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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
参章 雲外蒼天の章
60/314

#13 たとえば、人の命が平等だとして

 

 永禄十二年(1569)三月十三日


 




 寅、平旦。鶏さえ鳴かぬ暁七つ。


 大前提、何をやってもいいのが戦国。原則縛りはあるようでない。

 だが注意しなければならないのは人様の目。朝廷の心情、もしくは心証。それと自分自身を律すること。

 欲を言えば三番目を大切にしたい。特にこの三番目が大切と仮定して、出来ることとやっていいことはまったく別物。この線引きは重要だった。特に天彦にとっては猶更に。


「参ろうか」

「はっ、射干党、前進――!」

「菊亭青侍班いざ進行!」


 天彦の号令でラウラが射干党を先導し、家僕(家政職員)の武力担当(青侍)を率いる片桐助佐且元がそれに続いた。そして諸太夫を纏めるイツメンも武官に負けじとややか細いながらも威勢を張って声を上げた。


「参るで佐吉、是知」

「もう出ておりまする」

「はっ」


「佐吉は一言多いねや!」

「植田殿は一言足らぬのでは」

「なに」

「なんでござろう」

「佐吉、あれを見よ」

「あ。……石田佐吉、一生の不覚」


 雪之丞の指さす先には颯爽とレンタル木曽馬ポニーを駆る樋口与六の姿があった。二人はまだ乗れない。そういうこと。


「与六は馬上や。一方某ときたら。これを恥じずに何を恥じる」

「植田殿は他に恥ずべき点はいくらでもあると存ずるが」

「おいコラ。さすがに某でも抜くものを抜くで」

「どうぞ」

「う」

「どうぞ」

「若とのさん!」


 平和か! 平和やな。

 天彦はいつもの光景につい嬉し味が込み上げてしまいくつくつと笑う。

 見ていてもまったく飽きないので一生見ていられるがそうもいかない。


「お雪ちゃん佐吉。先に参るで」

「そんな」

「お待ち下され」


 鞍上十騎、徒歩二十五名の一団は貸し馬屋を後にした。

 天彦は牧歌的な光景をしり目にぽっかぽっかとお馬さんに揺られながらどうしてこうなったと回想する。むろん反省含みである。


 菊亭を頼る者どもを野宿させるなど恥を知れ。言うだけなら格好良かった。確かに本気で思ってもいた。だが、宿の確保をせよ。言うはヤスシ行うはタカシ。悪いのはすべてタカシである。あ、はい。

 すべってはいない。大事なことなので二度いう。すべってはいない。あくまで支配的な先入観念からの脱却を図ろうとしただけで。


 こうして天彦が居心地悪そうに嘯くのも偏に宿の確保が困難すぎるから。無いのだ、宿が。あるいは人が最低限度人並みの暮らしを担保できる居住空間的サムシングがないのである。

 現在の京は内外問わず入植民との住居受給バランスがあからさまに崩壊していた。

 だがかつての偉人は仰った。パンがなければケーキを食べればいいじゃないと。きっと甘党だったのだろう。あるいは意図が誤って伝わったか。いずれにしてもその志は教訓となる。なければ代用すればよい。それこそまさに菊亭の家訓にも通じる心意気だから。


 住宅確保が中々に難題、今の京は売り手市場。あってもべらぼうにお高い。ならば造ってしまえと思い付きで土地を探しに出かけている。

 縄張りを張ってここからここはオラの。って言い張ればお仕舞い。果たしてそうかな。それには検証が必要である。

 もちろん本当はお仕舞いではなくそこから関係団体の煩方が出張ってくるのだろうけど、それさえ現在の菊亭家の場合はどうだろう。


 その答えが知りたくて天彦は、やや意気込んでイツメンを引き連れ土地を探しに洛外に赴いている。

 この時代、田畑以外の土地所有に厳密な法があるわけではない。あくまで習慣や不文律の何かで暗黙の内に線引きをして実効支配しているだけ。つまりある意味でのフリー素材。それが土地という概念だった。


 但しこれには凄まじい落とし穴があって、この落とし穴のトラップを回避できなければ詰む仕様となっていた。その仕様こそが自助。つまり自らの命を自らの手で守ること。自衛である。

