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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
参章 雲外蒼天の章
48/314

#01 第六天魔王と五山のお狐

 



 永禄十二年(1569)二月十四日






 惟任日向守すごい。京の町を歩けば地元民ならまず思いつく率直な感想ではなかろうか。京での噂も天彦の感覚通りでめっきり“惟任はんすごいんご”で持ち切り。

 公家町界隈でも“京町奉行さんお素敵さんにあらしゃいますわぁ”一色に染まるほど治安が劇的に良くなった。


 けれど“織田すごい”でないことに言葉にできない引っ掛かりを覚える天彦としてはすべてが伏線に思えてならないのである。

 微妙な気色悪さは数々あるが決定的な違和感の正体は、あの俺凄いアピール魔人である木下藤吉郎が惟任日向守の顔を立てて、彼の意思を尊重していることである。意思とは巡察隊の御旗の統一である。どこの麾下に属していようと洛内巡回は惟任が責任を負うと言わんばかりに画一化された整い方をしていた。


 それと同時に治安向上と同じく日に日に統制のとれていく巡察の足軽兵たちの練度の高さに舌を巻く。そう見える大部分の理由に、あの目にもあざやかな水色桔梗花の旗指物さしものが挿されているから。という視覚的印象が入ってはいないだろうか。

 天彦は確信している。おそらく意図的に操作されていると。だが同時に感心もする。さす惟任と。


 でもフラグやで。旗だけに。


「若とのさん、それにしても物凄いお人さんやね」

「うん。すごいな。お雪ちゃんは大丈夫か。お人さんに酔わへんか」

「大丈夫です。佐吉はどない」

「お気遣い御無用」

「おい佐吉、なんやその言い草は」

「何とは解せぬ。まず植田殿がその無用な物言いをお改め召されよ」

「なんやとぉ」

「何でござろう」


 いちゃいちゃする家来たち。


 目下天彦たちイツメン(ラウラ・雪之丞・佐吉・是知、と三名の侍衆)がいるのは洛外、旧斯波武衞屋敷前。前面改築前の二条城安全祈願祭に参加している。

 控えめにいって壮観である。集った観衆は、ざっと二十数万は下らないはず。息遣いだけでこの寒さを緩和できそうなほどの熱気である。


 三郎信長はやはり二条城の改築を号令した。彼らしく大々的な喧伝を行って。余の元に集えと。意味を読み解き間違える者はいない。仮にいてもセンス無し死んでいい。というより遅かれ早かれ勘気を被り滅びるだろう。この集合宣伝にはそういう意味合いが強くあった。

 但し関東の主だった諸侯は一切どこも参列できていない。徳川含めどこもかしこも戦争中であったのだ。


「若とのさん、あれどこ様ですのん」

「あれ? ああ、……ラウラ、が居らん。そういうことやでお雪ちゃん」

「え。なんですのんそれ」

「佐吉はわかるな」

「はっ。あの行軍大旗がすべてかと存じまする」

「うん。さすがやな佐吉。よう勉強してる。あれが西国に轟く一文字に三ツ星紋や」

「恐悦至極。更に精進いたしまする」

「ぬぐぅぅぅ。おのれ佐吉めぇ」


 雪之丞が佐吉に嫉妬100の峻烈な視線をぶつけている横で、天彦はラウラのことが気になり視線を向けたがさすがは危機管理だけで生き凌いできた人。すでに姿をくらませていた。公務とは。

 だがこの職場放棄は仕方がない。万事命あっての物種だから。ラウラが身の危険を覚えて尤もで、佐吉の回答にあったとおり通りを挟んだ向こう側からやってくる大名行列に答えがあった。

 ラウラが身を隠す理由はただ一つ。その大名行列の行軍御旗には“一文字に三ツ星”が燦然と掲げられていたのである。言わずと知れた毛利軍である。


 この時期の尾張と西国の雄はかなり近しいようで、毛利はたびたび織田に対して合力依頼を要請している。将軍足利家にではなく尾張の織田に対して。

 これがミソ。これ以降も度々これに似た場面は訪れるが今はあと。そしてそのほとんどに織田は応と応じている。すると婚姻話の一つでも持ち上がってきそうなものだが、血の交流は噂話にも上がってこない。つまりそういうことなのだろう。


