りにもその都度許してしまうオニ心優しい人柄であることが一つ。そして和歌と琵琶をこよなく愛する風雅な文化人さんであることの二つが、天彦が感じた戦国大名の仮面を剥いだ謙信公の内側だった。
猶この謙信公呼び、菊越会談の翌日からオフィシャルとなっている。半年ほど時を巻いてしまったがこの方が誰の耳にも親和性が高いので問題ないはず。
さて菊亭、今回の遠征では数多くの案件を抱えることとなってしまった。
甲信越地域の経済圏確立などはその最たる例だが天彦及び家来たちに対処できるキャパを超えている。よってすべてを吉田屋に託すことになった。むろん厳正な話し合いの結果を経て。泣きついたとも言うが。
吉田屋は天彦のオーダーに社運を賭けて応えてくれた。あまりにも厚い信用がちょっとどころではなくおっかないが、与七は本業そっちのけで本腰を入れてくれることを明言して認めてくれた。
具体的には腹心である大番頭を現地役員として配置して、番頭クラス(担当役員)15名、手代クラス(確セクションの実務者)百名をあたらせ甲信越地域の地方経済圏の確立に尽力してくれるとのこと。ありがてー。
これで吉田屋の全戦力の二十七割とのこと。27割!?
天彦は文字を三度見して目を凝らしたほど初めは意味が理解できなかった。
理解できたときにはすっかり顔を蒼褪めさせていた。27割。つまり与七はレバレッジを利かせたのだ。同業者から資金を募るというまさかの力技を駆使して。
なので当面無理は利けないよと文脈からでも苦味が伝わってくるほど与七は天彦に絶大な信頼を寄せていた。この限度額いっぱいどころか超えてまで融資をしてくれたことへの感謝の思いで胸がじんわりと熱くなった。
だが同時にペイは当面期待するなとも認めてあった。むろん異論はない。プロにお任せしたのだし。一方与七はこのパイなら成長基調に乗りさえすれば確実に利益を出して見せるとも請け負ってくれていた。……ほっ。
それが兄弟子一流の気遣いでないことを祈りつつ、それだけではあまりにも心苦しいのと転生者としての矜持が許さなかったのとで感情が揺さぶられたのか。
天彦は江戸の仇は必ず長崎で討つから。と、与七にすれば暗号文としか読み取れない謎の言葉を添えて決意を熱く認めていた。
つまりこれには天彦の幾つかの決意が込められていた。いずれにせよ何がどうあろうと長崎には自身の足で向かう必要性に駆られてしまったという伏線を自らの筆でおっ立てたのである。
きっと悪いようにはならないだろう。天彦の心のどこかにそんな甘い観測がぼんやりとあるのは本心であろう。
何しろ吉田与七は角倉了以である。あの河川改修だけで巨万の財を成した経済学の怪物なのだから。あの三百年泰平の起源であるタヌキな天下人さんに請われたほどのお人なのだから。おそらくきっとダイジョブ、であれ。
本来吉田屋は大陸との貿易で更なる巨万の富を得る。だが自分と深く密接に関わってしまったことによってそのルートに影が差し込まれているような気がしてならない。
その正しいルートを確実なものとするべく少し知恵を貸すことくらいはしてもいいかも。天彦はそんな第一義といって過言ではない絶対信条を曲げてもいいと感じているほど今回の与七に対しての感謝の感情は途轍もなかった。
次に出羽と陸奥の大名や国人対応問題である。
こちらは案外楽に片付いた。筆で交わした約束である。筆で守ればお仕舞いだった。その後に続く地獄のような負の連鎖は知らん知らん。出羽や陸奥など外国並みに遠方であった。……とか。
個別に要求を聞いている。各家各自、相当お家事情に深く絡めた、かなり踏み込んだ要求をしてきていた。ほとんどが正統性の担保だが。
すべてを受け入れれば利益が相反または衝突すること必至。だが天彦は訊けるもの訊けないものの選別は一切しないつもりである。つまりすべての要求を呑むのである。……こいつ正気か。
といった風に実益なら天彦の正常性に疑義を唱えるだけでなく品位や礼節も厳しく非難するであろう。事実そう。
