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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
肆章 切切偲偲の章
66/314

#04 格調高き悪巧み

 



 永禄十二年(1569)三月二十日






 信長とて鬼ではない。魔王だが。くそっ魔王め。いずれにしてもオチを付けてくれるつもりだから会談の場に呼び出された。それは疑いようのない事実であろう。と天彦は推察する。

 すると天彦はオチやすいようネタをお膳立てしなければならない。それも誰もが納得できる容易な形で。命に代えても。命に代えられるから。それこそが武人の面目、面子であろう。

 この世の中さんが面目と面子で回っているなんて、ほんまつくづくしょーもない。


 だがご存じ天彦、内心ではいくらでも盾突くがこの状況に刃向かうほど愚かではない。

 本人曰く度胸は満点にあるらしいが、よってその死活ネタを探りに京の町中を探し歩き回っている。何も見つからなかったとき用に敢えて噂が立つようやっていましたよアピールも欠かさずに。

 本日で丸三日目に突入。足の皮と豆はすでに二回お亡くなりになられている。痛いのんお足、お足さん痛い。


 言い出しっぺの責任もある。天彦は泣き言を内心の独白にとどめ表情は終始キリッ、歯を食いしばって気丈を振りまく。

 しかしそれすら座の沈痛ムードを吹き飛ばす好材料にはなり得ない。お目当ての人材が捕まらなければ相当不味い流れなのは誰の目にも明らかである。どないしよ。そやクイズ出したろ。好きやろクイズ。


「うちの売り、なんやわかるか」


 洛外某所、天彦は何の気なしを装い問うた。するとイツメン家来衆は全員が己に問われたものと仮定して真剣な顔で黙りこくった。

 鼓動は10を打たなかっただろう。やはり先陣を切ったのは家令であった。


「はい。悪巧みと悪足掻きです」

「いいやちゃう。うちの売りはしぶとさと一発大逆転や!」


 雪之丞がラウラに被せるようにつづく。すると、


「一所懸命にござる。王道からはほんの少し外れてござるが」

「うむ。佐吉殿の仰せの通り。加えて某は異端を恐れぬ突破力に思いまする」

「琵琶の伝奏にござる」


 佐吉が率直だが無難に答え是知が賛同しつつも私見を交えて踏み込んだのち、樋口与六が洒落っ気で締めた。

 すると青侍衆がやんやと囃し立て始める。菊亭の売りが琵琶ならとっくに破綻、断絶であろう。この時代の不吉最大禁ワードを堂々と臆面なく。

 だがこの風通しの良さこそが菊亭の家風。家人を含め誰ひとり咎め立てする者はいない。天彦がこの程度のことで目くじら立てないことは誰もが承知しているのだろう。天彦の内心も知らずに。


 当人は案外これで食らう性質なのだ。青侍衆のそんな心無いけれど極めて真っ当な揶揄に完全に眉をしかめて不満顔を浮かべている。

 尤もその言には正当性しかないので文句はこらえて。それが更なる誤解の種だと思いもせずに。琵琶は身共の生命線なんやぞ。う゛想像しただけでお指さん攣るん。お前らいつか覚えとれよ。てか与六完全にいじってますやん。もうお家帰って。


 天彦が震えながら感情を整理し切り替えようとしているところに、


「いずれにござるか」


 イツメンを代表して与六が正解を訊ねる。天彦は意地悪返しをするかどうかほんの数舜思い悩み結果やめた。親友ずっトモムーブをかましてくる同級生の武士侍に反感を買うほどおっかないことはないのである。違う。対抗心を剥き出しに突っかかるほどダサいことはないのである。


 天彦は落ち着いたら成敗したるの意味を含めた曖昧な笑みを浮かべ「やっぱしうちの家令さん、さすがやわぁ」と素っ気なくつぶやいて答えとした。


 おおぉぉぉ――! すげえ! さす家令! ええぞおばちゃん! ラウラかっちょええ!


