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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
肆章 切切偲偲の章
67/314

#05 蕾もほころぶ矜持の一石



 



 永禄十二年(1569)三月二十日






 結局茶店にはお茶だけしに行った格好となった。何も妙案が浮かばなかったからだ。冴えた企み、格調高い悪巧み、なんもない。ただ宇治産の茶が美味かったなぁゆうて皆で茶を啜って帰ってきただけ。

 但し不意に妙案が思いついた場合の保険の意味と、単純に身の安全が不安だったので野蘭は陣屋に連れて来てある。半ば強引にだが異論を唱えたのはなんちゃって家臣たちだけだったので問題はないだろう。


 陣屋に戻るといつにも増して来訪の報せが堆く積み上げてあった。ざっと目を通していくとその中に公家義理ぱっぱ基孝のお手紙が紛れていた。

 むろん秒で取り上げる。持明院基孝は天彦にとって義理の欠かせない大恩人であった。


 手紙を読む。先の付け届けの返礼と時節の挨拶がつらつらと。そして最後の最後取って付けたように新内待基子(孝子)に会ってくれと極めて丁重にそして相当低い位置からの要望が添えてあった。気を使わせてごめんなさいぱっぱ。

 天彦はさっそく遣いを送ることに決めて一件処理する。……ん、まてよ。


 これも何かの啓示だろうか。普段から一ミリだって神仏の存在を信じていない天彦が単なる偶然の重なりに神仏の存在を重ね合わせて取って付けた。つまりそれほど弱っている。困っているのだ。今回の一件。

 どうやって落とせば美しいのか。あるいは美しくなくともどうやって落とせば納得が得られるのか。

 知恵熱が出るほどうんうん唸って捻り出そうと奮闘していたところに啓示が降りて来たのだ。テイであっても縋りたくなるのが人情ではないだろうか。

 天彦は縋った。ある意味では居直ったとも取れなくもない判断を下すことに心を大きく傾けつつあったのだった。いや決めた。やったろ。


「ラウラ」

「ここにございます」

「身共は決めた」

「如何様にでもお決めください。我ら射干党はどこまでも組み従います」


 一拍置いて。


「参議を拝受する」


 天彦にしては割と思い切った決断だった。なのにラウラの反応は薄い。そんなはずはないのだが、ちょっと期待外れのリアクションだったのでつい感情的に憮然としてしまう。

 だがすぐにそれは誤解だと気付けてしまう。阿呆どもの乱入によって。



 お、おおぉぉぉ……! おお?



 なだれ込んできた菊亭家人たち。天彦の唐突な昇爵宣言に大いに盛り上がり、かなり遅れてその熱量と同じだけ戸惑いを見せた。だが発言内容がどう考えてもおめでたいので取り敢えず感心しておく。そんな感じの感嘆のおおだった。


 しかしそんなことは掴みに過ぎない。あの主君あの天彦なのだ。それは家人たちには織り込み済みであって当然だった。あれほど考え込んでいた天彦が突然意味のない発言で家中を混乱に陥れるとは考えにくいのである。

 天彦という人物、天邪鬼ばかりが先行して悪目立ちしているがこれでかなりの合理主義者なのである。

 それを承知の家中の皆さま。武官文官入り乱れての家来の襲来であったが、皆が一様に息を飲むほど静まり返り天彦の次の発言をじっと待った。


 こいつら。……しゃーない。


「その上で片岡家と縁戚関係になる。どや」



 …………。



 どや。 どや? どや? どや?


 けっして短くない沈黙のちかなり小声のどやコールが様々な角度から連呼された。その角度のほとんどに疑問符がついていたので概ね理解度は低いのだろうと推測される。

 当然だが誰ひとりとして天彦が婿養子に入るなど露ほども思っていない。その上での疑問符である。果たしてどのようにして婚姻関係を結ぶのか。その一点に関心のすべてを傾けている。

 半家菊亭家。落ちぶれているとはいえ名門中の名門貴家。何しろ本家は大清華家である。廃嫡されたとはいえ血筋は紛れもなくその直系。縁を結ぶと一口に申せ誰彼ともなく叶うはずもなく、そう容易くはないのである。行く末は帝にまで届くであろう一大事であるのだから。


 すると思いがけなさでは菊亭家中で右に出る者のいないとされる意外性の鬼、次世代筆頭家来の呼び声高い長野是知がポツリと発した。


「拙者わかり申した」

「ええよ。是知答えてみ」

「はい。申し上げます。家中から婿に参るのでござりますね。なるほどさすがは我が殿、上策にござる」

「おおやりおる。是知なんぞ褒美を遣わそ」

「滅相もございません。お気持ちだけでけっこうにござる」

「さよか。ほなそれで」

「え」


 普段なら難なく笑いがとれるやり取りのはず。ところがこの時ばかりは誰ひとりとして笑い声を発さない漏らさない。それどころかざわめきが次第に静まりやがて完全な静寂へと成り代わるのにそう大した時間は必要としなかった。


 ネタバレした以上引っ張っても意味はない。天彦はすかさず次の条件設定開示に移行する。


「枚方城女城主・片岡野蘭殿に婿入りしてもよいと思う者、疾く挙手いたせ」



 はい――!