むろん天彦へのヘイトはえげつなく集まるだろう。だがそれが発散される場はない。一生来ない。少なくとも約定を担保に何事かを強請られる場面は一生来ない。リアルヒストリー的に。
あるいは越後に軍神が重しとなって居座っているかぎり彼らの上洛など夢のまた夢であった。
策としては下の下。今回の遠征で使用した策のほとんどが悪風とワンセットとなる使い切り一回の手口だから。
それでも天彦の中ではすべてが不可抗力で片付けられた。何しろ天彦にとって与六の奪還は世界の平穏的均衡と天秤に掛けても有り余る一大事案だったのだから。
京に戻れば戻ったで難題は山積していた。
戦争ごっこをしてしまったツケが大半だが、その問題に公家町お引越しプランの完全消滅という痛恨事案も含まれる。
当然である。上京中京の橋という橋をすべて爆破して落とすような狂人を隣人に持ちたいと思う者はいない。そういうこと。
公家衆の連名で菊亭の公家町居住用地取得は否決された。朝廷の名の許に。偉い人が責任の所在を分散させて逃げ切るやり口は、きっとこの時代から連綿と紡がれてきたのだろう。知らんけど。
その他にも油座との折衝や、そして二月前にも増して目につくようになった水色桔梗紋との問題も絡めて。やはり一番は海洋帝国との決着と家令の奪還問題である。
そして参内も先送りにされてしまう。つまり朝議への参加を免除されたのだ。
但し免除と言えば聞こえはいいが、報告より参内よりお務めより先に身辺を身綺麗に致せとの言外の御達しである。要するに危うい人物を帝の傍には侍らせられないということ。至極真っ当な判断である。
天彦はふざけず厳正に受け止めているが、目下の心情は“何よりも先に帝に迷惑がかからない立ち回りを身に着けることを学びなさい。貴卿は朝廷を代表する宰相なのですよ”と、お遣いとして参られた各種の宮廷女房たちに口を酸っぱくしてお説教を授かった通りの感情である。
お説教を受けて天彦は自戒の念を念頭にその誓いが守られる日までは謁見の申し出をしないことも言葉にしている。それはそれできっと彼方さんも困りものだろうけれど、当面の自由度は確保できていた。堺へ長崎へと今後かなりのハードスケジュールが予想されたので。
こんな感じの珍騒動の日々にあって、天彦率いる菊亭に穏やかな日が訪れるのは果たしていつの日になることやら。
と、是知が襖戸越しにそっと告げる。
「殿、よろしいでしょうか」
「ご苦労さん。式部大丞か」
「あ、……しゃ、然様にごじゃいましゅ」
是知の声があからさまに上ずった。思い切り噛んだし。天彦の傍に侍る周囲はたまらずくすり。だが天彦は一切揶揄せずむしろ喜ばしいだろう感情を押し殺して真顔の声とトーンで応接した。
「正六位上式部大丞。なんや不満か」
「め、め、滅相もっ、ごじゃりみゃあわわわわ」
「そう焦るな。お前さんの一番の良さが氏ぬ」
「は、ははっ。面目次第もございませぬ」
「それでええ」
「はい」
そういうこと。今回の遠征から戻った段階ですぐに朝廷からの使者が参り予てから天彦が申請していた直臣たちの叙爵と叙職が確定したとの報せが入った。
正式には半月後の叙任式後の拝命となるのだが帝の勅だ。確定したのも同然である。よって菊亭家中ではすでに官職呼びが通例となりつつあった。
むろん天彦のこれは半分揶揄い。常は名で呼ぶ。付け加えるなら残る半分は嬉し味100である。当然だが愛すべき家来が世間様に認められたのだ。嬉しいに決まっていた。
「ええよ。どないした」
「はっ申し上げます。西園寺亜将様、御来臨の先触れ先ほど参ってございます」
「実益さんか。いつ」
「すぐにでもと」
天彦的に問題はない。むしろ望むところなのだが。
「なりませぬ」
「此度ばかりは、ですな」
「論外にござる」
「ダメだよ。天ちゃんいい加減にしよ?」
「うんダメ」
「殿、ご自愛くださいませ。この通り何卒にござりまする」
「若とのさん、この状況でなんで出られると思うてますん。アホなんアホやろ」
おい。
