#17 この世の我楽多を寄せ集めたら身共の姿になるのん、なん
永禄十二年(1569)二月四日
日入刻、暮れ六つの鐘がなるとき、復興支援活動から屋敷に帰ってすぐ。
じっじの遣いがぱっぱ来訪予告を入れてきた。さすがに強イベ発声に天彦の緊張感も高まる。
それは側近家来たちも同様で、内情を十分に知るラウラと雪之丞は表情を強張らせ、あまりよくわかっていない佐吉と是知は雰囲気にどこか飲まれている風。
そしてまったく空気など読むはずもない侍たちは解散を告げても天彦の元を一向に去ろうとしない。侍の勘所を舐めすぎだろうか。天彦は敢えて言葉をかけず好きに振舞わせおいでおいでと自室に全員を招き入れた。
部屋には書斎風の事務机と本棚。そして四脚櫓テーブルにお布団を被せた例のあれがでんと存在感を主張している。炬燵であった。
本日午後に念願かなって納品された品である。職人に発注したこの代物。紛れもなく利権が発生し座が立つ逸品であろうと思われる。むろんこの形状が。
既に内裏に炬燵はあった。炬燵のようなものが正しいのか。天彦はそこから着想を得たのだが、内裏の炬燵は形状の違う櫓が組まれた簡素な炬燵だった。
よってこの綿布団を被せた掘り炬燵形状は天彦発信。すぐに広がり史実通りなら十年もすれば一般家庭にも普及し常設されることだろう。故にこの数年が勝負どころ。儲けを出すならマストである。
猶天彦は極力できるならアーティファクト出現を避けている。あくまで努力目標としてなので非暴力主義と同じくいつものご都合主義であることは留意されたい。
けして信念にまでは昇華されないし金輪際させる気もない。やはり固定観念こそが最も寿命を縮める害悪であるという思想が根底にはあるのだろう。
なので既に炬燵が存在したんだ作ってもいいんだという納得感が嬉しかったの顔である。ゼロ1は天才の所業。1からの発展はただの凡人。そういうこと。
天彦は製品の出来栄えを確認すると今日一の笑顔を浮かべた。そして同じくらいの温度感で得意げな顔をして家人と家来を招き入れた。むろん一酸化炭素中毒には細心の注意を払いつつ。
「どや」
言葉少なに全力でドヤった。
実際天彦の感情通り掘り炬燵は十分すぎるほどチートである。特に綿布団付き掘り炬燵は狂暴だ。プチ氷河期といわれる室町後期では、安価に暖を取れるというだけで戦略級兵器にも匹敵する逸品となろう。
「まあ入り」
詰めれば八人は座れるだろう長方形の掘り炬燵の上座におっちんして家来を誘う。はあ溶ける。座布団は工夫の余地ありやな。天彦が座り心地を確認している間にも、真っ先に応じたのは雪之丞。天彦の至近左隣の席に陣取った。座格的には序列二位の席次にちゃっかりと。左右では絶対に左が格上。左大臣が右大臣より格上な理由である。
瞬間ラウラの双眸が鋭く尖ったのはけして気のせいではないだろう。佐吉はそんな雪之丞の行動にやや呆れ顔を向けるも、けれどラウラの動向を熱心に観察している。
「うっわ。すっご。凄いです若殿さん」
「そやろそやろ。ほらぼさっとしてんとみんなさんも早よ入り」
「はい。それではお言葉に甘えまして」
ラウラが応じ、佐吉、是知と続いた。ラウラは天彦の至近右側に陣取り、佐吉は雪之丞の隣におっちんした。是知は佐吉の隣に座る。現在の彼は何事にも佐吉を指針としている風であった。
だが侍衆は一向に反応せずいつまで待っても少し離れた位置で胡坐を組み改まったままでいる。頃合いを見て天彦から声をかけた。
「なんや助佐、遠慮の塊か」
「且元とお呼び下され」
「人の目があるときは気が引けるんや。どないしたん遠慮して」
「御配慮に感謝申し上げまする。我らがおったのでは団欒のお邪魔かと思いまして」
「なんでや」
「なぜ。……やはり武骨者であるからでしょうか。有り体に申さば文官殿らに避けられているのは承知しております」
「あんたさんらでもそんな些細なこと気にするんやな。そやけどだーれも気にしてへんで。なあお雪ちゃん」
「はい。当然です」
雪之丞の衒いない返答に侍たち三人はやや驚きの表情を浮かべた。
何しろ一番警戒されていると思っていた人物のこの歓迎ムードの発言である。彼らに素朴な当惑が発生しても不思議ではない。