 だが自治を実現さえすれば可能なのだ。土地の保有が。自治とは即ち自衛である。それ以外に意味はないと言い切って過言ではないのである。

 集ろうが集合しようが寄り集まろうが屯しようが、自衛力のない集落などたちまち蹂躙されてお仕舞いなのがこの戦国という時代の気風、あるいは流儀なのである。


 つまり裏を返せば自衛さえ担保できるなら切り取り勝手。そうとも解釈できるのではないだろうか。事実そうなのだろう。

 例えば室町幕府の役人や朝廷の官吏や寺社の武装僧や商人を始めとした座や地域有力国司や在地の土豪や徒党を組んだ浪人崩れの野盗さえも、跳ね除ける防衛力さえ持っていれば十分可能な解釈であった。


「ふっ、あるわけだが」


 あった。


 菊亭にはそれがあった。武力はさすがに心許ない。だがしかしそれを補って余りある圧倒的な政治力(笑)があったのだ。日に日に肥大化する不可視の畏敬の念含めて、人々から寄せられる信望や人々に示せる威厳があった。さすがに盛った。威厳はない。寧ろ最もないだろう。

 だが菊亭にはそれら抵抗勢力を完膚なきまでに抑え込める後ろ盾があった。この後ろ盾あったればこそ地区レベルの集落開発は可能だろうと踏んだのだ。


 偉人は言った。虎の威を借るのはお狐だけの特権であると。


 解釈はひとそれぞれ。人の数だけあっていい。わけがない。

 いずれにしてもそう考えての洛外視察。仮説の検証。そして出立からおよそ一刻、まさに目の前に打ってつけの土地があった。未来の現在ならこの地域を四条通りと西大路通りの交差する辺り、西院といえば伝わるだろうか。そんな場所に土地はあった。


 ぱかぱかと鼻先を寄せてきた樋口与六が天彦に問う。


「平城跡にござるか」

「そうや。ここにはかつて小泉氏が治めたお城さんがあらはった」

「なるほど。さすがは天彦様、視野が広うござる」

「褒めすぎや。それほどでもあるけれども。あっはっは」

「ふふ」


 天彦と轡を並べる与六は、最近ずっと天彦の傍を離れず終始この通り何かにつけてどん欲に質問攻めに合わせている。

 特に与六は天彦の思想に関心があるようで、夜などは天彦が参ったさんをするまでべったりへばりつくほどの熱心さを披露している。

 むろん来て三日で雪之丞の天敵認定をされているのは言うまでもないだろう。その件に関してだけは雪之丞と佐吉の息は妙にあった。


 そんな与六は天彦とかなり砕けた間柄となっている。当事者間に御恩と奉公という主従関係が発生しないという関係性が絶妙なスパイスとなって作用している。

 天彦にとって与六はどこまでいってもお客さん。責任を一切負わなくてもいい無責任さの何と楽な事か。天彦は対与六に関してはそうとうかなり自由に振舞っている。しかも盟友の子弟なのでほとんど同格というのも精神的にとてもよかった。

 他方与六にとって天彦は君主の盟友。あるいは主君が認める数少ない英雄である。しかも思考が途轍もなく先鋭的とくれば刺激的で興味が尽きない。また知見に富み視野も広い。師事を希う相手として申し分ない逸材だった。


 それら好材料を踏まえた上で、何より、


「菊亭家はほとほと由々しきお家にござる」


 楽しかった。笑いが絶えなかったのだ。この生き馬の目を抜く群雄割拠の乱戦時代にあって。

 由々しいとは否定的な言葉ではない。そのまま大変という意味である。つまりめっちゃおもろいおうちやんと言っているわけで。

 このことからも越後の堅堅侍が如何に溶け込んでいるかがよくわかる。



 閑話休題、

 ここにはかつて洛中唯一の城があった。西院城または小泉城ともいうのだが、名の通り小泉氏が支配していた城である。長らく三好方の城として機能していたが、三好長慶没後は松永弾正ギリワン久秀に従っていた小泉秀清が城主であった。ところが先の三好三人衆襲撃によって落城してしまい目下はもぬけの殻である。


 かつての名残りがまだあって朽ちてはいるが城壁も部分的に残っている。

 そんな曰くのある土地だが、すっかり焼け落ちてしまい城郭としての趣は失ってしまっているが人が暮らすにはむしろ格好のスペースとなっていた。


 そんな場所に天彦は目を付けた。ここなら兄弟子の本拠の丁度通過地点にあたる上に、戦略的にも拠点となる。何より八百だか千人だかが暮らすには丁度いいお手頃サイズのボリューム感だったのだ。

