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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
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#07 そうだ荘園に行こう






 



 永禄十一年(1568)十月七日(旧暦)






「おい子龍、それはなんや」

「それとはなんでしょう」


 和やかムードが一変した。

 天彦は咄嗟に取り繕うとする。だが実益はそれを許さない。目の色が支配者のそれとなっていた。


「その肩口の痣はどないしたんやと聞いてる」

「どんくさいとこ見せて恥ずかしいです。こけました」

「そうやない。まて隠すな。おい土井、子龍の襟元を捲れ」

「待ってください」


 天彦が抗議する。だがその発言は無言のうちに却下された。


「はっ、ただちに。菊亭の若とのさん、主命出来いたしました故、何卒ご無礼を許されよ」

「あかんって」


 天彦は睨みつけるが牽制にもならない。たちまち侍武官の二人に取り押さえられ羽交い絞めにされる。そして瞬く間に問答無用で衣服を剥かれた。


「御免! な、……なんと」

「なんたる仕打ちか」

「むごいことをなされる」


 供の三人は各々の感想を口にすると謝意を示し天彦を解放した。

 指示した当人はあまりのことに絶句して言葉を失っている。当然だろう、そこには直視するのも躊躇われる生々しくも痛々しい生傷があったのだ。

 散見される鈍い青や赤黒い生傷は鈍い痣となって確と定着している。

 こうなればもはやお察しだ。誰の目にも昨日今日の傷跡でないことは明白だった。


 天彦としては実益にだけは知られたくなかった。

 実利的にもだが、何より男子としての意地として、どうしても知られたくなかった。


「子龍。子龍よ。許せ、こうなるまで気付いてやれんかった吾の愚かさを許せ」

「まさかそんな。すべて自業自得です」

「あほっ、子龍、お前は吾のことには親身になってくれるのに、なんで自分事には頓着せんのや。なんでや」

「……」

「あんまり吾を虚仮にするもんやないで」

「あ、はい」


 唐突に叱られた。――なんで!?


 キレられ怒られるならまだしも、切実に叱られるとか意味がわからない。

 だがそれは実益なりに最上級の気を使った言い回しだった。だからこそ天彦は激怒されるより余計に堪えたのだ。

 普段のように権高く、“お前も清華家の端くれやろ。甲斐の田舎武家の娘に舐められくさりおってからに”などと気の向くまま激情をぶつけられた方がどれほど楽か。

 友人の恩情に触れてしまった天彦は、すっかり意気消沈してしまう。予め用意していたいざというときの反論の台詞も飛ばしてしまうほどに沈み込んだ。


 ――どんまい、おれ。


「誰や。なんて聞くのは野暮やな。それにしても吾ら(清華家)にとって東はどうにも鬼門のようやな。この恨み、生涯忘れんで」

「大袈裟ですって」

「大袈裟なことあるかい。朝廷の御家紋を名前に冠するなんて如何にも田舎もんの考えそうなこっちゃ。ときに子龍、一個だけ訊かせてや」

「御料人の揶揄はご勘弁を」

「何の配慮や。お浸しで食うたれ。そんなことより大丈夫なんやろな。お前さんは吾の一番の家来なんやで」

「どうですかね」

「天彦」

「実益さん。気が動転してるんはわかるけども、そう気張らんと」

「誰に物申す、吾は清華家筆頭西園寺嫡子、従三位近衛中将実益なるぞ」

「重々承知しております」

「ほならそこに直らんかい」

「ほな言うけど、その偉そうに振るまえる命、助けたったんは誰や」

「麿の分身、一の家来、菊亭子龍天彦や」

「言葉が過ぎました。跪拝しましょか」

「いらん」


 普段の天彦ならもっと上手に、例えば慇懃にけれど柔らかく言質をかわす。

 だが今の天彦はいっぱいいっぱい。よほど動揺したのだろう。言動すべてが鋭かった。

 やはり応接は間違った。どうやら許してはもらえなさそう。実益は威張ったままの雰囲気で天彦を直視している。仕方がない。そっと天井を指さし、


「神さんが居はったら、そう悪いことにならへんと思います。例えば実益さんの病魔が治った時のように、ひょっこり天からお薬が降ってきたように。あるいはひょっとしたら神さんより先に第六天魔王さんが虎も退治してくれはるかもしれませんし。これで答えになってませんか」

「上総守のことなんか訊いてへん。あれが悪鬼羅刹でも魔王でもなんでもかまへんのや。薬も天から降ってこん。あれは子龍が拵えた。そんなことはどうでもええんや。吾が知りたいんはお前さんの心の奥に仕舞ってある本心だけや」


