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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
参章 雲外蒼天の章
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#06 視覚的な美しさはたいてい正しい、十日後の

 



 永禄十二年(1569)二月二十五日






 全洛中が震撼した日から十日余りが経った日中刻、昼九つの鐘が鳴る少し前。

 五条烏丸に菊は朝家、藤は公家、桜は庶人、では紅葉は。でお馴染みの目にもあざやかな朱が映える、菊亭家家紋三つ紅葉が燦然と威儀を放っていた。


 威儀はさすがに盛りすぎたが旅籠には三つ紅葉の紋章旗が燦然と掲げられていた。中央より左右と宿入り口の右横に堂々でかでかと。

 然もここには菊亭がございといわんばかりのド派手演出として意味はある。だが天彦は敢えて語らない。つまりお察し。そういうこと。


 尤もすべて不可抗力なわけではなく多少の意思(夢)は乗っている。この三つ紅葉の両横に大一大万大吉と雪結晶紋が掲げられたら完璧な理想の絵図である。猶、雪結晶紋は想像図。新たな家門を興した暁には、の仮定のお話。

 猶オールフォアワン・ワンフォアオール紋章やクリスタルオブスノウ徽章としてイングリッシュ風にデコって大型ギャラック船に掲げるのでも可。



 閑話休題、

 菊亭一党を率いて天彦は目下この三つ紅葉以外には取り立てて何の変哲もない旅籠はたごにいる。場所は五条烏丸。庶民のお財布に優しい洛外を代表する地区である。

 また旅籠とは読んで字のごとく旅行者が泊る宿である。そう、お家を失くした。今出川殿は健在。つまりそういうこと。追い出されてしまった。ぽいっと。


 特に抵抗はしていない。そもそも居候だったので。だがすべての者は連れていけない。菊亭は思うよりもずっと大所帯になっている。

 あの一件があったため少しでも身軽になろうと家人用人を一旦整理した。むろん解雇ではなく依願退職である。合意した暁には勤務評価状(高評価確)と退職金(年俸の7/12)も付けると打診したのだが、予想を遥かに上回る望外の結果に天彦は少しだけ目頭を熱く潤ませた。心の目頭を。この心の涙が感涙かはたまたその真逆であるかは判断の大きく分かれるところであろう。なにせ財布が超お寒い。


 家人用人のほとんどが暇乞いとまごいしなかったのでその面子すべてを引き連れ洛外の旅籠はたご、逗留である。もちろんほとんど貸し切り状態である。

 この宿の名を陣屋じんやといい、看板を興してほやほやの旅籠で御夫婦と天彦や佐吉と同年代風の看板娘・息子が各一名ずつ、番頭二名丁稚四名のほんとうに小ぢんまりとした二階建ての旅籠である。おそらく新築ですらない居抜き旅館。需要と供給はマッチしていた。


 こうなってしまった経緯の説明は不要だろうから至極簡潔に。遂に天彦、ぱっぱ晴季にオフィシャルで絶縁され今出川殿を放り出されたからである。今出川家は西園寺に対しても逆縁を切った。ところが不思議なことに西園寺一門がまったく微動だに揺れなかったのである。この事実は果たしていったい何を示唆しているのだろうか。むしろ関心はそのことへの方に向けられているきらいがある。

 あるいは首魁と腹心の起こしたとんでもで揺れに揺れまくって感覚がバグっているのかもしれないが、いずれにせよ西園寺一門は今出川家の逆縁切り宣告に対し何のリアクションも取らなかった。今現在も取っていない。


 さて例の大内裏襲撃騒動、結論から述べるとほとんどすべてが保留処分。天彦も織田も延いては実益も。これといって目に見える深刻なダメージを負っていない。

 余談だが三郎信長からくる矢の面会催促にはすべて耳を塞ぎ応じていない。どうせ鬼マウントを取ってくるのは目に見えているから。悪銭駆逐の案でもできた折についででいいだろうと放置している。ちびるほどコワいので。

 それに不随して雪之丞には謹慎を申し付けている。愛ある謹慎。反省なくして成長なし。誰よりも愛している。天彦はそう言って謹慎を申し付けた。そしてその沙汰を訊きひそかにドヤった佐吉も勤務外謹慎を申し付けた。佐吉ぃ……。