 問題は時折り聞こえてくる寺社の鐘。何寺かは存じないがきっと領有権を主張してくることだけは確か。その際には手厚い保障と持ち前の営業力でどうにかする。天彦にはどうにかできちゃうちょっとだけの自信があった。


 我ながら絶好の場所だと自画自賛しているところに早速吝嗇第一号が付けられた。


「何者だ! この地を我ら清水谷氏族の土地と知っての狼藉か」


 武官たちはたちまち臨戦態勢に入り天彦を中心に万全の戦構え。菊亭で何度も繰り返し訓練された氏郷・高虎・且元を中心とした騎馬突撃陣の構えである。

 一団は巧みな馬術で騎馬を操ると、その間にラウラが非戦闘員を下がらせる。


「我らは半家菊亭一門である! そちらこそ無礼であろう、疾く名を明かされよ」


 助佐且元が名乗りを挙げた。だが浪人集団は一向に応答しない。

 相手方の素性は知れない。姿形からよくて在野の浪人、悪くすれば空城に巣食う野盗の類。

 それは誰の目にも明らかで普通に考えれば後者であろう。常に目先が最後の物盗りに明日はない。すわ戦闘必至の局面に際し菊亭陣営に戦闘気運が高まる中、けれどこの中で最も慌てふためく立場の人物がやけに落ち着き払っていた。


 そんな異変に感付いたのか。主君を背に守り鞍上からとんでもない覇気を漲らせる一騎の武将が振り返らずに異変の中心に声をかけた。


「御主君、且元にござる! 何か腹案がおありか。おありなら早々に出されるが吉と存じ上げるが如何」

「ははは、そんなものがあったらこうして震えてへんと思うで」

「如何っ!」

「おい。お前さんまでそっち側か。帰っておいで帰れるおうちに」


 どっと沸いた。


 家と内を掛けた冗句だ。誰もがそれを理解した。ウケたかどうかはこの際問題ではない。天彦の声は正常だった。それがこの場に勇気を与えた。

 天彦はこう見えて案外感情に忠実なところがある。だからなのか文官を中心に周囲の家来たちに一気に安心感が伝播した。善きにつけ悪しきにつけ天彦の家中における信頼感は絶大だった。


 菊亭、身元不詳浪人衆の睨み合いは膠着した。

 菊亭が仕掛けることは絶対にない。専守防衛が絶対の大原則だから。故に防御に徹しているがどうやら彼方も率先しては争いたいようではなさそうだった。不毛な睨み合いの時が過ぎてゆく。


 天彦はするとそこでハッとした。


「お雪ちゃん」

「はいっ」

「こっち来れるか」

「厭です」

「あのさぁ、好き嫌いは訊いてへんねんけど」

「でもそっち危ないですやろ」

「おいで」

「しゃーなしですよ」


 主従の馬鹿なやりとりも慣れたもの。誰も胡乱には思わない。雪之丞が天彦の足元に駆け付けた。天彦はにま。すかさずおいでと手招きする。雪之丞はラウラに手を上げ抱っこを要求。即座に天彦のタンデムにおっちん。


「おお、ええ景色や。若とのさんばっかし狡いと思いますけど」

「乗ればええさんや」

「教えてくれはります?」

「ほんまにその気になったんならな」

「考えときます」

「そんなことよりあの男を見てみ」

「誰ですのん……あ」

「そやろ。瓜二つやろ」

「はい。あの性悪家令にそっくりです。成敗しましょ。行ったろ行ってきます」

「待ちなさい待て」

「う」


 今にも馬から飛び降りそうな勢いの雪之丞の首を抑え込んで踏みとどまらせる。相変わらず直情傾向が治らない。心配で仕方がないが今は後。対している大将もしくは大将格の浪人風侍はどうやら知り合いの縁者のようであったのだ。そんな奇跡のような偶然でもないかぎりは。

 天彦は益々戦闘を回避する理由ができて、普通なら喜ばない場面で大そう喜ぶのであった。


 だがそれはそれとして、無駄な時間は省きたい。時短とまでは言わないが遊んでいる暇はなかった。こう見えて天彦は多忙。午後からも経済財政諮問会議が入っている。

 織田経済圏構想を提案した手前責任は発生しているし、請われた手前オブザーバーとしての参加はマストだ。魔王様キレさせたらむっちゃヤバなん。話いっこも訊けへんし。

 しかも友閑・夕庵のダブルUの祐筆おじいちゃんら、むちゃくちゃ張り詰めていて遊び代など一ミリたりともないのである。これも魔王プレスの賜物だが終始ふざけていたいだけの天彦との相性は最悪の猶上の激悪だった。