「植田殿、お尋ねしてもよろしいか」
「はい。状況を読み若殿さんに脅威があるかもとこうして居残ってくれはる家来さんに何を思うことがありますやろ。そら達人さんらや。おっとろしいことには変わりないけど、少なくとも某、除けもんにするような節穴やありません。信頼してます。おっとろしいですけれど」
「……忝い」
納得したのか。助佐且元は二人に促し言葉に甘えて炬燵に入った。
「何たる」
「凄まじいな」
「……これが叡智か」
三郎信長に何かを申し付けられているのだろう。製品の出来栄えに感嘆の声を漏らす以外の感想もちらほら。
凍った身体が溶けてきてうっかりすると寝落ちしてしまいそうになる頃合いで天彦から口火を切った。
「且元」
「はっ」
「氏郷も高虎もよう訊いといて」
「はっ」
「確と」
天彦は改まった。侍たちは掘り炬燵を出て胡坐を掻いで拳を床に辞を低くして言葉を待った。
「武士道といふは死ぬことと見つけたり。それはほんまやろか」
「……目から鱗。お言葉に極意を見つけ申し候。はっ、まさしく」
助佐且元の言葉に他の二人も激しく同意。天彦はあまりうれしそうではない。
「そうか。そやろなぁ。身共はどなたさんであっても生き方にはとやかく言わしゃりません。そやけど公家は生き足掻くことこそが本分にあらしゃります。なんでかわらしゃりますか」
「意地汚いからと存ずる」
「おい。扇子でしばくよ。ゆうとくけど地味に痛いよ」
本気出したら社会的に抹殺できるんやでの意味できつく睨み、あるかどうかわからない目力で目一杯叱り飛ばす。
「くっ、あいや、皆目見当もつきませぬ。忝く」
「うん。身共ら公家は帝の家来や。帝残して逝くわけには参らん。逝くにしてもお世継ぎさんを見届けてから逝くんが作法や。野良犬やあるまいしどこででも野垂れ死ぬあんたさんらは知らんやろけど、死ぬのにも礼儀作法があるんやで」
「なっ――、さすがに言葉が過ぎますぞ」
「ちっ」
「ふんっ」
煽ったのだから当然の反応。むしろ揺さぶられてくれないと困ってしまう。
「なんや」
「……不愉快にござる」
「その感情覚えとき。それと同じことを身共はずーっと思うてる。尾張さんに何をゆわれてここに居るんかは知らん存じん。けれど居る限りにおいて身共の命には従ってもらう。ええか」
「はっ。むろん」
「いいやわかってない」
「……」
「死んだらあかん。しょーもない。たった今当家の大題目を決めた。家中一同、このときより死ぬことを禁じる。死んだらしばく。それが守れるものだけが当家菊亭に居残りぃ」
困惑しかない。お家のために死ねと教わって育ってきた者たちに唐突に告げられる真逆の意。彼らは天彦の真意を読み解こうとそれこそ必至の懸命になって考えた。
むろん雪之丞を筆頭に家人は涼しい顔で聞き流す。天彦のこういった利得ではなく感情での言動は親の顔よりよくみる光景だったから。あるいは明日には翻って無し、やっぱナシでと臆面もなく撤回している姿が想像できることも込みで、主君天彦への信頼感は絶大だった。
「ぜんぜん効かん民間療法。大前提、意見はいつでも引っ込めるとしてやっぱし寺社はようないな。この悪しき風習は千年後の未来にも祟る。ようない」
「はい?」
「寺社、にござるか」
「ん……?」
「そうや。その点だけは信長公に賛同や。但し殺しすぎるからやっぱしキライやけど。あ、これ内緒にしといてな。怒られるの厭やから」
天彦の突飛な発言にすっかり慣れっこの家人たちは何食わぬ顔で茶を啜っている。まだ理解が及ぶ範疇だ。もっと酷いのはいくらでもある。神をも畏れぬ妄言などしょっちゅう。
だが天下一と信じて疑っていなかった前の主君三郎信長を事もなく言葉一つでやり込め見事撃破。ましてやあの三郎信長によもや敗北を認めさせた得体のしれない存在だと完全に思い込んでいる侍たちは困惑の色を濃くしていった。
「どないしはったん。鳩が豆鉄砲くらったみたいなお顔さんしはって」
「くふっ」
「ふははは」
「おもろい」
ややウケ。だが空気を換えるには十分な効果は見られた。天彦は気を引き締め本題に切り込んだ。長く引っ張ったがこれを言いたかっただけのこと。何にでも下拵えは必要ですを冗長にやってみた。
