#13 御座形な対応、等閑な感情で
永禄十二年(1569)二月一日
真実ではないと事実ではないは大きくちがう。
真実は人によって見え方や捉え方が違うため幾通りも存在する。他方事実は揺るぎようのない実際に起こった客観的な出来ごとを指すため普遍的にひとつだけ。果たしてそうかな。
今行われようとしている事実の前に天彦は眉をしかめた。目の前で行われようとしている大々的な論功行賞を前にして、業腹未満苛立ち以上の感情で与えられた席次でおとなしくおっちんしている。
「天彦さん。表情筋がお亡くなりになられておりますよ。スマイル」
「無礼やろ、生まれつきや」
「ならば御工夫を。こっちを睨む織田殿の目が恐ろしいのですが」
「心配すな。身共もや」
「不安を煽ってなんの得が。おやめください何卒」
「やめん。こればっかりは男の意地におじゃります」
「男って。まだ性別すら判然としていない御容姿で」
「やかましい。だまっとき」
「あ、はい」
なぜこの場に参列しているのか。それは昨日に遡る。昨日、織田勢の勝利を確信したところで天彦は早々に御暇を申し出たのだ。だがなぜか許可されず待ったがかかった。実益ぱっぱは逃げ去るようにいなくなってしまっているというのに。これも公家の勘所の一つか。
理由は翌日つまり本日行われるこの論功行賞への参加を打診されたからだ。禿ネズミが慇懃に丁重に打診してきた。瞳の奥に懇願を。下げた後頭部にありったけの威圧を押し付けて。やっぱキライやわぁ。
天彦は察してしまう。己の悪い方だけ当たる予感が恨めしくなるほど正解だった。
打診とはやはりテイであった。完全なる命令であったのだ。なぜなら「ええで」了承したときの禿ネズミの表情が安堵ではなく感心だったから。何なら“ほう”とさえ感嘆を漏らしていたやもしれない。こいつずっと試してくるやん。なんなん。
その時点で天彦は相当かなりキていたのだが、本日始まった論功行賞によって決定的な感情となってしまっていた。尾張、終わりだよ。
だがラウラの半泣きも尤もな話で、武勲一等を賞賛するより早く、天彦の助言合力を武功特等として称えられたのだ。ご家来衆満場の面前で。
天彦は躊躇った。だが果たして拒否の選択肢があるだろうか。回答までは早かった。見直しもせず無いを選択。受け取ることを決めたのだが。
「恩賜の品、凄壱。連れて参れ」
事情が変わった。一瞬にして。
司会進行の呼び込みに応じて姿を見せたのは茶褐色の駿馬だった。
するとどよめきが巻き起こり同時に論功行賞の場にはとんでもクソデカため息が漏れ聞こえた。これは明らかな羨望のため息であろう。
なにしろこの凄壱。レアものどころの騒ぎではない。トリプルSレアなアラブ産駒だったのだ。この木曽馬全盛の室町時代にあってアラブ産駒はチートすぎた。
なるほどこれなら後世に一夜にして千里を駆けると記述されても驚きはない。不思議もない。それほど彼我の性能は違った。そんなピッカピカの駿馬が恩賜品として登場したのだ。恩賜品として。
恩賜ってなんや。
だから天彦は立ち上がらない。ラウラに催促されようとも次第に会場の雰囲気がざわめきに変わろうとも、あるいはこれを画策した首謀者の目線に不愉快以上の熱味が帯びようとも、である。天彦は意を決し、けっして立ち上がろうとはしなかった。
「天彦さんなぜですか。“じんおわ”な気しかしませんよ」
「使い方はおうてる。でも理解度がいまいちや。なんや恩賜て。舐めるのもたいがいにせえよ」
「えぇそこ」
「そう。そこや」
恩賜を受け取れ。そういわれた途端、天彦の脳はフリーズした。恩賜。君主から家臣もしくは家来に対する功労の印。品。を指す言葉。昔も今もおそらく未来も。
あるいは現在(室町)の方がよりその言葉の意味合いは意図を含めて濃いのかも。これ絶対アカンやつ。天彦は押しも押されもせぬ帝の直臣。恩賜など頂くわけには参らなかった。建前上。
だがこの式典様式には他意がある。悪意はないと思いたい。直観ではない。確信だ。あれ、これって既成事実積み上げに来られているんちゃうやろか。ちゃわへん。かっちーん。
