#07 その日世界は平等に狂気と脅威を認識した
永禄十二年(1569)五月九日
本来なら本日に昇爵後初の参内を迎えているはずの九日、天彦率いる菊亭は陣屋から徒歩五十歩とかからずほど近い、半ば廃棄状態で放置されていた名もなき寺院跡地に陣地を構えて陣取っていた。
陣取るなどと烏滸がましいがそれでも旅籠に籠城するよりかはいくらかマシ。程度のプラス材料しか見当たらない廃寺院で、菊亭総勢三百名と、プラスいったいどこから聞きつけ参ったのか謎の合力有志集団四百名との総勢七百でいざ籠城戦に突入した。
士気だけは異常に高いこの面子。しかも食料を大量に買い込んでの共同生活はいっそ大掛かりなキャンプファイヤーの様相を呈していて、奇しくも時期がいいのと重なってわいわいがやがやと賑やかしく実に楽しげな雰囲気を演出していた。言ってはなんだがとても交戦状態中の防衛陣地とはとてもではないが思えない。
規律や緊張感の維持的に通常なら好ましくないのだろう。あるいは武に生きる武門の家ならふざけるなと当主自ら斬って伏せるところかもしれない。
だが天彦は放置した。どうせ戦が始まれば否が応でも深刻にならざるを得ないからと。あるいは当家は公家。雅な心を忘れては本末転倒、戦どころの騒ぎではないからと嘯いて放置した。
実際問題として織田軍が本気なら七百程度殲滅するなど造作もないこと。よって天彦はふざけようが深刻になろうが大局に大差ないと判断して居させただけの話であった。
よってここに、緊迫した中にも笑顔の絶えない言わば大掛かりなキャンプ大会が始まったのである。
しかし楽しげだったのも初日まで。二日経ち、三日経ち。やがて何もない静かで穏やかなまるで三が日元旦早朝のような静けさが四日もつづくとさすがにさすが。いくらのんびりマイペースな菊亭家人たちでも異変に気付く。そして膠着状態めいた静けさは遂に五日目の朝を迎えていた。
あるいは何なら膠着でさえないのかも。なにせ戦闘状態を宣言し籠城してからというもの一度たりとも槍の穂先でさえ一当たりもしていないのだから。明らかな異変である。
定期の偵察報告便は変わらず“動きなし敵影見当たらず”の定型句を繰り返すだけbotと化して報告を上げてくるばかりで変化の兆しは一向に見えてこない。
むろん本来なら歓迎すべき平穏なれど喧嘩を買ったか売ったかの立場の者とすれば些かではなく胸がざわめく。焦りも覚える。
というのもすでに菊亭、もはや引っ込みがつかない状態まで陣地構築を行っていた。
たとえば大軍の渡河を困難にさせるため五条大橋を始めとした鴨川に架かるほとんどの大橋の大爆破とか。たとえば堀川通を例とした幹線道路爆破大陥没による大軍通行可能な基幹道路の完全封鎖とか。主要な通路をまるで何かに取り憑かれたように爆破しまくっていたのである。
これらすべては陣地防衛の初歩の初歩。だがしかし同時に洛内に向けても物資運搬の壊滅的なダメージを与えてしまうがそれはそれ。悪影響を承知しながら天彦は、けれど大軍移動手段の無効化戦術を優先させた。すべては家人を生き残らせんがために。
己が生き残るためではない。これは自惚れでもカッコつけでも何でもなく純然とした事実としての戦略の一環である。天彦は家来を生き残らせるため射干党に指示して大掛かりな作戦行動に踏み切ったのである。これはガチで。
何しろこの時代。強ければ敵でも認められる。逆にいえば弱いと味方さえ見限ってしまう。敵なら猶更生きる価値すらないと見做された。というのも武威が至上とされていて、なぜかと言えばそれが侍や武士の思想だから。
夜警国家とは往々にしてそうしたもの。暴力が君臨すると大抵こうなる。何故と問われてもそうとしか説明がつかないそんな理念でこの時代の生死の境は線引きされた。あるいは阿保みたいな死に急ぎを武士の誉れだ何だと褒め称え、死生観的にも至極美しい様式であると誉めそやされて回っているのだ。まあ控えめに言って狂っている。そういうこと。