 家令を称える賞賛の感嘆。どうもどうも、いやいやそれほどでもあります。ラウラはいつになくオーバーリアクションで賞賛に応えた。むろん誰ですかおばちゃんと言ったのは。と凄むことも忘れずに。

 二人ほどさっと視線を逸らしたので犯人はお察しだが、本日で丸三日。いい加減座の雰囲気もうんざりムードに傾いていた。そのちょっとしたガス抜き演出のつもりなのだろう。あらゆる意味でラウラは菊亭に欠かせない人材となりつつあった。


 さてその正解の売りだが。菊亭の扱う商材は今や多岐にわたる。それは物販に限らず様々である。

 それでも主たる営業品目は何かと問われたら天彦は迷わず答える。“格調高き悪巧みである”と。悪足掻きも間違いではないがこちらは天彦の専売特許。家業に昇華するには格が足りない。故に悪巧み。そしてその悪巧みは格調が高くなくてはならないのだ。様式の美しさに通じるから。


 それを承知の信長公。あの御来臨はそういう意味であろうと天彦は判断する。そういう意味とは“許しは与える、だが足掻き企んでみせよ。貴様が思うまま好き勝手に振舞いたいならば”という条件注釈付きの意味である。あの来臨がそもそも許しありきであったことがその証左。ただ許すのでは興が乗らない。そや試したろ。偉いお人はすぐに下々試しがち。酷い話である。


 確かに酷い。しかし一方で天彦の信長評は案外悪くない。あるいは高評価の部類でさえあるのだが、信長公は原則個人の裁量にはかなり寛容。家来が出しゃばっても基本放置の方針である。だが反面、間違うとかなりヤバい。間違いの尺度は題材や局面によってまちまちだがこと成果を上げないという間違いにかんしては相当厳しくあたる印象である。普通に極刑もあり得るのだ。むしろ極刑がデフォまである。

 よって彼に仕えることは並大抵の気の張り方では及ばず、すると張り詰めた糸ほど切れやすいとしたもの。ある日とつぜん誰かがとち狂って謀反に走っても驚かない。そんな常にひりつく職場である。


 だから天彦は陣営に取り込まれる気はさらさらない。距離は絶好の位置よりむしろ少し離れたスタンスを善しとしているくらいである。

 そんなともすると狂気の人から呼び出された。名指しで。あの朝廷すら足蹴にする内裏に向かって発砲する、頭の可怪しい天下人織田三郎信長に期日を指定された上で呼び出され、間際のギリで上洛する者が果たしてこの世にどのくらいいるだろうか。いない。


 少なくともこの畿内には皆無であろう。そう考えた天彦は洛中問わず京の旅籠という旅籠を虱潰しに調べまくった。査問という名のギロチンカッター部会を明日に控えた三日目の午後、桜満開の教王護国寺(東寺)さんの真ん前で。


「捕まえた」

「きゃ捕まっちゃった」

「念のためお名前さんを頂戴できる」

「知らない人にお名前名乗っちゃダメって、……片岡野蘭と申します」

「野蘭。お前さんさては余裕やな」

「およよよ、そんな御無体な」

「こんのっ」


 いずれにしても探し人確保。菊亭一門に大きな安堵のため息がもれる。

 枚方城女城主・片岡野蘭は案外、いやかなり奇矯な人物だった。つまり天彦とは波長が合う部類の傾奇者。

 そしてやはり推測どおり女城主と呼ぶには幼かった。だが天彦が憶測した幼女や児童かと問われれば首を傾げるくらいの年代。つまり天彦の実年齢プラス二、三個上であろう。12、3歳の女子であった。

 但し将来を彷彿とさせる片鱗は随所に伺える、控えめにいって美姫なる女城主との邂逅であったのだが、


「助佐、取り敢えず逃がさんように御頼みさんや」

「はっ。者ども、かかれ!」

「あーれー」


 やっぱふざけとんなこいつ。おもろいけど。


 天彦に外見容姿の善し悪しなど何の加点にもならないので扱いは雑い。

 だが野蘭はずいぶんと驚いている。おそらく自分の美顔を自任しているのだろう。表面的にはお道化てみせても内心の戸惑いが隠せていない。

 推察を証明するように戸惑いはやがて不満へと変わっていった。いよいよ野蘭はされたことのないだろう粗雑な応接に憮然を隠せず黙りこくった。


 一方なるほどと感じ入ることもあって、この時代高貴なる姫は人前にけっして姿を曝さない。人妻になると歯を真黒く染めたブス化粧をするくらい他者の目線を気にしていたほど。

 しかし女城主片岡野蘭は被衣かずきも市女笠も被らず頬っ被りもせず堂々素顔を曝して天下の公道を歩いていた。むろんここは京。天下の公道などないけれどそれが天彦にとってかなりの意表、意外だった。

 なにせ天彦の周囲の貴人女性は完全に100顔を隠すスタイルだったので、心底意表を突かれていた。何ならそのスタイルの女性が中心にいる集団を探していたまであるのだから。


 やはり女城主とはいえ侍なのか。天彦にはそんな感心と関心が生じる。興味が生じたらもうお仕舞い。仮説を立てたら立証せずにはいられない。未知との遭遇には理解せずとも納得せずにはいられない。数式を解き明かせない気色悪さは天彦を最も苛むものの一つだった。



