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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章
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#13 千年禁呪、あるいはハッシュタグをつけて

 



 永禄十二年(1569)五月二十三日






「天彦様」

「ん。どないした」


 新しい顔が新しい風を吹き込もうとしている。


 この場この面子での発言はそうとう強い覚悟がいる。今はそういう時代だから。

 だからこそ天彦は椛姫のやや強張った表情に強い興味を覚えてしまう。そう思わせた時点ですでに八割方彼女の策意は果たされたのも同然であろう。そうと知りながらも発言を許可するように目で、表情で先を促す。


「はい。僭越ながらお一言さんよろしいでしょうか。天彦様ならば女だてらにとは仰せになられないと存じております」

「ふっ、そんなお顔もあるんやな」

「はい。女子おなごですので表情くらいはいくつか持っておりますわ」

「勉強なるわ。ええさんや、申してみ」

「ありがとう存じます。太政官参議家菊亭様、家内に確とした序列を布かれてはお如何さんです」

「……なんでや」

「何故と仰せですか。あの、御本心で?」

「うん」

「何たる。では申し上げます。位階がひとつ上下するだけで人は頭を下げたり上げたりするのはなぜでしょうか」

「それは帝がその位階に権威を御与えたはるからやろ」

「はい然様にございます。それこそが序列。そして殿上人公卿を頂点に五位以上公家1,200名、六位以下長上官6,000名、無役の番上官30,000名がお勤めになられる朝廷に序列がなければどうなることやら。即ち序列という枠組みは機構運営に必須の制度なのです。朝廷がそうあるように家内も同じく集団を纏める唯一の秩序とおなり遊ばせるのでございます」

「よう勉強したはる。けど秩序なぁ。ほな菊亭にはその秩序さんが居たはらへんと申すんか」

「はい」

「ほう。言いにくいことをおおきにさん。……少し椛のことを見直した」

「まあ。では何点の加点ですの」

「うーん、勤勉さに10点、度胸に8点かな」

「まあ嬉しいです! ですがまだお尋ねしておりませんでしたけれど、昨日仰せのお許し双六とやら、果たして何点頂ければお上がりさんになられますので」

「1,000点や」

「え」

「1,000点と申したで」

「あ」

「そんな難しないやろ千点。たった千点や」

「せん。で、妾の現在位置は……まさか」

「もちろん0発進やから18点位置さんやで」

「ひぃっ、さ左様で。よ、よりいっそう精進いたしますぅ」


 くく、あははは。


 ややウケ以上大笑い未満の小笑いが座に巻き起こった。


 賢しい彼女はどうやら自らの立ち位置と居場所を発見したようだった。そして同時に天彦籠絡のちょっとしたコツ、あるいはツボも掴みつつあるようで。昨日までとアプローチをがらりと変えて臨んでいた。

 いわばできる秘書官ポジであろうか。しかしこのラウラ不在の女官ポジション。案外目の付け所は悪くなかった。


「わかった。今は持ち帰るがちゃんと考えて家内序列は設置する。当面は助佐、お前さんが仕切るがええ」

「はっ! この片岡助佐、確と承ってござる」


 おお――。


 善いのか悪いのか。それは結果のみぞ知ること。だが椛姫のお手柄であったことは紛れもなく、笑顔は不思議と人の心を軽くする。きっとこれは不変の真理に違いない。

 それまで何か頑な感情をその坦々とした顔に張り付けていた天彦が、ぺこりとお辞儀をしたかと思ったら次の瞬間にはずいぶん柔和な笑みを浮かべていた。


 天彦の感情の機微に敏感でないと側近など務まらない。それは今は不在の家令が常々口にしていた半ば口癖のような、けれど至高の金言だった。

 いち早く察知した者から順に、なのに方向性は一糸乱れず。ここぞとばかり天彦に説き伏せる言葉を投げかけた。そして各々なりふり構わず懸命に諸々の沙汰の翻意を促すよう趣向を凝らすのだった。やはり戦力は必要だった。