 天彦的に戦国は情勢を叩き台にして噂話をスパイスに推測を軸として、自分ならこうすると読み解くのも案外乙なものであった。


「元服延びてしまって悪かったなぁ」

「いいですよ。そんなん。若とのさんのお命には代えられません」

「珍しく植田殿のご意見に同意にござる」

「一言余計やろご家来さん」

「これは異なことを。某は一言足りぬようご遠慮申し上げたつもりにござるが」

「なんやと」

「なんでござろう」


 親の顔よりよく見慣れた雪之丞と佐吉との言い合いに、天彦は、


「もっとしい」

「普通は止めてくれはるんと違いますのん」

「普通ってなに。それって美味しいの」

「うーん、きっと不味そうです」

「そやろ」

「もう、若とのさんは」


 あはははは――。


 平和か! 平和やな。


 先月の件。天彦激怒の乱と家内では呼ばれている大騒動だが、じっさい激怒したのは天彦じっじ公彦である。よってそれなりに叱られた。天彦は強がり込みでそう表現する。だが実際は廃嫡も撤回されないままの沙汰なので、どうだろう。控え目にいって事実としてはけっして軽いものではないと思われる。


 だが一方で天彦の実感も案外正しく、どうやらあの一件がなくとも廃嫡は既定路線だったよう。天彦じっじ今回の一件にアドリブで紐付けただけであったと明かしたのだ。実益の実直な態度に免じて。

 実際のところは闇の中。長く宮廷を泳ぎ切った宮廷大河童なので本心は誰にもわからない。だがやはり甲斐とは深いところで繋がっていたいのが本心のよう。そう読み解くのが自然だろう。天彦もこの決定に異論はない。気持ち悪いほど丁寧に説明されたから渋々折れたわけではなく。心から二つ返事で了承した。


 これにより天彦は今出川家の継承権を持たないただの二子(本人的には長子)となり、ここに名実ともに半家菊亭の当主・従六位下非参議菊亭天彦が誕生したのである。相変わらず謹慎処分は解けず内裏出禁のままであるが。


 この一件で苦し紛れかただの修飾語か。ぱっぱ晴季が「元服前のお子ちゃまで宜しゅうおじゃりましたなぁ。大人さんやったら大出来におじゃりましたでぇ」と、嫌味100で“大出来”とわざわざ反転後まで使ってぶっ込んできたので天彦は。ふーん、ほーん、はーん。あ、そう。の心地で応接した。

 ほならしません。御助言誠に感謝の極み。天彦は元服を絶対にしてやらないマンを標榜して堂々拒否を宣言した。


 実を明かすと当人的には渡りに船。理髪の役、加冠の役もいずれもやりたくなかったのだ。なぜ。訊くのは野暮やん厭やろあんなん。普通に無理やん。高眉にお歯黒て。大事なことやからもういっぺんゆう。高眉にお歯黒て。

 あんなもん日常で恒常的に笑かしにかかってるやん。見たらわかるて。わろけてまうから。


 この宣言に周囲は唖然騒然だが最も気になる存在じっじ公彦は小さく笑って聞き流していた。それが苦い笑いなのかどうなのかはわからない。だが和解の品として後日、反物が二反、それもあざやかな金糸入りの豪華な逸品が下賜されたので天彦としては悪い印象ではなかったと信じたいところ。

 だが一方で反物と同じくこそっと下賜された扇には“喝”の一文字が自筆で認められていた。このことからも完全に許されているわけではないことも理解に及ぶ天彦であった。じっじ、ええ子やのうてごめんなさい。大好きです。


 この沙汰に異論があるかと問われればない。むろん不満は山のようにある。別件で細部をつつけば1,000は下らないほどあるが大局を見据えれば許容できた。

 なにしろ今春、今川氏は滅亡するのだから。掛川城にて当主氏真(31)が徳川軍に降伏する。もし設定通りに進行するならば。

 おそらく進行するだろう。すると今出川家の不安定さが如実に見える化してしまうことになり、これまで抑えられたきた諸々のよくない物が噴出する公算が高かった。


 廃嫡されただけで家族の縁が切れたわけでも今出川の人間ではなくなったわけでもない。家族は家族、永久に。

 相変わらず撫子姫ゆうづつの兄(時代感覚的には弟)やし、じっじの孫やし。クソ親父の息子やし氏ね。顔見知りの家人や用人も大勢いる。実情はなんにも変わっていない。

 それはむろん厳密性を問うなら格落ちして西園寺家の陪臣とはなってしまったが、そんな些事を気にする実益ではけっしてない。寧ろ天彦が望んでもそうはならない。そんな程度の変化に収まった。納めてくれた実益が。