 天彦及び実益は一旦さて措いて。朝廷が織田を裁けるはずもなかった。これは朝廷というよりか正親町天皇の性質によるところが大きいだろう。今上天皇は合理的にすぎたのである。

 故にこの結果、内外からはほとんど不満が漏れ伝わらない。粗方の予想の範疇だったのだろう。あの常に賑やかしい京町雀ですら沈黙を守るほどだったから。

 負傷者多数でも決定的な死者が出ていないということに起因しているのか公家衆からも織田征伐の声はまったく上がっていない。あるいはどストレートに畏怖あるいは恐怖しているだけなのかもしれないが、いずれにしてもこの不起訴または処分保留に対する異論の声はあがっていない。今のところ。


 朝廷を主観に検討してみれば一方では至極妥当に思われた。軍事的にも経済的にも目下の朝廷は織田勢にかなり援助されている。依存していると言って過言ではない。特に押領されている皇領や公家家領の返還は織田(義昭)の台頭によって飛躍的に進んでいた。これ一つとってみてもこの援助の紐を切るには朝廷はあまりにも困窮しすぎていた。


 なぜそう読み解けるかというと、目下朝廷はあれ以来引きも切らずに女官を中心とした武家伝奏を寺町御池へとピストンさせているからである。伏せも隠しもせず公に朝廷印の籠を出して。

 つまりどうにかよい落としどころはないかと寧ろ朝廷側から打診しているとさえ読み解ける。事実京町はその噂でもちきりである。

 これが仮に織田の打ち上げた観測気球ならもっとやり方は他にもあるので考えなくともいいだろう。そもそも織田、ただの一言も謝意を示していないのだから。謝罪があると逆に拗れてしまうという側面もあったのかも。何しろ軍事演習の一点張りで突破しようと目論んでいる節が濃厚だから。無茶苦茶や。

 そんな強気一本鎗の陣営が観測気球などというご様子伺いを打ち上げる必要性はないはずで、事実として“あれは軍事訓練であった”その一言で片付けてしまって今日まで来ている。もっと原則に立ち返るならそんな気遣いができるならそもそも内裏を襲撃しない。織田勢は喜々として内裏を破壊しまくった。


 よってこうして高止まりではあるが絶妙な緊張感のまま洛中の平穏無事は維持されている。権威を畏れぬ者の恐ろしさか、はたまた権威の権威たる強かさかはわからないが、いずれ厳しい沙汰が下されるだろうが少なくとも今ではない。という結論に落ち着いているようであった。


 朝廷側としても機会は訪れる。という見立ては正しい。織田が四方を囲まれる絶望包囲網シナリオの前後近辺には確実に訪れるだろう。そのときのリアクションによって朝廷の本質または本心が覗えるのではないだろうか。

 あるいは朝廷自身が絶望シナリオのライターになるのかもしれないが、結果、天彦・実益双方共に謹慎、織田従五位下からの降格(要らぬと言った望み通り)にとどまり暫定的に処分保留とされている。それがすべて。それが目下。


 朝廷の名誉にかかわることなので二度いう。いずれにしても最終的に何らかの処罰は絶対に下される。脅しとはいえ内裏に兵を差し向けたのだから。

 死者が出たとか出ないとかそういう筋の話ではない。威儀を正さなければ保てない面目もあるという話である。

 よってじたばたしても始まらないので天彦は気にせず日常に埋没している。そうでない者の気が気でない感はとんでもえげつないだろうけど、天彦は良くも悪くも未来現代人なのである。メン弱ではやっていけない令和を生きていた戦国のメンタルエリートであった。

 その自己申告が強がりではないことの証明に、天彦自身はなんにも食らっていないのである。メンタルはむしろ絶好調一歩手前。翼の生えた狐であった。


「ラウラ、そろそろお雪ちゃんの謹慎を解いたって」

「いけません。家中の引き締めにはけじめが肝要です」

「示しってなに。示しって美味しいん」

「天彦さん、そうやって急に幼稚化するのはお辞めなさい。無様ですよ」

「ふん、身共の勝手やろ」

「当主の御自覚をお持ちになって――、あ、待ちなさい」


 逃げろ、やばい。


 だが癒しがないと癒されない。これは世界の真理であった。




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