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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
肆章 切切偲偲の章
74/314

#12 ちゃんと鳳雛なん顔がほころぶ

 



 永禄十二年(1569)四月二十二日






 参内支度の一環として元服の儀も無事終えられた。一秒も悩まず迷わず烏帽子親(仮親)を一門の総領であり親友ずっトモでありこの狂った世界の癒し人材の一人でもある大西園寺家の若き俊英、実益さねますに努めていただき恙なく。


「ほな参議さん。麻呂はこのへんで御暇さんや。本日はほんにおめでとうさん」

「おおきにさんにおじゃります。でもじっじ。なんや淋しいん」

「すまんの。また日ぃ改めて内々でしよ。ほなな」

「はい」


 一身上の都合なのか双方の合意なのか今出川家からは天彦じっじ左丞相公彦だけが御臨席なされていた。そのじっじは儀式中終始ずっと肩身の狭い顔をしていた。

 というのも朝廷から御来臨あそばせた勅使であらせられる関白近衛前久の視線が思いの外厳しかったからだろう。なんでかなぁ(棒)。

 そのじっじは身内だけの会でまたと言い残しこの後予定されている催しには不参加を表明してお帰りになられた。淋しい。

 だが反天彦派の中心人物と目されている生物学術上の種雄ぱっぱ晴季の肩を持っている以上はやむを得ない応接であろう。すべてが人情で割り切れるほど甘い世界ではないのである。


 そのじっじ公彦に鬼プレッシャーをかけた近衛前久。史実より六年も早い職場復帰にそうとう気合が乗っていることだろう。むろんそれを働きかけたのは魔王信長である。珍しく魔王さんは人の出世に口を挟んだ。近衛を復帰させよと上奏文を自ら認めたとのこと。

 なのに近衛前久はことのほか天彦に恩義を感じているらしく、このようにじっじ公彦に目で見てわかる鬼プレッシャーをかけ続けていたのである。なんでかなぁ(棒)。


 その件にかんしては本当に冤罪なのでおそらく信長が何事かを唆しているのだろう。それともあるいは間接的に言動に影響を与える助言はしたかもしれないが、いずれにせよ天彦の預かり知らぬことである。


 天彦の思惑では近衛叔父様にはこれからしこたま働いて頂かなければならないので、いい風な誤解は歓迎できる。なので敢えて否定はしていない。しかも誤解に便乗してちょっとしたお土産も持たせてある。今後の苦労を思うとそのくらいのご褒美はほら、ね。それに加えて近衛昵懇である越後のドラゴン関東管領謙信おじちゃまからも念を押す催促状を送ってもらっている。


 よって近衛前久は位人臣くらいじんしんを極めた関白太政大臣の地位にありながらも、上に下に東に西にと凄まじい圧をその身に覚えつつの職場復帰となっていて、さぞ胃の痛いことであろう。おまけにそれを演出したと思い込んでいる天彦には絶対に足を向けて眠れない極悪鬼仕様となっていた。


「皆さま、本日はこのような若輩者のためにお越しいただきまして誠にありがとうさんに存じます。今後とも御指導ご鞭撻のほどよしなに御願い奉りますぅ」


 さしずめ細工は流々仕上げを御覧じろ。といったところか。主要な来賓をすべてお見送りして、とんとんとん天彦はいい(悪い)顔で軽快に階段を跳ねるような足取りで二階に拵えられている祝賀の間に上がる。


「みんなさんえらいお待た……せ、おうふ」


 式を終え客人をすべて送り出し人心地つけてさて、定宿旅籠の二階襤褸和室に上がってもらい、身内だけの小ぢんまりとしたちょっとしたおもてなしのお食事会を開催した。……の、だが。


 げろまんじ。


 空気が今世紀中で最大級に悪かった。大げさではなくほんとうに。ヒリつくどころの騒ぎではない。なぜならその諸悪の根源が大魔王と烏帽子親だったから。


 魔王はもはや説明不要だろう。よって実益。彼はああ見えて超が付く見栄っ張り。そして超が×2いや3した超超超意地っ張り星人でもある。誰に対してもその意地ベクトルは向かってしまう。現に魔王にさえ向けられているのだからきっとそう。