 閑話休題、

 天彦がどう料理(理解)してやろうかとしげしげと野蘭を観察していると、


「いくら何でも無礼でござろう。如何なる仕儀にござろうか」

「我らを田舎侍と侮ってか!」

「無礼千万、よもやこれが京の流儀にござるか」


 野蘭の護衛役の侍たちが遅ればせながら任務らしい文言を発した。如何にも取って付けたように。

 天彦は警戒している風の野蘭の護衛を視線で制し、だからといって不審者で無いことはこれといって証明せずに野蘭の周りを家人で囲む。


 彼ら片岡家家来衆が誰ひとりとして天彦たちを誰何しないのは単純に、天彦が菊亭家を標榜する紋付の直衣のうしを着ているから。特別に仕立てたオートクチュール直衣は目下天彦のお気に入りの逸品である。説明不要で重宝している。

 猶、市井の隅々末端まで菊亭家紋が知れ渡るよう、そのために逗留している旅籠に堂々と掲げているのでその努力は報われていた。


「茶でもしばきにお参りさんや」

「ではご相伴に預かります。で、どちらさん」


 努力は報われていた! はっず。まじはっず。おもくそ誰何されてるし。


「本気でゆうてそうやから嬉しなるな。今この日ノ本で最もお前さんの命運を握っているお人さんやと言えばわかるか」

「……菊亭、さま?」

「そや。その菊亭さんや。遅ようさん。散々っぱら歩かされて足が痛い。お茶代はそっちの奢りや早よいくで」

「へ」


 さすがに想定の範疇ではなかったのか女城主野蘭は固まった。どこぞの金持ち御曹司とでも思っていたのだろう。あるいは彼女にはよくある光景なのかもしれない。

 野蘭は自画自賛しても痛々しく思われない程には十分な美姫だった。坦々たる天彦との対比がそれこそえげつなすぎて笑えてしまうくらいには絶世半歩手前にある美少女だった。


 さて場所は教王護国寺、別名東寺と呼ばれる界隈である。未来の現代なら五重塔が覗える南大門付近の京阪国道口と呼ばれる地点であろうか。すると天彦にとってはあまり縁起のいい場所ではない。教王護国寺は将軍家の定宿としても知られていて、目下二条城が完成するまで将軍義昭がすぐ目と鼻の先にご逗留なされているからだ。

 天彦には皆目心当たりがないまま将軍にはなぜか敵意を持たれていた。複雑化必至の邂逅は是が非でも避けねばならない命題だった。


「ラウラ、どこか内密に会談できる場所はあらへんやろか」

「はっ、お任せあれ」


 ラウラは目配せだけで配下の数人を動かしてみせた。アレかっちょええわぁ。いつか身共も……。

 ラウラの所作に見蕩れていると、袖をつんつん。目線を向けると、


「なんの心算つもりや」

「見たままやんけ」

「危ないさんやろ」

「危ないからこそ効力があるんじゃい、危ない思たらおどれが退かんけっ」

「ほう。それが地ぃか」

「そやったらどないしたんじゃいっ」

「べつに。どないもこないもあらしゃりません」

「クソガキが。ほざいとれっ」


 野蘭は天彦の耳には心地いい本来の地であろう河内弁で言い放った。お国柄なのだろう。まあ何とガラの悪いこと。容姿と操る言語の落差に菊亭家中はドン引きである。だが天彦だけはごく自然に受け止めている。じゃりン子ちえちゃんに代表されるディープ大阪弁に男女の差はほとんどないことを知っているから。

 過去も未来も現在もずっと。大阪人はどこの地に居ても住み着いても故地の言葉を忘れない律儀で古風な人種なのである。つまり郷に入らない阿保だった。


 さてその野蘭、鋭く尖った切っ先を自身の首先に向けていた。いや少し刺さっているのかも。すでに赤い何かが滴っている。


 姫っ――!


