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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
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#09 秋てふ空は なべてすむらん



 



 永禄十一年(1568)十月九日(旧暦)






 明けて翌朝、まだ暗い内に荘園へと向かうことになった。

 宿として世話になった寺社はやはり禅林寺系列の寺社(恋塚浄禅寺)だった。

 まったく自覚はなかったが天彦は自分も禅林寺派なのだろうかと薄ぼんやりと自覚して寺を後にした。


「子龍、あれやな」

「あれみたいですね」


 久御山荘についた。久御山荘の周辺にはいくつかの惣村が隣接していて、見えているのはその惣村だろう。やけに警備が厳重だ。

 部分的に木柵で覆われていて、槍のような棒状の何かを担いだ男衆が外周を警邏している。


「子龍、当然やけど正面突破は無謀やぞ」

「そうとう警戒してますね」

「おそらくやが、代官以外にも在地豪族と結託しとるな」

「武力の外注ですね」

「上手いこという。まさにそれや。敵情の報せも情報いうし、なんや子龍はまるで節用集頭やな」


 従五位下といったところか。天彦はこの冗句にのった。


雅楽頭うたのかみがええとこですわ」

「何をほざくねん。家業なんぞてんでまったくやないか。大御所様おおごっさんがぼやいとったわ」

「あ、はい」


 墓穴を掘ったので本題に戻す。


「顔指してないし、身共とお雪、違ごた、植田の二人で偵察に行ってきます」

「麿はどないするんや。まさか暇とちゃうやろな」

「う」


 むっちゃ圧かけてくるやん。


 天彦はたちまち代案提出を余儀なくされる。だが危険な目には絶対に遭わせられない。


「別々に入りますか。これだけの荘やし旅の客くらい来ますやろ」

「そないしよ。土井」

「はっ、住職曰くここら巨椋池南部地域には、狛氏、椿井氏、木津氏、田辺氏等々在地の豪族が多く入っているようにござる。他にも幕府の真木嶋氏が影響力を誇示しておるようでござるが、特にこの巨椋池南部地区では狛氏が一番の有力国人という認識のようでござるな」