「これだけは約束したる。身共に付けば地味でしょーもない人生送れることを約束したる。たとえば獅子脅しの音に心癒され、孫の顔見て頬を緩めるようなそんなしょうもなさや。反面、派手で見せ場だらけの人生がよければ元居た場所に帰るのが最善。帰りづらいなら大名いくらでも紹介したろ。そら盛大に逝けるやろな。ご立派さんや。さようならバイバイさんや。勤務実直の感状いつでも認めたろ。
帝の御為に内裏に侍従したいなら清華家今出川名義の官途状を発行させてもらお。じっじに頼めばどうとでもなる。気ままな商家がいいなら日の本一の商人紹介したる。紛れもなく日の本一やそれは歴史が証明してる。どっちにしても月卿雲客にはしてやれんけど、まあ考えとき。決断の時は訊かせたって」
お芋さん焼けたみたいや。みんなでよばれよか。
天彦の言葉を最後まで理解できずに聞き届けた侍たちは、けれど懸命にその言葉の真意を読み解こうとするのであった。
◇◆◇
永禄十二年(1569)二月五日
天彦は自宅屋敷客間下座で、実の父ぱっぱ晴季をもてなしていた。常にもまして極めて表情筋の死滅した著しく覇気ない表情で。あるいは見る者が見ればこの世の酸っぱいものすべてを一口に放り込んだような超絶酸っぱい顔をして天彦は父の来臨を出迎えていた。
「……身共は認められません。認めへんぞ」
「これは面白い。半家のあんたさんが清華家の麻呂に何を反論ならしゃるんやろ。見物やわぁ訊かせたって」
「ご無礼、申し上げまして失礼さんです」
「はい受け取りましょ。今日参ったんは姫のことやあらしゃいません。本題は招聘のことにおじゃります」
「招聘、ですか」
「そや」
天彦はこの世に撫子以外に気になることなどあるのかという表情でぱっぱ晴季に問う。むろん秒であると返ってきたので肩を落とした。無力。その一言に尽きるだろう。
撫子姫の嫁ぎ先が決まった。ついでのように宣告された事実にいずれはと覚悟していた天彦だったが受けた衝撃は計り知れない。それこそ正常な思考ができないほど食らってしまっている。どこ嫁ぎ先、嫁ぎ先どこ。まじで言えや。
「副将軍弾正忠があんたさんをお召や。一緒に参ろ」
「厭です。あと信長公は副将軍拝命を固辞なさっておいでです」
「……聞こえんかった」
「信長公は副将軍職拝命を固辞なさっておいでですと申し上げ――」
「違う」
「厭。と申し上げました」
「なんやと」
「こっちの台詞や!」
「何を」
「なんぼでもゆうたる。厭なもんは厭やっ」
「こんのっ」
睨み合う両者。中立を標榜しこの親子会談をセッティングしたじっじ公彦は未だ飄々と傷んだ中庭に視線を預ける。茶が美味い。そんな感じで。
ぱっぱ晴季は興奮から前に乗り出した身体を元に戻し、茶を一口上品に啜った。ずずず。そして、
「愚か者さん。あんたさんに麻呂の僅かでも御家大事の感情があれば」
「あればなんですのん。しょうもない。そない家が大事なら毎日抱えて寝はったら宜しいやん。お出かけ用に持ち歩けるよう風呂敷用意させましょか」
「お口さんが悪いなぁ。誰の血ぃが悪さしたはるんやろなぁ。ああ品がない。ああ気味の悪いことで。ああ運がない」
「黄門さん、後学のためにお一つさん。どなたさんの血が悪さしているのでしょう。その気色の悪い血が混じるお可哀そうな身共に教えたってくれはりますか」
「……子供が知らんでええことや」
武家、なのは確信した。この人は腐っても同族公家の悪口は言わない。自分に跳ね返ってくるから。どこや。東でもない。西やろか。今出川は腐っても名門。しょうもない(じっじ主観)家とは絶対に縁を結ばない。つまり当時は繁栄していて近年没落したか破綻寸前の武門。……なんとくお察しか。京極氏系譜の名門さん。どないやろか。
だがほならなんで実益は隠す。源氏の血筋を嫌っているのか。天彦は疑心暗鬼に陥った。これもよくない兆候だ。しかも天彦の場合、悪い指向性の振れ幅がデカすぎて結果のエグさと見合っていない。佐吉どころの騒ぎではなかった。
「いずれにしてもお招きさんにあらしゃいます。今出川として共に参るのは連枝の義務やと麻呂は思いますんやが、お狐さんはお如何さんにあらしゃいますか」
「狐。……実の我が子にそないゆわはるんですね。意地悪ではなく本心で」