 こうと決めたらテコでも動かない動いてしまう。そういう人物。けっして為人は悪くない。むしろ天彦評なら戦国最上級ではないだろうか。そうとうの人情家、面倒見の良い側面も持っているし。

 だか善きにつけ悪しきにつけ実益は生粋の貴種であった。戦国公家大名としての血が騒ぐのか。最も公家らしくないお公家さんなのである。要するに譲るという文字が彼の心の辞書にはない。

 天彦も彼是何度お宝グッズをぶん獲られたことか。叡智(笑)などは知恵を貸せの一言で、あるいは渋ったら拳に物を言わせ果たして何度無料ロハで捻り出さされていることか。むっか。いつかシバく。


 そのお二人が熾烈な上座着座争いを繰り広げ、大人げなく魔王がやや優位のポジションから実益の反攻を受け止めていた。さあたいへん。御家来さーん。お仕事のお時間ですよー。


 はぁ? 全員が全員そろって目ぇ逸らすってどういうこと!?


 あ藤吉郎や。なにそのお願いします変顔、ずるいわぁ。そんなんある。あったけど。

 反面、土井・戸田・根岸の実益陣営イツメン三人衆にいたっては天彦が逆に気を遣うくらい申し訳なさ味に溢れて凹んでいる。心中をお察ししながらも何してくれとんねんっ! 一応のお約束的に視線では咎めておく。様式なので。


 この状況は天彦にとって絶望しかなかった。いわばどちらも主格だから。

 実益は血筋の親方。これは絶対揺るぎない。他方信長は生きる術としての親方。これも現状代替がない。よってどちらも銀主である。金には遠く及ばないという意味での銀主である。

 なぜなら天彦の心情的にいずれも主君までには至っていないから。だが世間の心証的に現状ではそう受け取られても当然の間柄であった。だからこそ悩ましいのであるのだが……。


 じりじりと続けられる峻烈な睨み合い。そんな絶望はやがて天彦の中で不愉快感情へと移行していく。何か今までずっと配慮としてかわしていた態度を詳らかに表明せよと強要されているような気分がして面白くないのだ。

