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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
参章 雲外蒼天の章
58/314

#11 夢見月。別れ行く意味は、……ある。きっと

 



 永禄十二年(1569)三月十二日






 時節は三寒四温がぴたりと嵌るすっかり春めいてきた頃。


「子龍、麿は伊予に下向する」

「暇ですか」

「暇や。狂いそうなくらい暇や」


 天彦も実益も依然として謹慎処分が解けていない。当たり前だが暇だった。特に実益は自発的に抱えている私事がほとんどなかった。激暇である。


「碁でも打ちますか」

「飽きた。それに勝てん。お前たまには手ぇを抜け、がむしゃらさんめ」

「あ、はい」

「そやから参る。麿は戦国の公家大名を目指すんや」

「では今生のお別れさんにならしゃりますね。お元気で」

「待てぇい!」

「待ちますけど」

「え、そんなアカンか」

「はい、あきませんよ」

「どのくらいアカン」

「双六で十回連続で一出すくらいあきません」

「佐吉出しよるぞ」

「あれはインチキです。インチキやのうても百の確率で出せる技前を持っています。つまりインチキと同義ですよね。そういうことです」

「あれインチキやったんか! 佐吉おのれぇ。……教えてもらお」

「まあそのくらい不可能です。あきません」

「ほなやめとこ」

「はいお利巧さんです。ようできました。ご褒美に飴ちゃんあげましょ。はいあーん」

「コロス」


 痛すぎる。ほんまに激烈なんやけど。このどつかれるまでがお約束ですのパターン。いい加減引退できんもんやろか。あ、はい。


 そんな哀しみとは別に、菊亭家は今日も今日とて大盛況。むろん商家ではないので何か物販で潤っているわけではない。単に連日、引きも切らずお人さんが押しかけてくるのだ。それこそ上に下にと、まるでここだけ貴賤のタガが外れたように。

 その様はまるで菊亭家定宿の周りだけが何かの特区かのように、高貴から下賤まで、ともすると人種さえ違う陣容がのべつ幕無しに陣屋の扉を叩いていた。


 来訪ランキング第一は朝廷である。お礼の勅使が連日陣屋を参っていた。お礼の意味だけなら天彦もそう邪険にはしない。むしろ丁重にお扱いして然るべき。だが意図が多重かつ複層しているとするなら事情は違う。

 三日と空けず礼賛のお言葉を残してお帰りあそばす宮廷女房外交官のご面々は手を変え品を変え、ときには陣容まで総入れ替えしてでも天彦の参内を催促してきた。


 帝と和解させたいのだろう。あるいは天彦が言外に突き付けている和解案の譲歩であろうか。天彦は参内の条件として九条植通の追放及び二条晴良の公職追放を条件としていた。

 天彦の立場と論理ならそう無茶な要求でもない。しかも朝廷サイドは圧倒的上位者だ。何食わぬ顔で突っぱねられる。取るに足らない地下人だと鼻で嗤って無視すればいい。事実天彦は連日訪れる勅使に対し、その旨はっきりと申し伝えているのだから。

 だがそうはならない。双方共に理解していた。特に朝廷は痛いほどに。


 朝廷には菊亭から和解金三万五千貫(吉田屋割符手形)、そして織田弾正忠家から同額の三万五千貫の寄付があった。都合七万貫である。奇しくも自治都市堺が被る屋銭徴収金と同額なのは単に数字のトリックか。あるいは叙述的なレトリックか。

 いずれにしても朝廷は七万貫もの寄付金を手にし、濡れ手に粟で内裏の補修どころか全面改修並びに部分的新設工事に入れる運びとなった。


 おまけになぜだか三郎信長があれほど強情に強請っていた蘭奢待らんじゃたいを諦めたではないか。九条自身の意向が勝ったと手放しに大歓喜、二条自らの成果を誇ってガッツポーズ、帝は静かに安堵なされたらしいと内裏では専らの噂である。

 いずれにせよお三方は長らく朝廷に訪れなかった安らかなときを漫喫されておいでであった。魔王信長が恐怖の追伸(PS)を送ってくるその時までは。


『天下泰平の恩賜として蘭奢待を諦めたのだ。代わる褒美を望んでも不敬には当たるまい。余は褒美に菊亭の昇進を望むものなり。あれが公家と申すなら余は公家を認めてやってもよい。参議にいたせ』とぶっこんでくるまでは。


