#02 もう優しさに埋もれて悶え氏ねばいいと思う
永禄十二年(1569)五月一日
ここに菊亭の武威が整った。
無手。だからこそむしろ逆に青侍衆の放つ鬼気迫る気迫は数倍にも増して顕在化して凄まじいプレッシャーとなり宮司に襲い掛かっていた。
これを人は決死の覚悟といった。この青侍衆は天彦が死ねと言えばこの場で果てた。迷いなく躊躇わず。発しているのはそういう類の狂気である。恐ろしくないはずがない。
それが現在の菊亭青侍衆の正常で異常な姿であった。彼らは本気なのだ。菊亭の三つ紅葉紋が天下に轟くその日が来ると、誰ひとりとして疑わずに半ば盲信的に妄執的に信じて従い天彦に心の底から酔いしれていた。
もうそこに天彦の意思など必要ないのだ。あるのは思い込みという名のビジョンだけ。
天下万民大笑いの巻。青も赤も黄色も黒も金も銀も関係なく、職業も地位にも無関係に遍く笑えるお未来さんが来て欲しいだけなんやで。ほんの少しほんのちょっとの優しさをみんなで分け合うだけでそれは簡単に叶うと身共は思うんや。知らんけど。
天彦が掲げている絵空事はもう本人の手を離れて遥か彼方を独り歩きしてしまっていたのである。
本気の高虎、あるいは更にもっと本気の氏郷を筆頭に四十有余名の青侍衆は、あるいはすべての切っ先を向けるよりもずっと強烈な圧力を与えつつ、呼吸さえ苦しいほどの峻烈な殺気を放ち下知を待つ。
「三度は申さん。茶々丸、引き渡してもらおうか」
「……菊亭卿、賢しい御子なれば愚かに非ず。訊いていた話とずいぶん違う」
己、無礼であろうっ!
本堂が震えるほど激発したのは高虎だった。他にも多数似たような文言を叫んでいた。氏郷は発声こそしなかったものの、ほとんど同時に足元の床を踏み抜き大穴を開けてしまっている。つまり全員がブチ切れだった。
彼らは天彦に賛同している。だがだからといって侍を辞めたつもりはさらさらない。彼らは青いまま逝ける生粋の武士であった。
「オーディエンスの反応を覗うに、どうやら無礼者はそちらさんのようであらしゃりますが」
「圧迫ごときに屈するとでも」
「血ぃ、流しとうないん。だって血ってばっちいねんよ」
「あははは! 底が知れたか菊亭狐。抜刀もさせず威圧のみ。端から承知よ、血筋だけに頼った策士気取りの似非妖め!」
はぁ。しゃーない。さす宮司。気合と根性はほんまもんさんやった。
天彦が強硬姿勢を一旦諦め腹案的策略を開示しようとしたそのとき。
「愛宕権現の降臨に合わせ――あ、え、そん……な――」
宮司が前のめりに倒れ伏す。血が鼓動を裏づけるようにとくとくと床一面赤に染めていく。それも束の間、次の瞬間には場が二重、三重の意味で凍り付いた。
この場に集う誰ひとり天彦の意思を知らぬ者はないからだ。他方、氏郷の行動にも賛同できた。さてどうなるのか。誰もが天彦の言葉を待った。
天彦は勝手をしでかした氏郷を視線で咎める。だが何も言わず見咎めるだけ。
見つめ合うこと数舜。痺れを切らしたのは氏郷の方だった。氏郷はすかさず御免と言うや小刀を抜き放ち己の腹目掛けて切っ先をぶっ刺そうとした。――なんのつもりだ。
だが切っ先は微動だにしない。氏郷が掴まれた右腕を忌々し気に見つめ、ついで視線をスライドさせて上げる。そこには巨漢のニヤリと勝ち誇った如何にも業腹な高虎の顔があった。いつにも増して憎らしいことこの上ない顔が。
氏郷は膂力では到底敵わぬと一旦脱力し高虎と向き合った。そして内に秘めたすべての感情を乗せて言う。
「与吉、なんの心算か」
「忠三郎、勝手は許さん。殿はそう仰せだ」
「貴様に何がわかる」
「拙者には何もわからぬ。粗忽者の阿呆ゆえにな。だが殿が仰せ。古今東西それに勝る正義はない。拙者に申したのは改名を決意した日の貴様、レオン氏郷であったと承知しているが如何」
「っ――、しかし某は……」
一瞬の間、天彦がパチンと扇子で床を打ち付けた。集まる視線。
