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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章
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#12 菊亭神座の自称守護天使、拗ねる

 



 永禄十二年(1569)五月二十三日






 大前提、名門貴家である菊亭には相応のガバナンス(統治・支配・管理)が必要である。


 尤も菊亭に限らずこの時代の大家には少なからず必要である。特に軍事力を個別に持つ武家組織には必要とされるマストの管理体制であろう。むしろガバナンスを持たない家の方が逆に問題であるとさえいえる。

 異論は認めない。なぜなら軍事力を個別に有し自領を自ら定めた法度で統治していればそれはもう国家も同然だからである。ガバナンスを持たない国とか普通に(笑)である。


 ところが菊亭。このガバナンスを等閑なおざりにしてきた。そのため少しの不満が噴出したくらいでこの有様となり果てている。どのなり様か。

 主にご家来衆の不満に由来する不協和音が原因で今や空中分解寸前の有様である。

 但し家来といっても直臣ではない。陪臣や陪臣でさえないご家来衆の不満が大噴出したのである。


 今回の遠征、諸事情あって本拠に纏まった戦力を温存しておく必要があった。

 明かしてしまうと天彦は魔王信長を100の確度で信用していなかった。精々50から60くらい。なのに今回の喧嘩で射干党の戦闘力(兵器レベル含めて)を世に開示してしまったので、拠点防衛の必要性が発生してしまっていた。菊亭御料地西院に八割方の戦力を割いて置いたのだ。

 天彦を外遊させ他は殲滅。帰った天彦愕然呆然。魔王ニヤリ。文句あるか。あっても言えない。戦う力を削がれているから。とか。普通に想像できてしまう一番あり得るシナリオだった。


 故に射干党幹部連中も連れてきていない。それと同じ理由で青侍(武官)も氏郷の蒲生党や高虎の藤堂党といった練度も統制もとれた選りすぐりの家来は同行させておらず、多くが自薦でやってきたどこかの家の次男三男連中だった。

 天彦がそれで十分だと判断して、主に防衛担当の側近青侍衆もそれを了承した。即ち天彦も且元も氏郷も高虎も皆が皆、自分の器量に己惚れていたのである。



 閑話休題、

 しかもこの連中、山口、湯口、高江、中村、堀、長谷川、上原、波多野、三輪、中川といった旧本家今出川の近習家の子息や連枝であった。頼み込んだり無理に居座ったりした者が大半で天彦が乞うて招いたなどという事実はひとつもない。

 にもかかわらず不満を爆発させたあたりガバナンスの不備とは少し違うのかもしれないが、いずれにせよ菊亭にはその手の機能が不備であることは紛れもない事実であった。


 家の発展のために受け入れ提案したのは家令でも、だが最終的に受け入れたのは天彦の判断である。対策を打っておかなかった責任も天彦にある。

 いずれ噴出したであろうこれらの不満は、だが天彦の想定を遥かに超えた速度で見える化しつい今しがた爆発した。天彦への直接的な厳しい批判の言葉となって。


 しかし天彦はそういう意味での罰はすでに食らっていた。懲らしめられるという意味では十分なほどメンタルゲージをごりごりに削られているから。へにょん。

 天彦という人物。家族という単語にやたらと幻想を抱きがち系男子であり、一門も家族の延長線上にある単位互換くらいに勝手に捉えている節があって、そういう食らい方をしているのである。じんおわレベルの。


 だがこれは双方にとって非常によろしくない。天彦は実質的な作戦行動の手足を失いメンタルを食らい、家来たちは二度と真面な職場には就職できないという双方にとっての手痛い結末を迎えるからだ。

 それはそう。参議菊亭家に反旗を翻したのだ。再仕官できるという考えの方がどうかしている。よほどの感状でも持たされないかぎり他家への仕官は適わないと考えるのがこの時代の当然の感覚であろう。


 然りながらこの程度の問題はどの家でも抱えている。それらを抑え込めてこそ家であり組織として成り立つのだが、これら諸問題を取り纏め抑え込むのが本来家令の主たる役目。家令が不在なら生え抜き内々の近習諸太夫家の務めでる。つまり植田家がそれに該当する家だった。お仕舞いです。

 だから終わっているのだが、しかし雪之丞を側近一番手に据えている以上は雪之丞を行政官のトップに据え家来を明確に序列化する。それこそが天彦のすべきことであり今最も求められる菊亭組織管理の正当性である。


 だが天彦の菊亭にはそれらがなかった。一切合切。実は家令も自薦の非公式である。あれは押しかけ家令だから。正式な任命は実はしていなかった。それくらいなかったのだ。

 しかも天彦に何か意図や確固たる思惑があるわけではない。ただ単に、なんちゃってショタ劇団がわちゃわちゃやっているだけのお遊戯会にそんなご大そうなもん要らんやろの巻。という発想と感情でここまで来たからだけに過ぎない。