だが天彦は公家である。流れ弾にでも当たらないかぎり相当生存の可能性は高いだろう。あまり高は括れないが滅多なことでは命まで取られない仕様となっているのだ。そう。これはそういう仕様のデキレなのだ。いつの時代も上級国民は一般市民とは別の世界線で生きている別種のレイヤーなのである。だっる。
よって天彦が第一に思うのは家来の安全。
だからこそ天彦はちょっぴり、いやはっきりとかなり焦っていた。
「これで気のせいとか。……はは、さすがに氏ぬ」
そういうこと。内心の不安がたまらず無意識にも声に漏れ出てしまうほど焦っていた。ハイ撤収お仕舞いですと防衛陣地をバラすにはあまりにも破壊の限りを尽くしすぎていたのである。どれだけ低く見積もってもここまで例は過去にもないはず。天彦、紛れもなく歴史にその名を刻む一人となった。むろん完璧なヒールとして。
そんな数百年後の杞憂はさて措き、だがまだ独り相撲と決まったわけではない。
現状期待感込みで七分三分か。どっちが七とも三とも言いたくない時点でお察しなのだが、やはり心中ではもしや思い込みたっぷりの独り三文芝居なのでは。一抹では済まない巨大な不安が浮かんでは消えていく。但し消えるのは力技で。浮かぶのはごく自然に。
しかし今やその可能性ももはや恥ずかし味にかまけて放置もしていられない状況に差し迫っていた。さすがに家人を筆頭に家内が大きくざわつき始めているからだ。あまりの静けさに。あまりの何も無さに。
この防衛陣地までの攻め手、大軍の移動手段を潰しただけで言ってしまえば他はざる。中はがらんどうのぱっぱかぱー。その気になればいくらでも攻めかかる手段はある。だがそれさえないのだ。もはや織田軍、そもそも戦意が無いのではと勘繰って誰の目にも不思議はなかった。
すると空気を読まないことでは右に出るものナシの称号を目下恣にしている別次元の住民さんが、満を持して満座の前で発言した。
「若とのさん。これひょっとして戦ないのと違いますやろか」
「なあお雪ちゃん、なんで思たこと口にするん。今は絶対アカンやつやん」
「これひょっとして戦ないのと違いますやろか」
「まさかの二回ゆう。しかも身共の意見ガン無視して」
「これひょっとして戦ないのと違いますやろか」
「三回は、ていっ!」
「痛っ、なにしますのん」
「それは100身共の台詞」
「で、お答えは」
目を伏せた者、目を剥いた者、生唾を呑み込んだ者、首が伸びた者、拍手しそうになって隣から頭を強かにはたかれた者など。様々複数の反応がひとつのオーディエンスとなって天彦の小さな身体に降り注がれた。
天彦はさすがに声に出す者も現れ始めたかと半ば諦めの感情でため息を吐くと、けれどそれとは別に怨念のこもった瞳で雪之丞をたっぷりと睨みつけた。
またしてもどないですのんなん。間の抜けた声で責められるも内心のまじ腹立つわぁを送って黙殺して、さらに渋々作戦参謀に抜擢したイルダにそっと話題を振って擦り付けた。
「イルダ、ほんまなんやな」
「天ちゃんそれって責任転嫁ってやつなんじゃん。うちらに振られても困る」
「ほんまなんやろなっ!」
天彦は声の威勢で押し切った。だがイルダはジト目を返すだけで明言を避ける。
室内に重苦しい空気が停留する中、帰ったよぉ。すると間延びする特徴的なアクセントの声が響いた。
タイミングよく二条城周辺に向けて放った威力偵察部隊の報告を受け取ったコンスエラが戻ってきたのだ。ナイス! 皆の視線が集中した。
「ご苦労さん。どないやった」
「うん。織田軍本体一万は二条城を背に全面展開、別動隊五千も西院菊亭領区に待機している我ら射干党の牽制として大宮付近に展開しているよ。十八番の鉄砲隊も毎日轟音響かせてバンバンやっているみたい」
「よっしゃ!」
室内にどよめきが起こった。天彦は小さくガッツポーズ。敵がいて安心するのは明らかに異変だが、この室内にはそんな異変さんが当たり前の顔をして居座っていい空気感が広がっていた。
