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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
弐章 臥竜鳳雛の章
41/314

#12 尾張木瓜と千成瓢箪と、ときどき大一大万大吉と

 



 永禄十二年(1569)一月三十一日






 到着から中一日。開けて睦月最終日。本日は朝からあいにくの雨。


 天彦は左相国実益ぱっぱの一時帰還説得を諦めていた。いい大人だしまる一日費やしたのだ。面目は立った。はずである。むろん本気の説得を試みていればの話だがそもそも論、実益にだけ義理が立てばいいのである。


 天彦は終始不愉快だった。ああいう人生舐めた大人は死んでいい。死ぬと面倒なので生きてはいて欲しいが社会的に抹殺されろ。自分だけは特別だと勘違いしていて、実際特別なのかもしれないがならば常人である天彦には関わり合いがない話。

 好きにすればいいと思う。上級国民の特権って戦場の矢玉からもお命守ってくれたっけ。


 と、朝方から突如として開戦の火ぶたが切って落とされた織田軍二万五千VS三好軍三万五千の大合戦に、喜々としてわきわきしながら小姓を侍らせ、酒を片手に大歓声を上げている下品な横顔を見ながらふと思う。あれほんまに親子なん。実益あんななったら厭やわぁ。やはり根っからの貴種とは付き合っていられない。率直な心境だった。


 そう。おっぱじまった。日出の刻に差し掛かった薄暗い夜明け前、醍醐の荘に法螺貝の重低音が鳴り響いた。総勢六万の大軍勢は血気盛んに突撃し平地で真正面から激突した。えげつなかった。むろん全軍激突ではないが天彦の目にはかなりの衝撃。

 天彦は思わず「すごい」と平仮名で呟いてしまう。あのつぶやきはまさしく平仮名であった。あれほどの実感のこもった“すごい”はかつてなかったから。日食を直に見たときでさえ凄いは漢字だったから。


 むろんマンパワーの数に圧倒されたのもあった。だが総轄的には人の持つ獣性に中てられて思わず漏らした“すごい”だった。

 ばか凄い。キモ凄い。げろ凄い。凄いのすべてを包括した“すごい”だった。

 あれこそがまさに人の持つ獣性が解き放たれた瞬間であろう。戦場の光景は改めて天彦に思想の正しさを追認してくれる。むろんこれ程の無駄な命を消費せずとも証明はとっくになされていたわけだが、一ついい切っ掛けにはなった。なぜなら天彦、この瞬間、本気で猟官活動をしようと心に決めたから。


 偉くないと使い潰される。この瞬間にも天に召されているだろう多くの生命と直面して、初めてイメージ以外での戦国を実感できた。偉くならなければ。無論地位だけでは足りない。だがまずは地位からだ。その思いを強くした。


 いずれにしてもこうしている今も両軍入り乱れての真正面からの大激突は続いていた。

 合戦の趨勢など天彦にはわからない。やや押しているのか。それとも押されているのか。その程度の見たままでしか評価できない。あるいは時折り舞い込む戦況報告武官という名の早馬が報せる「左陣御味方優勢」とか「何某様何某撃破」だとか「何某様御負傷」といった速報に一喜一憂右往左往して優劣を判断する他なかったのである。双眼鏡誰かはよ。


 となると長居は無用。勝利しても敗北しても後には碌な事態が待ち受けていないだろうから。陣取り合戦ではないが乱取りという略奪行為が地獄の様相を呈するらしい。見たくないものは無理に見なくていい派の天彦としては是非ともお暇させていいただきたいところ。


 それともう一つ。戦乱に乗じて死臭が色濃く増していく中、禿ネズミがやけにしつこく付きまとう。何かにつけ気を回してくるのだ。大将って暇なん。

 しかし禿ネズミの目の色が変わったのはあの三郎信長との邂逅以来。それ以降三郎信長が妙に気安げに話しかけてくるものだから、禿ネズミ筆頭に周囲のご家来衆が一目置き始めた。お前らさぁ、お殿様好きすぎちゃうのん。


 天彦なら暑っ苦しくて信長役など請われても御免だが、ここはそういう世界観でやっているので文句は飲み込む。しかもお武家さんの領分だ。公家の天彦には無関係。これぞまさに属地主義である。ある?


