表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
肆章 切切偲偲の章
65/314

#03 ご用命は口幅ったい狐ですか、こん

 



 永禄十二年(1569)三月十七日






「うぅぅ痛い。それで津田さんとは如何様なので」

「さすがそこら辺りは抜け目ないか。で、ある。こやつら河内津田氏族は三好に与しおった愚か者ども。成敗してやろうと考えていたところに彼方から飛び込んできおったまさに飛んで火にいる夏の虫。故にこうして参った次第じゃ。掻きまわしおって」

「重ね重ね申し訳あらしゃりません。やはり思い過ごしではおじゃりませんでしたか。あ、そや。このお人さん、惟任さんにも……っ」

「なに」


 口を閉じたが遅かった。確と聞こえてしまったのだろう。油断大敵。本心から反省してしまったのが最大の敗因である。その心の油断が僅かな隙を生み出してしまった。

 天彦は幼稚園児でもしないえげつない保身的言い訳を自分に向けてしながらも、一方では必死になって信長向けの言い訳を探る。


 三郎信長、目をぎろり。天彦をこれでもかと睨みつけて催促した。だが天彦は口を割らない。信長は痺れを切らす。


「申せ」

「お断りさん、……やったらどないなりますやろか」

「斬る」

「わっつ。斬るは堪忍さんなん」


 信長は無言で脇に侍らせていた愛刀の鞘を掴んだ。


「惟任さんと昵懇さんです」

「意地はないのか」

「え、なんですかそれ。初耳ですけど」

「ふん他愛ない。じゃがなぜ貴様が存じておる。よもや貴様……、ないな。ない」

「自己完結!」

「なんじゃ疑ってほしいのか」

「はは、まさか。不満さんでも異論はおじゃりません」

「ないのだな」

「はいありません。あらしゃりません。それだけは絶対に」

「で、あるか」

「はい」


 ほっ。


 どうやら魔王さん、菊亭と惟任の何となくの確執をご存じのよう。

 助かったがどこから漏れた。これは案外知られていない秘密なのに。さすがに雪之丞だと思いたくない。その思いがバイアスをかけたのか今回ばかりは天彦の頼りない勘も違うと訴えていた。  

 やはり恐るべしは武家の嗅覚か。おそらく天彦が主体ではなく惟任が何かを勘繰られている。天彦はそう仮説を結論付けてこの件を保留とした。


 さて津田氏の動向。史実でそう伝わっているから知っていた。明智(惟任)を調べれば確実に出てくる情報であり郷土史にも載っている結構知られた事実である。惟任と羽柴の決戦の地、大山崎の戦場で惟任側に合力したのがこの河内津田氏なのであった。


 どきどき。ゆーたろかな。言えるわけない。それなら神仏が枕元に立ったと言った方がナンボかまし。寧ろ信じてもらえる公算は高いまである。

 だがそれとは別に天彦は極力想い出補正には頼りたくなかった。少しのずれで大きく史実(事実)が変貌を遂げてしまう可能性が高いから。笑いごとではなく大真面目に。こう見えて天彦、何かが判然としていない現段階ではまだ改変をけっこうかなり恐れていた。


 しかし数年後の未来に河内津田氏は加勢するのだ。蜂起した惟任に。それは事実である。むろん目の前のお人さん亡き後だが、それも事実ナンマイダ。

 するとすでに繋がっていると思って不思議ではないし繋がっている公算は高い。でないと可怪しい。惟任のような周到な人物が思い付きで謀反など起こすはずがないのである。天彦の人物評的には。加えてあの京での人気も絶対に伏線だと勘繰っているがどうだろうか。