 そんなことやから会議への参加自体が一仕事で、かつ終始常に針の筵なんやでぇ。はぁマジで憂鬱つらたんたん。


 天彦は内股でお馬さんの胴をキック。とぼとぼと馬首を進めた。


「我が名は菊亭天彦なり。其方さんは清水谷家の縁者さんとお見受けするが如何哉や」

「おのれ菊亭ぇ! 我が名は実愛さねうい。ここで出遭ったが百年目。この怨み晴らさでおくべきかァ」

「お人さん違いと違いますやろか」

「物の怪を飼うておる菊亭など他にあるまい! 一門を惑わす妖めがっ」



 ええ……、そんな感じ。はぁ。



 天彦はそんな陰口があることは知っていた。だが直接ぶつけられたのはこれが初。がっつり心底凹んで仕方なく馬首を翻して陣地に戻った。つらたん。

 だが確かに公松の縁者であった。実愛、確か公松の実弟であったはず。押領に加担していないだけまだ救いようはあるのか。加担していないのであればだが。


 天彦はとぼとぼと帰還。とほほと泣いた。

 鎮火させるつもりが益々意気盛んに火をつけてしまった。しかも帰ると周囲はやや苦笑気味のけれど総体的には面白味に包まれていた。なんで。

 何でも何もないのである。意図せず状況を複雑化させてしまうお家芸炸裂。この場面、あまりに天彦クオリティだったのだ。


「殿、御気分は晴れましたかな」

「何とでも言えばええ。世は無情や」


 氏郷に問われ投げやりに返す。


「某、血が滾り申す」

「アカンよ。わかっているとは思うけど」

「む」

「む、やない。絶対にアカン」

「くぅ」


 与六を宥め、


「もう白旗降参にござるか。情けない」

「引き分けやろ。高虎の目は節穴か」

「殿ほどではござらぬが。がはははは」

「勝手にゆうとけ。後でシバく」


 高虎に問われ感情的に返す。


「あはは、ですが無血とは参りませんぞ。御覚悟を」

「あんじょうしたって。できたらあくまで努力目標やけど、可能ならお命さんを助けたって欲しいんやで」


 ご無理は申さぬが上々、且元に返され我に返った。これは戦。遊びではない。

 念のため視線をちら。おいコラ。だがさっと目を逸らす雪之丞に日常を実感して更に命を実感する。おおきにさん。

 天彦は刹那スイッチオン。色味のない双眸で敵陣を見つめると同時に、これまた感情のこもらない無表情な相貌で軍扇代わりに扇子を掲げる。そして手慣れた手つきで開き仰ぎ三つ紅葉を天に照覧。助佐且元一切を預ける。厳に告げ指揮権を委譲した。


「はは、確と承ってござる。ではあんじょう致すと進ぜよう。者ども、あんじょう掛かれいっ!」


 応――ッ!


 且元の下知で六騎が槍を突き出し一斉突撃。遅れて槍持ちも突撃した。

 その勢いは凄まじく、よもやあの騎馬が借り馬などと誰が思おう。菊亭勢はたちまち敵陣深くに突っ込んでいった。











【文中補足】

 1、羽林家西園寺流

 清水谷・四辻・西四辻・橋本・梅園・大宮・小倉・正親町・裏辻の旧家は羽林家の西園寺流または庶流であり、むろん実益を棟梁とする西園寺閥の一門衆である。だが天彦の菊亭家家令を務めていた公松の代で清水谷家は断絶している。当然である。主家の最も寵愛する家臣の家領を押領しているのだから。


 2、清水谷実愛(しみずだに・さねうい数え28)

 公松の実弟。御家断絶の逆恨みで菊亭家(天彦)を強く恨んでいる。











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― 新着の感想 ―
[良い点] イツメンのわちゃわちゃやり取りかわいかったです。天彦同様いやされます。 平時はおっかないけど、こういった修羅場時の侍三人衆の頼もしさ半端ないですね。かっこいい。そしてしれっと混じってる愛の…
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