天彦はようやく落ち着きのなかった腰を据えるべく床几におっちん。お雪ちゃんお茶。いつものように振舞った。
「はいどうぞ」
「おおきにさん。暇やったらお座りさん」
「暇なことはありませんけど、居てほしそうなんでほなそないします」
「うん居て」
「お幾つになられても、ほんましゃーないお人さんですね」
「十や」
しかも数えで。
天彦は雪之丞の軽口に軽口で返せる余裕が嬉しかった。
雪之丞の顔を見ているだけで日常味が増すのだから陣地を預かる指揮官として傍に侍らすのは仕方がない。誰に訊かれるでもないのに自ら必至の言い訳をして、居て欲しいから侍らせた。
が、ずずず。茶を啜ると一転、真剣モードで吟味する。
なぜだ。なぜ織田軍は攻めかかってこない。こちらは準備万端で籠城しているとはいえ陣地に向かない粗末な寺院。計算上半月はもつがそれ以上は降参する手はずであったのに。つまり食糧備蓄が心許ない。
そんなことより何より、誰の目にも多勢に無勢は明らかであろうのに。なぜ信長は短期で決戦を仕掛けないのか。仕掛けてくれればこちらにもかなりの勝算が持てたのに。天彦自分史上最上級の悪巧みによって。
やはりそこは天下人としての野生の勘か。野生の天下人て。天彦は自分のボケに呆れているとよもや更に呆れる事態に見舞われた。
ずどん。どっかーん。ばっきーん。がしゃがしゃ。
この世の終わり三歩手前が顕在化していた。一歩手前はすでに天彦が具現化している。その破壊力のざっと三分の一。よって三歩手前であった。
そんなまさかの砲撃で襤褸いとはいえ対面にある経堂の二階屋根から家屋部分が物の見事に吹き飛ばされた。……かっちょえ。言っている場合ではない。
「うおっ、な、なんや!」
なんや、なんや、なんや、どないした!?
対面の経堂が二階を吹き飛ばされ吹きっ曝しになっているのだから。
天彦を始め、すっかり感覚が麻痺してお馬鹿になってしまっている菊亭家人一同はほとんど慌てず騒がず、粛々と状況を受け入れつつあった。慣れとは気に恐ろしきものなり。
それもこれも大橋爆破というとんでもイリュージョンを見せつけた天彦のせい。
それでも中には口をぽかーんと開けて何が起こったのかわからずにいる可愛らしいお人もいて、ややあって、なんや、なんや、なんや、どないした!?
境内奥にいたらしい破壊になれていない一般合力連中が集まってきた。程なくするとお堂にはなんやなんやの不安が勝った疑問符が方々から連呼される事態となった。
すると誰かが指を指した。そして指さす方に向かって叫んだ。
「見てみ、むちゃんこ大きい大筒や!」
お雪ちゃん大きいから大筒なんやで。天彦にその余裕はなかった。なにしろその大筒隊を指揮しているのは、天彦にとってメンタル的にもフィジカル的にもかなり扱いづらい人物であったから。
そう織田茶筅丸くんである。おそらく元服を済ませたのだろう。立派な月代スタイルに堂々二本差しのお侍ルックになっていたから。つまりと織田三介具豊である。
「アホやろあいつ。……何しとんねん」
呆れ返るしかない行動力にけれど打つ手はもはやなかった。
すると茶筅丸は自らが持ち込んだ大筒の土台上に駆け上り、
「菊亭狐! 儂が自ら遊びに参ってやったぞ。遊んだれよぉー」
見事な見栄口上を切るのであった。あはは、おもしろ。
だが面白がってもいられない。然りとて魔王の実子に傷一つでも付けようものなら根伐り確。絶対にそれだけは避けなければならない事態である。だから天彦は自ら出向く他手段はなかった。
「参ってくる」
「若とのさん」
「人柄は知ってるつもりや。まあ最悪でも悪いようにはならんやろ」
「絶対と約束してくれなあきません」
「世に絶対はない」
「よかった。いつもの若とのさんや。ここでご武運を祈ってます」
「うん、そないして」
周囲に側近が雪之丞だけだったのも幸いし天彦はスムーズな行動に移せた。
てくてくてく。ぴと。
「毎度おおきにさんにおじゃります」
「なにが毎度か。む、おう毎度!」