 実際はわからない。人は感情の生き物だから。突然狂ったようにこれまでの路線を変更することだってなくはない。

 だがだからこそ天彦は断固言い切る。河内津田氏は惟任派であると。これにて惟任さんへの仕返しも一個済み。そういうこと、まる。


「惟任。……惟任日向守。捨ておけぬか」


 閑話休題、天彦は超特大級の不穏なつぶやきに耳朶を叩かれ現実に引き戻されてハッとする。そこには第三形態に変態を遂げた完全覚醒魔王の姿が顕現していた。

 これいっちゃんあかんやつや。天彦は本日何度目だろうかの腹を括って魔王と相対した。


「狐、ならばどこで仕入れた。この場で明かさぬなら二度とは使わせぬぞ、その伝手は」

「はて神仏のお告げさんやろか。わかりません。ですのでお忘れください」

「できぬ。余に隠し立てするは利敵にも勝る愚行なるぞ」

「そない脅さんかて。当家には射干党という影働きの郎党さんがいたはります。その者たちからの、と申せば十分さんやと思いますけど」

「取って付けたように。門前の小僧でももっとましな作文を書こう」

「はい。ですが真実。氏神さんに御誓い申しあげまして河内の津田さんは惟任さんと通じてあらしゃります」

「貴様の氏神とはどこだ」

「それは、あそこですよ、あそこ。あれ……?」

「貴様」

「う。たしかご用命は口幅ったい狐ですよね。でしたらお稲荷さんのいずこかにおじゃります。きっと」

「……おみゃあ、たあぎゃにしとかなかんで」


 みゃあがないと寂しい、淋しいみゃあ。

 にしても歯が、歯が心配になるほどガギガギゆうたはる。こっわ。でもせーふ。


「ほっ。でもでも誓います。我が名に懸けて」

「で、あるか。それで狐、惟任への意趣返しは済んだのか」

「惟任日向守さんとは貸して借りてと昵懇の間柄さんにて」

「真顔で抜かすか。親といい狐といい貴様ら西園寺一門は碌なことをせん一族であるな。しかし惟任め……」

「いやそこは息子で」

「あ」

「ひぃ、狐でけっこうさんですぅ」


 天彦は萎れるしかなかった。魔王の繰り出す視線が悪魔的すぎたので。

 親といい狐といいってもう完全に弄ってますやん。おもろいからええけど。

 しかしあれと一緒くたにされたらさすがにキレるんやけど。……ん?


 天彦はそこではたと気付く。

 あれ……? この流れあれ。あれこの流れ。惟任を追い込んだのって、えぇ。


 天彦の脳裏に特級の厭な予見が浮かんでは消える。だが最後は霧散した。先に嵌めてきたのは彼方さん。こちらはあくまで受け手であると。

 なので感情に揺らぎはない。しかしそれとは別の意味で肝が冷えた。天彦の感情は秒で萎んだのだ。

 信長の天彦を見る目に幾分の影が潜んだからだ。確実に魔王モードに移行していた。さぶっ肝が冷えた。


「なにかおじゃりますやろか」

「なんぞ見つけたのか。そんな顔をしておった」

「ぎく」

「わざとらしい。ふん姑息なガキめ。狐、しばらくは控えておけ」

「控えるとは」

「そのままの意味であろう。派手な行動は控えおとなしくしておけと申した」

「ああ、北伊勢侵攻が控えてあらしゃりますものね。了解さんにおじゃります」

「……もはや驚きもせぬ」

「そのお顔さんで。へーほーふーん、痛っ! それやめてってなんべんも」

「貴様がやめよ。その忌々しい千里眼を」

「あ、はい」


 茶筅に話していれば一本返せた格好になるのだがこのリアクションではまだ伝えていないようである。残念。

 だが茶筅は数カ月もすれば元服し伊勢のお殿様になる。仲良うしとこ。いいややっぱしやめとこ。DQNの相手は一人でも持て余している。


 さて案外さらっと聞き流された。つまり信長は常に天彦との会話には薄々胡散臭さ以上の何かを感じ取っているという意味が読み解ける。この程度の予見を披露したところで関係性には影響しない、とも受け取れる。加えて特に中に入り込んでいる(経済財政諮問会議)天彦であれば猶のこと。仮説と推察で導き出せる簡単な数式だった。果たしてそうかな。


