#05 土倉、膏血を貪る
永禄十一年(1568)十月六日(旧暦)
「あかしまへん。びた一文まかりまへんなぁ」
ショタが二人。それも貴種が一人と侍の倅が一人、座に這い蹲って許しを乞うているのにもかかわらず、土倉(高利貸し)の反応は極めて冷ややかだった。
慣れっこなのだろう。むしろこんな状況から子を質として連れ去る人身売買までワンセットこそが日常まである。そんな冷酷な目性の金貸しだった。
身分制度、舐めすぎやろがいっ!
天彦は激しく思うも言葉にはせず、淡々と粛々と定時まで雑務をこなすスーパー事務員の心境で応接した。
「そこを何とか。このとおりや」
「どのとおりでっか。わてら商人は形あるもんしか信じまへんのや」
「嘘をつけ。ならば米の先物取引を始めとした多くの信用取引の意義はどこにあるんや」
「ほうら、もう屁理屈で言いくるめる。ようご存じなこっちゃけど、小っこいとはいえもうお公家さんの魂が叩き込まれているんやな、気ぃつけよ」
「ぐう」
天彦としても強気には出られない。頭こそ下げないが態度は努めて殊勝にふるまう。本人的にはいくらでも下げる頭は持っているが、家柄的にそれは不味いのではという勘が働いてのギリギリのライン。
「ほら、ここにこの通り。ちゃんと証文がおまっせ。お支払いください」
「あ、はい」
拝借。どれどれ、ふむ。
やはりというべきか。サインを認めているのはすべて、
「おのれ清水谷」
だがそれは家内事。認知していなかったとはいえ対外的な責任者はぱっぱでありその代理は天彦自身なのだ。天彦にとってぱっぱ晴季の面子を潰すことは何より耐え難いことだった。
そしてそのぱっぱがくれた荘園がまるごと担保に入っている。不甲斐ないにも程があった。
天彦的にぱっぱの施し(温情)こそ最も無にできない感情だった。本来なら生まれた段階で極秘裏に処理されていても文句は言えない。ぱっぱ晴季はこの非情な時代にしては貴重な家族愛を感じさせる人物だった。
それに加えてこの徳蔵屋は普通に強い。延暦寺系土倉ほどではないにしても、北野天満宮を元締めとした麹座の取り纏め役をやっていた。
荘園の徴税権を他に売られたらもう手の付けようがなくなってしまう。どうせ買い取るのは同業他社の豪商だし、豪商の裏には何らかの武門が控えている。そうなってしまえば最後、目下武力ゼロの天彦にはもはやどうにもならなかった。
だからこそ、天彦にとってこの交渉こそが最初で最後の正念場だった。
それを察知しているのだろう。徳蔵屋・徳蔵半造も代理を立てずこうして自ら足を運んでいると思われる。
「お可愛い用人さんがおますなぁ。あるいは放免やろか」
「無礼やろ、雪之丞は放免やない。歴とした侍、歴とした身共の家来や」
「買いまっせ。わてが可愛がって進ぜまひょ」
「コロス」
これが雪之丞の前で見せた初めての激情だった。
天彦が感情のまま拳を振り上げるより早く、それまで息を凝らし横で控えていた雪之丞の抜刀の方が早かった。
元服前なので大小二本は差さない。抜き放たれたのは父新之丞から常に持つようにと授けられた脇差型の小刀である。
雪之丞は鯉口を切るや波紋を一閃させる。
「くっ――、ひ、卑怯や」
「卑怯なことあるかい。急に光もん出してびっくりするやないか、ぼん」
が、徳蔵の連れている護衛の太刀の方が断然素早かった。
放たれた太刀の刃縁が雪之丞の喉仏を薄皮一枚で捉え、その勢いを駆った切っ先が天彦の顔面を捉える。
「待ちや。刃傷沙汰はどっちも得にならへんのと違うか」
「抜いたんはそちらさんがお先でっせ」
「主人想いのかわいい家来のかわいいお悪戯や。洛中に徳蔵屋ありの風聞に偽りないとこ見せたって。ほなら宮中にも轟くんと違うか」
「さようで。おい、控え」
「はっ」
急場は凌げた。無意識の内に天彦の額には大粒の汗が滴っていた。
時期は十月半ばを過ぎ、朝晩ともなればずいぶんと冷える。日中とてそう気温は上がらない。