 つまり今回のじっじ捌き。主家のご当主近衛中将実益をこうまで心酔させていることを間接的に褒めての実質不問。状況的にはむしろ天彦ぱっぱの方がピンチだった。大ピンチである。

 何しろ天彦を謁見の場に同伴させると安請け負いしていたのだから。あの約束破ったら絶対コロスマンの大魔王相手に。あほなん、和解もしてへんのに。舐めるなよ。


 天彦は内心の独白とおり秒でNOを突き付けた。するとぱっぱ、攻略対象を一瞬にして実益に切り替え涙ながらに猛アタック。恥も外聞もかなぐり捨てたなりふり構わぬ突貫平謝りっぷりに、さすがの実益もドン引きして思わずその場で折れてしまう。引き受けてしまう。お願い事を。

 むろん実益とてこんなしょうもないことで対天彦への貸しカードは切りたくない。だが……、心優しい実益はこと家族問題になると猶更輪をかけて優しい大将になってしまう。


 子龍、堪忍したれ。さすがに憐れや。甘いなぁ実益さんは。じっじのパティシエが作る創作スイーツより甘々ですね。貸しですからね。

 は、しばくぞ。ゆうてることの半分以上わからへんけどしばく。吾、お前にどんだけ貸し付けとんねん。あ、はい。御心のままに。さよか。


 で、已む無く合意。腹立つわぁ。吾、まじで腹立つわぁコワすぎやねん。


 だがあれこそが生き汚くもとことんまで生き足掻いてやると誓った公家の凄味であろうと天彦は、ぱっぱ晴季のなりふり構わぬ姿勢に感心も共感もできてしまった。むろんそれが人間性の再評価や親子感情改善にはなんら寄与しないとしても、見習うべきところは多分にあった。故の合意。


 さてナレーションでは主要なところは誰も死なない。大して時も進んでいないそんな頃。刻は食事朝五つの鐘が鳴ってしばらくした後。


 それまで大騒動に騒ぎ立てていた二条城改修に詰め掛けた十数万の大観衆だったが、突如として水を打ったように静まり返った。視線を一所に。主役のご登場である。


 大観衆の視線を一身に、十数名の騎馬隊があちら側からやって来た。

 その騎馬隊は赤母衣あかほろを背負っている言わずと知れた親衛隊、赤母衣衆あかほろしゅう。鞍上には地位を誇る得意げな風は一つもない。常に一団の中心に据える一騎を守る警戒感に満ち溢れていた。


 その守護対象である一騎の鞍上にはこれまた異様な風体の侍が一人。大小は佩かず瓢箪を片手に、けれど持ち前の剣呑さだけは行き苦しいほどに撒き散らして愛馬を駆る。

 この愛馬がまた凄まじいが今はあと。人物、腰には虎の革を巻き、貴人にはおよそ似つかわしくない見すぼらしい小袖を着て登場した。

 いくらなんでも実利が過ぎよう。あの天彦を以ってしても、あ、負けた。秒で完敗を認めさせる360度全角度からの見すぼらしさであった。


 だがあの人物を特定できるマストアイテム。あれの中身は絶対に水。天彦は直観的にそう思った。雅を装うなら酒一択。だがなにせ御仁、わらけるほどの下戸らしいから。検証はおそろしくてとてもではないができないけれど。


 まさかとは思ったが、すると視線を一身に浴びる人物は群衆が意図せず作り上げたスポットライトを集めに集めた特設ステージに馬を寄せた。そして鞍上からひょいっと飛び降り何を思ったのか思わなかったのか、近場にいた職人からカンナを引っ手繰って、始めい。自ら陣頭指揮を執る気満々の意気で大建設現場に向かって大号令を発した。よく通るやや甲高い声だった。


 するとどのくらいだろうか。ざっと寄せ集められた一万五千から二万の職人含める作業員たちの“応さっ”と応じる大声で地面が縦に小さく揺れるほどの大歓声が巻き起こった。場は一瞬にしてちょっとした、いやかなり大規模なお祭り模様となるのだった。


