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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
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#04 絶対的な正当性

 



 永禄十一年(1568)十月六日(旧暦)






「妹ちゃんに癒されたい」


 天彦はこの時代での価値観に沿うなら姉、自分の流儀に従うなら妹である今出川家の姫撫子ゆうづつに思いを馳せる。

 自分が思う妹想いの兄を演出してみたのだがいざ言葉にしてはみたものの、だがどうだろう。一日たりとも一緒に暮らしていない兄妹という存在に親しく肉親感覚を覚えられるものだろうか。少なくとも半身が裂かれるような感覚はない。


 身共は薄情者なんやろか。不安感に苛まれてしまうが結論は保留とした。

 己では判断が付かないことは多い。だが実際のところ、天彦の口調にはどことなくの形式感が見え隠れしてしまっていたのが答えではないだろうか。


 そんな裏事情はさて措き、天彦曰く夕星(ゆうづつ)とは日に日に逢いづらい状況に追い込まれているのは事実だ。接見禁止とまではいかないが半ばそれに近い状態を強いられている。

 なぜだろう、日を追うごとに輪郭がはっきりと形成され顔が酷似していくからだろうか。あるいは婚姻話が持ち上がっているのかもしれない。そう考えるとすべてに合点がいく行く気がする。


 実質八歳やで、ほんまかいな。


 厳密には五月生まれなので八歳と五カ月だが、児童には違いない。

 子供を平然と利益誘導のための道具とする。考えただけでも反吐が出る。しかし民度の低さを嘆いても今更だ。誰が悪いわけでもない。やはり無知こそ最大の悪と断定してさて、予想が正解なら何か手向けを。財産はないのでせめて金言でも。

 仮に武家に嫁ぐなら、さすがに賛否は角が立つので口にできないとしてもせめて例えば嫁ぐ先の未来予測や適否だけでも進言してやりたい。どうにか。


 そんな今日この頃、


「足利将軍さんに謁見ねぇ」


 天彦は黙っていれば凛々しく見える美顔に苦味を乗せて言う。


 じっじが九日後に迎えを寄越すと伝えてきた。

 ぼんに限って滅多なことはないと思うけど、内大臣さんは将軍さんを贔屓にしてる。くれぐれも粗相のないようにな。とのこと。


 これにて天彦ぱっぱが将軍義昭派閥であることが確定した。そういえば名前にも今出川特有の彦が入っていない。きっと改名したのだろう。何代かの将軍に名を貰ったりして。どうでもいい。


 十五代将軍・足利義昭だっけか。とくに関心がないので興味も薄い。精々征夷大将軍足利義昭公と従二位・内大臣ぱっぱ卿とでは、果たしてどちらが上座に就くのだろうかといった、有識者に訊けば一秒で解決する程度の雑な疑問を覚える程度。


 一つにその関心の低さは、天彦が武士、特に侍を苦手としているからというのがある。いやハッキリと嫌っている。

 二本差しが威圧的で偉そうという視覚的理由もあるが、実際的に侍が物騒なのが許せなかった。もう、すぐにコロスじゃん。


 もちろん戦国だ。天彦とて生温い未来現代思考は放棄している(あくまで自己採点だが)。

 斬った張った、殺し殺されにも無常観で対応できている(つもり)。

 やはり本質的に暴力とは親和性が低いのだろう。天彦自身武力適性がないから弱音を吐いているのではなく、もっと本質的に忌避している。


 お為ごかしではあるが公家は武装しない。常から太刀を持たないのだ。この僧侶ですら完全武装している世の中にあって、むしろ格好よく思えるのはヘタレだからだろうか。


 そんな理想の延長線上の思想として、歴史上最もショッキングな出来事の一つである本能寺の変にも関心が薄い。織田上総守が裏切られようが焼かれようがどうなろうと知ったことではないのである。


 なぜならこの時代、たしかに大枠では朝廷や将軍家を頂点とした日本という一つの国家単位は認識されている。だが天皇家や将軍家に代わって個々に土地や地域を管理する守護や守護代の力が強すぎて、現代感覚の残る天彦には独立した国家としか思えないのである。