 護衛の侍たちがたまらず声をあげた。だが30点。危機感がなさすぎた。態度にも張った声にも。

 きっとそういうところなのだろう。この美姫の目が美顔を台無しにして余りあるほど絶望色に染められているのは。誰も彼もが本気で彼女の身を案じていない。

 天彦はその手の感情面にかんしては素人アマチュアである。だが家中の悪意ある目に晒されることにかんしてはかなりの玄人プロ。いっそ達人を自称するほどの自負通り秒で気配を察してしまう。むろん菊亭家人も同様に察したことだろう。それほどに家来たちの演技や立ち回りは大根だった。


 天彦は無手を示しながら一歩近づく。


「あんたさんの状況が深刻なことは承知におじゃる。勾引かどわかそなんぞ思ってもあらしゃりません」

「あなた様は本当にお公家様なんやね。言葉が巧み。表情まで深刻ぶってる」

「あんたさんか。われとは言わんのやな」

「われ何さらしとんねん。お望みとあらば申します。御好きにどうぞ、なさって下さい」

「なんや投げやりやな。死にたいんか」

「もう死んでいないだけで生きているとは言えへんよ。お子ちゃまにはわからへんよね。女子おなごってこう見えて大変なんよ」

「ふーん。深刻ぶっている内はそうでもないと思うけど。ほなら会談終わってから死んでくれたらええさんや」

「へえ珍しい。ええカッコしませんの」

「なんでするん。そんなだるいこと」

「本気?」

「本気さんと書いてまぢと読む。因みにまぢとは本気さんの意味や」

「意味あらへんし!」

「よう通るええツッコミやったで」

「ぷぷ、くくく……」


 緊張と緩和。ネタがおもしろいとかどうとかに関係なく野蘭はくすくすと笑いこけた。肝心のネタの評価はいまいち微妙。菊亭家人たちは失笑だった。

 だが天彦は大満足。やはり笑いは偉大である。ウケれば官軍。いやだからすべってんねんけど、実際見た目以上にあったはずの温度差がたちまち氷解しているではないか。知らんけど。そういうテイで。

 いずれにしても野蘭の表情は硬さが紛れ、年相応の柔和でいっそどこか快いものにも溶解していた。


「もう大丈夫そうやな。一応その危ないの仕舞うといて」

「警戒心は解きますけど、それと菊亭様が怪しいのとは関係ございませんから」

「さすがに無礼やろ。と思う。一般論では」

「この場面の各論では」

「まあ間違うてはないな。合ってもないけど」


 天彦は家人たちの反応に向けて釘を差すように言った。謎の狂信化している氏郷の影響を受けてか最近の青侍衆の天彦に対する感情はどうにも手に余った。

 よってここをなあなあに仕舞うと今後野蘭とは永久に打ち解けることができなくなる。家中すべてひっくるめて拗れてしまうからだ。


 反面、野蘭にとって天彦が生命線であるように天彦にとっても野蘭は重要なキーマンだった。捨ておけない。いざとなれば余裕で放るが極力拾う基本スタンスに沿ってそれまでは忠実に接する程度には重要である。つまり不都合なら無理はしない。

 天彦の含めたその意は野蘭に正しく伝わっていたようで、天彦もそっと感心。

 片岡野蘭、どうやら勘も感性もなるほど捨てたものではない。あるいは化ける素養もそこはかとなく感じさせる一門の人物のようであった。


「菊亭様は御味方でしょうか」

「それはあんたさんの目で決めることにあらしゃります」

「……なるほどにございます。ご無礼仕りましてございます。世には可怪しな者ばかりなのでつい。重ね重ねご無礼をお許しくださいませ」

「人間不信の気持ちもわかる。いやこちらこそ非礼をお詫びさんや、堪忍さんやで」

「いえ滅相もなく」


 譲り合っていても埒が明かないので一往復ラリーでとどめる。

 天彦は改めて我に返って己が確かに胡乱だと自覚した。よくて奇妙な集団である。悪くすればなんだろう。天彦自らも胡乱なら連れているメンツも相当怪しいこの集団。

 ここから怒涛の鎖国に入る大排他的思想全盛ちょっと前の室町にあって、金銀パールの目にもあざやかな髪や瞳の色をした異人を連れて練り歩いているのだ。それも堂々と臆面もなく。それは胡乱だ、それは怪しい。むしろ警戒感を覚えない方がどうかしていた。人の目大事。そういうこと。


 だからといって説明義務もないのでしないのだが、この対策は今後の課題としてとりま。目の前の姫の攻略が先決。

 天彦は持てるすべてのスキルを解放。デッキには手垢のついた見すぼらしいカードが数枚出現するだけだった。ぬぐぐぐぐ。


 だが距離は詰めておかないと。在地の国人に礼儀作法など苦痛なだけ。まずはそこから。


「当家は落ちぶれ公家さんや。そない改まることあらしません。ざっくばらりんさんにまいりましょ」

「ほんまに?」

「うん。ほんまに。そやし茶でもシバキに行こ」

「わあ! よう知ってるやん。わかった。よろしくね菊亭くん」

「くん! 距離感の詰め方バグってるやろ」

「ええゆうたりあかんゆうたり、ようゆわんわ」


 はは、おもろ。これわざとやったはる。


「まあええやろ。今が不都合なら一旦退散するけどどないさんや」

「心の準備とお化粧が必要です。お時間ください」

「要らんやろ。どうせ大して変わり映えもせんのに」

「要るやろ。クソガキにはわからんやろけど。おどれしばかれんど」

「おい」

「ふん」


 嗚呼……、さっそく。つい。しくった。身共の……、


 気づいたときには内外からの白い視線にさらされていた。特に家令は激烈だった。妙齢の女性には刺さったのだろう。ぺこりと謝罪。ふんぷいっと鼻息そっぽが返ってくる。えぇぇむっちゃオコやん。