「はは、挨拶の基本覚えてくれたはったんやね。嬉しいさんやわぁ。ほんでほんまに遊びに参らはったんですか」
「狐。貴様も少しは考えて物を申せよ。この状況を考ええ」
「お前が造ったんやろ」
「なに」
「いえ。はい考えてますけど。むしろむちゃんこ考えてるだけの人生ですけど」
「何を抜かすか愚かしい。考えている者がこのような愚かな真似、するはずもないではないか」
「このようなとは」
「織田家と事を構えることであろう。やはりお前は馬鹿であるな」
「あ。はい。では、ならばなんで参られたのでございますのん」
「また馬鹿か。むろん貴様を救いに参ってやったのだ。死なすには忍びないし、何より儂に不都合である」
「ご自分に不都合さんなだけでは」
「そうとも申すな。狐、儂に知恵を貸せ。お前の持つ叡智が要るのだ。それが対価じゃよもや不服はあるまいの」
「……ほう。むろん不服なんぞあらしゃりません。ですが仲裁なさる自信がおありなんですか」
「ある。がはははは、儂、天才!」
茶筅丸は自信満々に、けれど天彦にとっては不安でしかないDQN特有の快活なだけの笑顔とエビデンスに乏しい謎の自信で請け負うのだった。
天彦はあるのなら見せてもらう。茶筅丸に従い投降した。
◇
「痛い! 親父殿、それ以上どつかれると首がとれるぞ」
「たわけがっ! 貴様という男は――」
「ぬごっ、と、取れた! 首がぁあああああああああああああああ――」
「この程度で取れる首なら疾くとれるがよい」
「いやじゃあああああ」
なかった。一ミリも。
そして茶筅丸は刃向かった天彦よりボコボコにされていた。まんじ。知ってたけど。どこから来るの、その自信さんは。
天彦の呆れ果てを他所に魔王信長は茶筅丸が気を失うまでボコりまくった。しかし茶筅も茶筅だが魔王も魔王で二人ともに体力お化け。しかも極度の意地っ張りときて折檻はそうとうかなり見たことのないほどの熾烈なものとなっていた。
ややあって茶筅丸撃沈。そして息を切らしながら魔王がぎろり。小姓が差し出す水をごくり。ごくごくごきゅん飲み干すと、今度は怒りの矛先を天彦に向けてこれでもかと峻烈な双眸で睨みつける。
「はぁはぁ、ぜぇぜぇ……。おい狐」
「暴力反対」
「なにが反対だがや。貴様いったいどれだけ破壊の限りを尽くしおった」
「ぎく」
「あの夜空を切り裂いた爆裂弾。余に寄越せ」
「……」
「寄越せと申した」
「やむなし。お渡しいたしましょう対価なしで」
「ほとほと呆れた文言だが他にも絞れば出そうであるな。さて狐、おみゃあいったい何がしたいんだぎゃ」
天彦は言葉に詰まった。あまりに核心めいていてあまりに何もなかったから。
考えれば考えこむほど、自分がいったい何をしたいかなど答えが遠のくばかりだった。
「まあ色々さんにおじゃります」
結局たどり着いたのはこの玉虫色のソフトランディング解答のみ。我ながらつくづく未来現代人感覚が抜けきっていないと善きにつけ悪しきにつけ思う天彦であった。
魔王信長はたっぷり待たされたしょーもない答えを聞き届けると、何を思ったのか思わなかったのか天彦から視線を切り境内に広がる美しい庭園に目をやった。
そして、
「ひと当てして伊予か越後か。いずれにしても貴様を都から下向させると厄介極まりなくていかん。余ははっきりと此度の件でつくづく貴様の存在に脅威を覚えた次第である」
「気のせいですやろ。信長さんの敵にもようなりませんでしたん。我ながらちんけやなぁ。ちょびっとがっかりしていますん」
天彦は太々しさ全開で言い放った。信長は目を細めてそれに同意の頷きを返した。
「十年すれば引っ繰り返るか」
「はは、まさか」
「では十五年か」
「僭越なれど五年で十分さんにあらしゃりますぅ」
「ふん。で、あるか。それで狐、貴様の気はすんだのか」
「まあ、それなりさんに」
魔王信長は右手を差し出す。すると手筈通りなのだろう。小姓が何かを持ち出した。
信長は小姓の手からその何かを引っ手繰り天彦目掛けて投げつけた。わりときついめに。――いった。なにするん……、や?