 尾張、甲斐、越後その他多数。大なり小なり大名は個々に軍事力を持ち、個々に経済政策を打ち出し、個々に外交をしている。そこに朝廷や将軍家の入る隙間はあるだろうか。骨太方針にはきっとない。


 つまり外国だ。外国のことに関心は持っても関与はしない。それがアイデンティティジャパンを自負する天彦の絶対的な正当性だった。


 但し寺社勢力をコテンパンにする信長のことは少しだけ評価している。

 この時代ほとんどの金融業者は寺社勢力であり、ハチャメチャな暴利を貪っていた。

 しかもその経済圏は広大で上は朝廷、下は農民に至るまで津々浦々に及んでいて密接。もはやその影響下を避けて暮らすことはできない。おまけに独自に武装していて哲学という理念を超えた先にある何かに成り果てていた。天彦の感覚からすればそれはもはや国家である。


 理念や哲学が確固たる姿を見せて顕在化したのだ。それは滅びることもあるだろう。


 てか滅んで! 


 うぅぅぅ切実に滅んで欲しい。


 戦国時代。即ち室町後期から安土桃山時代にかけて、意外にも経済活動は活発だった。

 分業化が進み物流も貨幣流通量に比例して進展している。少なくとも戦争ばかりに明け暮れている殺伐としただけのイメージはない。


「ぐすん、今月の支払いきびぃ」


 財政を取り仕切っている清水谷カテキョが窮地を伝えてきた。

 これまで一切なかった報告がされたのだ。本家に強請れというサインだろう。

 その際過去数年分の家計簿に目を通した。酷い出来栄えだったが可怪しな様子はなかった。


 知ってびっくり。そこで天彦は初めて知ったのだが菊亭家の収入は大部分が荘園の税収から成り立っていた。実は荘園領主だったのだ。


 そして本題の財政窮地問題の本質だが、出が増えたのではなく単に入りが減ったからなのだった。てっきり清水屋が横領しているものと高を括っていた天彦は少しがっかり。問題解決の本質が複雑化したからだ。