「やりおる」

「すっご」

「ほえ」

「あれが、尾張の魔王さん」


 天彦が率直な感嘆をもらすと、雪之丞、佐吉、是知が続いた。そしてそれを如何にも自分事のように得意がる三人の侍衆。まだ心は彼方にあるのだろうか。侍心はともすると女心より読み解けないとしたものなのか。


 さて助佐且元、忠三郎氏郷、与吉高虎のお三方のお侍さん。天彦へのレスはすでに済ませてある。ここに居残っているということが答えであろう。それ以上でも以下でもない。

 彼らは自由選択という概念に乏しいわけではけっしてない。意志薄弱などあり得ない。むしろ生き方は死に方の次に大事なことと常に心中の真ん中にある。それを踏まえて彼らは残った。

 少なくとも天彦は主君足り得る存在と見做されたわけである。この高評価に天彦は、阿保ちゃう。いや阿保やろ自分ら。とキモツンデレっぷりを遺憾なく発揮して受け入れた。強がりながらも傍目には感情が嬉しさで爆発していたとかいなかったとか。



 閑話休題、


 すると虎の腰巻に見すぼらしい恰好をしたこの座の中心人物が、くるりと翻り観衆を具に観察し始める。すっと視線を向かって右側から順に。やがて貴賓席にも視線が及び、そこでぴたりと停止した。にやり。

 お目当て発見とばかりにやりと口角を上げると、人物はすぐさまカンナを掲げて何かの意思を示し始めた。はて、なんやろか。不運なお人さんも居たはるもんや。ゆーてる場合か。やーめーてー。


 ようやくほとぼり冷めてきたのにん。堪忍さんなん。

 天彦が直観的にどが付くほど凹んでいると側近の二人。イツメンAとイツメンBが主君の感情を逆撫でた。


「若とのさん。しらばっくれても無駄ですよ」

「殿、お招きなされておいでにござる」


 アホかっ。阿保やろ。あほやったわ。


 ええ加減ぼちぼち主人の感情読もか。そんな調子やったら終始無言なだけの是知に出世レースで追い抜かれるで。の意味を込め天彦は雪之丞と佐吉にこれでもかとジト目を向ける。


「そんな物欲しそうな目ぇしてもあきませんよ。はよ。めちゃくちゃ手招きしたはります」

「あれはカンナ招きにござる。殿、尾張殿、何やら苛々し始められたご様子にござる。よくない兆候とお見受けいたす」

「キミたちお二人さんには地獄の反省文の刑を申し付けます」

「え」

「え」


 だる。うちの家来だる。身共がいっちゃん“え”やねん。さてはお前らの取柄、かわいいだけやな。それでええねんけど。


「え、やあらへんねん。なあお雪ちゃん佐吉。どっちの味方なん」

「お家大事にきまってますやん。アホなことゆうてんと早よ参ってください」

「ご質問の意図を計りかねまする。殿と御家。どちらも大事にござる。なぜお比べになられたのでござる何卒」


 もうええわ。参ろ。


 でもゆうたよね。身共いの一番に公家席は厭や。一般観覧席に紛れようって頼んだよね。それをお前らは張り切って却下しくさって……。


 だが天彦の愚痴は自業自得。なにしろ家来衆の危機感さんはお亡くなりになられている。とっくの昔に。

 なにせ相当の窮地でも御主君は涼しい顔をして乗り越える。潜り抜ける。なんとでもしはるやろ。そんな気分にさせたのは、実際なんとでもしてきた天彦の功罪。実際は醜いアヒルの子のように水面下でじたばた足掻いていたとしても。


 お偉いさん役も楽ちゃうん。


 天彦はざわつき始めた周囲の喧騒に押し出されるように、まるで花道でも出来上がったかのような地獄の天神橋筋七丁目ロードを進むのであった。猶この地獄ロードは十五丁目まであるらしい。ない。とても立派な日本一のロードである。