 ふぅっと深くため息を吐いて。


「身共はいついかなるときも選択肢を複数用意しております。なにせ天に二人とはいてない叡智の臥龍ですから」

「土御門は一言もそんなことゆうてへん。なにより麿がお前さんを聡明やと思うたことはいっぺんもないで」

「ずこっ」

「まぁええ。子龍、信じてええんやな」

「身共がいっぺんでも嘘いいましたか」

「嘘はつかへんけど、よう誤魔化すで」

「丸く収める気ないの?」

「さよか」

「え」


 一瞬のことに動揺が激しい。温もりと同時に耳元で、子龍、お前さんは麻呂の一番の家来なんやで。と、言葉面よりも何倍も熱い思いが耳朶を叩いた。

 常なら照れくさすぎて秒で抵抗しただろうこと請け負いだ。だがこのときばかりは天彦も意地を捨て、素直な感情で実益の真っすぐな感情に身を委ねることができたのだった。




 ◇◆◇



 永禄十一年(1568)十月八日(旧暦)






 支度があるとかで結局遠征は翌日となった。

 多角的に安全面を考慮した結果、移動は徒歩に決定した。久御山荘園までの道程およそ五里(20キロ)。果たしてどのくらいかかるかは未知数である。

 後ろに予定が詰まっているのであまり悠長にもしていられない。謁見をとちったらさすがにお仕舞いだろう。物理的に。


「遠足みたいでちょっと楽しみ」

「若とのさん、えんそくってなんですの」

「知らんのか、遠くに向かう足と書く」

「なるほど。なんや楽しそうに思えてきました」

「そやろ」


 絶対そうはならんやろ。という力技で雪之丞を捩じ伏せた天彦は、実益御一行様と待ち合わせの合流地点へと向かう。雪之丞も初の遠出で浮かれているので疲労のピークは初野宿の今晩あたりか。


 二人で洛外に出るのは初めてだった。洛外といっても現代では普通に京都市内だが危険度はまるで別物。但し天彦たち公家が住む上京より商人や町民が暮らす下京の方が人の往来は盛んである。


「若とのさん、何か担いで歩いたはるわ」

「あれは棒手振や」

「若とのさんは物知りやなぁ」

「そやろ。もっと尊敬するんやで」

「はい」


 目抜き通りは大賑わい。下京で揃わない品はないだろう日用品のラインナップで軒先を連ね、行商人が威勢のいい声を張り上げて眼前を通過していく。

 行商人には女性も多い。鮎などを売う桂女、薪や墨などを売り歩く太原女などがその代表格だが他にも大勢の女性が労働に汗していた。職人稼業にも女性は多くいるらしく、扇折や組紐師などはほとんど女性の独壇場だった。