 善悪ではない。モラルの問題であった。人の命が茶碗一膳分の白米と等価かそれ以下の時代にあって、女性の美を褒め称えるのはけっして怠ってはいけないモラルであった。ほんまか。ほんまなんか。


「まあそれほどの美顔、化粧なぞ不要という京風の言い回しなわけやけど」

「嘘つけ! 下手くそすぎやろ」

「頑張ったん」

「ふふ、努力は認めてあげましょ。ほなら参りましょか。貸しですよ」

「……」


 嗚呼、なんやただの武士もののふやんか。


 天彦は何となくわかってしまう。この姫、もう既に腹を括っているのだと。

 最後にかぶいて一花咲かせようとしているのだと。

 誰に誇示したいのかはわからないが、感付いてしまった。憐れなほど哀しい覚悟を感じてしまった。だからといって道連れだけは御免である。

 そうなるとどう応接していいのかわからず、意図もしていないのにどことなく空々しい雰囲気を演出してしまう結果となるのも仕方がなかった。


「チェンジで」

「どういうことやねん!」

「え」

「交換の意味やろ。知ってるちゅうねん」

「へー」


 野蘭は英語に堪能だった。またぞろ興味と関心が湧く。

 天彦には元々の思想とバイアスが利いていて、誰の生き方を否定できるものでもなければ立場もないという思いが強くあった。いずれ取り払わなければならない枷だが、最後の最後になるのでは。そんな予感がひしひしとあった。


「お師さんは伴天連か」

「それがどない。関係あらへん」

「関係ないとお思いさんか」


 天彦は飛び切りの関係性を指さし誇示する。

 野蘭は一瞬目を見張り、けれど哀しそうに目を伏せた。自身の境遇と重ね合わせたのだろう。表情が露骨に曇った。それともラウラたちを奴隷とでも見誤ったか。いずれにしても効果は天彦が思うようには効かなかった。


「デウスはお前さんを心痛から救ってくれそうか」

「侮辱はやめて。悪趣味な子供やね」

「侮辱なんぞしてへん。神さんがようお話訊いてくれはることは知ってる」

「ほんまに口が達者。でも何をゆうてももう絶対に信じへんよ。その手の悪意には慣れっこやし。うちかて神さんなんかほんまに信じてるわけやあらへんの。ただ……」

「ほんまも嘘も好きにしたらええさんや。なんで貴種たる身共がたかだか在地の木っ端国人さん相手に信じてくれゆうて請わなアカン。舐めるのも大概にせえよ」

「……かもね。ご無礼仕りました」


 ええ、まさかの拗ね! あり得るん、拗ねるとか。拗ねるとかアカンやろ。

 だが現実にあった。それがすべて。天彦は捨て身の無敵感に改めて難物を思い知らされる。


「参ろうか」

「ふん」


 こんのっ。


 洛中を背に歩くこと結構。ややあって、ラウラがこちらです。

 旅籠からそこそこ離れた街道沿いのポツンと一軒家の茶店に着いた。

 申刻晡時。どこからか夕七つの鐘が鳴る。それに合わせて誰かさんの腹の虫が盛大に鳴った。茶より飯時。そういうこと。


 それでも天彦は京も今日とてお仕事である。さて悪巧みでも始めましょか。











【文中補足】

 1、河内津田家(領内に三つの寺内町を抱える)半寺社勢力。

 四代目当主・津田主水正時の時代に最大版図を築く。

 叔母が敬応寺の蓮淳(蓮如の六男)に嫁いでいるため石山本願寺とは姻戚関係にあった。※つまり茶々丸とも血縁のある親戚関係となる。


 2、片岡家

 樟葉荘・牧野荘を領有する枚方城を本拠とする在地国人、女城主を立てているが実質は叔父(母方)の権八時吉の院政である

 奇しくも天彦の認可状があったから野蘭は生かされているがあれがなければとっくに闇に葬られていたことは想像に難くない。グッジョブイルダ。





















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