 いずれにせよ事実であれどうであれ一々この程度で胡乱を覚えていては天彦とは到底真面まともには付き合えない。そう判断しているのだろう。それほど天彦の言動には常から不審があった。現に今も仕込んだばかり。長らくそう仕込んで仕向けてきたので効いてくださいお願いします。


「ふん。ほとほと胡乱よな、貴様は」

「ですかね。自分ではわかりませんのん」

「どの顔で」

「このお顔さんで」

「その顔で思い出した。茶筅が絵師に貴様の似顔絵を書かせておったな。出来栄えは秀逸であった」

「どういった意味で」

「魔除けとか、呪い除けと申しておった。鬼門に飾るそうじゃ」

「へー。まあ京ではそんなお噂さんも一部では立ってはるようですね」

「茶筅曰く、悪狐羅刹面あっこらせつめんであったか」

「ひどっ」

「くくく。で、あるか。そうだ狐、明明後日しあさって、空けておけ」

「はい。なんでしょうか。美味しいもんでも御馳走してくれはるんやろか。わくわく」

「たわけが。津田主水正時並びに片岡野蘭、こちらに呼び寄せておる。疾く立ち会え」

「あ、はい」


 強制召喚なので否やはない。明明後日の予定が詰まった。きゃ嬉し。

 ゆーてる場合ではない天彦だが、そこそこ暇でそこそこ忙しいという日々にあって、それなりに軌跡は残せているのだろう。知らんけど。




 ◇




 陣屋には依然として信長来臨の残滓が色濃く残る。それもそうだ。織田軍の威勢に慣れっこの京雀であっても自前の旅籠をぐるりと取り囲まれれば話は違う。さぞ生きた心地がしなかったろう。

 百にも届こうかという大親衛隊の赤母衣衆と黒母衣衆が立派な馬体の軍馬に跨り宿の周囲を取り囲むように待機したのだ。その無言の圧力たるや。想像には難くない。


 魔王と付き合うということはそういうこと。朝廷は元よりあの将軍義昭ですら天彦を呼び立てたくて仕方が無いのに自制しているくらいだからお察しである。

 よって周囲の目に畏怖や恐怖や蔑視が混じっても特に感情を揺らがさない天彦だが。

 ずっと世間の噂など気にも留めないといった接客スタイルを貫いてくれた旅籠の女将の目線に少しの恐怖心が混じっていたのだけが残念でならない。


 けれどそれはそれ。それも人生。それもお人。茶が美味ければ世は並べてこともなし。今まさに窮地を脱した解放感から生きた心地を堪能していた。空気まで美味しいさんや。もぐもぐ。甘味サイコー。味覚までリッチになった気がしてくる。


