#09 知性と品性、似て非なるもの
永禄十二年(1569)一月二十九日(旧暦)内裏
蔵人所は校書殿を官舎とする。内裏の南西、紫宸殿の西に位置し、南北九間(16.4m)東西二間(3.7m)の母屋に四面の廂をつける東向きの建屋。
の、執務室。一番偉い人(二名)に与えられる最も格式ある一室で天彦は不貞腐れていた。
部屋主は竜胆中将でお馴染みのイケメン官吏従四位上・蔵人頭・右近衛中将庭田重通(にわた・しげみち)である。天彦の人事考課の最高責任者でもあり現在最もゴマをすらなければならないお相手の一人。しげみちオニ怖いねん。
呼び出し説教の経緯はこう。
『もっちぃ、三大納得できない戦国あるある作って言い合おうや』
『戦国ってなんよ』
『うーん、ほな朝廷あるあるでもええよ』
『不謹慎やろ、さすがに』
『不満ないんや。尊敬』
『え、むっちゃあるけど』
『ほな吐き出そうや。溜めると体に悪いらしいよ。禅林寺中の先生ゆうてた』
『うん。よしっ! ……中なに。せんせいだれ』
戦国時代(朝廷務め)の悪くて悪いところ早く言いたいよ合せぇーん!
「おぉ、ぱちぱちぱち。……合戦?」
「行くで――
混沌としていてぐちゃぐちゃなところ。
国が乱立していて無茶苦茶なところ。
あっちこっちで疑似相関に溢れ返っているところ。
才気に溢れた偉人がほとんどすべて武士であるところ。
人の命が一個のおむすびよりも軽いところ。
正当性を欲しているくせに正義を平気で踏み躙るところ。
正義の定義が曖昧なところ。
公的評価と本人の人格が不可分なところ。
ここから先は大人の領分だ、ガキはすっこんでろ。という格好いい大人がいないところ。
法は法を知る者の味方なのに、その肝心要の法がないところ。
ジャンプがないこと。滅びろ戦国。
親バカの父と溺愛の母がいないところ。あとくっそ可愛いツンデレ乙の妹ちゃんもいないところ。
こっちで勝てばあっちで負けるはずなのにずっと勝ってるチートイレギュラーがいるところ。
市民が常に酸っぱい顔をして圧政に耐え忍んでいるところ。あ、それは現代もおんなじか」
――と、こんなもんかな。どないと天彦は上機嫌で水筒の水で喉の渇きを潤した。
「天ちゃん一人でずるいやん。麻呂にも喋らせて。文句やったら山のようにあらしゃいますんや」
「ほな言い。訊いたろ」
「うん行くで――」
行けない。
「非参議! 貴様らぁ――」
「「あ……!」」
意訳)大きい声で何とおとろしい話をしてくれるんや。いますぐ来い。今日という今日は堪忍できひんぞ天彦・以々。おどれら覚悟しとけよ。
を、“貴様ら”にすべて集約させ、実によく通る戦場映えするだろう美声で叫ばれた。さすがは竜胆中将。伊達ではない。
周囲が凍り付くのも尤もな大迫力で、さすがの天彦でもお厭さんであらしゃりますとも言えない空気感。その足でおとなしく連行されたのが今である。
だが真実であり偽らざる心境の吐露。ごめんなさいをするにはあまりにも癪に障る。不貞腐れるには十分な理由足り得た。
特にオモシロだけを生きるモチベとしている天彦にとって死活問題と言えなくもない厳しい応接を迫られる毎日の連続だった。
だが、
「何を申すかが知性、何を申さないかが品性。汝は知性をひけらかし徒に朝廷を混乱に陥れているだけにあらしゃいます。己惚れるな」
むちゃくちゃ真面な説教をくらっていた。殴られた方がマシである。
だが果たしてそうかな。これが天彦の率直な見解。負け惜しみともいうが、竜胆中将にはどこか向かって行ってもいいと思える懐の深さを感じていた。
甘えたろ。そんな甘えがなかったとは言えない。
さてここで戦国あるあるを一つ紹介しておこう。
