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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
8/314

#08 一椀の茶

 

 永禄十一年(1568)十月八日(旧暦)


 




 振り売りと別れて歩を進める。


「さっきのあれ、何ですのん。勝手に屋敷に招いて叱られますよ」

「美人やろ」

「目ぇは碧いし肌は白いし背ぇはごっつい、髪の毛なんか黄金ですやん。あれ白鬼違いますのん。どうかしてますよ」

「はは、なるほど。それはええな。家来に白鬼おったら伯が付く」

「堪忍や、これ以上仕事が増えたら目が回る」


 天彦は笑い飛ばした。すっかり家内を仕切る気満々の雪之丞に。


「織田の殿さんも鬼を家来にしてはるで。六尺六寸の大鬼やで」

「ひっ、織田……! おだ? 織田って魔王ゆわれてる尾張の織田さんですか」

「そや」

「魔王が鬼を……、なんや恐ろしなってきたわ」

「今度会いに行くで、お雪ちゃんも一緒にな。なんでもばりばり頭から食べはるらしいわ」

「あわわわ、い、いやや、某は美味うないで」


 今度は声を出して大笑いした。


「馬鹿にしてからに。ところで若ごっさんとはどこで待ち合わてはりますの」

「鳥羽口前や」

「関所前ですか。若ごっさんも通行料払わはるんやろか」

「払うわけない。そんなことよりお雪ちゃん、ええ加減に覚え。若ごっさんと違う。近衛中将さんや。殿上人やで失礼はあかん」

「はい。そやった。気をつけます」

「素直でけっこう。身共も注意するしな」

「ほんまや。ずっとお雪ゆうやん。ほんなら似た者主従やな」

「身共の台詞取ったらあかん」

「あはは」


 二人とも浮かれていた。浮かれすぎだった。

 天彦ぱっぱに発給してもらった通行証を掲げ七条口を無事通過。大通りから少し見通しの悪い悪路に入った途端、


「……若とのさん、不覚やった」

「ああ、不味そうやな」


 見るからによれよれの、月代も手入れできていないあるいは二本もきちんと差せていない浪人崩れの野盗共が数人、天彦主従の前に立ち塞がるのだった。

 しかも数人は数人ではなかった。天彦がまずいと踵を返そうとした瞬間には前後左右をぐるりと徒党に取り囲まれていた。


「ぼん、どこに行くんや」

「お侍に関係ない」

「関係大ありや、通行料払ってもらおか」

「関は通った」

「ここが関や。ぐちゃぐちゃほざくな! 捕まえ」

「やめろ」


 秒で捕まる。


 利かん気の強い雪之丞が無抵抗なのも予定調和。基本姿勢は逃走。しかし捕まればやむなし。予めこうなることを想定して、天彦は一切抵抗ならずと口を酸っぱく指示していた。


「どこのわっぱや。ええべべ着とる」

「攫たらええシノギになるんと違うか」

「なんぞ金目のもん持っとらへんのか」

「持っとる。ざくざく持っとる」

「銭や! それもようさん」

「……頭領、このわっぱ公家の縁者や」

「なに」


 通行証を取り上げられる。


「今出川、晴季……。あかん、清華の内大臣さんの連枝やで」


 誰かが言う。


 文字が読める上に天彦ぱっぱが認めた花押さえ解読できる教養がある人物。

 ただの浪人ではなさそうだが、今どき落ちぶれた公家の家人は少なくない。食うに困って野盗にまで落ちぶれる者はそうはいないが。


「殺せ。埋めてまえば証拠は残らん」


 一気に流れが不穏に傾く。するとそこに、


「なんや子龍。お前さんはいっつも愉快そうなことやってるな」

「これが楽しそうに見える」

「見えるな」

「そんなわけないやん」


 実益はニヤリと口角を上げた。実に愉快そうに。

 明らかな貴人の登場に食いっ逸れの浪人どもは逃げるも襲うもできずにただ戸惑ってしまう。

 こんな異様な空白の時間にも慣れっこなのか。実益は泰然と威儀を以って場を支配する。――凄い。

 これぞまさに権威の顕在化である。天彦は生まれて初めて権威の何たるかに触れた気がした。


