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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
肆章 切切偲偲の章
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#10 たとえこの耳がその声を忘れても(前編)






 



 永禄十二年(1569)四月十二日






 午刻日中、昼九つの鐘が鳴るほんの少し前。


 原則菊亭では例の一件(枚方城女城主認状事件)以来、奉書(天彦の意向を受けた家来が出す命令書)の発行を認めていない。これは徹底されている。なにせ絶縁追放を厳命しているから。

 にもかかわらずイエズス会日本布教区京都支部は菊亭からの訪問依頼書面即ち奉書を受け取ったと言ってきた。むろん天彦名義の。ではこの書面、なぜ奉書であると断定できるのか。天彦に記憶がない以上奉書に決まっていた。天彦が惚けてでもいないかぎりこれ以上の絶対性は他にない。


 ならば可能性をしらみ潰していくのみ。人件費は鍬一本より安いのである。

 とはいえその必要性も感じない。望む望まざるにかかわらず天彦は家中で相当恐れられている。周囲に至っては為人が知れていない分だけその何十倍も。

 その人物から絶縁という最大限の勘気を被ればどうなるのか。控えめにいって他家への仕官は絶望的であろう。それを承知で敢えてチャレンジする意味はあるだろうか。ない。感情論的サムシングは除外するとして。


「若とのさん、なんやなぞなぞみたいですね」

「お雪ちゃんもそない思うか」

「あれ? そのお顔、もう謎が解けはったみたいや」

「解けたで。酷い置き土産やったん」

「置き土産……、あ、ラウラやっ!」

「最近どないしたんお雪ちゃん。なんや逆に心配なるわ」

「合うてた嬉しさよりなんや腹立ちの方が勝ちますわ。肩ぱんさしてください」

「厭やろ」

「させろ」

「なんでやねんっ」


 痛っ、怪我人やぞ。それもまあまあの。ええけど。いやいやようないわ。

 こいつたまに本気でアホになりよるから注意せな。


「危ないからもうやめてな」

「前から思てましたけど、若とのさん某のこと舐めすぎや」

「まあ否定はでけへん」

「ひどい! そこは否定するとこ違いますのんっ。……あ、大丈夫ですか」


 酷くはないと思うけど。

 気にしてさすさすしてくれるんやったらどつかんといて。やっぱし二本差してると気まで荒くなるんやろか。天彦は本気で検証したくなる。感情をぐっとこらえて許しを与える。


 それでも雪之丞恐るべし。日に日に成長の跡が覗える。この調子なら末はどこまで行ってしまうのだろう。きっとどこにも行かないと思われるが、また別視点でも雪之丞恐るべしの感情は周囲に侍る家人の心に克明に刻まれたことだろう。

 あれほど誰もが恐れて避けてきた禁忌の名を、平然と然も嬉しそうにしかも声を張って叫ぶだなんて。あな恐ろしや。


 なにせ射干党との和解は持ち越されたのだ。イルダのちょっとした失言によって天彦の激情にまたぞろ燃料が投下されてしまった。昨夜未明まで激怒は叫ばれていたのである。

 結果的に天彦の面目はまんまと潰され、何より仲裁役を買って出てくれた樋口与六の面目も丸つぶれとなった。よって一夜明けた本日現在、まだラウラの名は解禁されてないのである。まあイルダらしい持ち味を発揮したということでその内に雪解けすることだろう。まだ早かったのだと割り切って。



 閑話休題、

 それを証拠に天彦の表情は険しくなるどころか親しみに溢れていた。自分の脳内以外で誰かの言葉でその名を聴き、大方誰かさんの柔和で凛々しい緑がかった碧眼でも思い出したのだろう。まるで嬉し味が隠せていない。


「そやお雪ちゃん。それしかない。ラウラ、居らずともやってくれる」

「ほんまに……、凄いお人さんやわラウラ。始め出逢った頃なんか小汚い僧兵やったのに」

「ほんまやな」

「ほんまです」


 この瞬間、天彦の口から初めてラウラの名前が出た。これにて解禁ということなのだろう。周囲、とりわけとくに射干党の安堵感たるや遠巻きから眺めているだけなのにこの場にまで伝わってくるほど。これにて和解である。