根っからの貴種に“献身的だ感心する”などという殊勝な感覚はない。
つまりこの御仁も尤もらしいことを宣っているがすべては魂胆ずくなのである。
と、ほんの一瞬、甘えたろ。そんな甘えがなかったとはいえない。いずれにしてもこの場を冗句でやり過ごしてやろうという途轍もなく甘い考えが脳裏を過ったことは紛れもない事実であろう。志向性のミスリードである。
「魂胆訊かせてもらいましょうか」
「非参議、麿の権限において無期限謹慎を命じるもの哉」
え、は、ま……。
「うそーん」
事実上の失職宣言。
天彦は連行されていった。巻き添えを食らった以々も同様に。
天彦は以々に対し申し訳なさの代弁として、
「正当性を欲しているくせに正義を平気で踏み躙るところ。この感情に付随して正義感ぶっているのにその及ぶ範囲対象が異様に狭すぎること。も挙げとくわ。ええかもっちぃ、正義感振りかざすヤツは信用したらアカンで。自分の信じるところだけを信じるんや」
以々は秒で応じた。
「おおきにさん。絶交や。菊亭さんとは絶交します」
「え」
連行している官吏もそれがええと深い頷きで同意するのであった。ま。
だが一方では事実だと天彦は確信している。もし仮に竜胆中将が“この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば”でお馴染みの位人臣を極めたお方を大じっじとする系譜の方々なら、ひょっとするとこんな感情は抱かなかったことだろう。
藤原氏ならたとえどんなに遠くとも広義には親戚関係にあるといえる。故に厳しい言葉も態度も、究極的には躾的懲罰と受け止めることができた。
だが宇多源氏には、どうだろう。むろん天彦だって為人抜群の竜胆中将が門閥で私的懲罰を下したなどとは思っていない。思いたくない。
源氏に限らず他氏に思うところはないが、なぜだかこの謹慎の色味が違って見えてしまうのだ。宮中で名が売れてしまったばっかりに。
誰にとっても下から上がってくる血筋と若さと才能は脅威である。
特に現在その席次にあるお方にとっては看過できぬ由々しき事、なのだろう。
天彦も承知の上。だからこそ余計に凹むし余計に申し訳なく思うのであった。
意図的に誘導したからこそ猶のこと気に病む。
◇
謹慎処分を科された日の午後。
はい。絶交されました。人生初です。嘘でしたよくあります。なんせ阿呆なもので。知性と品性、メモっとこ。
天彦は新たにゲットした自室で一人、物思いに耽る。この自由時間はたいへん貴重。物事の構成を練る上で思考の余白が欠かせないのと同様に、行動の自由も欠かせない。うれしっ。
さて申し付けられたのは謹慎沙汰。謹慎とはなんぞや。調べたろ。乗っていない。そも辞書がない。
ということで脳内電子辞書を引く。普通に考えて言葉や行動を控えめにすること。であろう。そこには外出禁止だとか文通禁止、および接見禁止などとは明記されていないはず。尤も通常の感性なら自宅待機が妥当だが。行くよね、お外。
「お雪ちゃん、旅いこか」
「ええですね。どこ参りましょか」
「なりませぬ」
間髪入れず責めてきたのはラウラ。と思いきや佐吉の方が対応はやや先手。むろん言葉にはしないがいち早く胸の前で✖印を作って意思表示をしていた。
「天彦さん、謹慎中です」
「殿、ご自愛ください」
「あんたさんらさ、この感じやったらまるで某が若とのさん思うてないみたいになるやろ。やめや」
二対一。明らかに雪之丞劣勢。
「殿を思うとか、笑」
「植田殿は思っておらぬでござる」
「おいって」