「助けてほしいんか」

「はい。めちゃくちゃ助けてほしいです」

「ほな、麿にひょっとしたら背中を預けられるゆうの改め」

「案外根に持つ気質なんですね。いやです」

「死にたいんか」

「脅して勝ち取った信頼に意味ありますか」

「生意気な。そういうとこやぞ、あちこちからそっぽ向かれるんわ」

「では部分的に改めます。こうして従者の皆様方が居はったら預けます」

「さよか。土井」


 呼ばれた侍が躍り出る。すると残す二人も颯爽とつづいた。


「はっ。土井修理大夫、主命ありがたく拝命いたす」

「戸田民部、推参」

「同じく根岸主計、助太刀いたす」


 三対多数。おそらく二十は超えている。もうちょっとした徒党だ。なのに我が軍は圧倒的ではないか。

 天彦は勝利を確信した。そして闘争が数の優位だけで決さないことも学ぶ。

 もちろん己が同じことができるとは到底思えないが、なんだろう。気迫、いや存在の絶対値が違う。そんな圧倒、圧巻の場の制圧力だった。


 そしてお供さん方、魂の存在値だけでなく出鱈目に強い。しかもおまけに全員名のあるお侍だった。


「はっ、噛み応えのない。それでも己ら侍か」

「ええい逃げるなっ」

「そこへ直れ!」


 数人を愛刀の錆にした土井が、大多数を擁しながら散り散りに退散してゆく野盗の逃げ惑う背を見て告げる。それに続く戸田根岸、――かっこよ。


「お雪ちゃんお雪ちゃん、あのさ」

「若とのさん、某どれほど修行を積んでもあんなにはなれません」

「そやろな」

「でもこいつら、若とのさんを人質にせんかった」

「根っからの悪党とは違ごたんやろ」

「ああはなりたないですね」

「ほんまやな」


 人のフリ見て、天彦主従が現実を受け止めている間にも趨勢は決した。

 実益が、


「ええやろ。このへんにしといたろ。……そやけどようさん死んだな。これ放っておくわけにはいかんやろ。根岸、関に報告しといで」

「はっ」

「ちょっと待って、実益さん」

「なんや子龍」

「お雪、違ごた。当家の植田を行かせます」

「ん、なんでや」

「手前の不始末は手前で付けます。まぁ勉強ですね」

「さよか。ほな植田、行ってくれるか」

「はい」


 とは建前。まだ残党が隙を覗っているかもしれない。

 天彦は意図的に実益の安全を最大限に留意した発言をした。要するに自分は実益派閥ですよアピールだ。

 尤もそんな気を回さなくてもとっくに身内扱いされているのだがそれはそれ。


「忝い」

「当然です」


 すると天彦の読みとおり、その判断と行動は実益以外に歓迎され大いに評価されるのだった。

 すると供の一人、侍武官の戸田民部少輔が肩を寄せてきた。

 珍しいことがあるものだと天彦は興味半分で耳を寄せ、話を訊く姿勢をとった。


「振り売りがたいそう感心しておりましたぞ」

「え」

「アナスタシアにござる」

「あ」

「あれの母親が当家の用人でござってな。縁あって当家の用人として使っております」

「一椀の茶、馳走になりました」

「なんの。あれも年頃、引き取ってくれますかな」

「はは」

「側とは申しませぬぞ」

「精魂どころか情報までごっそり抜かれますよね」

「はて、察しが良すぎるのも如何なものか。本当に参ってもよろしいので」

「それは、はい」


 戸田は見ようによってはどちらとも取れる哀愁ある顔で笑った。




 ◇




 羅城門跡から鳥羽を目指して鳥羽街道を歩いてゆく。刻限は正午と日没の丁度半分といったところか。日の入りが17時半頃と想定すると、15時丁度くらいだろう。


 旅慣れているとか生まれつき健脚であるとかを除けば一日に稼げる距離は五里がいいところ。それも大人の足で。

 この面子には子供が三人。おまけに中々のトラブルもあったのでそれほど距離は稼げなかった。

 天彦的にはどうせどこかで一泊するつもりだったので遅いか早いかの違いしかない。問題があるとすればこの殿上人をどこの宿に泊めるかだが。さすがに雑魚寝が主の旅籠というわけにもいかないだろうし。