この時代は誰でも何でも武装している。意外と知られていないが農民だって武装している。何より寺社が率先して武装しているのだ。金品を扱う商家などは至極当たり前の自衛手段である。
と、頭では理解していてもよもや貴族に刃は向けないだろうとどこかで高を括っていた感が強い。
天彦は認識を改めた。延いては攻める方向性も自ずと変更しなければ。
「徳蔵屋半蔵」
「なんでっか。菊亭のぼんさん」
「徳政は知っているな」
「もちろんですわ。それこそあてらの天敵やさかいに」
「京都奉行総代を存じている」
「どこのどなたやろ。わては存じませんなぁ」
「奉行所総代・惟任日向守。またの名を明智十兵衛光秀さんや」
「……どのくらいの仲かにもよりますわ」
「互いに強く意識し合う程度の仲や。行き来はあるで」
「さいですか。まぁ、内大臣さんはおますやろな。……話聞きまひょ。おい茶を淹れてこい」
多少盛っていても徳蔵屋は内大臣(天彦ぱっぱ)ならば関係性はあるだろうと天彦の言い分を受け入れた。
切り替えたら速い。徳蔵屋は人相ごと柔和に変えて自前の共に命令した。
だがこの家の現状をまるで隅まで知り尽くしているような指示であった。
まるで、ではないのだろう。家人が留守の状態をひっくるめてすべて承知の介なのだ。
すると天彦の脳裏にはまたく似合っていない公家化粧を厚塗りした、甲斐のメス化け猫の顔が思い浮かぶのだった。
そこに供が茶を運び入れた。
毒見のつもりか。許可も得ず徳蔵屋から先に湯飲みに手を付けた。
「ええ茶や。どうぞお飲みなはれ、取って置きやで」
「ずずず、はぁ美味しい。知ってるで、これ家の茶葉やからな」
「さいでっか。ほなやっぱり安もんや」
「そやな」
この野郎ぅ。
だが悪くない。数分前とは状況が段違いで進歩している。
まったくのハッタリだがブラフは通ったのだ、本丸はもう目の前。ここからが本番だ。
天彦は真剣味を更に増した目で徳蔵屋を睨むように直視した。
「それでぼんさん、徳政引き合いに出してどないしますの」
「踏み倒すとはゆうてへん」
「なんぞ策でもおますんか」
「ある。取って置きや」
「ほう。聞かせてもらいまひょ」
金目の食材といえばざっと思いつくのが、椎茸、胡椒、砂糖、酒、油、そして何より米である。
米の作付け改良や道具の改良は中長期的には有能だが即効性に乏しい。
他も似たり寄ったり。やはり椎茸が手頃だろう。場所も暇も取られないし実はすでに原木を確保している。その気になればいつでも自家栽培は可能だ。
「菊亭のぼんさん、考え込んでどないしはりましたんや」
「あ。いや、しばし、しばし待ったってんか」
もはや椎茸一択である。なのにこの虚無感はなんだろう。天彦は見悶える。
使い古されたネタしか浮かばない己の発想の乏しさと絶望的なセンスのなさに、どうしても椎茸の四文字を口にするのが躊躇われた。
◇
「若とのさん、……その、役立たずでごめんなさい」
「なんや萎れて、お雪ちゃんらしくないで。それとどうせやったら言葉が違う」
「おおきに」
「なんか違う」
「かっこよかったです。初めて若とのさんに仕えてよかったと思えました」
「なんか違うけどそれでええわ。さ、ぼったくり酒屋が置いてったアモさん焼いて食べよ」
「はい。父上に報告してもええですか」
「やめとこか。お雪ちゃん、それ悪い癖やで」
「そうですか。治します」
「そうしい。ほら焼こ」
天彦は竈に火を入れ徳蔵屋手土産の餅を焼く。
交渉は成立した。納期は今月末まで。あの態度から推測するに破滅ばかりが狙いではなさそうだった。断定はできないが。
椎茸は一つ4,000文を下らない高級品だ。一文を一般的な換算指数に直すとして120円相当。原木にはかなりの数が生えている。当座は凌げた。
つまり天彦は恥を忍んで椎茸の原木を差し出すことに決めたのだった。
痛恨……!