「可能性の芽を摘むのは下の下の愚策と仰せだったのはどなた様であったか。たしか……」

「そうそう。若とのさんのお言葉やった」

「与六の件はよいとしても、青侍どもは一旦お許しを与えられては如何にございましょう。可能性を残すという意味で」

「然り。阿呆どもには死に場を与えてやればよい」

「然様。肉壁はあって困るものでもなし」

「事が済めば某が適正に処置致しますので何卒ご寛恕くださいませぬか」

「某思いまするに、伝令の手が足りぬと作戦行動に支障をきたすとぞんじまするが」

「佐吉殿の申す通り情報は命。殿は確と仰せであった。ご懸命な我が殿がよもやお間違えになられるはずが。某は信じてござる。なんら不安はござりませぬ。であろう各々方」


 応、応、おう、あうん、然り、はい。

 各々が各々なりの賛同を示して天彦を注視する。


 こいつら……。


 天彦は一周ぐるりと睨みつけ、中でも最も格上の且元に視線を固定した。


「あの阿保ども、許せばええのんか」

「御慧眼にござります」

「なにが慧眼や。……そやけどしゃーないか。好きにせえ。但し貸しやぞ」

「はっ。確とお借りいたしましてございます」


 天彦の険しい表情も何のその、且元は堂々と受け流す。

 そしてイツメンは珍しく一致団結したチームワークの成果を誇り、こっそりと笑顔で互いの健闘を称え合うのだった。




 ◇◆◇




 永禄十二年(1569)五月二十四日






 明けて翌日、伊那高遠城本丸御殿。


 厳かな雰囲気の中、高遠諏訪家の面々は当主高遠諏訪重信を筆頭に並み居る重臣たちが集っていた。もれなく全員正装で。確と菊亭来臨の報の意味を理解しているようで何より。

 そして他家の者も集合に応じているようで、高梨氏、仁科氏、村上氏、真田氏、望月氏、小笠原氏と主だった国人はすべて勢揃いして天彦の前に首を深く垂れて正装には必須の被り馴れていないだろう烏帽子をちょこんと乗せた頭頂部を見せていた。

 それら侍たちが左右二手に分かれ主賓である天彦を御前にして、胡坐に拳を突く武家の故実で平身低頭迎え入れる。


 天彦は馴れた風にすたすたと進み空けられた上座にそっとおっちん。背後左右にイツメン青侍三人を侍らせ、さっと周囲を窺い見る。下げられた頭はピクリともせず、確と敬意を感じ察せた。よろしいさんやな。


 向かって先頭左側。その位置が相手方の最も偉いさんの座る位置。故に誰がこの城の主である重信かで苦慮する必要はない戦国親切設計。それと同じ理由で家紋さえ前もって予習しておけば誰がどこの誰さんなのかも判然とする親切仕様となっていた。その身に纏う衣装に描かれたお家の紋章で。


 つまりこの反乱、信濃国人衆の総意と決まった。ちょっと想定外の規模ではあるが楔としては申し分ない。天彦には考え込む時間がたっぷりあった。何しろ馬鹿みたいにたっぷりと間を取って如何にも大仰に振舞った方が効果的だから。阿保である。

 しかしどれだけ阿保でも皆が思う公家を演じ振舞うが肝要。でなければ権威など誰も有難がらないのだ。この場合は時間軸か。自分たちとは違う人種が尊大に振舞っていてこそ初めて成立する文化であった。

 よって苦手だとか好き嫌いなど言っていられない。これも戦国仕様である。但し親切さは一ミリもないけれど。


「者ども大儀にあらしゃりさん。さあいつまでも這い蹲ってんとおもてをお上げさん」


 天彦は敢えてトーンを落とさずにそして普段使いの口調で言った。

 子供っぽさも必須の演出だから。これは天彦個人的な理由から。策がえげつなければえげつないほど、この初手の印象は後に効果を発揮するのである。神秘性や得体の知れなさとなって数倍の相乗効果を発揮した。(当家比)

 尤もそのほとんどが狐だ物の怪だと悪風となって跳ね返ってきているので考えものだが、だからといって使わない手はないのである。なにせガキは舐められるとしたものだから。



 閑話休題、

 一斉に烏帽子が立ち上がり、皆が揃って天彦に視線を向けた。

 天彦を見て目を細め高虎を見て目を見張る。それがこの主従をセットで見たときのワンセットのパターンである。だから馴れている。馴れるかぼけ、舐めんなシバく。

 そんな憮然とした表情もたいていデフォ。あとは作業的に上座で下座からの歓迎の意を聞き届ける。


「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする。遠路遥々ようこそお越しくださいました。某が高遠城城主、諏訪神氏すわみわし分家・高遠諏訪家二十一代当主左近大輔長岌重信にございます。お見知りおきください」