 天彦の昇爵や昇進任官などは容易い話。数段飛ばしとて邪道ではあるが過去に例がないわけでもなし。朝廷は無条件で受け入れ了承した。そこから地獄が始まるとも知らずに。

 それだけでは不足であると朝廷は三郎信長に副将軍就任を打診した。お得意の売官・与官外交である。

 だが魔王はこれを余裕で固辞。寧ろ冷笑したとも訊く。その際に上記の台詞に付け加え“確実に要望を実行せよ”と外交女官に念を押した。天の配剤に抗うなと言い添えて。


 位打ち戦略が空ぶった朝廷は仕方なく天彦にお礼の使者と同時に参内を命じる使者を送った。ところが天彦はこれを拒否した。まさかの大事態発生である。

 勅使として参った目々典侍はおよよと泣いたとか。それを見た天彦は家来に塩を撒けと命じたとか命じなかったとか。

 これを契機に噂好きの京雀が飛びついた。京の町にはそれこそ無数の噂話が飛び交った。天彦は善きにつけ悪しきにつけ時の人となっていった。


 その際に目々典侍に向けられた言葉がこれである。


『お命さん狙われてはるんで参りたくとも参れませんのん。身共大事なん。お命さん。お命さん大事。知ったはりますか目々典侍さん。お命さんってたったひとつしかないんですって。お命さん大事やわぁ』


 目々典侍が持ち帰り明かされた言葉を聞いた帝は渋面を浮かべ、けれど相分かったと仰せだったとか。そして九条は顔を真っ赤に染め、関白二条は逆に真っ青に染めたとか。


 そして現在。

 依然として菊亭はお使者をけんもほろろに突き返し結果として参内せず。しかも魔王からは矢のような催促という名の脅迫が引きも切らない。洛外では軍事演習と称した圧迫外交が連日のように展開されていて生きた心地がとてもしない。控えめに言って地獄のような状態が続いていた。


 このように朝廷は窮地に陥っていた。あの春の夜はなんだったのか。いや違う。朝廷にはまだ救いがあった。入れ替えという技が残っているから。即ち九条と二条が詰んでいた。九条派はお仕舞いです。誰かさんを敵視したばっかりに。