 馬鹿にもされていない。虚仮とも違う。侮られてもいない。何と問われればはたと考え込んでしまう不愉快な感情が天彦の脳裏ではなく心中に渦巻く。


 そしてそれをけしかけているのはどうやら魔王のようである。消去法的に。

 なぜなら実益はそういった駆け引きを得意としていないから。というより出来てもしない。そういう人物なのである。優しいさんなん。


 だがどうする。そこに生じている配置問題。ここが日ノ本であり時代が室町の世界線である以上、けっして逃れられない現実に直面した。――あっ。


 天彦がうじうじぐだぐだ決断できずにいると膠着状態がにわかに崩れた。

 魔王信長が翻り何も考えずにかあるいは考えた上で行動に移した。上座へと真っすぐに向かったのだ。そこが当然の定位置であると言わんばかりの自然な態度で。


 言外に決断を迫られた天彦は震える。顎も肩も手も足も膝もすべて。

 だが天彦は歯を食いしばった。視線の端に自分と同じかあるいはそれ以上に震えながら、けれど懸命に押し殺し拳を固く握る実益の手が映ったからだ。


 ずっと抗っていたのだ。己の恐怖心に。ずっと立ち向かっていたのだ。あの恐ろしいよりはるか先にある恐ろしい魔王の瞳に。

 わかる。魔王の圧、半端なくえげつないから。しかも刃向かうなら命張らなアカンし。アホやんアホやろ。どんだけやねん。くそっ、だが腹は座った。

 天彦は実益がちゃんと鳳雛なのがめちゃんこ嬉しかった。実益がちゃんと実益をやっているときがいっちゃん顔がほころんでしまう。だから乗る。全賭けで。


 すーはー。


「弾正忠」


 天彦は自分が出せる一番低いトーンで信長を呼び止めた。官職で。さん付けもせずに。それこそがこれから行う発言の唯一にして絶対の正当性であると固く信じて。


「なんじゃ狐」

「そのお席さんには我らが一門衆の統領にして参議菊亭の我が主君、西園寺亜将様がお座りにならしゃります」

「なにを」


 キンッ。音を立てて空気が凍った。次の瞬間には凍った空気が切り裂かれるような鮮烈な視線と怒気が天彦に突き刺さる。全方位からこういうときは仕事を果たす。よく飼いならされた織田親衛隊の面々の激烈な害意が共に降り注がれた。


 だが天彦は踏ん張った。いっさいお道化ずちょけず終始真顔で。信長だけに全集中。瞬きさえせずに信長の厳しすぎる瞳だけ一点をじっと見つめた。


「狐、余はなんだと申した」

「ご希望とあらば何度でも。そのお席さんには参議菊亭の我が主君、西園寺亜将様がお座りにならしゃります」

「ならば問う。その西園寺とやらの格を上げる参議の地位には誰が就けてやったのか」

「はて、可怪しなことを仰せにならしゃる。目の前のお人さんやと記憶しておりますが。ご不満なら返上致すも吝かさんではおじゃりません。位など所詮レッテル。欲しいものにくれてやるが肝要やとお思いさんにあらしゃります」

「ほう。……れってるか。そういえば狐、貴様余に黙って伴天連と談合しておるそうであるな」


 室内の殺気がピークに達した。


「それが何か」

「なに」

「この参議菊亭。誰に憚ることなく誰に咎めだてされたところで気の向くまんま誰さんとでもお逢いしますよって、万一天下さんがお気に召さずばこの祝賀の場ぁでお斬り捨てになられるがよろしいさんや」


 天彦は平然を装って堂々と応じた。むろん実情は口から半分魂が漏れ出ているけれど。

 だが信長はニヤリと笑うだけで応とも否とも答えない。あるいはうんともすんとも反応せず、ただ緊迫の先にある鋭く尖ったひりつきの厭な時間だけが続いていく。


「――で、あるか。狐を従える公家か。おもしろい。では亜将殿、こちらへ座られよ」

「あ、いや」


 実益は驚愕した。いいのか。思わず天彦を頼ってしまう。アカンて!

 キメどころはちゃんと決めな。の感情で天彦は首を左右に小さくふる。むろん座ってはいけないの意味ではなく、今身共を見るなの首振りである。実益もすぐに気づく。だが遅かった。


「なんじゃ貴様。家来の命がけのはったりを無にするのか」

「なんの! 御免」


 実益は今度こそ自分の意思で上座におっちん。ふかふか座布団に胡坐で腰かけ上座の態度を敢然ととる。

 するとさすノブ。たちまち態度を改め、座して敬意の口上を述べ始める。けっして興が乗った御遊びという雰囲気ではなく、まるで戦場にあるような重く険しい気配を漂わせながら。


「平朝臣弾正忠信長、拝謁の栄に服し恐悦至極に存じ上げる」


 信長まさか平伏す。周囲の反応は如何ほどか。だが実益は堂々と格上役を演じ切ってみせた。

 さっと裾を払い見事なまでの故実で応じ、そして、


「藤原朝臣近衛中将実益である。平朝臣弾正忠信長、大儀である」


 見事に堂々と口上を言い切った。まさに圧巻の仕儀である。

 天彦が実益を最も買っている資質の一つ。一番いいときの実益の姿がこれだった。威風の塊。血筋の鬼。


「痛み入る」

「なんのこれしき」


 魔王、実益。二人はほんの束の間視線を交錯させた。ほんの僅かな瞬間だったが優劣を比べるには十分な時だったのだろう。ややあって実益は実に清々しい表情で笑うと、すっと軽やかに腰を持ち上げた。


「ささ弾正忠さん。麿が座を温めておいた。こちらにお参りさんや」

「ふっ、この家来にしてこの主君ありか。貴様ら本当に公家であるのか、ほとほと疑わしいかぎり。だが亜将実益、貴様の存在を認めてやる。中々に愉快な興であった褒めて遣わす」

