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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
五章 万里一空の章
82/314

#06 命を懸けるに値する機会、この世界溢れすぎじゃね

 



 永禄十二年(1569)五月四日






 普通に考えて魔王はブチ切れていることだろう。遣いを寄越してくれたのはケジメとしての意味付けだけ。それは合理的な者同士だからこそむしろ通じ合い理解できてしまう志向性であった。

 なにしろ秋には北伊勢の仕上げが待っている上に本願寺との大戦も控えている。今や織田軍、背後に構っている暇はないのである。だからこその菊亭優遇であると言っても過言ではない。天彦が越後と甲斐を押さえていてくれると信じたからこその西征全振り戦略なのだから。


 信長は天彦の意思に沿ってか沿わずか、いずれにしても天下布武の時を相当早めている。だからこのブチ切れは半ば天彦のせいとも言えた。

 しかし天彦とて闇雲に急かしたわけではけっしてない。事実天彦の見立てでは軽く五年は縮まっている公算だが、文化面や経済圏も含めると実質はもっと早まっているはずである。たとえば本願寺闘争だけでも相当で、本願寺がこのまま弱体化路線を継続してくれればともするとあの絶体絶命シナリオの筆頭格である織田包囲網さえロストしている可能性だってけっして低くはないのである。


 だからキレられるゆわれはない。強弁できればいいのだが。如何せん相手が悪い。

 むろん織田包囲網、シナリオとしては必ず発生すると天彦は確信している。それが史実の持つ何らかの強制力だと感じているし、年度は多少前後しても実際必ずそう進行しているからだ。

 だから個別対応でなんとか応対できているわけだが、この甲越同盟だけは完全なるイレギュラーシナリオ。すでに既知の優位性は損なわれていて、物理的な距離の観点からも凄まじく掴みづらくつまり天彦の手には負えない。


 よって結論、個別戦術単位ではない根底から織田軍の天下布武戦略を練り直す必要に迫られるとするなら、天彦の優位性もまた完璧に失われてしまうことを意味していた。――わっつ。


 天彦的には十重二十重に悲惨な破滅の序奏・お仕舞いシナリオと言える。なぜなら喫緊で投下しようとしていた作戦という名のお強請りが暗礁に乗り上げたから。

 即ちぱっぱを筆頭に光宣も元の上司竜胆中将さんもすべて。感情的に心情的に敵に回したくない人物あるいは勢力纏めてすべてを“魔王軍の力技で抵抗勢力から除外してもらうの巻”作戦がまんまとぶっ潰された瞬間でもあった。


 大技だが可能だった。この世界線ではまだ執り行われていない誠仁殿下の親王宣下立太子礼の儀を執り行う。そして東宮別当にぱっぱを据え、東宮家家司に庭田重通や烏丸光宣を配属しておけば、天彦の心の安寧はきっと保たれたであろうはず、だったのだ。少なくともこの策が通用すれば将軍義昭から最低でも十年は引き剥がせたはずである。

 十年あれば将軍の追い落としなど容易い。何より阿保(DQN)はずっと阿保(DQN)のままなので絶対に必ず自滅してくれる。事実ほとんど目論見通りに運んでいた。


 だがしかし。そんな公算がすべて脆くも音を立てて崩れ去り、天彦も体感として膝から崩れ落ちてしまっていた。

 第一感、北条にしてやられたと天彦は感じた。それ以外にも今川の残党の線もある。囚われの晴信の線だって消せない。西国の寝業師だって暗躍させたら当代一だ。

 あるいはやはり危惧していた通り次代の天下さん(徳川)は天敵なのか。史実に何らかの強制力もしくは修正力があると仮定するなら最も考えられる仮説である。だが反面、現実を直視すればその可能性は極めて低く思っていた。そんなこと風に揺れる柳が幽霊に見えてしまうのと等しく、人の心が描き出す妄想にすぎないのだと。

 それならいっそ武田四郎勝頼が壮大なフリだったのか。その可能性の方が高いだろう。その方がいっそ説得力があってしまう。あの人好きのする武人が下衆にも劣る策士だなどと想像だにできないとしても。