 だが現実を直視すればとんでもない大問題に直面している。主に青侍衆の不満だがすでに諸太夫文官衆にまで伝播していて、家中には波乱の香りがかなり色濃く漂っている。

 常なら武官と文官の不満の性質は違っているのだが、今回に限っては挙党一致で談合している。ただ一点。なぜ樋口与六を行かせたのか。に集約されるのだ。


「若とのさん。ほんまによろしかったんです」

「ええさんやとゆうた。揃いも揃ってどいつもこいつもしつこいぞ」

「あ。ほなええですけど……」

「ええんやったら端からゆうな」

「あ、はい。すんません」

「あ、うん。なんやこっちも言い過ぎた。堪忍さんな」

「いえ」


 そう。結論、結果的に樋口与六は天彦の手を取らなかった。むろん強硬に振り払ったわけではなく実直な彼らしい言葉を尽くした上での決別の言葉を添えて手を振り払った。その上で武士としてのけじめを取らせてくれと、言わば天彦に強請ったのだ。あのいっさいの憂いなき清々しい表情で。


 清々しかろうが憂いがあろうとなかろうと、普通に考えてあり得ない。なにせ天彦は理由はどうあれこれから甲斐武田と揉めようとしているのだ。それこそ命を賭けて。延いては越後上杉とも事を構えるかもしれない覚悟を以って。

 むろんそれは魔王に与えられたクエストを達成するために必要な布石なのでそのことに誰も異論はない。むしろ納得ずく。

 だがその今回の策の命運を握る秘中の秘を知る与六を帰すなど、ましてや敵陣に送り返すなど菊亭家来衆にとっては絶対にあってはならない裏切りだった。

 特に新参者では天彦の思考性など理解できるはずもなく、反感感情はそのまま行動へと移されてしまった。それが今回の経緯のすべて。内面や諸々の不和はあろうが直截的な要因はこの件が引き金となったことは事実であった。


 だが天彦は与六の申し出を許可し、不満どころか明確な異議を唱える家来を逆に要らぬと言い放ってしまった。本当に放免してしまったのだ。誰もが唖然としてしまう。その結末を想像していなかったから。

 それはそうだ。直臣ではないとはいえ一門衆である。片や相手はただの客分。しかも先行きそうとう敵性色の濃い家の家来。比較になるなど誰も考えていなかった。

 だが事実は違った。主君天彦は三十有余名の家来と、たった一人の客分を天秤にかけ一人を選んでしまったのだ。

 それがまさにたった今起こった出来事。たった今天彦は三十数名の青侍衆を、感情論としか思えない声と口調と熱量で解雇放免してしまったのだった。


 こうなるともうダメ。もはやお仕舞い。天彦は誰が仲裁しようと無類のオニ頑固性を発揮してテコでも首を縦には振らなくなる。それはあの魔王ですら敵わず、もっというなら帝でさえ天彦の決意を翻意できないのだから少なくともその頑固さは本物であろう。威張れるものではないけれど。


 が、それを最も長く身近で体感して知っている自称一の家来殿が、あとは某が預かるから一旦、な。と、珍しく気を回して青侍衆を辞去させやっと居間に静けさが訪れていた。




 ◇





 居間に残ったのはイツメン(雪之丞・佐吉・是知・且元・氏郷・高虎)六名とプラスなぜか葉室のお姫様。の都合七名だけだった。


「若とのさん、どないしはったんですか」

「なんでや」

「らしくないですよ」

「そうか」

「はい、そうです」


 ちょっと染みた。雪之丞のこういうの、一番身に染みるのである。

 天彦は一旦感情をリセットしてフラットな感情で雪之丞と向き合った。おおきに。


「なあお雪ちゃん、身共らしいってなんやろ」

「ああそら、そんな感じですやん。理不尽に意味不明なこと口走って反対されたら子供っぽく拗ねて。でもちゃんと反省して前向いて歩かはるんが、某のいっちゃん知っているかっこええときの若とのさんらしいです」

「あぁ、……さよか」


 前には向いている。方向が違うだけで。天彦は嘯きながらもやはりちゃんと拗ねていた。

 天彦にだって正当性はあった。むしろ正統性しかないのだがそのエビデンスは阿保らしくて言葉にできない。阿保らしいは違うのか。馬鹿らしくて。知らんけど。いずれにしてもだからやりなれていない当主ムーブで押し切ったのだ。押し切ったのに……。