「なんやと」

「なんじゃ」


 嗚呼……、せっかく丸く収まったのに! 二人のど阿保のせいで全部台無し。

 阿保と阿保が反応してもやっぱしアホなことにしかならへんかったの巻き。

 天彦はかっとなって思わず発する。


「褒美も寄越さんと口ばっかし偉そうに。何もんさんや。あ、弾正忠さんやったん。これは失礼さんにおじゃりました」

「くくく。そういう貴様は何者であろうか。おう狐であったか。鳴いてみせよ」

「こんこん。なんでやねんっ!」


 わははは――。


 座がどっと沸いた。


「ぬぐぅぅぅ解せぬ。また道化役。身共いっつも……はぁつらたんです」


 カッコいいのはいっつも実益。天彦の内から漏れ出た独白は笑い声に掻き消され誰の耳にも届かなかった。

 だが天彦の、実益かっちょよかったで。その感情は確と実益の心に届いていることだろう。実益の天彦を見る目には益々温かみに溢れていた。




 ◇




 座は大いに盛り上がり温まってきた。そろそろ縁もたけなわ。

 天彦は下座から信長に声をかける。それはもう気色の悪いほど甘えた声で。


「信長さん。身共、信長さんに達ってのお願いあるん」

「……」


 さすがの信長でも思わず警戒して尤もであろう。そんな不気味な甘えた声だった。

 というのも天彦は自分が甘えてお強請りするという行為がどれだけ相手方を警戒または恐怖させるかわかっていない。故に相手が警戒または恐怖してしまうと、満身の不満を表明して全力で不愉快ですと訴える。それでは意思疎通がはかれない。天彦誤解され演出の上から三つ目くらいのパターンであろう。