難しい判断だった。勝手を許せば秩序はなし崩し的に崩壊していくことは必定である。組織とはそうしたものだから。特に民度の低い破落戸が多いと転げ落ちる速度は加速度的に早まるだろう。
だが反面、非情なばかりでも人はけっしてついては来ない。思い悩んだ風の天彦はけれどあっさり言い放つ。
「高虎のゆう通り、しかしもかかしもないさんや。レオン氏郷」
「はっ」
「お前さんの命は身共のもんや。けっして死ぬことは許さんと厳に命じる。沙汰が下るまで謹慎を申し付ける」
「……はっ。謹んで命に従いまする」
「それでええ。ほらぼさっとしてんと医療班、救急看護! 日頃の訓練の成果さん身共にしっかと見せたってや」
「は、はっ!」
医療班が慌てて宮司の傷を診る。ややあって力強く何事かを請け負うように頷いてくれた。全員の安堵のため息が本堂に響いた。
所詮は逆賊惟任に与する敵性勢力だ。ここで逝ったところでどうってことない。いやむしろ成敗した方が今後の展開的には思いきれる分だけ効果的なのだが如何せん大題目を掲げている手前天彦にとって生きているに越したことはないのである。
その程度のそんな感情でと何度も自問するあたり、言わずもがな相当食らってはいるのだが天彦はそんな素振りも見せずにうんうん唸る宮司に冷めた視線を落とし、懐から一通の書簡を取り出して言う。
「見えるか」
「へふぉ、ごふぉ。……そんな。嗚呼、まさか」
「見えるかと申したが」
「畏れ多くも、見え、まする」
「ほな頭が高いんと違うか」
「は、ははぁ」
宮司の頭は高くない。倒れ伏しているのだ。むしろ低いのだが心持ちの問題である。天彦の指摘を正しく理解した宮司はさすがと思わせる根性を見せつけた。
どくどくと血を流しながら根性で自らの作り上げた血だまりの中に諸手を突っ込み平伏してみせたのだ。天彦の掲げた書簡にはそれだけ意味と重みがあった。
すると宮司の行動に見入っていた辺り一面、誰彼ともなくハッとしてその場に膝を屈し首を垂れた。
その書簡には十六弁八重表菊が描かれてあった。言わずと知れた皇家の紋章である。
「勅書である。謹んで拝聴いたせ」
「はは」
「そやけど血塗れやから免除したる。医療班、急ぎ止血したってや」
「はい」
宮司が別室に連れていかれるのを確認し、天彦は一先ずは狙いとおりとほくそ笑む。
そして高虎に寺社内の制圧及び安全確保をまず告げた。次に茶々丸捜索を佐吉とイルダの双方別に指示した。
そして最後に四つん這いでわかりやすく放心状態寸前といった様子で凹んでいる氏郷に歩み寄り、扇子で肩をぽんぽんと二度叩き、
「氏郷、大事なことやからよう訊いとき。ひとつ教えといたろ」
「はっ」
「身共は常に備えてるんや」
「御見それ、致してござる」
「行き腰はよかったけど一呼吸早かったな。それを世間では間が悪いと言う。ええか氏郷。物事は何だっていつだって大切なんは間なんやで」
「くっ……、確と肝に銘じまする」
「そうしい。待てば謹慎はせんでよかった。身共を悲しませることもなかった。お前さんにはがっかりさんや。甘い沙汰が下るとは思うな」
「ぐう」
氏郷はあまりのことにぱたんと卒倒してしまう。あはは、まだ青いな。天彦は思わず声を出して笑ってしまう。だが次の瞬間にははたと笑いを飲み込み、それもそうか。言ってもまだ十四、五歳の中坊なのだから。
「ふー、しんど」
「お疲れさんでした。はいどうぞお手拭きです」
「おおきに。お雪ちゃんはどうもないか」
「はい。あ! そこ飛び血がついてはる」
「……最悪や。はぁまんじ。これお気にやったん。ぬぐぅ氏郷の給金から差っ引いといてんかっ! まったくもう」
「どうせゆうだけでしはらへんくせに。しかしお侍っておっとろしいですね。すぐ抜かはる。阿保なんやろかアホなんやわ」
「あ、うん」
キミもその……、まあええけどな。
