#14 水溜まりくらい浅い縁の巡りあわせ
永禄十二年(1569)二月一日
日中刻、昼九つの鐘がそろそろ。
「ふっ消化試合にしては中々どうして滾らせる」
「はいおてて上げましょうね。ほら抱っこしましょ」
「触るなっ」
くそ、忌々しいアラブ産駒め。デカすぎやっちゅうねん。
天彦は恨めしそうに馬体を一瞥。だが現実を受け入れ両手を広げた。脇に腕が差し込まれ、ひょいっ。
「お、おおぉ」
高い目線。鞍上から一望できる地平線に思わず感嘆の声が漏れ出る。
このまま“はいやっ”とできればどれほど爽快なのだろう。だがならない。何せ鐙にさえ足が届かない巨躯なのだ。落ちたらお仕舞い。意外にも戦国武将の死因の上位に落馬があった。
天彦は実に名残惜しそうに下で両手を広げて待ち受けているラウラにダイブ。背から降りた。
「教育連隊(新人預かり)の御面々はどないしたはるんや」
「あちらに。決着つき次第、追っ付け駆けつける由にございます」
「ああ、あれな。なあどない思う。率直に訊かせたって」
「阿保ですね。それか間抜け。いずれにしても愚か者に相違ありません」
「あ、うん」
視界が届くかどうかギリギリの小藪で三人は上半身を脱ぎ捨てて本気の殴り合いを演じていた。えぐい。
「天彦さんもお人が悪い。いいえ悪いお人」
「つっこまへんで。どっちにしてもやめてや人聞きの悪い」
「だってそうでしょう。お人は三人、お馬は二頭。己らで決めろとは酷というもの。ああなることは火を見るより明らかでしたのに」
「え」
「え」
天彦は本気で疑問に思った。本当に案外そうでもなかったのだ。どういう決着をするのか単純に武士の志向性が知りたかっただけ。天彦の周囲には武家にかぶれた武官擬きか、武家を気取る公家しかいないので。侍の行動様式が気になっただけだったのだ。
なのにまさか本気で殴り合いの殺し合いに興じるとは夢にも思わず。反省より恐怖心が勝っていた。
「……やめさせたって」
「無理です」
「そやろなぁ」
「はい。ここは主君の腕の見せどころです」
「お前、家令やぞ」
「はい。家令は家内事の取り纏め役です。業務外報酬お支払いくださるなら――」
「もうわかった」
ラウラの戯言を捩じ伏せて黙らせる。
しばらく眺めているとやはり体格差が生きたのか高虎が高らかに勝ち名乗りを上げていた。――が。
「あ」
「あ」
背後から一人が石を持って襲い掛かり、二人がかりで引き倒すと後は馬乗りになってぼこぼこのめためたにぶん殴り始めた。ふむメモメモ。
武士とはいざとなれば宿敵とも共闘できるもの哉。参考になった。ゆうてる場合か、死ぬぞあれ。デスマッチやんけ。嘘やろ。
「やめんかぁ――っ!」
声変わり前の細い声が小さく響くのだった。
だがさすがである。この距離からでも叫べば止まる。そして示し合わせるでもなく決闘をやめこちらに向かって駆け付けてくるではないか。もれなく全員。血塗れ上半身裸で。え、ゾンビ映画。
一瞬天彦の思考が停止したがすぐに復旧。大型犬やな、それかよう調教できてる獅子さんや。どっちにしてもよう扱いきれんわ。と結論が出る。
「信長さんも無茶なお人さんや。いきなり気分で転勤せえて。身共やったら辞めてるわ」
「でしょうね。堪え性ありませんものね」
「おい」
仕方がない。井戸水で血を洗い流させている間、待つ。
結局一時預かるということに落ち着けた。完全移籍はさすがに気が引けたのでよい落としどころではなかっただろうか。彼らも菊亭にいたのでは思うような槍働きは期待できないしあの有り余る武威も宝の持ち腐れだろうから。
これがお武家さんならば逆に縛り付け囲い込みたいところだろうがあいにく天彦はお公家さん。雅を愛するにはあまりに武骨な三人だった。
しかもあの三人。やはり武士ガチ勢。諱で呼べと押し付けてきた。理由は単純明快。主君が呼ばせて家来が呼ばせないなど武士の風上にも置けないからとのことであった。あ、うん。
即ち心は織田家にオニ残留していることを意味しているのだが、当人らには一ミリも自覚がないよう。愚かしくもちょっとだけ親しみを覚える天彦であった。