 これら商品のほとんどが自前で製作されている。京は職人と商人の町でもあるのだ。

 単純に関所を通過しないと租税されないからという実利的な事情も大きいがやはり帝のお膝元である花の都という憧れも小さくないだろう。


 天彦たちは新鮮な感動に身を委ねて京の町を歩いて行く。

 鴨川を右手に四条通りに差し掛かる。


「どんつきが八坂さんや」

「祇園さんで参ったことあります」

「へぇ、身共はないわ」

「今年は某と参りましょ」


 ――泣くぞ。


 ショタの何気ない気遣いが染みる今日この頃、八坂前通りは参拝客で行列ができていた。その客を狙ってか茶屋が無数に乱立していた。

 土産屋も乱立。人形屋や小袖屋、大原名物芝漬屋もあり活気がえぐい。中でも提物屋の瓢箪が人気を博しているようだ。あるいは時流的に織田と無関係ではないのかも。


 先に進む。

 本当に雑多な風景で現代の勢いだけなら繁華街にも負けていない。お茶屋の隣に両替商が立っていて、どちらも呼び込み丁稚が威勢のいい黄色い声を張り上げる。

 だんご屋、もち屋、足袋屋、蔬菜屋、変わったところでは煙草屋なんて稼業もあった。因みに風呂屋も一条革堂の隣にある。


「若とのさん、これ何と読むんですか」

「ん? 摂津屋や」

「せっつ国のせっつですか」

「そや」

「お殿さんは誰やろ」

「細川京兆家ちゃうか、知らんけど」

「細川さんか。京兆家ってなんやろ」

「右京大夫の唐名やで」

「右京大夫。大夫やったら御本家さんの方がずーっと偉いな」

「当り前やろ。ぱっぱはむっちゃ偉いんやぞ」

「ぱっぱ? ぱっぱ、なに」

「お雪ちゃんも、身共とちゃんとお寺さん通ったら教わることや」

「ほんならええわ。ほんで何屋やろか」

「さあ何屋やろ」


 荒木村重やったかな。小さな、けれど確実に雪之丞に聞こえる程度の声量で呟いて、軒先から中をのぞくと女が綿を取り分けていた。

 少量を量り売りする棒手振だろう。ひょっとすると既に真綿の衣服が存在するのか。


 鴨川を一路東へ。四条を越え五条通りに差し掛かると器屋が集合している。

 すると、


「ぼんさん、一椀いかが」

「お雪ちゃん、飲もか」

「はい」

「二杯もらお、なんぼや」

「毎度おおきに。二文どす」


 その場で茶を振舞う“振り売り”が通りがかりに声をかけてきた。

 一杯一文、120円也。安いか妥当かは個人の懐事情によるのだろう。天彦は妥当だと思えた。だがやはり人件費は極めて安そうだ。


「若とのさん、美味しいです」

「これで一文か。商売っ気なさすぎやろ」


 温もりが身体の芯に染みわたり、まるで回復薬を飲んだかのように疲労が回復した。――薬膳茶?


「えらいお褒めに預かって、おおきに」


 振り売りは視線を外に向けて声だけで礼を言う。


「お茶屋、名は」

「いややわ、ただの振り売りに名前なんてたいそうなもんありませんよ」

「警戒するな。当家に卸してくれるとありがたいんや」

「上京のぼんさんやろ、ほんまどすか」

「ほんまや」

「あな、いいます」

「……」


 それは明かしたくない。かりに真実ならば。

 天彦が絶句していると雪之丞が吠えた。


「なんぼなんでも酷いやろ! 明かしたないんやったら端からそう言え」


 だがどうやら事実のようである。天彦の目には振り売りが終始困惑しているように映った。

 じっと振り売りを観察する。はじめは違和感がなかった顔を覆い隠すように被った頬被りも色眼鏡をかけると不自然に思えてきた。すると次々、伏目がちの瞳も、この後におよんでもややそっぽを向く姿勢も、卑屈にさえ見えてしまう屈めた背中も全部。

 そしてそれらの違和感を違和感と認識させないなんらかの手法(技術)に最大の違和感を覚えた。そう考えると茶の美味ささえ怖く思えた。


 どれをとっても違和感だらけ。


 ならばと天彦は思い当たる可能性を虱潰しにしていくことに決めた。


「本名はなんや」

「あな」

「取って食わへん。それとも身共が恐ろしいんか」

「ぼんさんが? はは、どんな冗談やねん」

「ほな言えるやろ」

「アナスタシア」

「伴天連か」

「いいえキリスト教徒ではありません」

「ほならなんや、ああ、母御か父御が異人なんやな」

「……ようご存じで」

「それはさぞ生きづらいやろ」

「はい。それはもう毎日がクソ塗れですわ」

「今出川御門の菊亭家に参れ」

「え、うそ、お公家さん」


 天彦は膝をつこうとするアナスタシアを咄嗟に抱えて制止させた。庶民なら当り前の反応として織り込み済みだったので行動は素早かった。


「ほな参ろうか」

「はい」


 と、声がかかる。


「お公家さん、ほんまに寄せてもろてええんどすか」

「武士に二言はない」

「え」

「あ、違ごた。公家にもないで」

「うふふ。はい、必ず参ります」

「当家に参って美味い茶を振舞え。それでええ」

「精鍛こめて務めさせてもらいます」

「そうせい」


 楽しい旅になりそうだ。





【文中補足】

 1、京都七口。

 大原口(北陸道)、鞍馬口(出雲路)、栗田口(東三条口、東海道)、伏見口(宇治口・木幡口、南海道)、鳥羽口(西海道)、丹波口(西七条口・七条口、山陰道)、長坂口(丹波口)。

 天彦たちは鳥羽口の関所を通過して西海道を行っている。


 2、蔬菜屋

 近郊で採れた野菜売り。


 3、提物屋

 瓢箪や根付などの縁起物を売っている。衣服に就ける飾り物が特に売れた。


 4、職人町。

 下京には刀鍛冶や武器職人が多くいた。刀鍛冶は三条を本拠とする三条派と栗田口を本拠とする栗田口派との二大派閥があった。










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