理性より感情が勝った瞬間だった。言い換えるなら天彦の思想的DNAを今出川の実質的ブラッドサインが凌駕した瞬間であったのだ。
「天彦さん、そんな……」
ラウラが“じんおわ”を見える化して言語化するのをしり目に。
会場のざわめきに具体的な胡乱と不審が混じり始めたとき、天彦はおもむろに立ち上がった。
天彦は視線を座中央。有りっ丈の気合をこめて三郎信長を直視すると肺にいっぱい空気を吸い込んだ。
「清華家貴種の身共に将軍家ご家来衆ごときがようもほざく。それとも既に家系図ロンダリングは御済にあらしゃって朝家のお仲間入りを果たされておらはりさんなんやろか。それはそれでおっとろしい不敬におじゃりますけれど、感心はしますわなぁ。嘲りという名ぁの」
言い終えるや否やざわめきが一瞬で消え去った。そして入れ替わるようにともすると息遣いさえ聞こえない静寂の帳が舞い降りた。早い話がキンッ。一瞬より早く座が凍り付いたのだ。
片や座する三郎信長。他方立ち上がり虚勢を張る天彦。お互いの目線はフラットだった。
両者は互いの主張を賭け合い峻烈な視線を交錯させる。傍から見れば睨み合っているようにしか映らないとしても。あるいは鷹に睨まれた兎にしか見えないとしても。断じて。
天彦からすればこれ以上ないとびきりの正念場。今後の人生を占う、いや決定付ける正念場。何があろうと折れて曲がってやることなどできない。だから命は張っている。全賭け一択。
馬鹿者で無礼でどうしようもない愚か者だが命の使いどころはけっして間違えない。それが菊亭天彦という児童の本質。それこそが身共である。然もそう主張せんがばかりの意地の張りっぷりにさすがの家来衆も一目置いた。周囲の静けさがその感情を映し出す。
だが三郎信長からすれば人生に多く訪れる見せ場の一つに過ぎないのだろう。あるいはそうでなかったとしてもそれほどに役者が違った。貫目が違った。
三郎信長は天彦の意気に応じ無言で左腕を差し出した。すると小姓が息ぴったりに太刀を捧げ渡す。
三郎信長はそのごってごてにデコられた宝刀には目もくれず、視線を天彦に預けたまま奪い取るように受け取ると、どんっ。地面に鞘ごと先端部分を差し込んだ。そして顎を支えるつっかえ棒として使用した。
見るからに怒っていますポーズである。わかりやすく視認化してくれているのは天彦に対する一流の気遣いか。違う。これが彼のスタイルだった。
神経質そうにリズムを刻む膝が余計に恐怖を煽っていた。じんおわ。ここやで使いどこは。
「余を愚弄するか、狐」
畜生言われたりキツネゆわれたり、なんや戦国。人のことなんやおもてるんや。
天彦は本域でブチ切れていた。
「天彦や。清華家筆頭大西園寺家当主一の家来、清華家今出川長子、半家菊亭当主非蔵人天彦や。言い直せ、斯波の木っ端家来」
背後の侍が数名、なんとか怒声は控えたものの立ち上がり異を唱える。無礼であろうがっ。叫んだ家来。どっちがやねん。つぶやく天彦。
三郎信長はいずれの主張も意に介さず視線だけで家来を咎め控えさせた。ここは議論の場、その応接によってここに意思は示されたのだ。さすがの威儀。天彦は敵ながら率直に感服する。さす信やりおる。手加減してもええんやよ。
天彦のそんな意思が伝わったのかなかったのか。
三郎信長はにやり。口角を上げて挑発的な笑みを浮かべた。そして、
「この世で最も許せぬものが弐つある。一つは血筋と権威に胡坐をかく公家とかぬかす盆暗である。そして血も流せない鈍ら公家がそのもう一方だ。己はいずれか化け狐」
「どっちでもあるしどっちでもない。そうや身共にもあらしゃいました。嫌いなもん。この世でいっちゃんキライなもんは、奪えたから奪った、取れたから取ったとほざく品位の欠片も無いお武家さんや。控えめやろ。一つにしたったん」
「ほうさすがに達者か。ならば問う。何故武家にすり寄る。武に縋る。貴様ら得意の二枚舌は許さんぞ。如何っ!」