 大袈裟に生を実感する天彦は解放感からだらけきって雪之丞と向き合っていた。


「若とのさん、このお饅頭美味しいですね」

「うん、むちゃんこ美味しいさんや。ういろーやけどな」

「ういろーですか。へーういろー。しかし毎度毎度、野分のようなお人さんですね」

「ちっ愛用の脇息が。まあええわ。そやその野分さんを夜半に襲撃したお人さんを何と呼ばはるんやろな」

「菊亭一の家来ですやん」

「ほう、菊亭一の。ほーへーふーん」

「な、なんですのん。その怪しげな目は」

「そんなことより一のお家来ちゃん、なんか身共にゆうことないか」


 普請から帰ってきた雪之丞は天彦が魔王に詰められていると見るや一目散に退避行動に移ったのだ。あり得るのか。あり得た。陣屋を離れて茶屋に向かったのである。

 敵前逃亡は極刑である。菊亭にその法はなくとも武家一般に通じる絶対則。ここはガツンと攻め立てたろ。


「なんですやろ。ありませんけど」

「あるやろ。よう思い出してみ」

「さあ、なんですやろ」

「それや」

「ぎく」

「目逸らしたな。ほんで逃げた」

「え!?」

「なにがえや。身共がお雪ちゃんの姿を見逃すと思うてか」

「ぴー」

「くはっ、それはアカン、ずるいやろ。見てみ、あの佐吉すら笑とるやないか」

「ぴー」


 わっはははははは――。


 雪之丞はまさかの鼻をならすという新しい技を身に着けていた。さすがに笑う。笑ったらアカンのに。おもしろすぎた。ふふふあはははは――。


 どんな切り替えし。だが感心はここまで。笑顔も仕舞う。


「若とのさん、某引っ込んどいた方がよろしいやろか」

「うん。ええ気の利かせ方や。でも訊かんとできたら一人前さんやで」

「なんでですのん。ゆわな伝わりませんやろ」

「それもそうか。目から鱗や。とはならんで。今は行き」

「はい。御前失礼いたします」

「うん」


 ござる。ござる。

 雪之丞に続き佐吉、是知が座を後にして隣室に控えた。


 さて大真面目に。階段上がって入り口すぐの廊下部分の隅っこに視線を移すとラウラを筆頭に未来の現代感覚でも大柄な家来たち三名が頭を下げて謝意を示している。

 当たり前だが天彦は望んでいない。天彦は謝罪に価値を認めていない。自分が都合よく多用するからだが、そもそも謝罪という行為その物に意味はないと本気で思っている節があった。あくまであれは様式であると。


「もうええよ。足が痺れているといざというとき役に立たへん」

「ですが」

「もうええとゆうた」

「はっ」


 顔を上げたのはラウラ含めて四名。おそらく堺攻略班の指導的メンバーなのだろう。一人を除き二人は知らない。だが一人は完全に知っていた。イルダさぁ。

 やはり天彦の予感はまんまと的中していたようだ。まあこの予見ならほとんど誰でも当てるのだが。


 しかしやはりつくづく感心させられる凄まじい変装技術。VFXやで。と言われてもですよねと返してしまうだろうとんでもなさ。少なくともイルダが女性であることは男子目線の天彦からは絶対に見抜けない。女性であると知っていてこれなのだ。驚きを禁じ得ない。そんな扮装っぷりであった。

 閑話休題、心配そうに同僚の様子を覗う更に巨体の家来は無視だ。あれとこれが混ざるとめんどい。そういうこと。天彦はイルダに視線を集中させた。


「イルダ、ござるござると遊んでいる場合やなかったな」

「不徳のいたるところにござった。にんにん」

「ふーん」


 天彦はイルダを繁々と観察する。あくまで感覚だが大真面目にふざけているのか。イルダからはそんな気がした。あるいはただずっとふざけているだけなのかもしれないが、ずっと堅物よりかは断然いい。自動人形オートマタでもあるまいし。だったらアリかと思ってしまった。面白さはすべてに勝る。その理論でいくと。


 天彦はそのバカみたいな持論から許すことを決めてしまう。つまり流れを作ったのだ。どんな行為にも別の解釈が可能な余白を与えるという家中の流れを。

 自分が失敗しまくるから予防線を張ったわけではけっしてなく単純に失敗に萎縮させたくなかった。これが建前。本音はどうせ社会自体がパンツを履いていないのだ。人様が履いてなくてなんだというのだ。そんな論法で許すことを決めてしまう。

