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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
弐章 臥竜鳳雛の章
36/314

#07 祇園さん、素戔鳴尊と薬師如来

 



 永禄十二年(1569)一月二十六日(旧暦)





 宿直明けの翌朝隅中(巳刻)。天彦は冴えない寝ぼけ眼で洛外、祇園社(現八坂神社)に出向いていた。

 目的は金木犀油をメイン商材とした香油座発足の下拵えである。いわゆる談合という名のトップ会談。先方さんはそこそこのマターを揃えたよう。

 その道中四条に差し掛かった。ニコニコ笑顔の雪之丞とむっつり笑顔の佐吉は眩しい。反面、にっこにこ笑顔で随伴する徳蔵屋半造は忌々しい。恨めしい。ぶん殴りたい。ただの感情論で。


 悪ショタ悪童ムーブの天彦を呼びたてるとはいい度胸だが、こちらから願い奉った手前流れとしては当然である。何しろ先方のトップは座主様なのだから。

 そう、これが問題だった。天彦は寺社界情勢に暗かった。誰もが知る略歴でさえほとんどといっていいほど存じ上げていなかった。

 よって祇園神社も八坂神社だと思っていたし、その八坂神社(祇園神社)は独立した寺社勢力だと高を括っていたのである。なにせ巨大だから。話ちゃうやんけ半造ちゃんよぉ。


 徳蔵屋は一切その辺りを話さなかった。あるいは交渉事における最低限のスキームなのかもしれないが、知らんもんは知らん。ゆわん方が悪い。

 だからキレ散らかしているのはすべてただの八つ当たりに過ぎないが、八つ当たられている方は不気味であろう。


「御曹司。さいぜんからのそのお顔、いったいなんのことでっしゃろ」

なれ、身共の生来持つかんばせに吝嗇をつける気ちゃうやろな」

「……射干はん、何とかゆうたってんか。ずっとこれやこの調子や」

「諦めよ。我が殿がこのモードにお入り遊ばせれば、彼の黄門様でさえ裸足で逃げ出す」

「そんな殺生さんな」


 ラウラ、ちょいちょいチャレンジしたい気ぃはわかるけど、モードは絶対通じひんで。

 と、天彦。自分の迂闊は棚に上げつつ、ここで今日一悪い顔をした。そして躊躇わず扇子を抜き放ち徳蔵屋の額目掛けて解き放つ。


「悪徳土倉徳蔵屋半造、聞き捨てならじ。なれ、畏れ多くも摂政さんに文句があらしゃるようなや」

「はァ!? どういうこっちゃ。あ、まさか。殺生で摂政てもう堪忍してえな」

「許さん。悪徳土倉徳蔵屋、その首を置いて出直してこい」

「置いてどないするん。置いたらもうなんもできひん。せめて洗わせて」


 あはははは――。


 と、座がうける。


 すると徳蔵屋、

 それと一々悪者呼ばわりするのもやめてください。こうして辞を低くして軍門に下っているんですから。堪忍さんや、うききのっきっき。――と、雅楽舞の猿真似で揶揄って技ありの返しをお見舞いして座を更に盛り上げた。天彦も思わず唸る巧みさだった。やりおる。


 ラウラ・雪之丞には大うけ、だが佐吉にはややうけ。むしろ目に少し白い物が混じっていた。

 これを受け修業が足りないと人知れず肩を落とす天彦だったが佐吉はお家事ガチ勢。お家に不利益を被らせる者には死ぬほどカライ。故に佐吉が徳蔵屋のネタで歯を見せることはけっしてない。


 しかし天彦は知っている。佐吉の瞳の奥に潜ませている白い物(銀閃)はいずれ取り払われるだろうことを。具体的には二年と少々ほど経てば。

 天彦も徳蔵屋が不愉快なのは同感の気分である。だが実はそれほど危惧はしていない。座は長期戦となる。少なくとも単年から数年などということにはならないだろう。絶対権力者に解体でも命令されないかぎりは。


「佐吉、おおきにさんな」

「へ……!?」


 佐吉の思いに感謝を述べる。すると不思議。杞憂は楽観にすり替わっていく。

 むろん祇園神社は延暦寺とは別物だ。だが蓋を開けてみれば祇園神社は(現八坂神社)は延暦寺の支配下にある。コレも事実。だがそれだけのこと。


 寺社界の情報に疎くとも、いずれたった一つ知っていればいい大問題が出来する。具体的には今からざっと二年と半年後には。

 そう。史実ではこの二年後の元亀二年九月(1571)、織田上総介によって行われる比叡山征伐である。叡山は焼き討ちにあい多くの寺社の支配権を手放すことになる。祇園神社もその中の一つ。延暦寺の支配から絶対に逃れるので天彦的には気にしていない。