 文字に起こせば八つの鍵カッコか八つのびっくりマークが立つのだろう人数が神速一歩手前の速さで挙手をしていた。あんぐり呆れる。

 むろん野蘭の意思ありきだがこの際景品になってもらうことも覚悟の上。天彦はすでになりふり構っていなかった。だが自刃辞さずの気性なれば念のため。


「むろん野蘭殿の御意志さん優先にあらしゃいますけど」

「ええですよ。その策乗りましょ」

「へ」


 菊亭にプライベートの概念は死滅していた。


「あれだけ大声で話してたら厭でも聞こえてくるっちゅうねん」

「あ、うん。そやけど」

「ええよ。これでも城主。吐いた唾は飲まへんで」

「おお、かっちょええ」

「その代わりうちにお相手選ばせて」


 天彦に否やはない。なので家来に目配せすると挙手した全員が激しく上下に首肯していた。美人優勝。そういうこと。

 だが一つ気懸りな点があった。仮説では野蘭を守った重臣がいたはず。大抵の場合姫に懸想しているとしたもの。あるいは身分を乗り越えた両想いまである。訊いたろ。


「野蘭、ひょっとして想い人あらはったん」

「あるかいそんな眠たいもん」


 あ、はい。デスヨネ。


 片岡野蘭姫。むちゃくちゃ侍で、むちゃんこ漢らしかった。むろんバリバリのサンズイ辺で。

 野蘭は誇示したばかりの男らしさの勢いを駆り、挙手で自薦したすべての青侍衆をまじまじと見つめ品定めを始める。するとお気に召したのか妥協したのか、すぐに一人を特定しその人物の正面に立った。


「お侍さん。あんた、剣の腕前は」

「片桐助佐にござる」

「片桐殿、如何」

「剣術並みにて候、だが槍捌きなら当代一を自負してござる」

「御立派なこと。して御家は」

「生家は織田家に仕える近江の国人にて。嫡男だが気遣い御無用、当方にてどうとでもいたす」

「よろしいので」

「構わぬ」

「うち面倒くさい女子おなごよ」

「主君にて慣れてござる」

「母方の叔父にお命狙われていますけど」

「拙者が簒奪者の素っ首はねて参ろう」

「気性もこんなんよ」

「むしろ望ましく候」

「決めた。あんたに。助佐どの、末永くよろしゅうに」

「こちらこそよろしく願い申す」


 はやっ。えぐ。ていうか誰でめんどい対応に慣れとんねん。まあええけど。


 決まった。電光石火。当事者同士がいいのだからいいのだろう。天彦は自分の仕事を粛々とこなすのみ。その前に一言、犠牲というと誤解を生むが事実身を挺して菊亭に仕え婿となってくれた助佐に礼を言う。


「おおきにさん。この恩は一生忘れん。助佐がその心算ならあっちさんに骨を埋めてもええんやで」

「まさか。それがし身も心も菊亭の家人にて候」


 嬉しいさんやわぁ。天彦はこの手の男気を持たない分だけ強く感動を覚える性質だ。人知れずお目目うるうる感動に浸る。

 でも案外あっさりは拍子抜け。助佐にはそんなことより気になることが他にあったのだろう。あるいは喫緊にできたのか。

 天彦がいざ綿密な打ち合わせに入ろうとすると、やや浮かれた感じだった助佐が我に返って質問を浴びせた。


「殿、河内津田家、黙って引き下がりましょうや」

「下がらんかったらそのときやな。まあ下がらんやろ」

「戦にござるか」

「とことんまで話し合う。むりなら結果は天のみぞ知るこっちゃ」

「む」


 これまで部外者だった話が急に我が事になった助佐は深刻だった。

 当然の心境の変化なので天彦も言葉を尽くして応接する。


「そう心配もないやろ。と思うけどな」

「と申されますと」

「信長さんが魔王であるうちは大丈夫なんやで」

「はぁ」

「不満か」

「よもやけっして。ただ殿の仰せ、皆目見当もつき申さん故……」

「そやな。オフレコやけど。オフレコあかん。あれラウラ、オフレコなんやったっけ」

「内密にございます。ご自分であみ出されておいて忘れるはおやめください」


 冷静にまぢキレやめて。そっちこそおやめください。


「そうそれ。この夏、織田さんは行く先は明かせんけど大軍を出さはるんや」

「大軍、されど」

「八万。助佐、お前さんそんな大軍勢見たことあるか」

「はち、まん」

「そうその顔が正しい反応や。想像つかへんもんな。そやけど織田さんは八万の大軍勢で攻め立てるで。勝負になるやろか。最新鋭の装備を備えた八万の軍勢と旧態依然の装備の引きこもり兵と。士気からして万倍はちゃうやろな。その決戦以前に道中どこをお通りさんやろか。たとえば南の方角やったら。見物やな、道中の敵対勢力さんらの行く末が」

「……河内津田家は進軍の道中であると仰せか。浅はかでござった。片岡家の仕置き、殿を信じお任せ致す」

「そうしとき」

「はっ」


 これにて一件落着。天彦としては打てる手はすべて打った。


「これにて仕舞いや。さあみんなさん明日に備えてお帰りさん」


 はっ――!