雪之丞は猛烈に抗議するが事実もある。彼は家を思っているだけで天彦のことはそうでもない。首がすげ代わっても次代に仕える。そういう人物。
むろん淋しさは覚えるだろうし、哀しくも思うだろうが。それだけだ。植田雪之丞は植田家を最も大事とする生粋の武士なのだ。
それを承知で天彦は小さく苦笑いを浮かべる。
いずれ引っ繰り返せばいいだけのこと。そのための切り札も早くから用意している。官位官職付きの別家擁立という天彦にしかできない逆転のウルトラCを。
そのためには最低でも参議。そして分け与えられる財布も必要だ。
いずれ佐吉にも与えてやらねばならない。なにせ後の石田治部少輔三成。飼い殺しては多くのファンの呪詛で死んでしまいそうになる。
「参らんとあかんねん。ほんまは厭々や。しゃーなしやで」
「その割にはお嬉しそうさんで」
「まあ強がりや。正直コワい。下向して二度と帰ってこんようなったお公家さんようさん居たはるしな」
「ならば猶更」
「ラウラも来るやろ」
「むろん」
「佐吉はお留守番や」
「あう」
異論を咄嗟に飲み込んだ佐吉、偉い。
さすがに道中危険すぎるし、さてどこから兵隊借りだすか。
「アモンです。宜しいでしょうか」
ラウラの手下が許しを請う。ラウラは視線で問うてくる。天彦は頷いた。
「入れ」
「はっ」
ラウラの手下が耳元でごにょごにょ。僅か三十秒足らずの間にラウラの表情は三段階に変化し顔色に至っては見事なグラディエーションを描いていた。
手下が、御免と言い置き去っていった。
「ごっつい顔やで。どないしはったん」
「……御慧眼とおり義昭公ご無事。そしてこちらもお見立てとおり戦功を挙げられたのは惟任日向守。わずか三十騎にて本圀寺に突撃、見事救出なされた模様とのこと」
「そやろ。ゆうた通りや。なに賭けたっけ」
「くっ……、追伸。織田上総介、一万五千の軍勢で上洛。目下近江・大津城にて陣取り、明日明朝にも御出陣のご様子」
「焼けるやろ。阿保ちゃう」
史実でもこの乱によって洛中は火の海に沈んだ。義昭の退路を断つためだとか何とか。一説には内裏も出火したと訊く。ヤバまんじ。
三好一万の軍勢は史実では東福寺に陣取った。これに対し義昭は本圀寺に籠城した。結果は襲撃側の敗北に終わる。
紆余曲折ありこれによって危機感を覚えた信長は将軍警護を固めることに決めた。二条城(旧斯波武衞家屋敷跡)の全面改修、大幅普請である。
この普請工事に兄弟子が食い込んでくるはずなのでここまでは既定路線。だが信長軍出陣は知らん。訊いてへん。そんな歴史ないんとちゃうのん。
一騎で駆けつけたとかつけないとかそんな逸話はどないするん。
いずれにせよ三好軍は一旦引き、目下堺を陣地に迎撃態勢を敷いている。当たり前だが堺衆は自らの領地が戦場になることを嫌うはず。すると主戦場は自然と前方へと絞られる。
八幡辺りならまだ御の字。おそらくはもっと洛中(市内)寄りのどこかになろう。やっぱ燃えますやん洛中。燃えは要らん萌えちょうだい。
「まんまんちゃんあん」
「「「……! まんまんちゃんあん」」」
手を合わせると自然思わず口を突いた既視感のある言葉。浄土真宗門徒ではない天彦にとって意味などなくむろん無意識下の言葉なので意図もない単なる文字の羅列だが、なぜか三人ともが吃驚してけれど復唱するのだった。
「参内する」
「謹慎中ですけど」
「背に腹を変えられるんやったらええけどな。洛中の一大事。謁見相手は藤氏長者さんや、誰にも否とは言わせへん」
「はっ」
天彦のいつにない真面目顔に気圧されたのか、菊亭最後の良心ラウラは咄嗟的に折れてしまう。本来なら絶対によろしくない。
藤氏長者とは関白二条晴良を指す。菊亭の筋としては取りも直さずまずは西園寺であるべきだから。