 さてその三郎信長。

 何をとち狂ったのか天彦に信長呼ばわりのお墨付きを与えてしまう。いみなで呼ぶことをオフィシャルで許可したのだ。あり得ない。将軍にさえ許していないはずである。阿保やろ。なんなん、一個も嬉しないねんけど。

 だがこの言い換えるなら身内待遇はたちまち陣内を駆け巡り、結果禿ネズミを筆頭とした天彦熱視線組を生み出してしまったのだ。なーん。


 だがならば是非も無し。天彦は開き直って信長と呼ぶことに決めた。抵抗しても無駄だしダサい。ただし一方通行は癪なので、自身のことも天彦とちゃんと呼ぶように釘を差してある。それが更なる関心を惹いたと知らずに。阿保やん。ええ加減気付くやろ。自分の異常性。


 織田三郎信長。将軍義昭から請われた管領職を辞したので代わりに叙爵された官位官職は従五位下弾正忠。

 よってそれまでの自称(僭称)とは意味合いがまるで違う。この朝廷のお墨付きを頂戴した永禄十二年以降は正式名称としてどんな場面でも弾正忠を名乗れるのだ。


 その弾正忠三郎信長が真隣に居て戦況をじっと見守っている。なんで。


「お狐殿はこの膠着、どう読み解く」

「天彦や」

「ふっ。で、あるか。ならば天彦殿。如何」

「殿も要らんでおじゃる信長さん」

「賢しい狐であるな。如何」

「また振り出しや。ええけど。如何も何もそんなん知らん。身共、生まれてこの方合戦なんぞ初めてにあらしゃります」

「其方に初めてであるかどうかなど関係あるまい」

「あるやろ。むしろ有り過ぎにあらしゃりますやろ」

「で」

「訊こう?」

「で」


 一生“で”って言わせつづけたってもええねんけど、寸鉄コワい。考えるより先に抜き放ってそうでコワい。


「……午後には総崩れしますやろ」

「いずれが」

「阿波さんにおじゃります」

「なぜ」

「少しは御自分さんでお考えにならしゃったらよろしいのに」


 三郎信長は天彦の言葉に従ったわけではないだろうが、小考。いやもはや長考というレベルの熟考に入った。

 三郎信長の長い沈黙は当然だが天幕内に重苦しい負の帳を降ろした。

 話していても黙っていてもいずれにしても周囲に圧力を感じさせる圧力鍋、それが織田三郎信長の性質であった。知らんけど。


 息、苦しっ。酸素うすっ。しゃーない。大ヒントや。


 天彦は粋り散らかしたドヤ顔で、虚空に人差し指を一本、ぴしっと掲げた。

 三郎信長は眉間にしわを寄せながら天彦の挙動をじっと見つめる。指先が指し示す天幕天井と指先とを視線で往復させ、やがて、くわっと目を見開き天彦を穴が開くほど直視した。ひっ、こっち見んな。コワすぎるやろ。


「……冷雨が、止む」


 ぽつりとつぶやく。と、三郎信長はさっきにも増してくわっと目を見開き、そしてとびきりとんでも途轍もなく悪い顔をして天彦に一笑を落とすのであった。えぇ。

 だが言葉は落とさない。お褒めの言葉も感謝の言葉もまるでなく、ただいい(悪い)顔で嗤うのみ。天彦はいい迷惑。まるで二人の間に会話は無用とばかりの熟年老夫婦のご婦人役担当を押し付けられた気分である。離婚します。

 ややあって三郎信長はさも得意げに全身に覇気を漲らせ天幕を出ていった。

 しんどっ。と、天彦は次の瞬間にも脱力し弛緩した身体をみっともなく横たわらせる。


「なんやあれ。魔王すぎるやろ」


 ここは敵陣。

 天彦は辛うじて良識的に聞こえるか聞こえないかのつぶやきをこぼす。と、ラウラが顔を覗き込ませた。


「御召し物が」

「ええねん」

「ですが」

「ほな膝貸して」

「どうぞ」

「そこは貸したらアカンやろ。借りるけど」

「はい、どうぞ」


 天彦はラウラが敷いた布の上に身体を移動させてお膝の上によっこいしょ。頭を乗せた。はずい。こっち見んな。


「なんや」

「お可愛らしいかんばせだと、お見蕩れいたしておりましたの」

「年俸交渉やったらまだ早いで」

「まさか、そんな」

「心算はありありやろ。バレバレやねん」

「む。出直します」

「そうしい」


 でも上げたらなアカンな。


 天彦の独白は割と核心を突いていた。ラウラの年俸けして僅かではない。だがあくまで個人の報酬ならばという条件がつく。しかしラウラは非公式ながら郎党を率いる一族一門の棟梁であり、それの対価としてはいささかどころではなく心許ない。心苦しい。