 よって独立勢力と認識してよいだろう。よいはず。よほどのバタフライエフェクトでも発生しないかぎりこれは確定している未来なのだから。


 到着、


「お早いご到着で。半家の一流さんともなるとさすがお違いさんです。皇弟座主がおわす延暦寺配下祇園社など待って当然であらしゃいますもんなぁ。名乗り遅れて堪忍さんです。拙僧、都維那ついなを仰せつかっております二寧坂尊意(にねんざか・そんい)と申します。ちぃと御鼻さんが高うなってるお公家の御稚児さん、お世話さんですあんじょうさんやで」


「チェンジで」


 延暦寺マターくそやねん。帰るでお雪ちゃん、佐吉、とっとと席立ちや。

 の、勢いで天彦は猛然と座を立った。

 一方、事態が理解できなかった雪之丞と佐吉は、数舜脳内でかみ砕く。

 おらが殿さまがあの剣幕だ。何か含みがあるはずである。それを加味して、


 意訳、図にのんな三流公家のクソガキ。こっちは天台座主も輩出する名門一流の嫡子やぞ。頭が高い。辞を低くして希わんかい。


 わなわなわな――。


 二人は肩を震わせ顔を真っ赤にして気付けば立ち止り小刀に手をかけていた。

 いまにも危うく抜き放つ寸前まで我を失い大激怒していたのである。


「無礼であろうがっ!」

「許っ、さん」


 金木犀油をメイン商材とした香油座発足の下拵えに参っただけなのに。よもや流血事件勃発寸前か。座の緊張感が一気に高まる。


「こんなとこで抜いてみなさい。いったいどないなることやろか」

「雪之丞、もうええ」

「ですが」

「ええとゆうた」

「は、はい」

「佐吉、お前さんもや」

「はっ」


 天彦は引かせた。怒らせて帰らせて謝罪させてワンセット。あるいは双方共に詫び合うのかもしれない。きっとそんな不文律の初回顔合わせお題目があったのだろう。徳蔵屋半造のどうにも挑発的なむかつく顔を見ればひと目だった。


 許さん。人を試し、そして嘲笑うとは。泣かしたろ。

 天彦は冷静を装う一方でブチギレていた。

 売られたら高値で買う。たまに自分からも買いにいくけれど。

 天彦は自分でも滅多としないと自覚している最大激怒の顕在化。芋虫のような姿勢でこれでもかと威儀を示した。


「天台さん堪忍や。これでなんとかご寛恕いただけませんやろか。この通りです」


 脅迫じみた台詞を添えて。


 やられた方はたまらない。見た目のインパクトもそうだが、この後確実に付いてくるだろう後追い事実がおぞましすぎた。

 叡山(祇園さん)は今出川を屈服させた。おそらくそんな見出しの号外が飛び交うことだろう。どこにも事実がないとしても事実っぽければそれでいい。キャッチ―な話題があればそれでいい。それがこの都の姿であった。


「……な、何の御心算さんやろか。徳蔵屋さん、いくら何でも風聞が悪おませんやろか」

「嗚呼、このお人さんはここまでしはるんかいな。おおコワ」


 あわあわあわ……。


 権高さを濃縮還元したかのような僧侶、都維那・二寧坂尊意は小さく震えて助けを求めた。

 だが天彦は一考に態度を改めない。ひたすらただひたすら謝罪の言葉を吐き続け、額を床板に擦り続けた。完全に屈服した敗北者(朝敵)の姿勢で。


 天彦は敗北者でも奴隷でもない。ましてや朝敵などではない。むしろ逆。帝の覚え目出度いかどうかは意見が二分するとしても、栄えある直臣。藤原朝臣。しかも帝の身辺をお世話する側近中の側近、蔵人である。

 側近殿上人を土下座で詫びさせたなどと万一にでも噂に上れば、低く見積もっても御扱案件である。最悪の場合、二寧坂尊意は腹を召さねばならないだろう。天彦の土下座にはそれほどの破壊力が秘められていた。


 本人は雑魚いけど、じっじ左丞相さん、ぱっぱ黄門さんなんやで。実家は清華家なんやで。さすがにアカンやろ、土下座なんかしたら。

 と、当人はまるで他人事みたく思いながら、延々と土下座スタイルでお言葉を待つのだが。そんな天彦の耳朶に突如として木津川渓谷より深く、教王護国寺の夜紅葉より渋い声が飛び込んできた。


「都維那さん。泣くことあらへん。このお狐さん、しょっちゅうこないなことしてはお人さんを困らしてはりますんやで。そやろ、五山のお狐さん」


 あ、はい――。


 天彦はネタばらしされたマジシャンの心地でそろりと顔を上げた。そしてその声の主の顔を見て即座に納得。もちろん誰だかはわからない。感も働かないほど不慣れなストレンジャー。

 だがその実態は、風格その他諸々を加味すれば明らかに高位のお爺ちゃん僧侶であった。結局わからん、誰、だれなんお爺ちゃん。まあええ。


「ほなやめとこ」


 天彦は一瞬で態度を改めた。そして、


「都維那さん恨みっこナシやで。そやけど次仕掛けてきたら、どうなっても知らんで。身共こう見えて絶対に敵は取る主義や」

「は、はひっ」


 折れで仕舞う。引き分けが平和だろう。家来のご機嫌は流行の茶店の新作スイーツでとるとして。ほなら差し引きマイナスやんけ。

 の感情で曲者お爺ちゃん僧侶に目を向けると、名も知らぬお爺ちゃん僧侶はほっほっほと高らかにいい声を響かせ去っていった。柳に風、絶対めっちゃ偉なお人やん。纏う風格が違った。


 だが妙に覚えのある感じ。感付いてしまうと大変な目に遭いそうなので天彦は強引に脳内捜索を切り上げた。撤収――!