加えて雪之丞も佐吉もこうなってはポンコツである。(若)殿さんかっちょええわぁわくわくキラリンの感情論でしか物事を考えられなくなってしまっていた。
正装(衣冠直衣)に着替えがてら、
「ラウラ」
「はっここに」
「名無しの家来さん、名がついたようやな」
「はい。アモンと申します」
「おもくそクロスを下げてたけど」
「むろんキリシタンにて。まさ御禁じになられませんよね」
「まさかや。そんな拘束は一切せえへん。でもな身共は属地主義や。地の支配者がアカンゆうたらアカンねんで」
「属地主義、ですか」
「帰って調べ」
「……御無体な。何卒」
「決まり事はその土地の者にしか適用されないという考え方や。畿内のもんが尾張に下向すれば尾張の法に従うといった風にや。他方逆説的にその土地の規則には従わなアカンとなるのんや」
「なるほど。つまりほとんどの場合の御尤もな原理原則を敢えて言語化なさっただけですね」
「まあ、そう」
そうなんやけど、これが案外、案外なんやで。
天彦は敢えて核心部分をぼかして逃げた。つまりキリスト教に対する扱いをまだ決めかねていたからだ。難しいんよお宗教さんは。
「禁じた方がよろしいでしょうか」
「どのくらいおるん」
「まだ数名といったところですが買い付けが進めばいずれは」
出た、人買い――っ!
こんな超至近距離におった。人でなしのロクデナシが。
「なんでしょう、その可怪しなお顔は」
「お約束を消化するときの顔や。つまり生まれつきやな」
「どうお答えしたらよいのやら」
「相手せんでええねん。ええ名前やなアモン。上手いことやった」
「さて何のことでしょう」
「守銭奴と書いてラウラとルビ振るらしいで、この菊亭さんでは」
「……朝廷でもなさっておいでですので」
「見習ったと」
「はい」
「お殊勝さんなことで」
ラウラはキャッシュを惜しみ名を与え褒美とした。尤もこの手法、朝廷の主な収入源の一つであり武家の間でも使い古された古典的手法だが効き目はある。ましてや名もなき奴隷には十分な対価となろう。だがそれとは別に、
「お前、西洋人と繋がってるやんけ」
ラウラは天彦の呟きを聞こえないふりで聞き流した。息のかかる距離なのに。
その代わりに、
「西園寺様に一報お届けするべきかと」
「……かもな。お雪ちゃん走らせたって」
「承りました」
あんたうちが居らな回らんで。を見える化させる。
ラウラが専ら多用する追及の手から逃れ誤魔化すときの常套手段であった。
【文中補足・人物】
1、朝廷(政府)
>太政官(だいじょうかん) 立法・行政・司法すべての政を総轄し、八省百官を統括する天皇ご内意の代理機関。
官内は大臣・納言・参議という朝廷最上位の官吏、および太政官内に置かれた左弁官局・右弁官局・少納言局の三つの役所で構成されている。
※大納言(亜相)、中納言(黄門)、参議(宰相)と唐名で呼ぶことが専らとされていた。よって天彦パッパ晴季(通称黄門さん)はむちゃくちゃお偉い方なのである
>八省 中務 式部 民部 治部 兵部 刑部 大蔵 宮内
>蔵人所(くろうどどころ) 単に“ところ”と言っている場合はこの蔵人所を指す。唯一他の支配下にないのは天皇の家政機関の色合いが濃いからか。結果蔵人所の力が強くなりすぎて殿上=蔵人の構図が成り立つほど権勢をふるった。
2、二条晴良(にじょう・はれよし)
関白 在位1569~1578 藤氏長者 藤原北家九条家庶流 二条家十四代当主 家紋:二条藤
従一位・前左大臣(期間中の官位) 家の慣例により十二代将軍足利義晴から偏諱を賜っている。