 こうして天彦が気に病む程度には働いてくれていた。目下は堺で精力的な諜報活動に従事してくれている。それもほとんど手弁当で。そんな主役おらんのよ。

 ふっ人様の善意だけで修羅の時代を凌ぎ切ってやったぜ。ダサすぎやろ。ようゆわんわ。


 ひっ――。


 ラウラが小さく悲鳴を上げた。とほとんど同時に地面が小さく縦に揺れた。

 ようやく織田軍の面目躍如。最大攻勢をかけたのだろう。歴史を塗り替えたお得意の戦術部隊投入で。


「あれが」

「そや」

「鉄砲とはあれほど恐ろしい音がするものなのですね」

「織田の鉄砲は特別や」

「特別製」

「違う。特別なだけ。製品はいっしょ」

「はぁ」


 ラウラは脳裏に疑問符を浮かべた。タネも仕掛けもある。単純に数に勝るだけのこと。だがこの単純な仕掛け(戦法戦術)が他では中々仕込めない扱えない。なにせお鉄砲さま。出鱈目にお高いのである。

 量産化体勢に入ってようやく九石。JPY換算するとざっと680,000円也。現代価値に換算する意味はさしてないが本家今出川の家令年棒報酬とほとんど近似。諸太夫に至っては年俸を上回られている。鉄砲一艇ごときに。わろけるやろ。


 やはり銭はすべてを凌駕しすべての文化さえ駆逐していくのだろう。ちょっとだけいと哀れなり。


 閑話休題、頃合いか。


「ラウラ、郎党で佐吉の手伝いやってみるか」

「よろしいので」

「あのさ、身共なんの話やってるん。ええからゆうてるんと違うのん」

「はつ、是非とも」

「うんそれでええ。帰ったらそのようにやらはったらええ。ただしラウラは表に立つな」

「なぜ」

「恰好つかんやろ。家令が一文官の風下に立つなんて」

「いずれは挿げ替えられるものと」

「そのときはそのとき。今は今。辞めるか」

「いいえ、滅相もない。すると天彦さんは射干一家を、いえ郎党を表に出してもよいと仰せでしょうか」

「仰せやで。まあ気張り」


 ラウラ感激。

 美しすぎる碧眼がやや潤んだ風に見えるのはけっして気のせいではないだろう。

 だが頃合いだと踏んだから天彦は決めた。そこに感傷の余地はない。感情の余地は、どうだろう少しくらいならあるのかも。

 天彦が踏み込まなければラウラも踏み込んではきてくれない。天彦からすれば実に鬱陶しい相関関係である。実にニンゲンぽくはあるけれど。


 それともう一つ。佐吉と射干郎党。これの化学反応が見てみたい。あの杓子定規とゴム風船が融合すればどうなるのか。四角と丸が合体したらどんな図形を描くのか。単純に純粋に興味があった。平行四辺形にさえならなければ何だっていい。想定を超えてくれさえすれば笑いとばせる。はよ泣きやめや。


「ぐすん、すん――。……はっ、射干党、菊亭のお殿様の恩義に報いるべくこれまで以上、粉骨砕身、お勤めいたします所存であります」

「ほどほどでええよ」

「またそんな」

「でもほんまなん。何事もほどほどがええのんやで」

「……本気? 天彦さんときどき可怪しなフィルター通して話すから。疑心暗鬼になってしまいます」

「だいたいぜんぶお雪ちゃんのせいや」

「あ、居ない人のせいにした」


 本音の話し方が嘘くさいという人としての致命的な欠点を暗に指摘したラウラだが、天彦もそれを承知で受け流した。被害者は雪之丞。居ないところでお役目を果たす。


「うんほんま」

「では心致します」

「そうしい」


 新しいレシピ考えな。あーしんど。


「しかし天彦さんは、なぜああも佐吉殿をお買いになられます」

「ん?」

「あの買い被りっぷり、いや御寵愛っぷり。傍から見ても異様ですよ」

「そうなんや。可怪しいんやったらゆうてよ」

「厭ですよ。お叱りになられますもの。余計な口を差し込むなって。特にあのお二人にかんしては」

「そ……、んなことあるな。うんある。なにせ天婦羅タヌキを相手取り見事真正面から戦って散った勇士やからな。やっぱしそこには尊敬の念があるもんや。子飼いがみーんな裏切ったから猶更な」