ざくざくじゃらら。
「はは、儲かったった」
「卑しいですよ」
「その碧眼に$マーク浮かべてゆうても説得力ないで」
「うふ、配分が楽しみです」
「もうゆうてもうてるやん」
禿ネズミ経由で三郎信長が天彦に口喧嘩打開策の褒美を取らせた。
クラシカルにして王道のご褒美。袋の口が締まりきらないほどたっぷり詰まった大判金貨袋である。うっひょー。
但しこれは褒美という名の命令書と共に投げつけられた金貨袋なので手放しには喜べない。三郎信長は天彦が初陣を固辞してくるだろうことを予め察し、ならば二の矢として別のお題を差し出してきたのである。
悪銭を駆逐せよ。
三郎信長のオーダーは悪銭の駆逐だった。しかも経済活動に混乱をきたさないように。という条件付きの。だが口ぶりではマストではなさそう。
いずれにしても天彦はやはり三郎信長という人物が経済大名であると確信する。天彦の中ではおもしろツンデレオジサンとどっこいどっこいの印象だが、むろん一番はオニDQN大名である。
「どうなさいますので。お宿題」
「なるようにならっしゃりますやろ」
「ほう。すでに案をお持ちのご様子」
「候補すらないで」
「では早急にお考えださい。織田殿、ほんとうに恐ろしいお方ですので」
「まあ怖いわな。ぼちぼち気張るわ」
撰銭令でええやろ。どうせご自分で考え付かはるやろし。楽やし。
と、思ったのも束の間。だがそれは経済活動に相当の負担を与える。リクエストには沿っていない。おそらくニーズにも。何より商家の負担がでかい。悪銭を一々選り好んでいては商売に差し支えるのだ。つまり信長公、すでに具体案を思い描いているのか。その上でお試しに……。ありえる。きんもっ。
天彦は脳裏で散々罵詈雑言の嵐を吹き荒れさせ、有りっ丈の毒を吐いて切り替える。
ならば貨幣の鋳造か。出来っこない。それは朝廷御扱案件であり、朝廷・織田家のどちらの顔も立てるなんて難易度Aの離れ業、天彦には到底思いつく気がしない。何よりも天彦としては極力利権事案には触れたくなかった。あーしんどっ。
案外なかなかどうして小難しい宿題だった。数学のテストならラストから二番目に出題される感じの。というより深いのか。
裏を返せば経済発展に焦っていると読み解ける。すると経済さえ発展させれば文句はないのだろうか。できるかいっ。だがたしかにこれから畿内完全平定・四国・中国・九州・関東と遠征には莫大な資金が必要となるだろうからきっとそうかも。
うーん。持って帰ろ。期限は切られていないことやし。
「あんまり遠くを見つめていると足元疎かになりますよ」
「天彦さん……!?」
「こっちの話や。ほら戻って来はったで」
「はい。ではレンタルお馬さんを者共に」
「そうしい。身共らはタンデムや」
「はい。楽しみですね相乗りが」
「そうでもないわ」
「またまた、強がっちゃって」
「おい馴れ馴れしいやろ」
「畏まった方がいいですか。ニーズに応えたつもりなのですけど」
天彦の答えはなかった。
ほんで三人とも、誰も乗らんと綱引くんやん。あはは。
◇
天彦はラウラのお腹に背を預け前乗りタンデムで考え込む。
「どうしたのです。大判を見つめて。理由がないならお下品ですよ」
「あるに決まってるよね。シバかれたいん」
「そういう暴力的なことを仰せなら頭齧りつきますよ」
「それだけはやめとこ。厭な記憶が甦るから」
「では何でしょう」
「ん、ああ。これも仄めかしなんやろなぁと思てな。みんな好っきゃわ符丁とか暗示とか示唆とか。字義通りにまっすぐ来てくれへんもんやろか」
「一番多用する人が仰る。で、何の暗喩ですの」
「余は甲斐と通通やぞって仰せであらしゃいます。どこかの魔王さんが」
「なるほど。つまり甲斐には金山がおありなのですね」
「平和か! ちゃうやろ。裏山な話やけどちゃうやろ」
「知ってますけど」
「ほーん。ふーん。はーん」
「何ですか」
「知らん顔やん」
「女の顔は前下から除き込む顔と真正面からとでは違うのですよ、お子ちゃまですね」
