#16 君の涙が枯れるなら悪魔にだって魂を
永禄十二年(1569)五月二十四日
「どなたか質問はござらぬのか。貴殿らのお国の問題にござるぞ」
…………。
彼是十分以上質疑応答ゼロ出題。当然ゼロ解答。是知はまるで響かない問いかけに半ば呆れて匙を投げた。
天彦は是知の投げた匙を受け取って、けれどなぜなのかを思案した。必ず理由があるはずだから。
無くば造るのではなく買う。一郡は弱くとも十郡なら最低でも弱くはないことを知っているはず。ならば纏まれ一つに成れ。
だが話は前に進まない。奪わず乗っ取らず軍門にも下らず、国一つを一単位と考える想像力が彼ら国人衆にはなかったのである。あるいは現実味に乏しかったのか、思いの外授けた策の手応えが弱い。
たしかに策とはいえ天彦はその欠けた部分を補填して埋めただけ。何かを足したわけではないので弱いと言えば弱いのか。それとも至極当たり前の未来現代感覚もこの戦国室町時代ではやや先鋭的に過ぎるのか。
天彦は痩せた土地でのあたり前の生存・成長戦略を伝授したまで。だが時代が時代だ。あまり深い納得感は得られなかった。
それを可能とするための外貨獲得なのだが油が生み出す富をまだ正確に、というより大雑把にも理解されていないからこその漠然とした手応えのなさ。なのだろう。
天彦はただの一つも問い質されないこの状況に、どこか武士の本質を見た気がしてしまう。それ即ち承知不承知は根拠ではなく感情で。だからこそ彼ら信濃国人衆は完璧に思考を停止させてすべてを天彦に委ねてしまっているのではないだろうかと感じていた。
結論、時には強要も必要である。天彦は先ほどから目星をつけていた人物に的を絞って名指しする。
「その方、名は何とお申しさんや」
「……某にござるまするか」
「そうゆうたが」
「あ。はっ、某は信濃小県郡国人真田喜兵衛昌幸が嫡男、源三郎信幸にござる、ござりまする」
息子より父親が焦っているが今は後。
やはり真田の倅。六文銭でお馴染みの真田家の嫡男にして、あの有名武士幸村の兄である。ある意味では彼も天彦と同じくじゃない方のお人さん。シンパシーは割と感じる。
「ではお一つ。殿さまはなぜ我ら信濃国人衆を御導き下さいますのか」
「迷惑か」
「ま、まさか」
「邪魔くさいガキめ。と、その好戦的なお目目に確と書いてあるが」
するとぱっぱがカットイン。息子を庇うように背に隠しこちらも燃えるような激しい双眸で天彦を見つめた。
「め、滅相もございません! 何卒、何卒倅の無礼をお許しくだされ」
息子の失態に親が出てきて天彦は興覚めする。もっと二人で遊ぼうと思っていたのに。それは嫡男源三郎も同意のよう。双眸に鋭い不満の色を見せる。
だがさすがに父には逆らえないのか終始憮然としつつも態度だけは殊勝さを見せている。ならば、
「源三郎」
「はっ」
「戦が無いのが不満なんやな」
「はい。我ら侍、戦場にあってこそ我が意を得まする」
「ふーん。我が意か。そやけどあるでいくらでも」
「……」
天彦はお前さんらが武士や侍やと言い張っている間はなくならないという言葉を伝えず言い切った。
対する源三郎は真意を読み解こうと必死になって天彦の表情を探っていた。それこそ返答をし忘れるほど懸命に。
天彦はちょっと嬉しくなる。ありもしない行間や言葉に隠された腹積もりを探ろうとする人は嫌いではなかった。
「心配せんでもたんとある。これからそれこそ今日の日のことを後悔する日が必ず来るほどようさんあるやろ」
「越後とも。にござるか」
「さあなんとも。そやけど無いとはようゆえへんな」
「望むところにござる」
けっして小さくないどよめきが起こった。
そのどよめきには果たしてどんな意味があるのかないのか。天彦には関心がなかった。
「源三郎、身共と賭けようか」
「如何様を」
「お前さんが今の言葉を後悔するかせえへんかを」
「某、けっして後悔など致しませぬ。越後の龍など何するものぞ!」
「賭けにならんとそう申すんやな」
「はっ然様にてござる。賭ければ某の圧勝。そんな卑怯な真似はでき申さん」
「乗った。賭けは成立や。その日が来たら支払ってもらうで」
「宜しいのですな。ならば確と承ってござる。して某が勝てば」
「菊亭家をやろう」
「なっ――」
源三郎は一瞬怯んだが臆さず頷く。会話の最中ずっと向けられていたオニ怖ろしい菊亭青侍衆の凄まじい殺気ごとひっくるめて受け流さずに受け止めて。
なるほど戦はなくならへんな。天彦は改めて思いを強くして、質問タイムは終了となった。
なーんにも説明義務を果たさずに。
「参るで左近大輔」