「天婦羅、おタヌキさん……?」


 急にかわいなってるやん。もっと太々しいやろ実物は。


 と、そこに。


「申し上げます――っ! 御味方勝利、大勝利にございます」


 膝枕でいちゃいちゃしてたら勝っとったん。さす織田やりおる。




 ◇




「ぎゃははは、御味方の大勝利だぎゃ! それもこれもここに坐、五山のお狐様の御眼識あったればこそだぎゃ。者ども頭が高い。恐れ敬うだぎゃ」


 あ、死んだ。


 天彦は死んで腐った魚の目をして禿ネズミに抱っこされて羞恥プレイに耐え忍んでいた。コロス。

 だが藤吉郎、なるほどさすがに如才ない。三郎信長がいいと目を付けたものは人であれ物であれ適否善悪一切不問で全力まんきん全肯定。そりゃ少々の器量の上役さんは上機嫌に転がされることであろう。やりおる。

 尤も天彦には藤吉郎の瞳の奥に隠れた本心が透けて見えるので薄ら寒い感情しか湧いてこないけれど。甥っ子殺してまいよるからな。身内裏切るヤツキライやねん。


「もうええやろ。身共、おパンダさん役十分果たしたと思うけどな」

「おパンダにござるか」

「そこはどうでもええねん。早よ降ろしたって」

「殿のお呼びにござる」

「それと降ろさんのと何の――、や、め、ろ、ぉ……!」


 匂い嗅ぎ余って頭から丸齧られた。嗅ぎ余ってってなんやねん。覚えとれいつかし返す、みとれよ禿ネズミ。いややめとこ。そっとしとこ。こいつコワいし。

 藤吉郎は抵抗を諦めた天彦の呪詛ごとまとめて三郎信長の元へと運び込んだ。


「失礼仕る、サルにござります」

「入れ」

「はっ」


 陣幕に招き入れられる。天彦は抱っこされたまま入幕した。

 が、途端三郎信長の双眸が鋭く尖った。次の瞬間には気配を察知した藤吉郎は天彦を置き放つと地面に額を擦りつけていた。

 殴る蹴る。そこからの数分間はとてもではないが見ていられない凄惨な場面であった。血塗れになった藤吉郎はそれでも一切の抵抗をみせずただ無暗やたらの折檻を受け続けた。えぐっ。


「はぁはぁ。……見え透いた上手なんぞしおって。次はないぞサルっ」

「ぼうしばげござりばぜぬぅ゛」


 えぐっ。


 ボッコボコの血塗れやん。えぐっ。


 要するに天彦を抱いていたことが三郎信長の勘気を被ったと。なんで。どこに逆鱗あるん。おっとろしくてよう付き合えやん。

 わかるようなわからんような。天彦がきょとんとしていると三郎信長が膝を折って目線を合わせて来た。相変わらず眼だけはいい。吸い込まれるような深みのある瞳だった。目詐欺やん。


「天彦。なにか褒美を取らせて進ぜる」

「え、ええの」

「ふはっ、普通は一旦恐縮するものだが」

「なにそれ。子供が遠慮なんかアホやん定価で買ったら損やん」

「くふっ、で、あるか」

「なにしよ。欲しいもんだらけで考え、よう纏まらっしゃらへん。うーん」

「戦功なんぞどうだ。初陣はまだであろう」

「へ」


 一番要らんやつを勧められ天彦は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 だが戦国を代表するスーパーDQNは一味違った。低く見積もって頭がオニ可怪しい。


「サル」

「はっここに」

「兵を集めよ。如月末日、但馬国に出兵いたせ」

「はっ、ははっ。それでお幾らほど集めますだぎゃ」

「好きなだけ集めよ。但し清華家菊亭ご当主の初陣哉。体裁が整わぬ暁には貴様のその首、みすぼらしい胴体と引っ付いているとは思わぬことだ」

「はっ、このサル。天地神明に御誓い申し上げ、菊亭様の御初陣に錦を飾ってみせましょうぞ」

「で、あるか」


 あ、ハイ。いやいやいや、ちゃうちゃうちゃう。絶対に無理やって。絶対に行かへんって。あと家、半家やからね。


「天彦。褒美を遣わす。存分に切り取るがよい。大儀であった」

「うそーん」


 大人の思惑を子供が回避できるなら室町はきっと、もっと平和を享受していたことであろう。

 まあ絶対いかんけど。実益差し置いて行けるはずないよね。お雪ちゃんも吠えるやろし。どないしよ。













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[良い点] 天彦氏の軍師デビュー [一言] 赤壁で風向き変えたと言われる孔明さんみたいに雨を止ませて織田軍を勝利に導いたみたいな伝説になりそう
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