「ほならなんで正統性に拘るんや、縋らっしゃるんや。内裏には官位欲しさの行列が引きも切らず繁盛さんにあらしゃいます。あんたさんらお得意さんのお短気さんは水に流して進ぜましょ。おほほほほ」
作麼生切羽。まさか命を賭けたこの大一番で茶々丸に感謝する日がくるとは夢にも思わず。やはり茶々丸は親友だった。その場に居らずして加勢してくれる友を親友と呼ばず何と呼ぶ。
負けたるかいっ、天彦は勇気百倍、胸を張った。
と、
ちっ――。
確かに聞いた。たしかに効いた。三郎信長の舌打ちに天彦は優勢を確信する。それでもそんな優位など砂上の楼閣より頼りない。たった一言「討ち捨てろ」ですべてがおじゃん、お仕舞いなのだ。けっして気は緩められない。
両者の主張は真っ向から対峙した。対立はどうだろう。一見するとしているようでけれどその実巧妙であった。だから天彦は頑張った。何を。DQNといいたいところを武家と言い換えて踏ん張った。尤もこの時代の究極DQNは武士なので意図は伝わる。意思は通じる。自分自身への納得もえられる。
やがて討論は終局を迎える。三郎信長が歩み寄ったからだ。
ご家来衆は息を飲んだ。かつて主君のそんな態度、誰か一人でも目にしたことはあっただろうか。
なのにこのちんまいお公家。なぜ折れない、譲らない。家来衆の脳裏には不思議を超越した先にある恐怖の感情が芽生え始める。
「面目をたてい」
「助言をください」
「面目をたてろ狐」
「助言をください天彦さん」
「面目を、たていっ」
「助言を、くださいっ」
「助言を……、もといっ!」
「あ、間違えはった。身共の勝ちや。いや引き分けとこ。それが平和やぐーちょきぱー」
三郎信長は顔中に疑問符を浮かべる。だが次の瞬間にはもう関心に移り変わっている。この人物の原動力もやはり興味と関心なのだろう。天彦には通じるものが感じられた。
「その手遊び、なんぞ」
「この通りグーはチョキに勝つ。チョキはパーに勝つ」
「ぱーはぐーに勝るのであるな」
「そや。さすがの御慧眼にあらしゃいます」
「ふん、舐めるな小僧」
「あ」
「ふん天彦」
「はい」
ほならなんでそんな嬉しそうなんやろ。ん、ん、ん? ふふふ。
「天彦、図に乗るなよ」
「おっつ。うんはい。いっつも叱られるやつなんです、じっじに」
「で、あろうな」
「いやそこは“であるか”やろ。こうやってちょっと“で”で溜めて渋いめの」
「くふ、ふはは」
座に三郎信長の失笑が伝播した。ややウケ。だが効果は覿面。天彦絶対コロスマンたちでむんむんだった殺気がかなりそうとう柔和になった。ありがてー。やっぱしお笑い最強ちゃうのん。違う。あ、ハイ。
も、座が一瞬で静まり返った。三郎信長が立ち上がったからだ。ごてごてにデコられた宝刀を手に。緊張が走る。
「折れと致せ」
「受け取れません」
「命が惜しくないのか、天彦」
「惜しい。惜しいに決まってますやろ。でもそれ以上に失のうたらアカンもんあるんと違いますやろか、信長さん」
「……ある。我らはそれで命を張る」
「公家も同じや信長さん。その手段がちがうだけであらしゃいます」
「公家は好まぬ。だが菊亭は別。失うにはあまりに惜しい。考えよ」
無茶ぶり! やっぱDQNキライやわ。でも死にたないし考えよ。できた。
「心ばかり。その崇高な御心遣いには、お公家さんなら誰しもが感服しはるんとちがいますやろか」
「呆れた。たったそれだけのことに、貴様は命を張ったのか」
それだけやないって知ってるくせに。演技派やな、三郎さん。
「はい、そうですけど何か」
「くふ、ふは、あははははは――! 心ばかりの戦功の品。受け取れい」
「おおきにさんです。ありがたくお頂戴さんにあらしゃいます」
「うむ。織田家と菊亭家に金輪際、未来永劫遺恨なし! 菊亭天彦、大儀であった」
「信長さんもお疲れさんです」
さすがに目線で咎められるがその温度差は天と地と。
顎をしゃくられたのでそちらに視線を向けると、三名ほどの若武者が片膝をついて控えていた。
「これと併せて持っていけ。何かと物騒な時代だぎゃ」
「――っと。お宝剣は欲しいけど、人間さんは要りませんよ」