「北山亜将さんをお泊めする寺社に挨拶に参ってきます」


 文官根岸主計が天彦にそっと告げて場を後にした。これこそ痒いところに手が届くという配慮か。天彦は感心しながらその後ろ姿を目で追った。

 しかし亜将か。近衛中将の唐名だろう。北山とは西園寺の出身母体である北山山荘(北山殿)であり西園寺家の別名でもある。言われてなるほどだが人物を誰だかわからなくしてぼかすことは大事だ。勉強になった。


「ほんなら少し休憩しよか」

「はい」


 実益の指示で一行は荷物を降ろし腰を据えた。


 天彦は何となくの予感を確信に引き上げる。

 この護衛三人の使い手の技前を目にして、これは実戦経験のある武士だと確信した。しかも道場剣法とは違い相当の経験値を積んでいる。つまり最近まで戦に明け暮れていたタイプの侍だ。


 結論付けると朧気だった記憶にも確信が持てるようになっていた。自身の勘違いにも食付く。

 伊予西園寺は公家西園寺が転身するのではなく分家であることに思い至る。四国ではありがちなあれだ。ひょっとすると1568年現在、すでに長曾我部元親の猛攻を受け虫の息なのかもしれない。

 最終的に滅亡するのは誰もが同じ条件(勝敗は兵家の常)なので気にしても仕方ないが、リアルタイムでの滅亡は多少気にやむ。


「北山亜将さん」

「どないした地下人」

「地下人て」

「ん、そやろ。まだ堂上家と違うやろ」

「あ、そっち。はい無位無官です」

「はよ上がりや。で、どないした」


 実益は天彦を揶揄ってはいない。大真面目に地下人(ちげにん)と呼んでいる。地下人とは京都御所清涼殿の間に上がれない階位の者を指す言葉である。

 実益は天彦が暗喩とはいえ官職で呼びかけたから応じたまで。これが家名で呼びかけられていたら菊亭と返しただろう。むろん常のように実益と呼ばれていたら子龍と返したはずである。


 天彦は何となくの予感を確信に引き上げる。

 この護衛三人の使い手の技前を目にして、これは実戦経験のある武士だと確信した。しかも相当の経験値を積んでいる。

 つまり最近まで戦に明け暮れていたタイプの侍だ。


「いや改めてむちゃくちゃ偉い人と一緒におるなと思って」

「気味の悪いこっちゃ。椎茸の原木では足らんのか」

「菊亭天彦を舐めすぎや」

「なんや足るんか」

「全っっっ然、全っっっく、足りてません」

「どないやねん」


 小気味いつっこみを頂戴したところで、久御山荘園での方針を相談しようと話題を作る。


「四国はどないですの」

「あかんな。辛うじて踏ん張ってるようやが豊後に押されとる」

「豊後、大友宗麟ですよね。なんで関係しますのん」

「そや、よう勉強しとるな。東部の河野と土佐一条が泣きついたんやろ」

「なるほど、大丈夫なんですか」

「はん、元々幕府にねじ込んで押領で手にした領地や。あっちはあっち、こっちはこっちで気張ればええこっちゃ」

「なるほどです」


 果たしてどこまで強がりかは定かではないが、この時期でも西園寺の所領はかなり多い。あながち口先だけでもないのだろうと判断する。

 場も温まった。話題作りも十分だと彦が改めて、あの、と切り出すと実益に、そや、と遮られてしまう。


「どうぞ」

「子龍。土倉になんぼほど拵えてるんや」


 触れられたくない核心に触れられてしまう。この主従は……。

 本心では言いたくない。だが旅の主たる目的の一つなのでもはや隠し立てするのも不自然すぎた。何よりここで口を噤んでしまうと返済手段の相談もしにくくなる。


「16,000貫文です。月利一分の」

「年利三倍かい。正気の沙汰とは思えんな」


 年利200%超えは確かに元本を一年で三倍に膨らませる。

 思いの外数字に明るい実益の意外な才能に驚きながら、同感です。天彦が激しく同意する横で、武官組の土井と戸田も徳政しかございますまいと呆れ果てていた。


 そうなれば最高だが世の中そうは問屋が卸さない。


「どないするんや。菊亭の荘園みな処分するんか」

「ありませんて。そやから必死になってるんですやん。今からむかう久御山荘も質に取られているんです」

「聞かせてみ」

「はい。一端原木で今年いっぱいは凌げました。考えてる原資でどうにか質を取り戻して、来年からは荘園の年貢でどうにかしようと思てます」

「麿を救った六郷満山の鬼の知恵か」

「ただの叡智です」


 むしろ運だ。こっ恥ずかしくてとてもではないが胸を張れたものではない。

 天彦はいざというときのためにペニシリン(擬き)を精製していた。知識はあった。だが道具がなかった。滅菌したフラスコもなければ温度計もなく、摂氏157度を維持できるオーブンもなかった。しかも実益が火傷から生じた皮膚感染症を発症するまで一度も成功していなかった。