「そうしとこ」
背後は固めてあるという示唆、お前の言動は把握しているという暗示。それらに付随した諸々の暗喩。四郎勝頼は完全に傘下に収まったのか。気になる、本心が知りたい。
だが裏を返せば不安視ともとれる。あるいは諏訪と越後の同盟に危機感を覚えているのやも。可能性は尽きない。気が急く。
「悩まされている時点ですでに術中。おっかないお人さんであらしゃいます」
「その恐ろしい人に平然と刃向かい、まんまと討ち負かすお人さんを何と表現すればよろしいので」
「一般人」
「あははは、おもしろいです。きっと洛中で流行りますよ」
「流行らせるかいっ。絶対にやめとけよ。フリと違うで」
「さあ」
「ラウラ」
「はい」
天彦はラウラの頭を引き寄せた。耳元で、
「諏訪と渡り付けられるか。神さんがええけど無理ならたしかな筋と話したい」
「裏で」
「そう裏や。極秘裏に隠密にや」
「可能かどうかであれば可能です。但し少々お時間が。あと堺が中断してしまいます。遅滞するだけでなく伝手の幾つかを失う危険性もございますが」
「それは弱った。……ええわ、ちょっと諏訪を優先させて」
「はっ、承りました」
三郎信長。頼るには余りある銀主だ。人柄も為人も嫌いではない。武田のように過去から引っ張られる因縁も無い。本来なら織田弾正忠家、手をつなぐには申し分ない家柄なれど。だが哀しいかな長生きしない。その後の末路もかなり悲惨。
仮に本能寺の変を回避したところであの気性。長生きできるとは到底思えないのである。舐めすぎだ。家来の心を。武人の矜持を。
おそらく高い確率で天寿を全うせず逝くだろう。そしてその死に様はけっしていいものにはならないはず。大悲無倦。
そうこうしていると洛中にたどり着いた。
◇
洛中。晡時刻、夕七つ。
すっかり陽が陰った洛中はどこかもの淋しく感じてしまう。賑やかしい洛外との対比で侘びしさが浮き彫りとなってしまっている。
だがこの侘びしささえ味。すっかり帰ってきたという安心感もちゃんとあって、つくづく京都人なのだと実感できる。
借りた木曽馬を返すため貸し馬屋に寄った。だがあいにく顔馴染みの御夫婦はいない。代わって応接したのはちょっと衿元緩めな妙齢のご婦人さん。ほんまに厩舎の受付けなん。と勘繰ってしまう程度には色気を漏らす。
「おばちゃんおおきにさん。ほんでこれ預かって欲しいねん」
「おばちゃんはアカンえお稚児さん。まあなんとご立派なお馬さんなことでしょう。どこで盗ってきはったん」
「おい。お稚児さんもアカンやろ」
「まあ! 口の悪いガキやでほんま」
「お前もな」
「む」
む、やあらへんねん。身共やなかったら死んでんぞ。
だが預ける。この人と厩舎に因果関係はない。相関関係はあるけれど。
何よりお馬さんは銭食い虫。むちゃくちゃ維持費が高くつく。ところが貸し馬屋に預けるとあら不思議。ほとんど手間賃程度で済む。魔法や。戦国に魔法を見たで。
トリックでさえない。ただ働きさせられるだけのこと。誰が。お馬さんが。惨い話や。お馬さんにそんな概念があればだけれど。
「あらいい男衆だこと。お侍さん方ちょいと遊んでいきませんこと」
女性店員が科を作って色目を振りまいた。天彦はさして驚かない。食堂でさえ女性従業員は春を売っているご時世だ。人は悪くない。悪いのは政治。ほんまやろか。
某が、拙者が、いや拙者が。全員おいでませ。
と、新参者三人といちゃこらしているのを横目に場所を移して事務室へ。
「ほなな。お利巧さんにしてるんやで、凄壱」
凄壱はぶるるんと鼻を鳴らし、お前もなと天彦を見送った。知らんけど。
事務所で契約書にサインを認める。
「ではこちらに」
「うん」
本当に何の気なしに、契約書にサインを認める。本来ならラウラの領分。だが天彦はつい気軽に応じてしまった。そしていつもの習性(癖)で花押を走り書いてしまう。当然それも有効以上に有効だが身元が明るみになるのでよろしくない。慌てて墨で上書きし、ラウラに目配せ。書き手を代わる。