 だがそんな天彦の異質さなど物心ついた段階でとっくに通過している実益が翻訳係を買って出た。天彦に他意がないことを実益なりに心尽くしで説明する。

 実益は腹立たしく思うことは数々あるのだが中でも特に天彦が誤解されっぱなしで済ませることが何より腹立たしかったのだ。実益いいヤツ。お願いします。


「弾正忠殿。子龍は誤解されやすいが心根は清らかなり。ましてやこうと決めた人物の不利になるような願い事はけっしてせん。そこだけはわかってやってくれまいか」

「心根が清らかとは。余の見解とあまりに齟齬が大きすぎるが」

「失言である。これは確かにどす黒い。そこは詫びて進ぜよう如何」

「ほう。……甚だ胡乱じゃが亜将の顔を立てて進ぜる。狐、申せ」


 シバく。いつかこいつら二人ともシバく。

 天彦は震えながらお願い事を口にした。


「では遠慮なく。天下さんは大村民部大輔をご存じさんやろか」

「民部大輔の大村……、さて存じぬな。続けよ」

「肥前有馬氏の直系二子にあらしゃります」

「有馬か。ならば記憶しておる。それが」

「なにやら伴天連と通通らしく、身共に考えあって大村さんの持ったはる長崎出島が欲しいんさん。お願いします」

「くっ」


 お願いしますという顔では絶対になかった。

 天彦の瞳には死しても譲らぬという決然とした焔が滲み浮かんでいて、会話を盗み聞いていた藤吉郎他多くの親衛隊諸氏が思わず“うっ”と呻くほどの仄暗さを秘めていた。

 これを断ればいったい。誰もが天彦の中に鬼心を読み解く。すると気付けば雑音はすべて掻き消え座に沈痛な沈黙の帳が降りていた。


「……何をする。それを求めて何とするのか」

「この場でお話してもええんやろか」

「貴様っ、ちっ。で、あるか。ならばこの場での確約はできぬぞ」

「はい。ですけど天下さんとあろうお人さんが一遍ええと仰った言葉、違えるようなことはあらしゃりません」

「ふん。好きにいたせ。それで話せる範囲で話してみよ」

「はい。近い将来、長崎は葡萄牙ポルトガルとの交易の拠点となります」

葡萄牙ポルトガルとは」

「ああ南蛮さんやった」

「ふむ。で」

「ここを押さえると莫大な富を得ますぅ。厳密には大型船が着ける出島建設が必要さんにならしゃりますけど。まあ今でも十分いけますやろ」

「貴様っ」


 天彦は周囲に聞こえるトーンで言った。敢えて。すると狙い通りな反応がすぐに形で見て取れた。親衛隊の全員の耳が大ダンボになっていたのである。

 信長はそのやり口に秒で気付いて咎めたがもう遅い。記憶にはインプットされた。長崎港が儲かると。

 これほどの侍たちだ。しかも銭勘定に明るい織田軍の。どうなるかは火を見るより明らかだった。


「殿様! 某こそ一の重臣。是非ともお狐殿の策略に加担したく自薦いたし申す」

「殿っ、某も談合にお加えくだされ!」

「某も是非」


 某も、某も、拙者も、こうなればさあ大変。

 信長はこの時期、まだ三好も完全には征伐できておらず、畿内も多数敵性勢力と対峙している。見渡せば朝倉や一揆、東には強力無比な甲越同盟も不気味であり、紀伊も征伐しなければならない。何よりこれから控えている本願寺との大戦でそれどころではない。つまり西国を飛び越えとても長崎くんだりまで構ってはいられないのだ。


 信長はうんざりしながら反面、天彦に呆れた視線を向けて言う。


「大村何某の件、万事この狐に預けた。奉書認め差し許す」


 おおおぉ――!


 祐筆が書き留め終えると今日一に座が盛り上がった。家来衆の歓声に天彦への賞賛の声が多く混じる。実に現金な話ではあるが天彦には上々の結果となった。

 直接の土地支配が叶わないことなど百も承知。だが権利さえ明記してしまえばどうとでもするしてみせる。朝廷の権威に適う勢力はないのと同じく織田の武威に敵う勢力などこの世にないのだ。現状では届かず今後の話だとしても。それだけで天彦の狙い要綱のほとんどを満たしていた。


「おおきにさんにおじゃりまする」

「ふん。何を企んでおるのかは存じぬ。じゃがこれでこけたら承知せぬ」

「むろんのこと。絶対にこの小っちゃい命さんに代えても成功裏に納めてみせますよって、信長さんにおかれましてはゆったりと御構えください」

「ほう」


 天彦がこうまで請け負うのだ。信長の感心はもとより周囲の期待は厭が応でも盛り上がる。

 織田親衛隊ならずとも家臣の誰もが銭を欲していた。銭が延いては己の武威に通じると実感以上に痛烈に思い知らされているから。我が主君の軌跡を追っていれば自ず必然と。


 すると、


「子龍。混ぜろ」

「あきませんよ」

「なんでや」

「一門に迷惑かけられませんやろ」

「あ゛」

「凄んでもあきません」

「さよか」


 実益もだいたい察する。そうとうかなり危うい橋を渡るのだと。

 だがこれで引っ込むようなら実益ではない。何より一門の出世頭をみすみす危険と知った場所に単身では送り出さない。それが西園寺実益という人物を織りなす為人のすべて。またの名を天彦大好きマンともいう。


「ほなら余計混ぜとけ。死ぬときは一緒や」

「死にませんけど。むちゃんこ長生きするつもりですけど。勝手に殺さんといてくれはりますか」

「ほな余計に混ぜとけ。あんまししつこく断るようやと快気したら教えボコる」

「ひどっ! ていうかしつこいのそっちやろ」

「あ。今シバかれたいんか」

「そんなわけあるかっ」

「なにを。お前、吾は誰や。子龍、お前は吾のなんや」


 出た吾。吾でた。これセコイねん。むっちゃコワやん。はあーあ。


「あ、はい。ほなそうします。頑丈そうなええ盾さんやわあ」

「おう。そうでもある。子龍お前はもっと食え」

「ほっとけ」

「おいコラ」

「あ、うん。そないします」

「そうしとき」


 ますますDQN度に磨きかけよって。ほんまいつかシバいたる。


 合意形成はなった。落ち着けばあるいは長崎旅行になるのか。そんなことを思ったり思わなかったり。行きたいさんやわぁ長崎に。

 天彦がかつての記憶、未来の現代の坂の街並みを思い起こしているとそこに、


「参議さま。本日は誠にめでたくござる。臣、木下藤吉郎。我が事のように喜んでおりまする。叶いますればこれまでの積み上げてきた好に免じ、この禿ネズミに直言をお許しくだされ」

