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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
弐章 臥竜鳳雛の章
47/314

#18 無謬性と絶対領域

 



 永禄十二年(1569)二月五日 禅林寺永観堂境内・隠し中庭






 日昳刻、昼八つの鐘が鳴る頃、どこか馴染みある場所で、妙に既視感のある場面を思い起こさせる児童が一人。最も居馴れた懲罰房のある奥座敷。そこの廊下のかつての定位置におっちんして、でんでん太鼓を振っていた。


「ぽこぽこぽこぽこ、たんたんぽこん、からんからん、ぽこりん」


 擬音付きで。


 なにもこの童、御父様おもうさま御母様おたたさまを想いでんでん太鼓で遊ぶ綺麗な顔の童こわい説。を、立証しようと敢えて太鼓の音の擬音を口ずさんでいるわけではない。


 行為に飽きたのか童はでんでん太鼓を放り投げようとして、投げなかった。

 でんでん太鼓を放ろうとしてやめた児童はぱっと顔を上げふっと哀し気な顔をする。


「しょーもないねん。どいつもこいつも。でも蓋を開けると身共が一番しょうもなかった」


 本当に証明しているわけではなかった。

 あるいはおもしろ説を立証しようとするゆとりさえ忘れ、ささくれる心境そのままの毒ある言葉で自分自身に悪感情をぶつけている。よくない兆候だ。非常によくない。


 どうしよう。こういうときどうすればいいのん。

 当たり前だが存在はちっぽけで何一つ一人ではできないただのクソガキ。寒さが染みる。――と、


「やっぱりここやな。行動範囲が狭すぎや。で、なにしてるんや」


 不意に思わず涙が出そうになるほど柔らかい声が耳朶を叩く。今このとき感情をあと少しでも揺さぶられるとまずい。天彦は有りっ丈の気丈さを搔き集めて老木を見つめた。あまりにも朽ち果てすぎていてなんかわらけた。助かった。老木さんに礼を言う。するとすぐに左隣の床がギシっときしんだ。


「誰からですのん」

「植田や。泣いとったぞ。あの武士の鏡を泣かすとか、お前……」

「……」

「ええ月やな。知ってるか。明けるのが惜しい夜を可惜夜ゆうんや」

「まだ夕刻ですけど。知ってます。光宣にゲロ吐くまで叩き込まれましたから」

「お見舞いに参ってくれたそうやな。烏丸も参ってくれた。おおきにさんや。麿はええ家来を持った」

「うん、はい」

「なあ子龍、信じているからと言って誰もが期待に応えてくれるとは限らへん。麿はそう思うんやが子龍はどない思う」

「信じるってなんですか。執着心のことですか。そんな幻想に囚われていると勝利が遠のきますよ。今すぐ捨て去ってください」

「おおそうか。ええ助言や。拘ったら勝ちが遠のく。うん、ほんまやなぁ。肝に銘じよ」


 途轍もなく空々しい会話がつづく。ともするとこの寒空よりも百倍空々しい。

 天彦には実益さねますの気遣いが痛いほど伝わっている。だからこそ自分からは何も言えない。この感情のままでは言えない、か。言うとすべてが終わってしまいそうだから。

 実益もきっと同じ理由。あるいは天彦よりかは気を使っているのかも。最近の天彦は応接を間違うと破裂してしまいそうな危うさを秘めていた。

 お互いがお互いに気まずさともどかしさを抱えながら、時間だけがすぎていく。


 北風が吹いた。落ち葉が舞い砂ぼこりが立ち込める。すると実益がこほこほ、小さく咳き込んだ。

 御付きが敏感に反応する。だが実益はすぐに手で制し近寄ることを許さなかった。何者も一切近寄るべからず。そんな気迫が見て取れた。


「実益さん、病み上がりやのに」

「どうでもええ」

「ええことあらへん」

「ええんや。麿にはお前より大事なことはあらへん」


 あっつ。


 天彦はさっと顔を右に向けた。


 天彦にはピンときた。これは泣かしにかかっているか笑かしにかかっているかの二択であると。実益の性格とこれまでの傾向から判断するに後者の方がやや優勢か。この真正ガキ大将がこんな真面な慰め方をするはずがない。