 このように天彦の脳裏にはやがて様々な可能性が浮かんでは消え去り。けれど他にも可能性はいくらだって潜んでいた。


 細かな可能性をすべて掬い考え始めるとキリがない。サンクコストは迷わず切り捨てるに限る。でなければ確率はけっして収束に向かわないから。

 わかっていながら切り捨てられず天彦はイヤイヤをする駄々っ子よりあるいは激しく、頭を抱えて拒絶の意思を表示する。


「嗚呼……、じんおわ」


 天彦の無意識の意識に家人は常にない異常を察知した。


「若とのさん!?」

「殿」

「殿」

「天ちゃん」

「殿……!」


 殿、殿と連呼する声が天彦にも薄ぼんやりと聞こえてくる。

 どうやら思考の闇からはぼちぼち生還を果たしているようだが、前と後とでは表情の影のコントラストが違っていた。はっきりとくっきりと影が濃くなっているではないか。


 ラウラ救出、海洋帝国との決着、長崎港の占有、新たな経済政策の策定、銭の鋳造の調整仲介、親友ずっトモ光宣の奪還、参内、公家としてのお務めはもちろんのこと自分ちだって発展させないと本末転倒。

 天彦の小さな身体には処理しなければならないタスクがやはり多すぎたの一言に尽きるだろう。思わず気を緩めると今にも過負荷領域のデジャブに溺れてしまいそうになるほどに。


 だが泣き言厳禁。ここは乱世戦国なのだ。けれどちょっと隙があればすぐ弱音を吐こうとする自分自身の油断も隙もなさに呆れつつ、悪巧みと徹底した悪足掻きの策を練る。懸命に。藻掻き苦しみながら思考を捏ね繰り回していく。


 一番手っ取り早いのは魔王城に赴くこと。いわば直接対決である。だが間違えればジ・エンド。これはコンティニューの効くRPGではないのである。絶対にしくじれない。よって却下。ならば……。


 天彦は自らの掌で頬にぱんぱんと気合を注入、雪之丞に介添えされてゆるゆると立ち上がると訊け。凛とした意志の乗った声音を響かせた。


「傾聴」


 傾聴――!」


 氏郷が号令を下し配下が復唱。菊亭が文字通り一体化となって天彦の言葉に全集中を傾ける。

 こうして皆が一挙手一投足を注視する中、天彦はけっして威張らず元より武張れず。然りとて決然とした面持ちで視線を真っすぐ、威風堂々と背筋を張って愛用の扇をすっと目の前で開いた。

 うむ。そこにはむろん見慣れた三つ紅葉紋が描かれている。堂々とかは気分にもよる。今はどうだろう。やや遠慮がちか。そんな家紋をじっと見つめることしばらく。ややあって自分が何者であるかを再認識、してからそっと。