返り血を浴びて勝利に恍惚とする雪之丞など想像もつかない。その逆ならいくらでも思い描けるが。だからそろそろ申し渡さなければならない時期に差し掛かっているのだろう。お雪ちゃんは佐吉と一緒くたに文官諸太夫さんにおなりと。
だが今は後。いずれにせよ氏郷もこれで何かの際には一呼吸置いてくれることだろう。ほんま手のかかる御家来さんらやで。
大事無くてよかった。天彦は人知れず胸を撫でおろすのだった。
◇
「朝日峰三重塔には見当たらず、にゃん!」
「あ、うん。引き続き捜索にあたってや」
「え、そんだけ?」
「なにが欲しいん」
「にゃん!」
イルダ。お願い、空気読も。狙いは承知しているけれど。
「にんにん解禁。これでええか」
「うしっ。やた」
「ほんまはアカンねんで。ええから早よ参って」
「にんにんにござる! しゅぱっ」
天彦は何か言いたげなコンスエラに厭な予感。同じくしっしと追い払いたい衝動に抗いながら吉報を願って呼び寄せる。
「どないさん」
「うん。居たよ惟任氏」
「お、どこに」
「拝殿に。普通に居た」
「そうか。どないした」
「包囲して待機させてるよ。手勢と共に籠城したから。死なしちゃ不味いんでしょ」
「そうや。手勢は」
「二本差しは五人だった」
「何とかなるか。ほなそのまま待機で。最悪はそっちは放置でもええさんや」
「あれ。狙いはガキの方だった?」
「ガキ。まあガキか。そういうこっちゃ」
「ちぇ、じゃあそっち受け持ってもいいかな。ポイント稼がなくっちゃだし」
「ポイントなに、なにポイント。むっちゃ気になる初耳さんなんやが」
「ん。そう? みんなで決めたの。ラウラが帰るまでに最高点叩き出した者が軍権握るって。だから、行っていい?」
謎のマイルール! 知らん知らん訊いてへん。しかもむちゃくちゃ不穏。普通に告げられ普通にビビる。
というより射干党、軍隊持ってんの? 訊くのが怖い。こいつら暴走させたらホンマにヤバいし対策打たな。ラウラぁはよ。今は後か。
「ややこしくせんのやったら」
「結果なんて知らないよ」
「知れ! いっちゃん知っとかなあかんやつ。お願いやから無茶はやめてな」
「いいの?」
「ええけど約束が先やで」
「ではこれにて」
おいって。話訊こ。嗚呼、行ってもうた。
天彦が不安に駆られていると放せ! よく知った威勢のいい声が耳朶を叩いた。
「殿」
「おおきに佐吉。怪我はないか」
「はい大事ござりませぬ」
と、唇から血を滴らせ左頬をこれでもかと腫らした佐吉は言い放つ。天彦も慣れたもの。そうかと聞き流しお目当てを待ち受けた。我ながら修羅の世界に染まったものだと呆れながら。
程なくして茶々丸が姿を見せた。雁字搦めに拘束されていることから余程の抵抗の跡が覗えた。
「ぺっ――、やはり貴様か菊亭。こんなところまでご苦労なこっちゃな」
「解いてやれ」
「ですが」
「解けと言った」
「ですが」
「佐吉。お願いさんや。解いてやって」
「……はい」
佐吉は譲ったが護衛を任されている青侍衆はそうもいかない。そうとうごねた。だが天彦は真摯に頼んだ。やはりそこは主従関係の絶対性か。上位者の意向が優先されてしまった。またもや。
天彦は茶々丸と差し向かいに向き合った。その距離僅か一歩半。相手にその気があるのなら危険極まりない距離だった。周囲が恐恐とする中、天彦は訥々と語り始めた。
「茶々丸、どないさんや」
「どないもこないもあるかい。ほんで何の用や。詫びにでも参ったんか」
「詫びん。反省も口にはせん。それらは全部身共の内にあるもんやから。でも茶々丸の憎い気持ちはわかる。だから好きに致せばええさんや。このお命さん、欲しければ茶々丸にくれてやる心算で参った」
「何を! 何もできんと舐めてるんかっ」
「いや違う。お前さんは苛烈な判断が下せるお人やと知った上でや。――痛っ」
「どないや盆暗御曹司、これが恨みのこもった拳の痛みや!」
天彦はふらつきその場に崩れ落ちる。それはそうだ。刺し傷をまさにピンポイントでぶたれたのだから。あまりの痛みにうーうー唸っている次の瞬間にも茶々丸の二発目の拳が頭上から振り下ろされようとした。まさにそのとき、