 ゆるく生きたい。緩く行きたい。但し生死がかかわらないのなら。そういうこと。

 これこそが天彦の本質である。即ち体感で世界観を作り上げている者のラフさであり危うさでもあった。


「真面目にやった結果さんやろ」

「うん。結果さんだよ」

「雑にちょけるな。一つ訊かせてほしいんやけど」

「うん」

「摂津ルートはあかんかったんか」

「てへぺろ」

「おい」

「冗句だよ。さすが天ちゃんよくご存じで。はい無理でした。摂津にはうようよ間者が入っていてもうややこしいったらなかったからね」

「つまり」

「だるいじゃん」


 こんのっ。……だが確かに。自分でも同じことをしていたかも。


「そうかわかった。なら仕方あらへんな。でも覚えておいて欲しい。イルダがしくじると身共は簡単に死んでしまうんやで。今日も中々きわどかった」

「天ちゃん自分でなんとでもするじゃん。いっつも」

「おまっ、今日はほんまにヤバかってんぞ。お姉ちゃん自称するんやったらたまには労われ、弟の身を」

「っ、……本当にごめんなさい。これからは細心の注意を払って取り組みます」

「逆に不安なんやけど。不安にさせ界のハイステークスやね。羨ましいわぁ」

「ひどい。天ちゃんのいけず」

「うんそれでええ。そのくらいのスタンスで行こう。今後も御頼みさんや」

「はっ。心血を注ぎお家の御為に働くでござる。にんにん」


 ラウラもたいへん。こんなんに手綱付けなあかんのやから。これハーネス要るやろ。

 と、同時につくづくしんどさに気づいてしまう。家が大きくなるとこの手の問題に悩まされる。絶対に。

 イルダが当初メンバーだという事実は一旦脇に置いておくとして、そろそろ縮小路線に舵を切るかとあれこれと思索するが今は後。喫緊に差し迫った大問題を片付けなければ。お命さん大事なん。


 するとラウラから不穏なサインが発信された。読み解く。まだ追及の手が緩いと目が口ほどに物を言う。どうゆうことや。なんかあるんか。天彦は少しだけ気を引き締めてイルダと向き合う。


「イルダ」

「にん」

「おい。ちゃんとしろ」

「わん」

「……うんじゃあそれで。なんでこの片岡家に目を付けた」

「わん、わんわんきゃん、わをーん」


 久しぶりに本気の本気で身体が震えた。


「ぎゃいん! 痛い、ラウラなにするんじゃこのくそ阿婆擦れがっ」

「黙れ。次はないぞ」

「お前がウチに何を――」

「黙れと言った。己、あの件公表されたいか」

「う。……イッツジョーク。ドンビーソータイト」

「黙れと言った」

「はい」


 やりおる。ラウラはさすがの貫禄でイルダを調教してみせた。


「イルダ。気ぃすんだか」

「うん。どぞ」

「さっきの件や。なんで片岡家に目を付けた」

「簡単じゃん」

「詳しく」

「そのままだよ。片岡のおじ様、色仕掛けに滅法弱くて――」


 イルダ曰く野蘭の叔父権八時吉がちょろい男だったからとのこと。本当にこの一言で要約できたのだ。訊けば。やっとんなぁ在地国人。

 つまり姪にワンクッション置いて家督簒奪。むろん姪のことなどこれっぽっちも思っていない。ただの私欲、ただの我欲。

 さすがは戦国仕様といったところか。簒奪成功の暁には以降は菊亭(今出川)の軍門に下るから何卒よしなにということだった。

 むろんそれも方便だろう。場面場面で強い側自分の都合のいい方に与するに決まっていた。


 そして流れ的に簒奪はどうやら失敗に終わっていると考えるのが自然だが、するとつまり野蘭の周囲には有能なブレーンがいるとなる。普通に考えて傅役かそれとも家臣がいたのだろうと推察される。