 それが現在。


「撫子、嫁ぐらしいぞ」

「……ですか」


 唐突に! こいついつか絶対にシバキ回したる。


「震えるだけかい。反応鈍いな」

「精一杯の強がりですやん。それがこの世界の定めなので」

「なんやおもんない。てっきり討ち入りでもするんかと思てわくわくして待っとったのに」

「暇ですか」

「暇やな」


 悪いは暇のせい。それほどに暇は人の心を塞がせた。

 しかしお嫁さんかぁ。あの撫子ゆうづつが。やっぱしここは兄として。……やめとこ。痛いヤツ以上に寒いヤツなってまう。


「どや子龍。いくらほど儲かるんや」

「どれです」

「なんや、迷うほど手掛けてるんか。おいコラ訊いてへんぞ」

「ふ、普請やったら兄弟子曰く四万五千貫ほどです」

「おまっ」


 セーフ。額がデカすぎて誤魔化せた。でも泣けた。どっちみち泣かされるんかいっ。


「あげませんよ」

「分け前寄越せ。麿は子龍のなんや。一門の棟梁として取り分くらいあるやろ」

「朝廷から奪い戻してくれたら半分あげます」

「あ。主上さんか。……なんぼいかれた」

「三万五千」

「おっつ、そ、それはご愁傷様やったな」

「半分持ってくれますか。一門の棟梁として」

「土井、帰る支度せえ。用事思い出したさかい。ほなな子龍」

「また明日」

「おう。邪魔したな」


 あっさりさっぱり実益は陣屋を後にした。


 二条城普請は着工から順調に進んでいた。ところがあまりの突貫すぎて資材の調達に遅滞が出始め、いよいよ休工日が設けられるほど切羽詰まった。

 また季節外れの大時化で四国からの船が四艘纏めて沈んだことが資材不足に拍車をかけ決定的なダメを押した。

 遅滞は絶対に許されない。それが主君の命だから。もし履行できようもなかったら。想像するのも恐ろしい。

 人ならいくらでも人海戦術で応対できるが資材ともなるとそうはいかない。


 この予期せぬ遅滞に普請を取り仕切る強欲で邪悪な御サルさんは慌てに慌てた。

 御家の一大事に木下家一家総出で知恵を絞った。時代の寵児である大軍師参謀どのも知恵を絞って検討した。だが抜本的な対策は上げられない。

 すると大軍師参謀殿が言う。お知恵を拝借なさいませ、と。強欲で邪悪な御サルさんは当初からそのことには思い当たっていた。

 しかしその相手とはよくなかった。感情的にも成果的にももうこれ以上の加点は与えられなかった。しかも訊けばアレは惟任派らしいではないか。益々以って頼れない。つまり天敵と同義だから。


 決断できぬまま時だけが徒に過ぎてゆく。

 いよいよ工期達成が怪しくなってしまう極限の期日を明日に控え、強欲で邪悪な御サルさんはそれでも決断できずにいた。

 家臣陪臣が不安な心地で揺れる中、ところがどこで何を嗅ぎつけたのか彼の狐の方から足を向けてやってきた。そして、


『お困りのご様子。なんぞ知恵でもお貸しいたしましょうかぁ』


 胡散臭いことこの上ない文言をささやいた。しかもこれ以上ないほど効き目のある誘い文句で。折れた。強欲で邪悪な御サルさんは背に腹を変えられず、宿敵にして天敵たる五山の化け狐の知恵を拝借してしまった。御耳を拝借、ごにょごにょごにょ。


「……菊亭の。おみゃあさん、ほんまもんの物の怪だぎゃあ」


 策を訊いた藤吉郎は誰に告げるでもなくそう呟くのであった。

 その小さな身体から漲るなんとも言えない邪悪な覇気。一旦そういう目で見てしまうとあら不思議。あの愛敬ある薄い寝ぼけ眼も恐ろしくしか見えない。思わず、木下と菊亭は円満にござる。