 説明を求める家来たちに向かって“お前さんらそうして言葉に頼っているようではいつまでたっても三流や”と噛みつくような言葉で言ったのである。

 が、結果はご覧の通り悲惨の一言。ほぼ全員の反感を買って終わる惨憺たるものだった。ぱおん。


 天彦は与六が世界一、いや佐吉がいるから二番目か。ならば語呂は悪いが母数を上げて宇宙二義に厚い人物であると知っている。何しろ与六は天下人相手にも堂々と、主君を替えるくらいなら一戦馳走いたしますと言い放った武士もののふの中の武士なのだ。

 大好きな胸アツエピソードの一つである。信じるに値する要素しかないと思っている。

 その与六が、某を信じて下されと言ったのだ。秒でうんと言っていた。何が悪い。信じて当り前やろ。だがその理論は通用しない。あるいは側近にさえも“こいつ正気か”の目で見られていたのは哀しかったが事実である。


 つまり知っているから信じて送り出せた。信じているから無条件に送り出せたと言い換えても同義である。いずれにせよ100信じている。一ミリの猜疑心なく全身全霊で与六のことを信じている。

 他方、当然異論を唱えた家人たちは知らない。明かされていないエビデンスなど思いつきも同じである。しかも所詮与六は他家の侍。あるいはそれよりも少し気心が知れている間柄でもあっても所詮はその程度でしかない人物である。敵視して尤もであった。不安しかなくて尤もで、なぜ天彦が意見を曲げないのか逆に理解に苦しんでいるはず。それが普通の解釈であろう。きっと。誰も彼もがそんな表情で居間を後にしていったから。


 その前提と認識との違いが180度の考え違いとなり今回の大いなる不満の元凶へと繋がっているのだと天彦自身は考えている。

 だがどうだろう実際のところは。たしかに一部では正しいのかも。しかしイツメンに関してはどうやら違う。まるで違っていそうである。そのこととは無関係に天彦特有の気質的な仕様が起因しているのではないかと思われる。


 というのも天彦は一度信じると心中してもよいとさえ考えているメルヘン世界の住民みたいなところがある。そんなメルヘンチックな性質がちょいちょい顔を覗かせ周囲に垣間見せるのでイツメンたちも苦言を呈したくなってしまうのだ。

 今回はその色が濃く出ていた。イツメンたちは自分たちが与六と逆の立ち場に入れ替わったなら大歓喜すぎるという感情は一旦棚に上げてでも主君を御諫めしなければならなかったからここに居残ったのである。


「しかし思い切らはったですね」

「普通やし」

「与六は裏切りませんやろか」

「うん。絶対に」

「物凄い信頼ですね。でもなんでですのん」

「お雪ちゃんも一緒に暮らしていて思わへんかったか」

「そら……、某の感情は関係ありませんやろ。さあ答えて」

「身共が信じているからや。お雪ちゃんの次くらいに。佐吉も是知も且元も氏郷も高虎もみーんな一緒やで」

「あ、むちゃんこずっこいやつですやん。そんなん一遍も言われたことない」

「いや?」

「う、嬉しいですけど。……なんや誤魔化されているような気ぃが」

「ぎく」


 天彦の策意がバレバレすぎて小さな笑いも起きなかった。雪之丞も芝居はそれほど得意ではない。

 そしてそれほど皆は真剣だった。深刻なのだ。この問題は。圧倒的に命に関わりすぎていた。


「あかんか、滑ったか」

「みたいですね。ただ喜ばすだけの結果ですもん、このお人さんらを」

「そうかぁ。ややこいなぁ」

「はい。ほんまややこいわ」


 雪之丞もグルだった。だからこいつは信用ならない。いったいいつどこで示し合わせた。そんな素振りはまるでなかった感じなかった。

 イツメンたちは雪之丞にも厳しい視線を向けて寄越す。癪に障るのと単純に腹立たしいのとでいつもより多いめに睨みつけて脅しつける。


「な、なんですのん!」


 しかしこうなるとイツメンの誰かが序列と秩序と管理体制を包括したガバナンスの必要性を口に出してもよさそうなものだが、誰ひとりとして言い出す者はいない。

 あるいはスノウなお人の風下に立つのがあまりにも受け入れられずお寒いからか、それとも明確な序列がこの不定形な上になりたつ絶妙な団結力にひびを入れてしまいかねないからか。いずれにしても絶対に必要になるはずなのに誰も口にしてこなかったのだ。今にいたる今の今までは。ところが……。


 女性特有の衣擦れ音がすると、それに遅れて美しい声音が響いた。


「天彦さま」


 室内に緊張の帳がおりるのだった。















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