 菊亭一の青侍が婿入りする先のお家さんを主家が守って何が悪いの巻。


 やや無理筋で相当苦しいがオチる。魔王さんなら必ず落としてくれるはず。何より格調はかなり高い。朝廷三役たる参議家の家来とはいえ晴れの門出なのだから。

 但し天彦の犠牲は必須。散々避けてきた参議就任。加えて織田と朝廷との間に入った諸々の複雑怪奇な交渉を始めとして、帝の臣に戻っての参内や本来業務に立ち返らなくてはならなくなるがそれはそれ。

 そもそも論それこそが天彦の本分なのだ。いつまでも避けてばかりもいられない。最も避けて通りたかった道だけれど。泣く。己の無能に泣けてくる。撫子ぉ。お兄ちゃんを慰めてー。


 因みに天彦、公式な地位は従六位下・六位蔵人であるが非公式ではすでに参議の地位と認定または認識されている。とくに織田家中では天彦を参議と呼ぶことが通例となっている。

 なぜなら織田はすでに天彦の昇爵並びに昇職を上奏しているから。天下へ号令する織田が上奏したのだ。結果は報せられずともその通りになって然るべきである。というのが織田家中の当然の志向性。


 朝廷は朝廷で織田の意向に沿う形ですでに天彦の昇爵も昇職も内々に合意形成をすませている。ただそれを天彦の勝手都合で拝受していないだけで。

 尤も菊亭は本来その地位にあっても可怪しくない名門貴家である。現在が脇に逸れただけで正しい道に軌道修正されたと思えば、納得のいかない他力に意地を張る必要もないのだが、意地と偏屈は現在進行形で更新中。だから宙ぶらりん状態だった。

 いずれにしてもよって従四位下・参議の位階相応と朝廷で見做される天彦は紛れもなく殿上人なのである。本人の自覚あるなしにかかわらず。

 猶、参議に相当位はないため菊亭の家格的に従四位下が相当ではないかと推察される。



 閑話休題、

 野蘭が天彦に儀礼に則った謝意を示した。天彦も故実に則り返礼する。


「お世話になりました。夫婦共々今後とも何卒よろしく御願い申し上げ奉りまする」

「偉いもん押し付けて大儀さんやった。こちらこそ御頼みさんにあらしゃります。明日が本番やけどまあ大事無いやろ。これからは親戚や。あんじょうよろしく御頼みさん」

「光栄でございます。こちらこそあんじょうよろしく御願い奉ります」

「固いのんもこのへんで。ほななお休みさん」

「はい。ほなまた明日、お休みなさい」


 野蘭とは始まりのように気さくに別れ、天彦はほっと安堵のため息をつくのであった。


 人がはけた自室にて。茶を啜りながらラウラとだべる。ほとんど日課のようなもの。


「天彦さん、ずいぶんと嬉しそうですわね」

「そうかな。自分ではわからん」

「意外です。てっきり最後まで逃げ切るものと」

「参議やろ。身共かてさっきのさっきまではそのお心算さんやったで」

「では」

「人には宿命があるんや。そこからは逃れられへん。たとえばラウラが同胞を救う使命に燃えているように。そういうことや」

「はいそうですね。ところでわたくしにも婿を見繕ってくださいませんの」

「男衆がびびってもうとるやろ。お身内さんからは諦め」

「まあ酷い」

「ははは。割とガチな声やと思うけど」

「こら」


 ラウラほどの好人物なら他にいくらでもいる。何より本人にその気がないくせにとは禁句であろう。天彦は言葉にせず仕舞った。


 石山本願寺との一戦はこれで背後を固められる。これこそ親友ずっトモの恨みを買ってでも死守したかった悪巧みの一つである。戦術などというご大層な絡繰りではないので悪巧みで十分。

 綺麗ごとも言いたいがぐっとこらえる。これから始まる地獄の十年にも及ぶ消耗戦を少しでも和らげられれば御の字である。それだけで天彦の心痛はいくらか和らいだのである。


 来年秋口から始まるだろう対浄土真宗とは血で血を洗う大激戦となる。回避はできない。信長が信長である限りは。

 だから天彦の願いは戦線拡大の僅かな歯止めと地獄の石山籠城戦を少しでも短く回避する一手を放つことだけ。

 その願いに一歩近づけた満足感に今夜ばかりは浸るのだろう。そんなどこか気の置けない欠け月がでんと居座る可惜夜であったから。












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