「なんのつもりや」
「っ――そ、某を」
「某が」
雪之丞と佐吉が身を挺して間に入った。雪之丞は先制の拳を受けて猶、怯まずに立ち塞がった。
「なんや結局は小狡い貴様の思惑通りゆうこっちゃな。しょーもな」
「それは違う。茶々丸さんの思い違いや」
「違い申す。それこそ下衆の勘繰りと申すもの」
雪之丞が頬を押さえて言い縋り、佐吉が珍しく感情的になって言い放った。
「なんやとっ誰が下衆じゃ、なにが違うんや」
茶々丸は負けじと全面闘争の意思を示して気を吐いた。
だが雪之丞は負けず劣らず気を吐いて感情のままに大声を張り上げる。
「若とのさんは……そんな卑怯者やない! 訂正せえっ」
「植田どのここは某に」
「あ、うん。お願いします佐吉」
「任され申した。さて茶々丸どの」
「なんじゃい蛍侍。寺の小姓が公家に取り入りあっという間に侍に成り代わったと京中の噂やぞ」
「存じてござる。それが何か」
「何もあらへん。虎の威を借るならまだしも、狐の威を借るとはちゃんちゃらしょうもないだけや」
「結構。某は何と言われようとも精進致しまする。さて茶々丸どの。殿は死して可怪しくない刺し傷を、たった今貴殿が殴った腹に負っておられる。今は不可。それだけの話にござる」
「へ」
見れば確かに薄っすらとだが着物に赤い何かが滲んでいた。あ、なんでや。
だが茶々丸は引っ込みがつかないのだろう。明かされた事実に一瞬惚けたものの、それがなんじゃい! むりくり捻り出した気炎を吐いた。
「どうもせぬ。某が成り代わり申す。お好きになされ」
「そ、某もや!」
「舐め腐りおって。おい小坊主、折檻棒を持てっ」
茶々丸は何と恐ろしいネーミングの棒を小姓に持ってこさせると如何にも固そうな棒をぶんぶん振り回して言い放った。
「おい武士、よもや二言はないやろな」
「ござらぬ」
「ない。ないけど、手加減はしてほしい」
するかボケ!
締まらぬ雪之丞にややペースを乱されつつも茶々丸は渾身の気合をこめて右腕を激しくふるった。何度も何度も。
誰が上げたか、お堂内に小さな悲鳴が上がる。だが打擲の手は緩まない。
佐吉は背中に茶々丸の怨念のこもった打擲を受け続けた。十、二十と続けられる打擲に、あの雪之丞でさえ代わるから、某が代わるから。もうやめて! と思わず佐吉に覆いかぶさってしまうほど猛烈な責め苦にもかかわらず泣き言一つ漏らさずに涼しい顔でお見事、受け切ってみせたのである。
「はぁはぁ、ぜぇぜぇ。……この気狂いどもめ。揃いも揃ってなんでそこまで熱うなれるんや!」
茶々丸の悲痛な叫びに、天彦はようやく身体を起こし言う。
「茶々丸の心がぜんぶ優しさで満たされるまでずっと構うの巻。身共が言えるのはそれだけや」
「なっ……、また訳の分からんことをっ! お前はずっと訳わからんのじゃ」
勝手なことを……。
だが茶々丸は言って物騒なネーミングの棍棒を放って捨てた。
当面の危機は去った。天彦は本心からほっとして、最もダメージの大きいだろう佐吉に詰め寄る。そっとは無理だったのでうんしょうんしょと必死に抱き上げ、
「佐吉、おおきに。ほんでごめんな。こんな間抜けな殿さまで」
「まさかにござる。某、天下一の主君を持った当代一の果報ものにて候」
「あほ。こんなときまでなに笑てんねん」
「殿はお泣きにござるな。ありがたき幸せにござる」
「泣くかっ……、泣くやろ。こんなん」
呆れ果てる茶々丸をしり目に感極まった天彦は思わず佐吉を抱きしめる。
某も! 空気を読んでか読まずか飛び込むように混ざってきた雪之丞も抱き留め、三人でもみくちゃになって抱きあった。三人ともにどこかしら、あるいはどこもかしこも痛むのでむろんきつくはできないけれど。
「どいつもこつもしょーもない、死んでまえ」
「むっちゃ生きるけど」
「むちゃんこ生きますけど」
「とことんまで生き申す」
……!