天彦は文句も忘れて考え込んだ。それは書簡でありその封書には“謹上・関東管領上杉輝虎公”と認めてあったから。
だが他方では武田勝頼宛にはない。つまり信長はこの侵攻、核となるは越後とみているようだった。それとも対等同盟ではないと踏んでいるのか。いずれにしても書簡は一通。天彦に選択の余地はなかった。目指すは越後、そして戦地ルート一択である。要するに坊主の代わりを務めろということ。
この時代、公家もそこそこ戦の仲裁の使者役を買って出ていたように天彦もいよいよお使者デビューである。
「貴様しかおるまい。この駿河を発端とする関東の騒乱を大過なく治められる者は」
「買い被り……、いいや。今の甲越同盟と五分でお話できるのは天下広しといえども菊亭ただ一人であると自負さんにおじゃります。三河のおタヌキさんはぜんぜん存じ上げませんけれど」
「くははは、タヌキか。なるほど。じゃが心配無用。その三河守タヌキには儂から申し付けておく」
親子揃って自信満々。けれどこちらの満々は格も箔も申し分ない。天彦は素直にうんと頷いて任せる。
「行って参れ。天下泰平の世が欲しいのなら。それでこの件水に流す」
「えー貸しですやろ」
「あ゛」
「は、はは。厭やな嘘です。冗談ですやん。ほなさっそくお参りさん。けどお小遣いたんとくれなあかんよ。なんせ身共からっけつやもん」
「貴様のせいであろう」
「誰のせいで有る無しにもかかわらず無いもんは無い。ぜーんぶ気前よう撒いたからほんまにカラっけつなん。助けてくださいこの通り」
「くふ、あははははは。で、あるか」
犠牲者は茶筅丸だけで誰ひとりとして失っていない。
「あ、そや。参る前に茶筅とおひとつ約束ありましてん」
「今や茶筅は三介具豊である。じゃがこれは喫緊で北畠に出す」
「なるほど三介さんと。でもどうしても果たさなあきませんお約束ありますのん」
「約束、か。では目を覚ませば遣いを寄越す」
「お願いさんにあらしゃります」
「ならばこちらからも一つ」
「手加減してください」
「本願寺の鬼札、惟任より奪い返したようであるな」
「まあ、はい」
「どのように使う。隠し立てすると今度ばかりは命はないぞ」
天彦は一瞬の躊躇いもなく言い放った。
「どないもこないもあらしゃりません。茶々丸は我が竹馬の友にして永久不滅の親友ですよって」
信長は天彦の目を確と覗き込みまるで吟味するように真意を計った。
長い沈黙ののちややあって、
「ふん。で、あるか。この書付を持て。勘定方に持ち込めば好きなだけ駄賃と変わろう。狐、大儀であった」
「ご寛恕といいお駄賃といい懐の深い大盤振る舞い。ほんにおおきにさんにおじゃります。菊亭この通り感謝申し上げ、ほな御前失礼さん」
天彦はほくほくとした表情で意気洋々と信長に背を向ける。
天彦はここにきて確信した。どうやら信長。自分にむちゃんこ激甘であると。いっそ一門衆扱いである。……やめとこフラグや。ないない。
だがそうなると精神的負担が急減した。気分も浮く。浮かれまくる。
さあ人生初めての越後ツアーや。越後の甘味ってなんやろか。そや外交官デビューやし衣冠束帯新調せなあかん。おおこれは忙しいぞ。誰を連れて参ろうか。
天彦はもはや目的などそっちのけのルンルン気分で二条衣棚・魔王城京都支社を後にした。
そんな天彦の肩には幸せを運ぶとされている黄色いてんとう虫がちょこん。そっと乗っかっているのであった。