 だが彼の人物。僧侶どころか農民でさえ武装化して自衛する社会にあって。裏を返せば暴力でしかあらゆることが抑止できない社会体制下にあって。

 あろうことか天下布武という奇特を標榜する、天彦曰く火中の栗を拾う変人奇人さんである。

 生半可な覚悟ではできない野望を引っ提げて、ああして特設ステージ上から天彦を手招きしていらっしゃれば応じぬわけにも参らぬであろう。


「お狐、よう参った。ここに座れ」


 ほんまやめろし。舐めすぎやねん、人の嫉妬心。責任も取らんとようゆわんわ。

 サルとかイヌとかネズミとか人様のことを悪し様に。鬼退治にでも行かせる気か。令和やったら事案やぞ。――の感情そのままに天彦は人物に対し故実の礼でご機嫌を窺う。


「本日はお日柄もお宜しゅうさんに。弾正忠さんにあられましてはご機嫌お如何さんにあらしゃりますか」

「その薄気味悪い公家口調を直せば幾分かはマシになろう」

「あ、はい。これでどないです」

「で、あるか」

「なんですのん。こんな羞恥ぷ、衆人環視の下に呼びつけて」

二月ふたつき


 こんのっ。わかるかっちゅうねん。わかんねんけど。


「このお城さん、六十日以内にお仕上げさんにならっしゃりたいと」

「む」

「あれ違いました。てっきり仕上げたいかと思ったんですけど」

「……狐。余の許に参れ」

「お断りさんにあらしゃいます。なにせ血を見るのが親の顔みるよりお厭さんにあらしゃいますんで。おっとろしいんです」

「ふん。で、あるか。まあそういうことだ。く知恵を貸せ」

「無茶ぶり!」

「そう言えば悪銭駆逐の依頼、回答を得ていないが」

「悪貨は良貨を駆逐するいいまして、いっぺんには解決に――」

うぬに金貨袋を預けていたな」

「待った。出します。マッハで出します。できました」

「呆れた。今後、貴様の尻は初めから蹴り上げることにたったいま決めた」


 あっぶ。あれ没しゅーとされたらお仕舞いです。

 あれご褒美のはずやのにくそっ。ええわ。


「堪忍して。信長さんの蹴りごっつい痛そうや」

「くふ、くははは。――で、返答は如何に」

「お人さんの方は」

「確実に余が織田弾正忠家の名の許に請け負うてやる」

「請け負うってあんたさんの勝手仕事や……、あ。嘘です。身共のいっちゃん悪い癖が出ました堪忍さんです。ほなら建築資材だけですね」

「然様」

「お耳を拝借」

「うむ」


 ごにょごにょごにょ。


 天彦が耳元で策を述べると、三郎信長の顔色が一瞬で変わった。寒さで凍えた白から血色のいい血流の赤へと見る見る内に変貌していった。


「貴様、やはり物の怪か」

「そんな嬉しそうに仰っても返答に困……、はは、困りませんでした。その恐ろしい目つきやめてくれないとお口閉じますよ」

「続けよ」

「銭はさほどかからん。武威は示せる。態度は知れる。この策、同意貰えますやろか。身共には織田、菊亭の双方共に利得があるように思えますんやけど」

「天彦。この策、いったいいつから練っておった」

「え、たった今ですけど」

「誠か」

「はあ」

「やはり化物であったか。うむ善きに計らえ。非蔵人菊亭天彦、大儀であった」


 お墨付きか背中押して欲しかっただけやろ。わざとらしい。知らんけど。だが天彦はきっとこうなるとは確信していた。

 信長公が賛同しないはずがない妙案を提案したのだから。天彦にも織田家にもこれ以上ない一石二鳥の折衷案。


 尊意、これが技ありの仕返し方やで。これに懲りたら一生じっと日陰で死んどけ。次に意趣返しあったらお命さんの保証はないで。菊亭家、安全保障の観点から。絶対に容赦はせん。


 天彦はときおり通り過ぎる冷ややかな風に熱気を冷まさせ、少しだけ春めいてきた西の空を決然と眺めるのだった。










【文中補足】

 1、斯波武衞屋敷全面改築改修工事。

 永禄十二年二月。六条本国時の防御が手薄だったことを受け、二条城改築を決意。四月中旬の完成後、将軍義昭入場まで三郎信長は足しげく建設現場に通っていた。

 地鎮祭には日本の諸侯(大名)及びすべての貴族(公家)が集まったので大盛況だったよう。そしてこの日以降、常時二万五千、少ない日でも一万五千の作業員が動員された後世に名を遺す一大建設事業であった。

 三郎信長はいつでも地べたに腰を降ろせるようにと虎革を腰に巻き、粗末な衣服を着用していた。実質将軍の後見人がこの姿である。集合に応じ馳せ参じた大名及びすべての家臣は労働のための皮衣を身につけ参列したとしても違和感なはい。当時三郎信長36歳(数え)。それほどに彼の激情は恐ろしかった。










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