 何事も美意識が肝要と言わんばかりにたっぷり余韻を持たせ、愛用の扇子で菊亭が誇る勇猛果敢な青侍衆を優雅に指しあてそっと名を呼ぶ。


「高虎、氏郷」

「はっここに」

「こちらに御座す」

「加茂川筋から堀川まで五条通を徹底的に最大限の警戒を致せ。日頃の練度の見せ所やで。人っ子一人通さんでええ」

「はっ」

「確と」

「期限はそうやな。身共が逝くか事態の収拾を見るかのいずれかまで。手下にも確と申し付けたって」

「はっ畏まってござるが冗談は宜しからぬと存じまする」

「同感にて候。して仮想敵はいずこに御座すか」


 敵は本能寺にあり。決められれば物語はお仕舞いです。だがあいにくと本能寺にはない。魔王城京都支社は目下二条衣棚、日蓮宗明覚寺にあった。


「日蓮宗明覚寺さんに御座すようやなぁ」

「やはり織田」

「でありましょうな」

「ええんか。かつての主家やぞ」

「御冗談を」

「そして一つも笑えませんな」

「ははは、頼もしいさんや。ほならあんじょう頼んだで」

「はっ!」

「応さっ!」


 その旨伝え念押しをする。本当にいいのだなと。むろんと即答。期待はしていたが嬉しすぎて泣きそうになる。ぐっとこらえて、


「お次は佐吉、助佐を呼び戻すよう手配したって」

「はっ」

「ほんで枚方城に最大臨戦態勢も伝えたって。意図はこうやごにょごにょ」

「あ……、はっ確と承ってござる」

「うん。佐吉は戻ったら身共の傍に張り付きや」

「はい。直ちに手配致しまする」


 さてお雪ちゃんには。いや待てよ。


「雪之丞」

「へ」

「どないした雪之丞」

「は、はいっ!」

「諸太夫総動員、文官纏めて京都中に走らせて。風説の流言の策や。いやこの場合は調虎驪山の計か。なんでもええわ、ええか菊亭は何があっても天下さんの御味方であるとそこら中で言いふらさせるんや。町民雇ってでも手広う派手にやったって」