「あ、ははっ! いずこに、でございましょう」
「現地や。アブラナを見んことには売るも搾るもないさんやろ。生えとるやろアブラナくらい」
「はい。その程度でございますれば」
「ほな参るで」
「はっ」
フットワークの軽さこそ菊亭の生命線の要であった。
◇
全員で場所を城下に移す。アブラナなど探せばどこにでも生えている。言ってしまえば雑草である。アブラナが一面に広がるお誂え向きの土地が近場にあるというので一行はそこへ向かった。
真田家嫡男源三郎は持ち前の負けん気と如才なさを発揮して、道中まんまと天彦の至近に侍る権利を勝ち取っていた。勝ち取るは盛ったがおもしろさんを逃す天彦ではない。傍に居れと名指しで侍らせたのである。危惧していた武官たちだが不思議と軋轢は感じさせない。武人としての波長がどっか妙に合ったのか、彼は菊亭青侍衆からの受けも案外悪くなかった。
だが愉快だったのも一刻まで。延々ずっと質問攻めにあっている天彦はいい加減うんざりげんなりし始めていた。
「殿様! では帝がお怒りになられた際はどのようにしてかわされるお心算なのでしょうか」
「もうしんどいて。源三郎ハウス」
「はうすとは何でございましょうか!」
「チェンジで」
「ちぇんじでとは――」
「黙れ」
「う」
思わず声を荒げてしまうほど既に十分うんざりのピークにあった。
「お雪ちゃん」
「御自分の撒いた種ですやん。いつもゆうてますやろ。誑かすのも程々さんにと」
「拾ったもん食うたらアカンみたいな口調やめろし」
「同じですやん」
「ちゃうやろ。よしんば同じやとして、その不安の芽を刈り取るのが家来さんの務めと違うのんか」
「そんなお務め某知りませんけど。本気でゆうたはりますのんか」
「あ、はい」
と、その隙にもまた源三郎の質問ラッシュが繰り出された。
「殿様!」
「ギブ」
性格だから仕方がないとはいえ源三郎のあまりにも重箱の隅を楊枝でほじくるような粘着的にしつこい質問に対し、仕舞いに「はぁ!? 行動方針はパッケージやから細かなことなど知るかボケっ」と天彦がまぢギレしてしまい、しかも感情はそれで収まらず「あいつんとこの小県郡ワンペナや」と、謎の宣言があったほど。天彦のMPゲージは摩耗していた。
「では小県郡、一ぽいんと加算いたします」
いちぽいんと。なんぞいちぽいんと。なんだいちぽいんととは。
天彦がペナルティを宣告し祐筆にその旨記載させるという菊亭にとってはよくみる光景も、食らった側は堪らない。ワンペナなる言語がいったい何を指すのかもわからない上に何を記載されているのかもまったくわからず、恐怖の果てに父親喜兵衛昌幸がちょっとした恐慌状態に陥ってしまい場が凍りつくという、慣れっこになっている菊亭家中サイドからすればちょっとしたおもしろ行事を熟しつつ。
わいわいしながら一行は小休止予定の庄村にたどり着いた。
嗚呼……、まんじ。
たどり着くなり天彦の表情が強張る。それとは無関係にまず佐吉の顔に影が差した。次いで雪之丞の目に怒りの焔が灯る。是知は表情変わらず淡々と冷めた目を向けるそのままだが何かをきつく書きつけていた。
青侍衆はゴミでも見る目で実際に唾棄して感情を表している。特に正義感の強すぎる氏郷などは怒り心頭。今にも腰に佩いた得物を抜き放ちそうな勢いでその光景に峻烈な視線を向けている。
実際はそう大したことはないはずなのに、京ではまったく見慣れないという点とその見た目のインパクトに実質的以上のダメージをメンタルに負ってしまう。大勢の手縄足縄を付けられた女子供が、ひと目売り物であることがわかる姿で勢揃いさせられていた。ざっと数百人規模で。
奴隷商はどこかで聞きつけたのだろう。金づるになるいい金主がこの村にくることを。
実に忌々しいがそれも商売。何も禁制品を扱っているわけではない。彼らも真っ当に買い付けた歴とした商いをしているのだ。それがたまたま物品ではないだけで。とか。はぁ知るかクソぼけ。だから余計に胸くそが悪いんやろ。天彦は心底うんざりとした。
「若とのさん」
「来んかったらよかったん」
「若とのさんらしないですね」
「なんで」
「弱音吐くばかりではなく過去を振り返るなんてカッコ悪い真似しはったから」
「あ、うん。……ほんそれ」
おおきにさん。天彦は雪之丞の指摘で我に帰れた。気をしゃんと張る。
武骨な外見に反して信濃国人衆は真面だった。それがここまでの総評である。
徴税する側が領民の窮状を訴えていたのでてっきりアタオカの類だと高を括っていたのだが。ヒアリングをしてみるとどうやらそこまで狂ってはいなかったようで何より。