それはさて措き、菊亭家の借財は元本だけで8,000貫文を超えていた。
当り前だが相手は金貸し。しかも暴利の高利貸しだ。元本には金利いや暴利が乗っかる。既に万は余裕で超えざっと16,000貫文となっていた。しかも月利、来月には更に膨れ上がっている。
16,000貫文、換算するのも眩暈を覚えるが現代の価値に直すと19億と2,000万円也。国家予算か。小さなお城買えますやん。
担保で差し押さえられている荘園の税収が過去五年慣らすと平均1,400貫文。これにもいろいろと絡繰りがありそうだが、ひとまず額面通りに捉えると、……やはり足りない。
やりくり以前の問題だ。低く見積もっても菊亭家は破綻していた。
ぱっぱはどうしたいんやろか。
天彦はひとまず思考を切り替えて先ず義理を欠かしていけない先から片付けていくことに決めた。
じっじ公彦、惟任日向守、原木を預けている先即ち実益、の順番だ。
一旦思考が纏まるとあとは事務作業。しかしそれにしても呆れるばかり。
「よう放っておいたもんや」
「清水谷を殺ります」
「どうどう」
「挽回させてください」
「まあまあ、いずれな」
急に手のひらを返したような忠臣となってしまった雪之丞を宥め。
「お雪ちゃん、お遣い頼まれてくれるか」
「はい、どこへなりと」
「この足で大御所様とこに手紙届けてもらおかな」
「はい」
「そんで帰ったら用事に付き合ってもらうわ。忙しいけど堪忍やで」
「いずこへ」
「京都奉行所や」
「ひいっ」
やはり雪之丞の反応が可怪しい。ここ数日、特に織田軍が町を占拠してからというもの、雪之丞はどこか落ち着きがなかった。
「どないした」
「ど、どないもこないもしませんよ」
「しまくってるやん。まぁ座り」
「あ、いや、供が某だけではさすがに不用心ではと」
「心配なんか」
「はい」
「はっきりと言う。あの自信家のお雪ちゃんが自信ない? なんか変やね」
「いえ、変ではないです」
「うーん、でも大丈夫そうかな。主だった通りは織田軍がぞろぞろ出張ってたいそうに見張ってるそうやから」
「若とのさん大きな声では言えませんけど、実は某はその尾張の軍勢こそを不安視しているんです」
「なんか訊いたんか」
「奉行所の足軽が」
「侍が?」
「物も言わんとじろりと睨んでくるんやて、おーこわ。しかも飴ちゃんもろたらえろう苦かったんやて、おーこわ」
んー、平和かな。
違う。そんなわけない。修羅が跋扈する戦国時代だ。しかしなんやろ、この違和感は……。
天彦は数舜考え込む。ぷるぷる本心から見悶えている雪之丞をしり目に。
ははーん、なるほど。だが程なくして確信めいた結論に至る。
「あれ、お雪ちゃんって四国派なん? 植田家って阿波さんとこと縁あったかな」
「若とのさん、滅多なことゆわんといてや! ほら、とっとと行くで」
図星だった。
ならばよくない流れにある。三好家はそう遠くない未来に滅亡する。関連して三好閥も相当数粛清されたはず。いやきっとされる。
だが確実に訪れる未来をどうやって伝えればよいのか。
負けたとはいえたったの一度。まだまだ三好の勢力は大きい。特にこの京都では猶更。だから今伝えても信憑性は乏しいだろう。
天彦は様子を見ながら自分の生存率に影響しないレベルで忠告してあげようとこの会話を脳裏にとどめた。
【文中補足】
1、放免(ほうべん)
公家に仕える下級従者。元犯罪者である者が多い。
2、徳蔵半造
洛中(上京)に大店を構える悪徳酒問屋、徳蔵屋酒造の若旦那(26)。父親(半隠居)が一代で財を成し余勢を駆って土倉(高利貸し)も兼業している。現在ではそちらが主たる営業品目か。北野天満宮が取り締まる麹座所属。
3、麹座(北野天満宮)
洛中ではすでに酒座(延暦寺閥)に押されて廃れているがまだ名残はある。