 さて雪之丞も珍しく勘を冴えわたらせて正解にたどり着たこの案件。

 天彦は確信する。これはラウラの残した設問であろうと。もしくは悪戯めいた試しの儀に相違ないと。

 天彦さん、私が大事なら叡智を駆使して足らずは体張って助けに来んかいの巻ですよ。――ってことではないかと踏んだのだ。

 でなければ外国勢力、特にポルトガル勢の助力など請わないはず。しかもよりにもよって宣教師など。


 ラウラは知っているのだ。天彦が外国勢力、特にイエズス会を中心とした宣教師たちとその背後にある武力とを心底骨の髄まで毛嫌いしている感情を。

 そしてそこに至る確かな理由も承知していた。天彦は早い段階で明かしているから。その偽りのない心境を彼女にだけは明確に特別に。


 ならばなぜラウラを代表する伴天連や切支丹を保護するのか。簡単である。お人さんだから。それに然したる理由はない。

 むろん天彦とて憎むべきは罪。そんな気障なことは思っていない。むしろ真逆の感情の方が強いタイプである。だが組織が憎いからと個人まで憎むのか。それは違うと厳密に線引きして明言できた。それが天彦の思想である。つまり天彦は常に○○という建付けで物事を大きく括ることを嫌って生きてきた。

 よって憎むべきは人身売買と金銀の買い叩きで財を成し、アジアを植民地化しようとしている、あるいは既にしているスペイン・ポルトガル艦隊帝国であり、その尖兵となっているイエズス会である。


 それを承知でラウラはイエズス会との面会を取り付けていた。これをどう読み解けばよいのだろうか。答えは簡単“読み解く必要はない”である。

 普通に考えて選択肢が他になかったと読み解くのが自然ではないだろうか。それほど企む時間もなかったはずだろうから。出会いから仕組まれていればもはやお手上げなのはこの際その可能性は消去するものとする。


 すると裏を返せばラウラが郎党はおろか家人の誰にも事情を打ち明けずこっそりと出ていかなければならないほど、彼女が抱える問題は切羽詰まった凄まじく解決が難しい難題となる。

 つまり参議天彦でさえ手の届かない人物、延いては天彦のパトロン筆頭格であるところの天下さん織田弾正忠信長でも容易ではない高位の人物もしくは勢力に何らかしらの弱みを握られているということになる。

 よって日本人には非ず。そんな存在はもはやこの日ノ本には存在しないといっても過言ではないから。


 北条、朝倉、一揆、毛利や九州勢など探せばいるにはいる。だが何の得もないただ危ういだけの誘拐を曲がりなりにも一国の王(大名)や巨大組織の長(座主)がするだろうか。しない。そういうこと。

 よってすべてはラウラの仕込んだその相手が回答その物を示唆していた。なにせ欧州における司祭の地位は下手な貴族より格が遥かに高いのだから。

 天彦は複数の仮説を立てた上でイエズス会・日本布教区京都支部からの客人と会うことを決めた。猶、氏郷は万が一剣先が鈍ってもアレなので今回の護衛班からは外してある。


 なので今は会談までの繋ぎの時間。要するに自称一の御家来さんといちゃいちゃしているだけである。


「若とのさんどうなさいましたん。そんな不細工なお顔さんしはって」

「あ」


 訂正! いちゃいちゃはしていない。そして今ならシバける気がする。


「若とのさんどうなさいましたん。そんな不細工なお顔さんしはって」

「でた二回ゆう。聞こえてないときの“あ”ちゃうで。普通わかるやろ」

「普通ってなんですのん」

「あ! それ身共のやつ。……まあええわ、お雪ちゃんよりかはちょっとマシやろ」

「そんな嘘をぬけぬけと。若とのさんって時々ホンマもんの阿保ですよね」

「おい」

「ほな票取りましょか」

「なんでするん。そんな厳密で残酷なこと。やめといたってお雪ちゃんが可哀そうやん」

「ほんまに某が可哀そうですやろか。おーい――」

「待ち。ほんまや」

「集合を待たせた上でウソの顔で嘘つくってびっくりしますわ。謝ってください。この数日間みんなを厭な気持にさせてごめんなさいと謝ってください」

「……」

「あーあ。元服も済ませていないお子様はこれやから。やれやれ困ったさんなこと。お兄ちゃん家来の某が代わりに謝っときます。貸しですからねきっちり返してくださいよ」

「あ、うん。お願い」


 ぬぐぐぐ、まさかの勝ち誇られ!


 雪之丞は他愛ないおふざけの会話の中にさらっとしれっと家中の思いを差し込んで代弁した。やはり成長の跡が覗える。しかも代わって謝罪だと。ほんまにほんまなんか。偽物説あるん違うの。


 しかし謝罪。簡単なようでいてそれをできないことは家中のほとんど皆が承知している。参議の肩書は個人の意思とは関係なく公衆の面前での謝罪さえ容易にはさせてくれない。だがなんだろうこの敗北感は。