原因はやはりと言うべきか盟主国甲斐武田家による強引な徴発にあった。訊けば武田の取り立て想像の数倍も厳しいらしく、まあ属国いびりなど戦国では親の顔よりよく見る光景である。早い話が国人である彼ら自身も搾取される側だったのである。
だが天彦的には嬉し味が強くなった。半分強がって半分は本心で。なぜなら少しは真面な実のある話が出来そうだから。天彦の意に沿う方向で。
むろんこの時代なので違法性など誰にも問えない。だから問えるのは妥当性のみ。だがこの妥当性にしても道徳や倫理が一元化されていないので扱いは少々複雑で、やはり究極的には己の内なる声に問いかけるしかなかった。
その内なる声が最も一番、最大級に信用ならない天彦は、やはりどうしたって困惑してしまうのだ。どうするんこれ、と。
明らかに奴隷として扱われる多くの女子供たちの姿を前にして。中には敗残兵の姿もちらほら。
そして断られることなど一ミリも考えていなさそうな期待感ばりばりのクソうざ感情を乗せたオニきも熱い視線を向けてくる、脳みそお花畑の家来どもの姿を視界の隅っこにそっととらえて。
「まあ、余裕しゃくしゃくな訳やが」
そんなはずはないわけだが。むろん。
今後一切十郡を一国とせよ。ゆうたん誰。そのときの自分をコロシタイ。まぢの本気で。本気と書いてまぢとルビをふって。領内に同じ境遇の領民は果たしていったいなんぼほど居てるん。まぢふざけんな殺す気か氏ぬ。
なにせこの規模感、控えめに見積もっても銭どぶどころか大借金塗れ大会一確である。
「あはは、どないするん。これさん……」
「若とのさんは絶賛いい人きゃんぺん中なんですよね」
天彦は心の中で泣き叫びながら、それでも態度と表情だけは尊大に振舞う。
そして何も考えていなさそうでその実何も考えていない一の御家来さんに公家の何たるかを哀愁の背中と横顔で見せつけてやるのだった。
「キャンペーンはさっき終わった。これにて菊亭の善意はお見事全部売り切れさんや。……おい。なんやその目は」
「見たままですやん。見たままオニ軽蔑しているだけですやん」
「あ、うん」
天彦の哀愁の色は益々濃くなっていく一方だった。
「菜種油やめて紅花油に変えよっかな」
「それでこの惨状の何かが変わるならどうぞ、お好きになさってください」
と、
「殿っ――」
佐吉の殿はがちのやつやん。くるわぁ。心に。揺さぶられるわぁ。感情。
まあ、そうなるか。
天彦はがっくりと肩を落としけれど次の瞬間には顔を上げ背筋をしゃん。扇子を取り出し決然と言い放った。
「領民と申さば我が子同然。菊亭の名に懸けてすべての奴隷を解放いたせ」
おお――!
応っ! えい応、えいえい応っ!
菊亭家来団総勢六十有余名が一斉に気勢を上げて勝鬨を叫び始めた。
菊亭青侍衆が何も際立った崇高な倫理観の持ち主だなどとは思わない。彼らはただ単純に我らが菊亭が正義を揮うことが嬉しいだけ。これが人殺しの戦でも何でも反応はきっと同じでかわらない。
だからこそ天彦は今一つ乗れないのだが、それとは別の理由で信濃国人衆も乗り遅れていた。ずっとわけがわからず、いったい何事かの困惑を広めていくがお構いなしに勝鬨が庄村中に鳴り響く。
天彦は家来たちの歓喜の声を聴きながらどこか亡羊として途方に暮れた顔をする。あるいは哀しすぎて涙も出ない状況と何となくだが酷似した感情で。
それでも意地でも涙は零さない。ほんとうに泣くべき人物は天彦に頼られる吉田屋の兄弟子さんなのだから。だからこそ天彦はその家来たちの様をやれやれ顔で見守って終始余裕ぶって振舞えるのだ。人様に生かされているなぁとつくづく実感しながらも、但し声だけは笑えるほど震わせていたとかいないとか。
ただ一つ言える確かなことはこれまで再三催促されていたのにもかかわらずあの手この手と言い訳をしてずっと敬遠してきたマネタイズと真剣に向き合う準備ができてしまったということである。
むろんこの場合は貨幣の鋳造及びあるいは通貨の発行まで視野に入れたマネタイズである。
「おのれ越後ぉ、ほんま何さらしてくれとんねん」
天彦はすべてを諦めた遠い目をしてつぶやいた。
けれど次の瞬間には周囲がドン引きするほどいい顔(悪い顔)で得意の悪巧みに耽るのだった。
【文中補足・人物】
1、真田源三郎信幸(後に信之と改名)(永禄九年・1566数え14)
初代信濃上田藩主、源二郎幸村信繁の兄、手勢800を率い五千の兵で防備する北条から手子丸城を僅か一日にして奪還した武功の逸話を残すまさに戦国乱世の英雄大名。