 実に聡明そうな壮年の男っぷりのいい武者だった。おそらく剣の腕もそうとう立つはず。絵に描いたような分厚い撫肩に目を引く右肩にこんもりと出来上がった剣術瘤が如何にも達人であると物語っている。


「左近大輔、大儀である。身共は参議菊亭天彦である。見知りおきさん」

「はっ、はは」


 一人称身共はそうとう遜っている上に子供っぽい。今や京ではそれを指摘する者は皆無だがここでは……。やはりくすくす失笑が漏れ聞こえた。あるいはヤジが飛んできそうなほどの空気感を従えて。

 しかし天彦は気にしない。武士など所詮はこの程度と知っているから。作法も品格も期待するだけ空しいのである。むろん人によることは認めた上で、為人とも違うと断定した上で総体的な武家の指向性として全般的に野蛮であると知っていた。


 むしろおおきにさんにおじゃります。心の中で真摯に謝意を送り、反面まんまとガキを舐め腐ってくれたことへの無知なる愚かさ加減に同情心を送りつつ、


「身共が可笑しいさんか。そやけどあんたさんら。その虚仮にする身共がたった一言、信濃衆許すまじと認めるだけでたちまち朝敵と御成り遊ばせるということをご存じさんなんやろうかぁ。きっと知らはらへんのやろなぁ。そのお間抜けさんなお顔では。おほほほほ――」


 ここ一番の大見得を切る。すっかり板についてきた恫喝含みの嘲りの笑いを添えて。



 あ、嗚呼……。


 

 誰かが悄然と呟いた。その次の瞬間にはもうキン、本丸御殿の広間に静寂よりも静かな静寂の帳が降りていた。

 地方にいて朝敵などという恐ろしい呪文の言葉を耳にする機会は滅多とない。あるいは皆無といっていい。それほど耳慣れない言葉である。反面それほど耳にしたときの効果は絶大だった。特に神社を母体とする高遠家にとって主筋といえる帝の勅勘など神罰にも等しい感覚であろう。皆信心深いのだ。


 それとは別ロジックで朝敵。その言葉を耳にすると誰もが思考停止に陥ってしまう。

 何より皆、楠木正成の件を知っている。今上天皇によって朝敵こそ赦免されたが罪そのものは許されていないのだ。二百五十年以上の時を経て猶、汚名返上も許されない。それが朝敵認定である。

 子孫の苦しみたるや筆舌に尽くしがたく御家の存続にこそ命の意義を認めている武家にとって、あるいは何よりも耐え難い苦難であろうことは容易に想像できてしまう。この時代の武家ならば誰しもが。


 これこそがまさに権威の権威たる所以。絶対的に君臨するもの。燦然と頭上に輝くもの。

 だからこそこの権威を虚仮にできる魔王こそが異端であって異常なのだ。誰もが恐れ戦慄くのである。

 だから身共パンピーやし。ハイレベルな異常値を擦り付け合ってもおそらく一生ドローだろう。そういう意味での相性の良さは圧倒無比を標榜していい。

 そんな片割れがここにいる。参議菊亭天彦、使える物は平気でこき使うのだ。何とは特定しないけれど、それがたとえ何であっても。


「怒ったぞ。身共は。――の巻や」

「……の、巻。にござるか」

「そうや。貴様ら信濃衆に千年の呪いをくれてやってもええでの巻や」

「あ……! な、何卒。何卒ご寛恕を!」

「寄越せ」

「あ、いや」

「人質を寄越せ。まずはそれから、違いますやろか。帝の直臣たる公卿を愚かしくも公然と虚仮になされるご立派なお武家さん方」

「嗚呼……」


 誰もがその場に平伏した。こうなった天彦を侮る者は誰もない。それは身内も含めて例外なく誰ひとりとして単なる権威の上に胡坐を組んでおっちんする公家のガキとは思えないのだ。この気配、このお顔を前にしてしまっては。


「疾く動け」

「はっ、はは」


 会談はこうして終始天彦圧倒的優位で推移していく。だが天彦の手は一向に緩まない。誰が悪いわけでもない。理由があるとするのならそれは単なるサイコロの出た目。

 与六を何としても無事に取り戻したい天彦、ハッキリ言って引くほど荒い。こうなってしまえばもはや誰かの手に負えるとは到底思えないのであった。
















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