「心ばかりみゃ」
「もうずるいわぁ。信長さんずっとずるいやん」
「で、あるか。ふふ、あはははは」
思い立ったら即実行。三郎信長は“で”で溜めを作って渋顔をした。はは、おもろ。やっぱしこの人おもしろさんやん。
しかしさすがは天下一のDQN侍。一等武勲を称えず座を後にしてしまった。めちゃくちゃやん。勝手すぎるやろ。集められたこの方たちのお立場どうするん。
なのに御家来衆は何の疑問も不満も覚えず、何なら感動した風でさえある面持ちで主君の凛然とした背中を見送るのだった。阿保やん、あたま逝ってるやん。
改めて人種が違うことを痛感した天彦だがさて。超大、中、小。
贈られたお馬さんは喜ばしいがこの超大、中、小のお人様は果たして。ちょいちょいっと手招き、こっちおいで。
「どないしましょう」
「何卒」
「何卒」
「何卒」
あ、はい。
希う目があまりに切実すぎて拒絶したらどうなるか。彼らの未来が容易に想像できてしまう。それほどに彼ら、見た目中2から高1くらいの青年たちは入れ込んでいた。意気込んでいた。
天彦は自分の勘の良さを嘆きながら小さく唸る。現代感覚なら自分から名乗って自己紹介を催促するところ。だがそれはできないしてはいけない。天彦は帝の直臣であるからして。
但し都合のいいときだけ直臣を誇る天彦なので、本気を出せばいくらでもお道化られる。だがさすがにどう見ても武士ガチ勢の前ではそれは危険。こうしている今も“デス”という単語がデンジャーストライプ柄文字でテロップとして流れているから。
仕方がないのでお辞儀の丁度いい確度くらいの姿勢をずっと保ち、終始不参加を決め込んでいるポンコツ家令に視線を移す。お前、ずっと気配殺してたよね。なにしとん、後で覚えときや。の感情で座をラウラに預けた。
「はっ。ではこの場を預かりまして。各々方、こちらに御座すは清華家嫡流、半家菊亭ご当主天彦様なりけり。顔を上げ直言を賜る栄誉を授ける」
聞いて初めてハッとした三人の若武者は居住まいを正して平伏した。
「面を上げや。直言を許そ」
「はっ、恐悦至極。拙者、近江の蒲生家三男、忠三郎賦秀にござる」
「光栄至極。某、近江藤堂家次男、与吉高虎にござる」
「おめもじ叶い祝着至極にござる。拙者、近江国人片桐家直偵の嫡子にて、片桐助佐且元にござる。何卒御傍仕えの栄を賜りますよう、臣伏して希い奉り候哉」
あ、あーあ。
蒲生氏郷、藤堂高虎、片桐且元。揃いも揃って超ビッグネームのご登場。
まじパない。なんこれ、ガチャ当てまくったん。回した記憶ないねんけど。
目の前には未来の大大名あるいは直近の大英雄が座していた。
だが少し考えれば簡単に気づけた。揃いも揃ってこいつらさん、藤吉郎の手下ちゃうのん。一瞬で冷めた。一気に萎えた。
今がそうとは限らずとも、いずれそうなる可能性はどうだろう。極めて高いと認めざるを得ない。天彦は自分自身に歴史の事実を上書きしてまで改変できるようなご立派な何かがあるとは思っていない。事実ない。
「ラウラ、どないしよ」
「天彦さんに処理できない案件を私ができるとお思いですかバカですか阿保なのですね歩いて帰ってください」
「おい」
早口やめろし。さて弱った。
【文中補足・人物】
1、凄壱
茶褐色の駿馬。アラブ産駒。一般的に巨躯とされる三河馬の二倍は大きい。当然だが褒美としては破格。売ればお城くらいは簡単に手に入るはず。
猶、信長はお馬さん蒐集家であり他にも無数の良馬を所有している。
2、蒲生氏郷(がもう・うじさと数え14)
キリシタン大名・洗礼名レオン。近江日野城主、後会津藩92万石の大大名となる。戦国を代表する武将
3、藤堂高虎(とうどう・たかとら数え14)
六尺二寸(190センチ)の並外れた体格の持ち主、城造りの天才、人情家、旗指物に餅を描くほどの餅好きとしてしられる。餅の逸話有り
4、片桐且元(かたぎり・かつもと数え14)
賤ケ岳七本槍の一人、凄腕の槍遣い。浅井家の元国人、後秀吉の直臣となる。家康とは昵懇で家康が片桐邸に連泊した記述があるほど。