 藤吉郎のその表情には言いたくて喉先まで出ている言葉を無理やり飲み込んだかのような苦渋がべったり張り付いていた。




 ◇◆◇




 天彦は狭い二階私室の上座から五条大橋に目を向ける。

 窓ガラスのない木枠だけの窓から外の景色を覗う。通りにはいったいいつの間に増えたのか、百や二百では利かない人だかりができている。控えめに言って群衆だった。

 一見指向性のないように思えるそれらの人々にはけれど特定の傾向があった。

 どこで聞きつけたのか集まりに集まった人々はその半数が外国人の血が混じるミックス人種であり、残りの半数がどう見てもお前さん切支丹やんなお人さんたちであったのだ。

 それら群衆が然も駆け込み寺のように菊亭一門の逗留している定宿陣屋の門を叩いて支援ならびに庇護を求めた。知らんし。


「ラウラ、さすがに酷い」

「御迷惑でしょうか」

「その顔も狡い。ラウラやなかったらシバいてる」

「ですが天彦さんの愛するラウラです」

「もっとずるい。どうすんのあれ」

「寝泊りは五条の河原でさせておりますのでご迷惑は――」

「阿保っ」

「くっ」

「菊亭を頼るお人さんを何が河原で寝かしているや。恥を知れ」

「う。……ですが」

「そういうときはどないするんやったっけ。我が菊亭作法では」


 するとラウラはハッとした。そしてまず背筋をしゃんと張り碧眼の凛々しい相貌をやや潤ませて、そっとぺこり。


「お願いします。射干党を、いえこのラウラ個人を助けてください」

「ええよ」

「ごめんなさい、いえありがとうございます」

「うん。持っててもどうせ誰かに取られるし。これゆうとくけど皮肉やのうて経験則な」

「はい。重々存じております。天彦さんの周りには集り屋ばかり。厭というほど思い知りました」


 主にぱっぱとか。ぱっぱとか。ぱっぱやな。氏ねばいいのに。

 あいつ裏で実の息子の絶体絶命場面を演出しよった。なんぼお家大事でもあり得んの。あり得たけど。


 天彦はどこか哀愁漂う表情でかなり投げやりに言葉を放った。


「宿を取ったり。仕事も与えたらなアカン。救済は職能支援とセットで一人前、らしいから」

「はっ確と仰せの通りに」

「お仕事あるん」

「はい、射干党にございます。近々ルートが開けますので」

「甲斐の金銀ルート、それとも独自の堺ルート」

「口惜しいですが金銀ルートにて」

「口惜しいは違うやろ。でもそっか。射干さんとこは盛況やな。身共はお財布係だけかぁ。ええけど。でも際限ないんはさすがに無理やで」

「はい。承知しております」

「今現在は如何ほどや」

「八百ほどは」

「んなっ……!」


 想定外。すぎた。アホやろちょっとした地方都市の人数やん。二百世帯とするなら中規模の荘園規模か。


 だが空前絶後の好景気に沸く京にあって千や二千は誤差の範疇。人口が都市部に遍在するのは営みの性だが、目下の京はそれにしても異常値だった。おそらく五百万は余裕で下らないだろう人口が地方各所から流入していた。

 むろん受け皿は間に合っていない。今や洛外は無茶苦茶の出鱈目のカオスである。それに引っ張られる格好で洛中も混沌としつつある。

 それもこれも偏に近々で布告された革新的な経済政策と畿内の安定あればこそ。むろん忘れてならないその発布を担保する織田弾正忠効果の賜物である。


「天彦、さん」

「ん、どないしたラウラ」

「それはこちらの台詞です。どうなさいましたの、沈痛なお顔をなさって」

「ん、あぁ。どうもない」

「で、あればよろしいのですが」


 天彦は東の空がうすづくのを本人の自覚なく険しい表情で見つめていた。

 西陽を見つめる行為の善し悪しとは無関係に、とてもよくない兆候だった。それはラウラの経験則上。

 あの表情をするときは必ず決まって天下が揺れた。それもただの揺れではない。大揺れに揺れるのだ。あり得ない角度で。

 近々では寺社が揺さぶられ、直近ではあの摂関家大九条に激震が走った。よもやの公職追放刑。宣告されたのは一昨日とのこと。事実上、京からの追放とも同義である。九条派は終わった。


 噂ではその切っ掛けを作ったのが主君天彦とのことらしい。家中の意見は二分している。ラウラはいまだに信じられない。むろん疑ってはいないけれど。噂も事実も。この人なら何でもする。何でもあり。少なくとも何が起こっても不思議ではないと知っている。その上で信じられない。

 ただの半家の地下人があの摂関家筆頭大九条家を追い落とすなどとは。アリがゾウに立ち向かっていくのとかわらない愚行ではないか。権威主義の真ん中に触れてきたラウラはその凄まじさ途轍もなさの意味を知っていた。


 いずれにしてもその顔をして茜差す西陽をぼーっと眺めているのだ。それは不安になって不思議はなかった。


「何をお考えなのです。何を引き起こされるのです。せめて家令たるラウラにくらいは御明かしくださいませ」

「……ん?」

「へ」

「ああ、誤解や。そろそろやろなぁと思うてな」

「なにがでございましょう」

「つるつるてんのイケメンお坊さんが、血相変えてか顔色失くしてか、どっちにしても悲惨なお顔でここを訪れる頃違うかと思ってな」


 ラウラは数舜思考を巡らせ人物に思い至ったのか、ハッとして。


「尊意殿にございますね」

「そや。身共を、いや菊亭を潰しにかかったお敵さんにあらしゃいます」

「その件ではご迷惑ならびにご心痛な思いをさせてしまって――」

「くどい。もうええゆうたらええんやで」

「ですが」

「自己満足で詫びるのは卑怯者のすることや。その感情は結果で出し」

「はい。そうですね。仰せの通りにございました」

「うんうん。これまで以上に菊亭ファミリア纏めたってや」

「はい。ご期待に沿えるよう粉骨砕身精進いたします」


 と、ラウラが柄にもなく改まったところに。


「おいでなすった。ほら」

「あ、ほんとだ」


 剃髪の僧侶が集団で烏丸通りを南へ向かって歩いていた。











【文中補足】

 1、夢見草=桜、夢見月=三月となる。


 2、うすづく頃=夕日が沈む頃



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