 天彦的にいつか……しば、しば、シバ。どう考えてもしばくという感情は一ミリも生まれなかったので、ならばいつか泣かせることにしようと思ったがこれもやはりやめた。

 雪之丞への悪感情は持って5分。何より雪之丞は笑っていてこその存在価値だから。結局好き放題いわれ損なんまんじ誰かシバきたい。


 だが天彦、痛恨だったのは本心である。何度考えても自分が理由。すべての阿弥陀くじの帰結がどこを引いてもあの医師団派遣に繋がってしまうのだ。

 大方命救いたさに無茶な要求でも飲んだのだろう。あの美貌だ。頼み込んだ先が野郎ならその可能性はかなり高まる。いや100か。

 対価なら他にあったはず。一緒に考えれば捻り出せた。それができない時間的制約があったとしても彼女ならどうとでもして凌げたはずだ。

 故に理性はありがとうとしか感じず相応の言葉も他にはない。確実に医師団のオペがなければ100死んでいたので。輸血その他の医術含めて。だが感情は……、何もかもが釈然としていない。


 ならばするべきことは何か。天彦はどうやってこの失点を返すべきか。あるいはどうやってラウラに義理を返そうか。そればかりを考えて考えて考え抜いて、結局一睡もできずにこの時を迎える。しかも途中にいらん火種まで拵えてくれたし。しばくのはやはりイルダお姉ちゃんにしようそうしよう。


 ややあって是知が顔を見せた。


「失礼いたします。殿、イエズス会・日本布教区、お越しです」

「入ってもらえ」

「はっ」


 迎え入れたのは定宿陣屋二階の私室兼応接間。いって所詮旅籠の客間である。迎え入れる客の格にも迎え入れる側の格にも見合っていない場であることは明白である。しかもホストはガキんちょ。来賓の気分が緩んでも可怪しくはない。


「O padre jesuíta CosmedetoresÉ bompor fim, conhecê-lo. Estou muito honrado, chanceler kikutei,Estou feliz que você tenha um dia precioso hoje」


「イエズス会・日本布教区から参りました。コスメ・デ・トーレスと申します。私は通訳を仰せつかるロレンソ了斎と申します。参議菊亭卿におかれましてはご機嫌麗しく存じ奉りまする。また本日という貴重な日を頂戴しましたこと日本布教区並びに全イエズス会を代表し祝着至極に存じ奉りまする」


 最も身分が高いだろう老年に差し掛かった神父が言う。

 その後をおそらく視覚障碍者だろう通訳らしき日本人が一礼して意味を訳し天彦たち日本人が訊いてわかる言葉にした。


「ようこそおいでさんにおじゃります。本日は心行くまでごゆるりと寛がれるとええさんや」


 天彦の歓迎の意をロレンソ了斎が訳し伝える。すると順々に参列者の挨拶が始まった。むろん誰もが慇懃で無礼のぶの字も感じさせない所作と態度で。


 他方ホストはガキんちょ。天彦の脇を固める面子もほとんどが小僧っ子たちばかり。来賓の気分が緩んでも可怪しくはない陣容である。天彦は敢えて油断を誘うこの布陣で臨んでいるのだから。


 ところが入室した宣教師たちは誰彼ともなく最上位の尊意を示すばかりでなく、天彦との謁見を心待ちにしていたといった感情も包み隠さず伝えきり、そして卒のない感謝の言葉へと転化していた。謝意の示し方としては非の打ちどころなく完璧な応接であった。


 やりおる。


 そういうこと。敵もさる者。微塵も侮りを感じさせなかった。つまり天彦を完璧にフォローしていた。こうなると身辺つまり菊亭家相関図も網羅していると思っておいていいだろう。この言外の示威行為にはそんな凄味が含まれている。天彦はこれが目下最大覇権国家の凄味かと改めて実感させられやや気圧される。

 尤も主格の口上はすべて母国語即ち葡萄牙語(ポルトガル語)である。よって天彦も完全には理解しきれていないところがあるので通訳の力量に頼っている部分が大きい。二割引きで受け止めることにした。


 因みにロレンソ了斎は自己申告によると元琵琶法師らしく、ロレンソ了斎も天彦の務める家業(伝奏)がなんであるか先刻承知なのだろう。天彦にやたらその件を推してきた。

 食いつくとでも思ったのだろう。だが大間違い。公家がみーんな家業にまい進していると思うなよ。しとけ。心の声には耳を貸さず天彦は琵琶伝奏者としてすでに破門寸前の身の上なのである。腐心まい進したいが指が、指がぁぁぁ。


 じっじ曰く。天彦さんの才能は麿が見る限りにおいて今出川一門歴代一ないさんや。懲りずに頑張り。いつかお情けで奏でてくれはる日も参るやろ。である。どんまい。お情けて!

 よってむしろ琵琶談義にだけは花咲かせないように心するくらいである。ロレンソあうと。












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― 新着の感想 ―
[一言]  ロレンソ了斎とトーレス神父とは、かなりの大駒が来ましたね、はてさて何が目的やら。 あと、前回はアンチみたいな書き方になって申し訳有りませんでした。戦国時代で生き、立場も決して良くはない者が…
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