「さよか。らしいぞ子龍」

「はい」


 さす土井。天彦は素直に感心する。

 そして、


「無理です」

「そのうちやって」

「無理ですって。今の御給金では」

「なるほど」


 雪之丞の方が一枚上手だった。


「狛氏。……知らん。訊いたことないです」

「麿もや。土井」

「あいにく」

「某も存じませぬ」

「拙者も」


 戸田、根岸も首を左右に振った。

 幕府の被官が天辺でふんぞり返っている程度の勢力なので大局では誤差なのだが、目下の天彦にとっては十分すぎるほど脅威足り得た。


「どのくらい兵を動かせるんや」

「身共ですか」

「汝以外に誰がおる」

「“いまし”とは身共の」

「そないゆうた」

「あ、はい」


 むずいって。汝と書いているのだろうけど。


「それで如何ほど動かせる。一気にたたむんが手っ取り早い」

「ゼロです」

「ぜろとはなんぞ」


 概念がなかった。それはそうだ。数え年(生まれてすぐ一歳)を採用するくらいだもの。

 天彦は己の迂闊を呪。実益は自分が理解できるまでけっして引かない。最近少し油断気味だ。引き締めねば。


「ゼロとはこう(零)書きます」

「静かに降る雨がどないした」

「……一旦これは忘れてください」

「さよか」

「こう書きます」

「空か」

「はい」

「なるほど。ぜろはくうか。粋やないか」

「お褒めに預かり――」

「褒めてるか。要するに一兵もないんやろがい」

「あ、はい」

「胸張るなみっともない。端っこで小っこうなっとれ」

「くっ」


 実効支配しないことには何も始まらない。

 かといって実益に兵をお借りするのは違う。何よりそんな助力は請うてもしてくれないだろう。直参家来になると決めれば話は別だろうけど。


「子龍、現実が見えたか」

「目が覚めました」

「頭でっかちはなんもでけん」

「痛感しました」

「ほな収穫はあったんやな」

「どうでしょうか。でも違うということはわかりました」

「なんやそれ。しゃーない、賭けは貸しにしといたろ」

「はい、ここは素直に借りておきます」

「そうしい」


 一回り観光して宿を探すで。

 鶴の一声で宿泊が決定した。案外外泊が性に合うのか。


「決めた、二手に別れよ」


 実益の有無を言わせぬ号令が朝霞の丘に響くのだった。




 ◇◆◇




 巨椋池南部地区 久御山荘近郊




 目下天彦組とは別行動。天彦たちは隣の自領を偵察している。他方実益たちは他家公領を視察していた。本日はここで一泊する。

 実益組が乙名に案内させて荘を回っていると土井が実益に問いかけた。


「若、よろしかったので」

「何がや」

「容易く制圧できたと存じますが」

「それがなんや」

「一番のお気に入りかと思っておりましたので」

「だからこそやろ」

「なるほど、御慧眼恐れ入ります」

「慧眼やあるかい。ただ本気で手に入れたいだけやろ」


 私兵でも傭兵でも、何なら京都所司代に捩じ込むことも可能だった。それこそ搦手を使えば策は尽きない。

 だがそれをしない。しなかったのは偏に天彦を信頼しているから。荘園を手に入れれば天彦は必ず借金をどうにかしてしまうと実益は確信しているのだ。

 けっして不幸を喜んでいるわけではない。陥れようともしていない。むしろ真逆。一日でも早くこの苦境から脱出させてやりたい気持ちは本物である。しかしその手を差し伸べるのは己であり、望むのは天彦でなければならないのだ。


「それこそが御慧眼かと。彼の臥龍、世に放てばたちまち大化けすること必定なれば抱え込んでいることが肝要。それこそ変わりもの好きの上総守などは発見するなり必ずや召し抱えるに違いないでしょうな」

「さよか」


 軽く聞き流している風で、双眸は峻烈な怒気を孕んでいる。

 誰にも渡すかい。織田がなんぼのもんじゃい。まるで心の激情が聞こえるようだ。


「土井、どのくらいで落とせる」


 だから腹いせのつもりはないのだろうが、実益の口調はどこか投げやりに聞こえどこか挑む風だった。


「左三つ巴を棚引かせるなら、三百で十分かと」

「おい乙名、らしいぞ」

「……畏れ多いことで。御一言で御威光に平伏し、ここら一帯皆たちどころにご意向に従い明け渡しまする」

「上手やな。乙名がそないゆうてたと広橋さんにゆうといたろ」

「ありがたき幸せです」

「食えん男や。本心はどないなんや」

「本心ですとも」

「くれてやろ。泊まり賃や。土井」

「はっ」


 かなり詰まった銭袋が放られた。


「恐悦至極に存じ奉ります」

「早よせい」

「攻め盗るだけならなんぼでもお好きに。ここらは守りが大変なんです」

「さよか」


 事実だろう。小さな在地豪族が乱立し利権が複雑に絡み合っている。

 奪取より奪取後の治安維持がたいへんそうだ。


「あばら家ですが、こちらが当家です」

「世話になる」

「恐れ多いことです。当家の家宝にさせてもらいます」

「さよか」


 実益はたっぷりの泊まり賃の他に、自身が愛用している扇子を直接手渡しで下賜して謝意を示す。むろん過分な褒美には裏が付き物。


「乙名、一つだけ知りたい」

「何なりと」

「隣の久御山荘や」

「あそこはあきまへん。土倉がみっちり入り込んでやわくちゃです」

「後ろはどこや」

「狛氏です。表向きは」

「その後ろもありそやな」

「最近ここらでもよう見ます。甲州弁を使う歩き巫女はんを」

「さよか」


 調査の結果、久御山荘を押領しているのは徳蔵酒造で、背後に狛氏がいる。更にその背後には……。










【文中補足】

 1、久御山荘園

 これまでの久御山荘園は菊亭家(今出川家)が権利を現実的に占有行使できている当知行であったが、借財の質に入ってからは請負代官(年貢の収納及び輸送業務を請け負う)と荘務代官(荘園経営の実務を請け負う)を徳蔵酒造に抑えられているため、実質の不知行荘園となっている。

 また徳蔵酒造の背後には土地豪族や在地(国人)領主がいるため、これを引っ繰り返すには相当の武力(軍事力)を必要とする。


 1.5惣村

 自治村落。


 2、押領

 土地豪族や在地(国人)領主は惣村や公領などから、兵糧という形で勝手に課役した。他方された側の惣村も収穫量の総量を誤魔化し対抗した。

 この頃には隠し畑や田の方が多いとさえ揶揄されるほど、荘園管理は利権が複雑化し杜撰だった(太閤検地が行われるまで)。


 3、貨幣価値

 一文=120円(JPY)、一石=625文と設定している。


 4、村の人口

 一石=大人男性一年間の食い扶持だと仮定して、石高に応じて上下する設定としている。

 久御山荘(代官の横領がなければ2,800貫文。

 2,800貫文=2,800,000文を625文で割ると=4,480石。

 4,480人の成人男性となるが女性と、老人と子供もいるはずなので食い扶持1.5倍として6,720人。一家庭(戸)平均5人とすると1,344戸の村となる。


 5、巨椋池南部の豪族と久御山荘周辺の在地豪族勢力

 宇治槇島・真木嶋氏(最大勢力・幕府被官)

 狛氏、椿井氏、木津氏、田辺氏などの小豪族勢が鎬を削る。

















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