「都維那さん。打ち合わせしよか」

「……日を改めて行いたく思います」

「なんで」

「飲まれてるからや」

「ふーん。都維那さんってお貴族さんやね」

「そや。正親町三条家を祖とする二寧坂家の三男や」

「うん。仲ようして。身共に色々教えたって。身共なぁんも知らんねん。阿保やろ」

「自分のことそんな……、でも祇園さんに損はさせられへんよ」

「お互いが得しよ」

「お互いが得。わかった。仲良くしよか」

「うん」


 取り敢えずの手打ちはなった。

 握手は相変わらずスルーされ、天彦の右手は空ぶって虚空を彷徨うのだが。




 ◇




「そやから何でわからへんの。ずっとゆうてるやん、蝋梅ロウバイ蜜蝋みつろう、ホホバオイルなければ植物由来のオイルやったら何でも。最悪菜種オイルでもええわ。ひと瓶の規格はホホバオイル25グラムに対し蝋梅の精油5滴、蜜蝋5グラムやで。って。これの何がわからへんの尊意。うちのもんみーんなわかってるで」

「ほんで何ができるん」

「ハンドクリームやろ」

「ほら、全部わからへんのやで」


 アホちゃうアホやろ。阿保ちゃうわ、阿保ゆう方が阿保や。


 二人は喧々諤々ずっとこの調子だった。だが誰も理解が及ばない。なぜなら天彦の言う“うちのもんみんな云々”には誰ひとりとして同意の頷きがなかったから。

 ラウラ以外はまさに狐に抓まれたように天彦の操る言葉に翻弄される。


「ごほん。天彦さん、少々お言葉に御国の言葉が」

「あ……!」


 迂闊にも限度がァッ――。


「菊亭、御国ってどこなん」

「追及する気ぃなら黙秘権を行使する、ところやけど身共はずうっと京都やで」

「そやろな」

「ほんならなんで訊いたんねん」

「御国の言葉がって聞こえたからやろ」

「なる。うちの家人の御国さんや。色々混じってしまうねん。堪忍さん」

「ああなるほど。ほんなら始めっからやり直そ」

「厭やろ」

「なんで!?」


 テキストにして提出すると席を立った。言葉問題もそうだが、何より適量分量をこの時代に通じる単位に脳内変換するのが億劫だった。だっる。










【文中補足・人物】

 1、二寧坂尊意(にねんざか・そんい数え16)

 神位:都維那ついな 寺院内の事務を司る、役職:別当代

 猶、祇園神社の職位は、別当>少別当>権大別当>都維那>権当主>寺主>権別当>権上座>上座 となっている。


 2、祇園神社

 1868年に神仏分離されてからお馴染みの八坂神社に改名される。

 それまでは祇園さんとして多くの庶民に親しまれていた(祇園祭の胴元をしていたため)。

 当時(中世から近代)は主祭神を薬師如来(仏)、素戔鳴尊スサノヲノミコ(神)、櫛稲田姫命クシナダヒメノミコト(神)とする神仏混合寺社であった。

 神紋を唐花木瓜紋とする。この窠紋を紋章として用いたのは公家では大徳寺家、武家では朝倉氏や織田氏などが知られている。

 

 当時は天満宮さんと麹座を主導していたが時代の変遷とともに酒座に地位にとって代わられて久しい。


 検校:天台座主が兼務。検校座主とも。

 別当:祇園別当、対外的な最高責任者。専ら天台門跡寺院の執事が就任した。

 別当代:下級社僧の上位者が就く。


 3、室町後期の畿内(京都に影響力のあった)の主な寺社勢力(作中)

 比叡山延暦寺(天台宗)、

 石山本願寺(浄土真宗)、

 知恩院(浄土宗)、

 本圀寺(日蓮宗・法華宗)、

 妙覚寺(日蓮宗)法華一揆に加担していないという意味で

 清水寺

 石清水八幡宮

 祇園神社

 東寺(教王護国寺・真言宗)

 聖衆寺(真言宗)


 4、僧兵

 高野山の托鉢僧、延暦寺の山法師、


 5、神社の武装

 神社に所属する武装集団を神人じにんという。ヨーロッパの騎士修道会と同義である。四郎勝頼の最大後援会戦力がこの神人となる。










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― 新着の感想 ―
[良い点] 公家主人公、楽しみにしています。 [気になる点] >天彦は冷静を装う一方でブチギレていた。 の後に土下座する描写が入らないと何してるか分かりにくいです。
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