だがそういうこと。家来たちの信用を失っている天彦は絶賛外出禁止の巻。こればかりは天彦にはどうにもできない。何しろやつら本気だから。
すると、
こんこんちきちんこんちきちん。
天彦を始め菊亭家人たちの耳に何とも心地いい太鼓と笛、そして鉦の織り成す軽妙な音色が届く。
「風流やなぁ」
まさしく京の風物詩。そして風流の具現化がそこにはあった。
階下を覗くと丁度眼下に山鉾が巡航していた。大勢の町衆を引きつれて。
七月十五日。京は今、この時代の聖夜といって過言ではない宵山真っ盛りであった。
「あきませんからね」
「知ってるけど」
「ほな知ってるお顔さんしてください」
「どんな顔なん」
「ご自分でお考えください。もう頼りにならん某には物訊ねんといてください」
「あ、はい」
むろん同罪扱いの与六に発言などあるはずもなく。仮にあったとて巻き込むと余計にややこしくなるだけである。与六は家人たちの反感をかなり買ってしまっていて目下まだ他所さん扱い。こればかりは本人の立ち回り次第である。
それを承知の天彦は救いの目線を向けることもしない。そして一番オコなのはやはりというのか大親友にして一のご家来、雅楽氏であった。おお、むちゃんこ怒ったはるわ雅楽輔。
そういうこと。雪之丞は珍しく自らお強請りして治部省雅楽少輔の官職を給わったのだ。よって植田雪之丞は正式名、従五位上・雅楽少輔雪之丞となったのである。
よって家内での呼称は雅楽殿。むろん皆笑いを堪えるのに必死である。何しろ家中どころかこの世で最も雅楽に縁遠い人物が雅楽号を授かったのだから。それは笑う。あの菊亭オーケストラに感化されたのだろう。きっと。
天彦は嬉しさと同時にほっともしている。治部の呼称は佐吉こと石田三成にこそ相応しい称号だと確信しているから。
因みにその佐吉はといえば官位官職拝受を固辞している。そうとうかなり惜しい気持ちから翻意を粘ったが、天彦もその意思を尊重して受け入れた。
なんでや佐吉。こんな機会なかなかあらへんのに。
殿、某今この時期に朝廷への忠誠心を示すわけには参りませぬ。殿の御傍から一旦でも離れることを意味いたしますので、何卒。――あ、うん。そやな。
そんなやり取りがあったとかなかったとか。
結論、侍の決意と覚悟に水を差すのは愚か者のすることである。建前。
嬉しすぎるやろ。佐吉にこんな好き好き言われたら誰さんだって。本音。
であろうか。官職を得たからとそれが帝への忠誠に変わることなどないというのに。この忠臣ときたら何と真面目なことか。
だが佐吉を治部と呼ぶ世界線がほんの少し遠のいただけ。この嬉し味に比べたらどうってことはないの判断で天彦が預かっている。従六位下・治部省玄蕃小丞の位階と官職は。
閑話休題、そんなオコな雪之丞といちゃいちゃしているとそこに特大の厄介ごとが自分の足でやって来た。
「邪魔するで」
「おお茶々丸!」
厄介ごととはさすがに失礼。目下菊亭家中にあって茶々丸こと近衛の猶子に足を向けて眠れる者は誰ひとりとしていないのだから。
「なにがおおじゃ。おい菊亭、久しぶりやな」
「久しぶりや……う。暴力反対」
「じゃかましいっ。おのれ菊亭、儂を舐めるのも大概にしとけよ」
「舐めるなんてそんなまさか」
「ほななんで帰ってきて遣いも寄越さんのじゃ! 儂がどれだけ心配したとっ、クソ心配なんぞするかっぼけ」
「あ、それは……お雪ちゃん、ヘルプ」
「どんだけ! こ、ここでの合力はむ、無理すぎますやろ。荒ぶる茶々丸殿は怖すぎるんですから」
「ほな佐吉……、は嘘やで。そんな決死の目さんせんでもええ」
「いえ、某が何とか」
言いつつ佐吉は露骨に震えている。それはそう。まぢに一遍殺されかけた。
「茶々丸、な。話し合お、な。きっと分かり合えるから、な」
「何がなじゃ。ワレ一遍死んどけ」
おうふ。
天彦のせい。茶々丸は何も悪くない。
天彦とてけっして逃げていたわけではない。ただ単に合わせる顔と適正な言い逃れの言葉が見当たらなかっただけで。
だが二月ぶりの茶々丸は覚悟や決意を虚仮にされて荒ぶるどんな武者よりおっかなかった。