 天彦が切実なのもあと一刻もすれば正午。菊亭家に出入りの土倉が集金に来る段取りとなっていた。


 前置きが長くなったがだからこそ寺社勢力の衰退は我が事だった。

 例えば寺社系土倉がどれほど悪徳でどれほど猟奇的かというと、良心的な土倉でさえ年利70%を貪ると訊けばお察しだろう。つまり公共の敵である。


 頻発する徳政令対策費? 知らん、将軍さんに文句言え。


 天彦は自分事を最大限に必死で肯定してから土倉の主張を一笑に伏しつつ、そんな寺社(寺院と神社)を次々に破却している信長にこの時ばかりは喝采を送った。


 むろん信長にも寺社を敵とする明確な理由がある。

 経済大名として伸し上がった尾張勢にとって同じく経済で基盤を拡大する寺社は明確な敵性勢力だったのだ。特に流通を牛耳る比叡山は宿敵とさえいえた。


「くふ……信長くんガンバ。どことは問わず、根絶やしにしてくれちゃってもいいんだよ」


 菊亭家の土倉が比叡山系列ではないからして。


 と、


「若とのさん、いつにも増して気色悪いことで」

「つまりは絶好調やと言いたいんやな」

「逝ってください」

「おいどこにや。待て、答えんでええ。で、お雪ちゃんはいつから居たんや」

「妹ちゃんに癒されたい、から居りましたで」

「さよか」


 震えながら呼吸を整え、かっと目を見開き語気を荒げる。


「親しき仲にも礼儀ありやろ、少しは慎み。身共はお雪ちゃんのなんや」

「邪魔者や」

「ひどっ」

「若とのさんが居らんかったら、某はもっと鍛錬に打ち込めたんや」

「ほう、侍を自認しておきながら言い訳とか、笑」

「なんやて! ほんならゆうたる。兄上にお前は捨てられた要らん子やと言われたんやぞ。この意味わかるかっ」

「あ、はい。わかりすぎました。仲良うしよ。家中僅か七人の仲間やんか」

「用人一人辞めはったから六人と違いますのん」

「辞めた……? ああ、あれは寿退社や」

「寿? 寿ってなんですのん」

「結婚や」

「へー、お米はん還暦超えたお婆やで、誰が貰たん」


 あ、はい。


 知ったかぶって秒で無知が露見する。

 家のことはもっと関心を持たなければ。天彦は思いを新たに逆ギレする。


「なんでなんでと喧しい。大人の事情や、子供は黙っとき」

「某は若とのさんより一つ上やが」

「ではお兄ちゃん、猶更仲良う頼んます。お兄ちゃん呼びにニマニマ感動してるとこわるいけどお雪ちゃん、お茶、淹れてくれる」

「してるか! 雪之丞や! ほんま、なんべんゆうても。若とのさんは白湯で十分や」

「ではそれで」

「まっとき」


 なんやかんやと動いてはくれる。だがこの関係性は正常ではない。

 第一にゆるい。この修羅の戦国に、こんなゆるくていいのだろうか。いい。

 それはよくてもこの関係性は歪だ。一刻も早く正常な雇用関係に修復しなければと願いながら、小生意気な小さな背中に呪詛の念を送る。――転べ、転んでしまえ! 


 小さいといっても天彦とどっこいどっこいなのだが。




 ◇




 土倉が来る。面会の体裁を整えるためカテキョを探すもどこにもいない。

 雪之丞に訊ねてもそういえば姿を見ていないと曖昧な答えが返ってくるのみ。他の要人も同じく。

 屋敷内を探し回った。結論、カテキョ(清水谷公松)がいない。ここ数日ずっとらしい。


 そのことにかんして説明を受けた記憶がない。というより説明する役目の本人が不在なのだから当然か。すると目下、菊亭家の奥向きの差配は果たして誰がしているのだろうか。



 あれ、これ、まずくないか。



「お雪ちゃん、お雪ちゃん」

「いやや」

「察し良すぎやろ、まずはお強請りの中身訊こか」

「横で神妙な顔をしていればええんやろ」

「おお」

「しゃーなしですよ」

「助かるぅ。でもちょっとずつ口調は改めよか」

「ほんならちゃんとやってや!」

「あ、はい」


 雪之丞は案外有能だった。しかも以外にも察しがよかった。

 天彦は頻りに感心しているが、八歳児を、もっと言うなら侍を舐めすぎだ。

 彼らは傍が思う以上に御家の大事に敏感である。奉公先の盛衰がそのまま生死に直結する。

 故に雪之丞にとってもまさしく自分事なので当然の反応であり、むしろ危機感に乏しい主君を不安視している向きさえ窺える。その冷たい目線からして。


「お雪ちゃん、作戦はこうや。ごにょごにょごにょ」

「……」

「取り急ぎ、その白い目やめよか」

「若とのさん賢いんやろ。やったら本家から見捨てられた、じゃない方に仕える某の身にもなってや! ほんまええ加減にせんと教えるで」

「ゆ、雪ちゃん、首が圧し折れるから取り敢えず落ち着こか」

「う゛ぅぅぅ」

「どうどう」

「真面目にやって」

「うん」


 御所巻きさえ公然と行われる時代、主従の関係性などこの程度であろう。

 だが意外にも天彦は大真面目。当然雪之丞に至っては真剣である。

 向き合い方は違えども、幼い二人がこの修羅の時代に本気で生きようと足掻いている証であった。










【文中補足・人物】

 1、植田雪之丞

 数え10歳(満9歳)の男子らしいショタ。天彦のことを口では嫌っているが本心でも嫌っている。心底イヤ(本人談)。

 主人として頼りない上に得体が知れない。何より天彦がいなければ本家の侍家臣団に入れたのに。そんな感情が勝っている子供らしい子供。


 2、公家の幼名、公家の元服。

 公家は生まれながらに叙爵されるため幼名がない。(よって元服の儀式もない)←すいません。調べたらちゃんとありました。消しておきます。※幼名ある人もいました。

 他方植田家は侍扶持の武家である。よって植田家にも幼名はあるが、生まれると同時に主家今出川から烏帽子名を頂戴しているため幼名と烏帽子名を兼用している。猶、元服式は執り行われる。















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