 ところがフレミングと同じ偶然が発生しバクテリアが死滅したのだから実益の持つ運命力以外の何物でもないと確信している。


「ぬかせ。その叡智、そろそろ麿に貸しごろやで」

「機会があれば是非とも」

「さよか。で、今年の上りはなんぼや」

「1,400貫文です」

「無理やろ」


 と、実益が即答。すると、


「無理ですな」

「無理だ」

「無理です」


 土井、戸田の二人もすかさず続いた。しかし雪之丞、お前だけには断言してほしくなかった天彦だが、強気の姿勢はくずさない。


「決めつけはよくないと思います」

「麿は逆に土倉がよう貸したと思うてる。気張ったな。よほど甲斐に弱み握られとるんやろな。それか徳蔵屋自体が甲斐の素破かもしれんな」


 かもしれないが、


「完全には無理でもかなり削れる自信はあります」

「ほう。大した自信や。ほな技前見せてもらおか。それが適ったら麿が主上さんに本家復縁を奏上したるわ」

「ほんまですか! ……あ、いやそれは遠慮しておきます」

「甲斐の夜叉が怖いんけ」

「夜叉て。どうせなら鬼子母神ですかね」

「……よけい性質が悪いやないかい。男子か」

「さあ。ずいぶんと情報統制されてますから」

「猶更男子やないかい。そらあかん」


 母は強いのだ。何より出身母体が黙っていない。



「ほなら主上さんには菊亭として家門安堵の綸旨発給お願いしよか」

「ほんまですか。それがほんまやったら三方丸いですけど」

「なんで麿が嘘つくんや」

「嘘はつかへんけど、風呂敷は大きく広げはるから」

「無粋やな」

「必死ですから。ほな約束ですよ」

「任せとき。そやけどあかんかったら身体は預からせてもらうで」

「え」

「なんや」

「衆道お断りですけど」

「本気でゆうてるんやったら、それこそ身体に教えたらなあかんな」

「完全無欠に冗句です」

「さよか」


 家来に請われる。20億近い有利子負債を抱えているのに。

 それはそれでとても光栄なことだと確信するのだった。











【文中補足・人物】

 0、貨幣価値

 一文=120円(JPY)、一石(150キログラム)=625文と設定している。

 猶、一石は成人男性の年間米消費量とする。


 1、土井修理亮茂尾(どい・しゅりのすけ・しげすえ)、300石扶持武官。

 剣豪、実益の侍従、後に伊予松山藩に仕えることになる水野茂尾であり、史実では徳川家康の母方の従弟にあたる。


 2、戸田民部少輔勝隆(とだ・みんぶしょうゆう・かつたか)、200石扶持武官

 剣豪、元三河の国人領主の子息。実家が今川に攻め滅ぼされ一族散り散りとなった。

 史実では信長に仕え後に伊予大洲城城主となる。


 3、根岸主計大允定仍(ねぎし・かずえたいじょう・さだより)20石扶持文官

 文官だが剣術には明るい。後北条氏に仕える小田原の国人領主根岸定直の弟。おそらく北条家にも仕える二重家来。


 ※西園寺の収入がおよそ5万石(不知行も多い)程度しかないので、土井と戸田の俸給は破格である。猶、江戸時代徳川旗本が80石扶持(税引き後)だった。


 4、山城国西園寺紀伊郡池田荘

 おそらく鳥羽伏見周辺にあったと思われる西園寺池田荘だが、すると鳥羽関も西園寺家所有となる。しかし詳細不明なため池田荘は触れないことになった。


 5、忍者

 乱破(らっぱ)風説の流布、流言を用いて敵をかく乱する。

 素破(すっぱ)情報を収集する、歩き巫女なども素破に該当する。

 発破(はっぱ)破壊工作で敵にダメージを与える。














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