これにて一件落着か。いずれにせよ茶々丸からの注文はもうない。茶々丸は不貞腐れたのか疲れたのか。その場におっちん背を向けて項垂れた。
さてそんな中でも最も悲痛な顔をしているのは護衛役だった三名の青侍衆だろう。顔に悲惨と書いて張ってある。
天彦は念のためそこのフォローも忘れなかった。訊けば蒲生党らしくそれは命懸けにもなろう。なにせ氏郷なら彼らを苛烈に処断しかねない。自分を棚に上げまくって。
「なんかあったらゆうといで」
「はっ忝く存じまする」
天彦はもう一度佐吉に目を向ける。蛍侍と揶揄される佐吉。天彦には初耳だった。ほんの少しのショックをうけつつ、けれど今回ばかりは完璧に雪之丞と佐吉に救われた。感謝どころの感情ではない。
「これぞまさしく蛍雪之功。と身共は思うんやがどないさんやろ」
「けいせつのこう。なんですのんそれ」
「僭越なれど違い申す」
知ってるし。
むろん意味はまるで違うと知りながら、一方ではそう思わずにはいられない天彦は、初夏の訪れを肌で感じて堂々ともう一度、“蛍雪之功”と誤用を誇らしげにつぶやくのであった。
さあ身内のいちゃいちゃは仕舞いや。こっから先は御家の命運をかけたお時間。
天彦はそう嘯きながら呆然とへたり込む茶々丸の背に目を向ける。
茶々丸の政治的な価値は今後爆増していく。それは紛れもない事実。教如となる茶々丸は凄まじいカリスマ性を発揮し熱狂的な信徒を得る。今現在こそ史実より早くすでに義絶されてしまっているが、この公家や武家を前にしてもいっさい臆さない気骨からみても確実であろう。現に表面上は義絶されているが未だに廃嫡を宣言されてはないのだから。
だからこそ扱いに困った惟任はここに押し込んでいたのだろうけれど。
天彦は内心で惟任さん一杯お返しさん。小さくつぶやき正面に回り込むと顔を覗き込むように膝を落としてそっと右手を差し出した。
「ほな参ろうか。ほら茶々丸」
「……その手、なんのつもりや」
「懐いやろ」
「懐かしいという語句を勝手に変容させるお前のキモさがな」
「キモいは使うてくれるんや。そして相変わらず勘が冴えわたってるな。それも含めてそういうこと。どこにも帰るとこないやろ。強がってへんでおいで家に」
「っ――。菊亭、お前というやつは……」
「お前と言うやつは、可愛いさんやろ。身共」
「知るか」
「不細工とは言わんのやな」
「ふん、ブスはお前のせいやない」
「やっぱしええやつ」
「黙れ」
「身共のこと好きなままで消えるのん?」
「っ……、誰がどの口でっ」
「一人にせえへん。身共がたった一人離れに放り出されてくさくさしてるとき、そうゆうて励ましてくれたんはこの広い天下にたったお二人さんだけやったん」
「亜将と一緒にすなっ!」
「へへ実益も同じことゆうとった。お前ら実は仲良しやろ」
「うざっ」
「ほい。頂戴さん」
「……」
天彦はそっと差し出した右手がそっと掴まれることを信じて待つ。
根気勝負では負けない自信がある。ダテに悲惨なばかりの不遇な幼少期を過ごしてはいないのだ。
右手が温もりを感じるまで絶対一生引っ込めない覚悟を以って茶々丸と向き合うのだった。内心では払われたらどないしよ。怯えて震えながら。