「おおこわ。やっぱし地が出る。その熱い血ぃはあんたさんで途絶えさした方がよろしそうにあらしゃいますなぁ」
「御鏡覗き込んでみたらどないです。なんと驚くなかれ。身共にはあんたさんの血も半分こで入っているんです。知らんかったでしょ。きっとびっくりして腰抜かさはると思いますけど」
嫌味の質はごぶごぶか。しかし若干くらっている風の天彦がやや劣勢の感は否めない。
「親子二代に亘って実の親に謀反を起こす不届き者と、近しくしたはる人は仰ることが一味も二味もお違いあらしゃいますなぁ。おおこわ」
「なるほど。その旨、確とお伝え申し上げましょ」
「ええ」
「はい」
「伝えんでええと申した」
「はて」
「この通り堪忍さんや」
寝業師一流の落とし方には載ってやらない。天彦は和解案と知った上で敢えて無視して一切リアクションをとらず、故実で礼を取りこれにて失礼とだけ告げてその場を立ち上がった。しかしそこに物言いが入る。むろん入れたのはこの場にいる当事者以外の唯一の人物。天彦じっじ公彦である。
「天彦さんお座り」
「じっじ、でも」
「お座りさんや」
「はい」
天彦は従う。どちらに転んでも最後。実父とこうして会うのは最後と決めた。最後は濁さないとしたものであるから従ったまで。古典にもあるほどだし。知らんけど。
「黄門」
「なんでしょう、大御所様」
「なんで我が子を導いてやられへんのや」
「これ、ひとつもゆうこと訊きませんねん。ほんまに我が子にあらしゃりますやろか」
「ははは、我が子や。間違いない。お前さんも親のゆうことなんかひとつも訊かへん実に太々しいお子さんやった。その理屈やったら既に今出川の血は途絶えたはるとなるけれど、どない」
「っ――」
天彦小さくガッツポーズ。ぱっぱ晴季小袖の袖をきつく噛む。
「天彦さん」
「はい」
「なんで反発するんやろ。なんで敵視するんやろ。教えたって」
「家族を血の繋がった家族とも思わず政争の道具としてお扱いになられるから。出世にばかり気を取られ家族のことなど一個も顧みないから。公家のおくせにお武家さんにすり寄り媚び諂うから。母上様を捨て甲斐の鬼子母神などを娶るから。その甲斐の化け猫に実の子が虐げられているのにもかかわらず長年にわたってみて見ぬふりを――」
「待ち。わかった。もう十分や」
「そうですか。まだあと千個くらいはあったんですが」
「そ、そうかいな。遠慮はお大事さんやで」
「はい。心得ております」
だがじっじ公彦はこのとき決心したのだろう。居住まいを正しぱっぱ晴季に正対した。
「晴季」
「はい」
「天彦を廃嫡しぃ」
「へ」
「なんでやねんっ!」
晴季びっくり。天彦激怒。思わず突発的に荒い声を上げてしまう。
じっじ公彦はてっきり天彦の味方だと家中の誰もが思っていた。大方の予想を裏切る大万馬券の出現に天彦の胸中は乱れに乱れる。
「今出川のためによろしくない。ここで家門を分けるのが吉」
「ああ、なるほどさんにあらしゃいます。さすがは左丞相さん。如何なるときもご決断に狂いがあらしゃりませんなぁ」
「黙っとき。天彦さん。天彦。天彦、……天彦――っ!」
ひっ。
初めて耳にしたじっじの大きい声に天彦はびっくりして固まってしまう。
世界中を敵にまわしてもじっじだけは味方だと信じて疑っていなかった幻想が脆くも崩れ去った絶望たるや。筆舌に。
あるいは雪之丞に裏切られるより衝撃がはしっていたのかもしれない。まんじとすら軽口を呟けないほど余裕を失い、口の中もあり得ないほどからからだった。
天彦はようやく持ち直し威勢を張った。張れているかは怪しいけれど。
「なんですのん」
「なんやその太々しい態度は。いったいどなたさんと向き合うていはるんや」
「そやからなんですん。用がないなら辞したいんですが。お偉いお人さんの御前から一刻も早く」
「どういことや」
「そういうことや」
「さよか。わかった。ほな帰り。ここは今出川殿や。今出川に背くなら居場所はない。それだけは厳に申し付けておく。往ねっ、しょうもない」
嗚呼、めっちゃ怒らせてしもた。……ええわ、どうでも。
天彦は故実の令も取らず今ある感情剥き出しのまま自宅応接間を後にするのであった。