 警戒しながら顔を正面に戻す。


「泣かんのか」

「泣くか」

「ふん。撫子の件でキレたんやろ。ああ見えて中納言もお人さんやで。ちゃんと先々のことは考えとる」

「そうですか。あいつ撫子にもしも……、八つ裂きにしたる、くそっ」

「めちゃくちゃキレとるやんけ。ええ加減機嫌直せや。麿が来たんやぞ」

「説得が下手くそ過ぎてご自分さんで厭にならはりましたんやろ」

「それがなんじゃ! 麿はそんなもん上手やのうてもええんじゃい」


 まだ下手や。キレる演技まで下手くそなってもうてるやん。

 心配かけてごめんなさい。絶対にゆうたらへんけど。


「下手ですね」

「……ふん。子龍の生き方よりかはまだナンボかだいぶ上手やろ」

「あ、はい」

「どないや。太鼓で遊ぶんも飽きたやろ。玉も付いてないし。でんでんゆわへん太鼓の何がおもろいのかさっぱりわからん」

「あ。それはゆうたらアカンお約束や」

「知らん。どうでもええ。そんなことより一門が揺れる。次代の分家筆頭候補のお前が家を割ると西園寺が揺れるんや」

「大袈裟な」

「ほう。大袈裟か。ほななんでかゆうたろか」

「いえ」

「子龍、お前がおらん一門に麿の嫌気が差すからや。見せてくれるんやろ。でっかい大砲積んだごっつい御船を。嵐にも野分にも、ものともせん凄いやつ。それで世界回って、一門で大儲け。そやったなお前が聞かせてくれた明るい夢は」

「なんでゆうん。身共は厭や訊きたないと言いましたよね」

「なんでお前の言葉に耳を貸さなアカンねん。麿はお前のなんや。主君やぞ。清華家筆頭・大西園寺の正当当主ぞ」

「あ、はい」


 やっぱ下手や。訊いてられへん。つまり下手なことが技前なんか。当たりやとしたら、むっず。理解不能や。あと死ぬほどハズいから黒歴史を熱く語るのやめてもらっていいですか。


「祇園さんの抗議は西園寺で片付けといた。土井に礼をゆうとけ。それに付随する朝廷の抗議もや。こっちは戸田にゆうとけ。駆けずり回っとったからな。これで何個目やろ。子龍の苦情を処理するん」