「はい!」

「待ち」

「はい? 待ちますけど」

「兄弟子に菊亭の貸し蔵開けるときやと申し伝えてくれるか」

「おいくつで」

「全部や」

「おおなんと大盤振る舞い! あ、はい……行ってきます」

「振舞先はわかってるな」

「はい。ご迷惑お掛けするやろう近隣やそのお筋さんみーんなですよね」

「そや、ようできた。吝嗇らんと景気ようばら撒いたってや頼んだで。ここが正念場やと覚悟を決めてお気張りや」

「はい。若とのさんに褒めてもらえるように頑張ります」

「自分のために頑張るんやで」

「ほならムリぃ」

「あ、うん。ほな期待してるで」

「はい、頑張りまーす」


 ちょっと心配、是知と逆やったかな。でも信じて任せる。さてお次、


「是知、祐筆に文を書かせよ。雪之丞に申し付けた同じ文言ですべての大名、有力者に向けて発信や」

「はっ、御前失礼仕る」


 さあ仕上げ。


「イルダ、コンスエラ」

「射干党の戦闘準備だね」

「そうや。最悪は総力戦になるが頼めるか」

「水臭いじゃん。死ぬときは一緒だよ」

「こんな程度では絶対に死んではやらんけど。まあ悪い気はせんな」

「うふふ、こんなときまで照れ屋さん」

「ほんで隠し種はあるんか」

「あたぼー。人数分きっちりね」

「おまっ……、し知ってたし」

「あははは、天ちゃんさすがに無理あんじゃん」

「天ちゃんずっとウソ下手すぎぃ」


 ほなお前が上手とでも。

 天彦は茶々を入れるコンスエラを視線で咎め、


「そやけど、まんじ?」

「うん、まんじだね」

「すっご。一人一挺で三千人分。数もビビるけど……いったいなんぼやねん。そっちのがビビるわ」

「城が軽く六つは買えるって言ってたよ」

「アホやろ。でもそんな銭どこから。……あ」

「そう。そのあさんからの餞別だよ」

「おい餞別とは何事や! 言い方悪いやろ。言葉は選べ」

「にしし。ラウラもすっかり愛されちゃってるねぇ」

「おい」

「はーい」

「ほな自称お姉ちゃん二人、疾く参れ」

「はっ」

「はっ」


 といった風に次々に指示を飛ばし最後の最後で与六に向き合う。


「腹ならいつでも召しまするぞ」

「阿保かしょーもない」

「む」

「む、やあらへんの。菊亭は仲間と家族と友を全力で守るアメリカンミリタリースタイル採用させてもろてますんやで」

「あめり……、いつも通りにございますな。いやはや御見それ致してござる」

「そやろ。余裕やし」

「某、こちらに草履を預けたその日から。すでにお命、まるごと預けてござる」

「そうしい。それでええ」

「お疑いもされず。やはりとことん善哉かな」

「買い被りすぎや。ええとこでやめといてんか」

「ですが急使の言が事実なら如何な参議といえども容易ならざるかじ取りかと存ずるがその存念如何なりや」

「細部までは何とも。そやけど大筋は固まってる。あと与六」

「はっ」

「この程度、窮地でもなんでもないさんや。伝えるなら主家へそう伝えてくれると菊亭はとっても嬉しいさんやで」

「ふむ。……強がりにしてもいささか強がりすぎにござらぬか。一歩間違えれば天下を敵に回しまするぞ」

「おまゆう。こんなおまゆう早々ないで。なにせお前んちがそうし向けたんやからな」

「で、ござるか。……面目次第もござらぬ――」

「待った! それはええ。それはやめとこ。そうや与六、よければうちのモンら手伝うたって」

「むろん承ってござる。御前失礼」


 天彦は珍しく与六を責めて会話を仕舞った。だが反面こちらも非常に珍しく他人の命に詮索しともすると安請け合いとも取れる言質を与えるのだった。裏を返せば、


「菊亭、えらいヤバい状況そうやな」


 与六に入れ替わるように公家姿の茶々丸が現れた。


「……茶々丸。まあ与六に見透かされてるくらいやしお前にはバレるか。そや。参ってもうて早速で申し訳ないさんやけど――」

「黙れこら。それ以上抜かしてみい」

「抜かすと」

「まさか己、言わんとわからんのか」

「ギブ」

「ふん、儂の命は儂が好きに使うんじゃ。己になにを差配されることがあるものか。ちょっと頭が高いことをここらで真剣に教えたらなアカンようなや」

「ははは、麻呂やろ。……でもおおきに茶々丸」

「お、おう」


 茶々丸はテレテレに照れつつも、一瞬で真顔に切り替え、


「甚だ癪に障るが菊亭。お前は何を差し置いても先ず亜将にあらましを伝えるのが一番の筋と違うんか。甚だ癪に障るけど」

「さすちゃちゃ。ほんまその通りや。でも二回もゆうたら好きなんバレるで」

「黙れっ! ほんでなんやと誰がじゃい」

「ふふ。はは、あはははは」

「なにが可笑しい、気色悪い顔して」

「でもだってあいつ絶対怒るやん。だから最後にしよって思って」

「お前というやつは。そうやって逃げまわって……ん? こんな話、昔もしたな」

「うんした。だからおもろかってん」

「ほなお前ずっと火種やんけ。ええ加減にさらせよ」

「ほんまやね」

「ったく。まあそれでもええか。どうせあの菊亭大好きマンはどうにか嗅ぎつけて駆けつけよるやろし」

「うん」


 大好きマンって。ぷぷぷ。茶々丸が実は一番染まってるまである。

 天彦は内心で苦笑いしつつも、やはり親友ずっトモこそが人生における最重要キーワードであることを確信していた。

 そして次の瞬間には表情の影をすべて払拭していい顔、むろん一番状態のいいときの悪い顔で嗤うのだった。くつくつとともすると薄気味悪く。


 茶々丸はそんな天彦の豹変を敏感に察知し、


「戦か」


 深刻そうに問い質す。天彦は飄々とうんと頷き、


「まあ無理に避けたところで角が立つなら受けて立つまで。最悪は一戦してどこぞに下向やな。死にとうないし無理はせんつもり」

「ふーん、お前を追い込むほどの相手とはいったいどこのどなたさんや」

「ぜんぜん追い込まれてへんし」

「どの顔で」

「可愛いさんやろ」

「で」

「ちっ、相手にとって不足はないお人さん」

「おまっ」

「うんそのまさか。喧嘩相手には不足ないわあ(棒)」

「遠い目して、ないどころかお前……、そやけどえげつない呑気やな。さすがというべきか。……なあ菊亭」

「なに」

「そんなヤバいんやったら儂から親父に頼んで門徒動員かけたろか。たぶんいけるで。儂、寺領内での人気むちゃんこ高いし」

「はは、やっぱお前アホやろ。あはははアホやわ絶対、あははは」

「おいコラ、誰がどの口で誰様に向かってほざいとんねん」


 身共がこの可愛いおちょぼ口で、大好きな親友ずっトモに。天彦は背中で言って執務室兼自室に戻った。


「二人で破滅してどないすんねん。まあそれも一興、おもろそうやけど」














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