子供が張り切ってでしゃばって書けずに親か従者に代わる。普通に受け取ればそう受け取るのが自然。
ところが事務担当職員はちらっと横目で捉えるとさっと視線を別に移した。ん? 天彦に唐突の違和感が差し込む。
さっきの店員といいこの事務員といい、やたらとあてにならない勘をざわつかせる。試したろ。
「四郎さんはお元気さんであらしゃいますやろか」
「くっ」
ビンゴ。
ラウラ手間が省けたで。の意味を込めて含み笑いをラウラに向ける。さすがにラウラもすぐに感付く。無防備な天彦を庇うように前に立ち、
「者ども、出あえ」
小さく、けれど凛然とした下知を飛ばした。
さすがは侍。色気に振り回されていたのも一瞬。たちまち駆け付け状況把握に努める。具に察知。理解したかと思うと佩いている太刀を躊躇うことなく引き抜いた。
「……」
三本の切っ先を突き付けられた事務員はなのに涼しい顔で目を細めた。
と、
「あらあら、お銀ちゃんにしては下手をうったね」
「黙れ女郎」
寸劇が始まりかけたが三人の護衛の剣気が昂った途端、軽口は一瞬で抑え込まれた。一言でも発したら斬る。三人の身体からは無言の闘志が滲み出ていた。よう訓練されたはるわ。お互いどっちさんも。
「助佐、一旦引きや」
「はっ」
切っ先だけが下を向き、けれど警戒は一切緩められず。いつでも銀閃を走らせられる油断ない構えで三人は控えた。
天彦は決めていなかったがこの場で咄嗟に片桐助佐且元を纏め役に指名した。名指しの下知とはそういうもの。むろん天彦も意図してやった。
単に嫡男であるからという配慮をしたまで。家格の違いなど知る由もない。だが何やら三人の中では別の不穏が渦巻き始める。今はあと。
「女、名乗れ」
「お銀です。よろしゅうに。お公家さん」
「そっちは」
「初めましてお金です。御曹司さん御贔屓に」
完全に偽名。とも限らないので厭になる。そもそも奴隷なら名前さえあるだけ上等という世界観。本名かどうかなど尋ねることさえナンセンス。何しろ公家でさえ己が何者なのかを証明するのも困難な社会なのだから。
「四郎に渡りをつけたい。何とかして」
「……なんのことですやろ」
銀はあからさまな拒否。忠はあるよう。
「四郎に渡りをつけたい。何とかして」
「……」
金は値踏み。こっちやな。
「金。渡り付けたら抜けさしたろ」
「え」
「ほんまっ」
金と同じく銀も反応を示す。むしろ金より食い気味に。忠どこ、どこ忠。ハズいからやめて。げふんげふん。
「ほんまや。但し条件がある。秘密裏に渡りをつけるんや。たとえばこの話が外に漏れ聞こえたら、この場の誰かしかないというくらい徹底してな」
天彦が三人を見ると顔ごと視線を逸らされた。そやろな。知ってた。
「自分らで使いに走ったらええんですね。そやけどそれをやったら一生抜けられやん。……ほらやっぱり騙しや。これやから公家は信用ならんねん」
「はは、筋はええな。よし銀。いっぺんや。いっぺんだけ繋いだら解放したる」
「雇うてくれますの」
「うちも!」
「ええで。銀も金も二人纏めて射干党に入れてもらえ。なラウラ」
「え。厭ですけど。こんなはすっぱな乱破ども。何でも拾ったらダメと教えたでしょ」
「誰がじゃ! おどれ誰様じゃ」と銀。
「コロス、おどれが何者でも関係あるかいっ」と金が続き。
「ふっ、笑止」ラウラが余裕の貫禄を見せた。
コロス、上等。
女たちは唾を飛ばし合い同時に峻烈な視線もぶつけあった。
話は纏まった。
「後で顔貸せ」
「勿体ぶるな、今すぐ貸したら」
「ぺっ上等。二人纏めて面倒みたる」
こちらはこちらで酸素が薄い。熱すぎやろ、お武家さんがた。
若干拗れているトライアングルが男女に別れて二つ出来上がってはいるが纏まった。知らん知らん。勝手にやっとれ。
天彦にとって堺は最重要案件だ。堺の諜報が停滞しないならそれだけでも値打ちは高い。なにしろ今後必ず歴史の中心になってくる一大経済都市なので。利休に茶道教わるねん絶対。るん。
天彦は会心の笑みで一件落着を喜ぶのだった。