 しかも牧野荘や樟葉荘は寺内町である公算が高い。なぜか。領主とはいえ一国人が守護を飛ばして裁可を求めてきたからだ。

 この件の発端となった津田氏はおそらく寺社勢力。もしくは勢力に取り込まれた信徒か信者。きっとそう。その仮説だと間尺があう。


 寺社であろうとなんであろうとどうでもいい。だがどうでもよくない流れはある。

 天彦は何度も何度もフリではないと念じながら自身と因縁浅からぬ本願寺でないことだけを切実に祈りつつ、喫緊の危惧を問い質した。


「まさかとは思うけど糸輪に三つ楓(今出川紋)の使用と後ろ盾の言質はとらせてへんやろな」

「……」

「おい」

「ごめりんこ」

「って、まさかかいっ! それはアカンてほんまにあかん」

「何をした」

「若様のありとあらゆる権利を貸し与えました。野蘭の身の安全を引き換えに」


 イルダ。おまえ。


 イルダが取って付けたように安全マージンを言語化したのは誰の耳にも明らかだ。なぜなら彼女がふざけていないから。つまり嘘。

 いよいよ不味い。あれ、これって詰んでるんじゃ。いやいやいやそんなわけないし。……あった。うそーん。げろ吐きそう。


「イルダ」

「なにぃ」

「たった今から一生さん、お前さんはにんにん・ござる禁止の刑や! 禁を破れば破門とする」

「はぁ!? そんな横暴、ゆ……、あうん。だよね。りょ」


 でかしたラウラ。だがイルダに一生わんと鳴くかの二択を迫ったら迷わずわんを選びそうだったのでこの罰は最適なはず。さてどうする。


「ラウラ」

「はっ」

「ひとつええか」

「何なりと」

「七月八日とあったがそれは菊亭に来る前の日付や」

「よく……お気づきで」

「舐めすぎやろ。寧ろいっちゃん最初に目についたわ。お前、さてはぐるやな」

「ぐるとは何でございましょうか」

「ぐるとは企み仲間さんという意味や」

「ではいいえ。けっしてございません。ラウラは身も心も終生菊亭と共にございます」


 どうなんやろ。めちゃんこ怪しいけど。100の内98鬼怪しいけどまあ今はええか。


「わかった」

「へ。よろしいのですか」

「ええよ。信じな信じてもらえへんのやろ。うっといけど金言に従う」

「誠に申し訳ございません」


 7、8、9、10。ちゃんとテンカウント待ってラウラに頭を上げる許可を出す。儀礼は大事。


「さあ本番や。信長さんより先に女城主さんに渡り付けられるか」

「先方にその御意志なくば相当御無理かと存じます」

「……やろうなぁ」

「はい。申し訳ございません」

「ええよ。それが家族というものの醍醐味らしいし」


 思いつく施策にはとっくに対策が打たれているはず。なにせすべてに卒ない魔王様のことだから。

 ならばこちらから。……悪手やな。バレたら終わる。てか16,000リットルや。違た100バレルだ。100バレる。ばんざい。


 天彦は自滅に向かって走り続けるレミングの心地を味わいつつ、けれどそれこそ本気の思案顔を浮かべて長考に没入するのだった。


「なんぞないか。なんか決定的なことを……、これか」

「どちらで」

「結局のところ人件費の安さに勝る最善の手段はないんやで」

「はあ」


 この時代、人材が払底することなどまずあり得ない。そういうこと。

 打ち合わせや諸々が済むと既に表は夕暮れ時。


「申し上げます。殿、本日のご報告よろしいでしょうか」

「ええよお待たせ。さ、始めよか」

「はっ――」


 お次は待ってましたの佐吉とのブリーフィング。これが軽く一刻(二時間)はかかってしまう。最低でも。佐吉は単なる報告だけでなく対策や予測も強請ってくるからだ。熱心にも限度って……。

 あー暇や。なんて暇な毎日さん。風雅やわぁ(棒)。ブラック企業の訴え方教えてくれめんす。ちな役職は社長で。


 こうして天彦の暇な夜は優雅に更けていくのだった。











【文中補足・人物】

 0、畠山家(畠山尾州家)足利将軍家一門衆 家紋 足利二つ引き

 1、畠山高正(たかまさ)政国の長男、紀伊国守護、河内半国守護

 2、畠山秋高(あきたか)政国の三男、河内半国守護

 3、畠山政尚(まさひさ)政国の次男、当主ではない

 4、畠山貞政(さだまさ)政尚の長男、紀伊国の戦国大名


 5、遊佐信教(ゆさ・のぶのり)

 河内国守護代、秋高を殺害する


 6、紀伊畠山と伊勢北畠、混同しがち。あるあるは各人でどうぞお歌いくださいませ。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