「ずっと喋ってたように思わっしゃるけど」


 天彦がジト目を向けても藤吉郎は何食わぬ顔で受け流す。くそ。


「恐悦至極。ささ一献」

「許してへんけど」

「ささ一献」

「受けるの厭なんやけど」

「ひゃあ、これまたお厳しい。ですがそれはお酷い。我ら共に二条城普請に際し額に背中にと汗をした禿ネズミと参議の間柄で。ささ、そう申されず何卒一献」


 出た!


 暗にめちゃんこ脅してきた。あの横領の件を。自分だってただではすまないくせに。つまりこれも言外に一蓮托生を訴えているのだ。この信長と三メートルの至近距離のときに。しかもこのお祝い事の席で。無理やわぁやっぱ、やぱムリ。

 もたもたしていると勘のよすぎる信長が何かに感付かないとも限らない。

 ちくしょう覚えとれ禿ネズミ。の感情で天彦は御猪口を差し出す。不承不承より更に不承不承と。


「一献だけですよ」

「ささ」


 天彦は禿ネズミの徳利を御猪口で受けた。むろん口を付けたふりだけで膝に抱えている受け皿に流し込む。お子ちゃまなので飲まずとも咎められない。大抵は背伸びして飲むが儀礼としての側面も大きいので飲むのが主流か。

 けれど天彦は飲む気はない。絶対に飲まないと誓っている。体への善し悪しなどどうでもいい興味もない。すべては背を伸ばしたい一心で。ぬぐぐぐ。


「ではごきげんさん」

「またまたそのような連れないことを。ささもう一献」

「藤吉郎さん、後ろようさん並ばはってますけど居座ってよろしいんですか」

「有象無象などどうとでも。ささもう一献」

「飲んでへんのご存じさんですよね」

「ところで参議、さきほどの件にござるが如何でありましょう。手下が必要ではございませんか。手足のように働き、きめ細やかに気の利く手下が」


 ええ売り込み文句。表情といいキメ台詞といい通販番組ならさぞ売れることだろう。だがその言葉には決定的な文言が欠けている。信用のおける。という最も重要なパワーワードが。

 よって天彦は藤吉郎ショッピングチャンネルではポチらない。買わない。当たり前である。絶対に近い未来敵対することが確定している最大敵性武将になぜ塩を送らねばならないのか。それは越後のドラゴンさんの領分である。

 我、公と争うは米塩にあらず。などと天彦が宣ったところでそりゃそうやろ。と思われて尤も。しかも悪くすれば猶更警戒させてしまうまである。バカらしいのでお帰り頂くが上策であろう。


「チェンジで」

「ちぇんじ。確か交代の意味にござったな。では後日改めまして」

「お断りさんにあらしゃいます」

「お人の心は移ろいやすく存じます。では御前失礼いたす」


 ほっ。あー怖かったん。


 天彦は藤吉郎の時折り見せるどこか猟奇的でヒステリックな表情にぶるりと身震いするのだった。











【文中補足】

 1、大村純忠おおむら・すみただ

 民部大輔・丹後守(拝領)、肥前国彼杵群ひぜんこくそのぎぐんを領する戦国大名、三城城城主。

 ネタバレ要素が強い人物なので話数が進んでから解放します。味消しになっちゃうので調べないでいただけるとm(__)mぺこり


 2、人種名称

 南蛮人=スペイン・ポルトガル人を指す。

 紅毛人=オランダ人を指す。













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