「すいません」

「謝罪ってなんや」

「おおきにさんです」

「おう。かまへん」

「差し引きで負債が多いならいつでも放って捨ててください」

「しばくぞ。本気で」

「本気はやめて。死ぬから、マジで」

「なんや噛みついて来うへんのか。噛み応えのないやっちゃ」

「噛みつくのはいっつも御自分の癖に」

「あ゛」

「ギブ。っていうか実益さん、飽きてきましたやろ」

「おう。飽きたな」


 天彦は潮時かと中庭から視線を外し、実益に正対して居住まいを正した。


「実益さん」

「なんぞ」

「あの……」

「うん」

「一緒に、謝ってもらえませんか」

「はは、甘えるな」

「っ――、ですよね」

「よし。そのあかんたれの顔見れただけで堪忍したろ。そのために麿はいる。そのための主家や。何を今更改まっとる」

「へ」

「ようゆうた。行くぞ、我が子龍。そのために参ったんや当たり前やないか」

「ちょっ、さっきのドキドキ返してもろてええですか」

「なに」

「いえ別に」

「但し頑固じ、大御所、ちょっと手強い。勘気出すなよ。麿に任せ」

「まさか実益さんに――」

「屁理屈ほざくな。麿は出すなとゆうた」

「あ、はい。じっじ、本気ですやろか」

「阿保抜かせ。あの腹黒左丞相が快刀子龍を手放すはずがあるかい。手放したら麿がもらう」


 天彦のMPが80%回復した。ぴえん。


「でもようさん怒ったはった」

「ちょっと釘を差したかったんと違うか。今朝廷では子龍の噂で持ち切りやから」

「え」

「そや父御前の件ではすまなんだな。無事は確認できた。その醍醐の荘でしでかしたやろ。身に覚えがないとは言わせん」

「あ、はい」


 天彦は殊勝に認める。この話を発展させたくない一心で。だが実益はそれを許さない。


「尾張の魔王、朝廷に噛みつきおった。主上さんのお扱いに否を突き付けよったんや、あれで陪臣やゆうんやから世も末や。なあ子龍」

「祇園さんがなんぞ」

「ああ。織田と菊亭は通通や。それを証拠に伴天連を押し付けてきよったとえらい騒ぎや。さすがに訊いてるな。伴天連追放令の勅命が下っているんは」


 知らない。なのに知っている。この場合の正しい返答は。馬鹿正直に答えると100の確率でボコられる。

 それとお公家さんにお社さん。どれだけ吠えてもあんたさんら、一瞬で消し飛ばされますからね。あんまり図に乗らん方が。それだけは100といってもええでしょ。ね。

 それから祇園さん。いや尊意、仕返しにしてはエグないか。そのやり方やと遺恨残すで。


 天彦はほんの一瞬、怜悧な双眸に冷ややかで鋭い何かを光らせる。


「知りませんでした。――ぐはっ、なにすんねんっ、痛いやろっ!」

「嘘ついた罰や。あと睨むな。生意気やぞ」

「……睨んではないですけど、はい。知ってました」

「そやろな。そやないとあんな無茶を申せんもんな。主上もお冠さんや」

「う。……でも、そんな無茶ですやろか」

「……本気でゆうてそうやな。子龍はときどきほんまもんの阿呆になるな」

「あ、はい」

「一つ訊かせ。尾張とは繋がってるんか。侍を三人ほど抱えたと訊いた」

「信じてもらえますか」

「前置きは要らん。申さんかい」

「まったく一ミリも繋がってません。あ、一ミリは嘘でした。宿題を一つ金貨袋と共に預かってました」

「みりとは何や。まあええわ。ないんやな。信じたぞ」

「はい」

「よし。わかった。そやけど世間はそうは思わんことも頭の隅には置いておけよ」

「はい」

「嵌ったんやろ。魔王、子龍を嵌めるとはさすがにどうして、やりおるな」

「……どうやら、はい」


 どうやら天彦、信長公の術中に完璧に嵌められているようである。

 あるいは自ら嵌りにいっている説もあるが、いずれにしても搦手には完璧に絡まっていた。なんで。


「一方で尾張にも噛みついたそうやな。皆が首を傾げるのはそこや。身共は知ってる。どうせ意味なんかないってな。でかした、それでこそ我が子龍や。けど死ぬぞ。全方位敵に回して何がしたい。国盗りか。麿だけには訊かせておけよ」

「はい。まったく身に覚えはありませんけど、その時がきたら、はい」

「よし。一応礼儀や。やっとこか」

「はい。実益さんこの通り。おおきにさんであらしゃいます。そしてお手伝いよろしゅう御頼みさんであらしゃいます」

「応。この近衛中将実益にどんと任せい。家来の失態は主君が拭いたる。なんや泣くな男のくせに」

「いっこも泣いてへんけど。目、大丈夫ですか」

「ほなら泣け」

「泣くか」

「どうせ泣くやろ」

「お前と一緒にすな」

「おいコラ」

「泣きませんけど。すん」

「ははは、泣き虫子龍。やっぱし泣いとるやないか。お前は昔っから泣き虫さんや。やっぱし麿が傍に居てたらなアカンな」

「……」


 こいつ反射性涙液分泌知らんのや。能筋やし、しゃーない。ありがとう。おおきにさん。










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