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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
弐章 臥竜鳳雛の章
34/314

#05 六等星の煌めき

 



 永禄十二年(1569)一月十八日(旧暦) 今出川殿・菊亭屋敷(仮)






 菊亭屋敷は通用門から徒歩一分で直帰できる距離にある。一分は盛ったかもだが、なんなら内裏内移動の方が断然時間がかかっている。そんな距離。手段は徒歩。

 菊亭家の財政状況的にたしかに通勤費ゼロは魅力だが、このままでは職場と家との直行直帰で人生を終えてしまう、そんな未来予想絵図が浮かんだり浮かばなかったり。


 何がいいたいのかというと、不思議な気分なだけで厭ではけっしてない。だが手放しに喜べるかと訊かれればそれもなんだか躊躇ってしまう。という感情の名前を天彦は探していた。


 遊義門を出てすぐのところで家人が総出で出迎えてくれている光景を、睡眠不足の冴えない頭でぼんやりと眺めながらふと思う。(用人は除く)

 やはり人とは贅沢としたものなのか。独りだと孤独なくせに構われるとなんか痒い。なんかこそばい。天彦はそんな感情で家人たちの出迎えを受ける。


「お勤め、ご苦労さまにございました」


 ご苦労さまにございました。


 ラウラが代表すると家人がその後につづいて復唱した。ハズい。

 雪之丞、佐吉、是知はマストなので当然として新たに二名の側用人が追加されている。天彦が誰かと訊ねようとするより早く、雪之丞がずいっと二歩前に迫り出し、然も怒っていますといわんばかりの表情で思いの丈をぶつけてきた。


「若とのさんっ!」

「ハイ」


 あまりの剣幕(母音のでかさ)に予め身構えていてもたじろいでしまう。


「まず報告があるんと違いますやろか」

「報告? なんや報告」

「まず、報告が、あるんと、違いますやろかっ!」

「うそーん説明なってへんやん。お雪ちゃん。先ずもへちまもまだ身共、一言もなぁんも喋ってへんで」

「あ、減らず口や。嘘つくときか誤魔化すときのやつや」

「ほーん」


 図星すぎた。先を促す。


「聞きましたよ」

「何を。いやこの場合、誰からが問題か。誰や余計なことする密告者は」

「亜将さまです」


 実益さぁ。


「参ってはります」

「参ってるて。身共、宿直明けでしんどいんやけど」

「それで帝に叱られたってほんまですのん」

「……ああ、それか。まぁ、嘘かほんまかでゆうたら、嘘のようなほんまのような、夢のような現のような――」

「どっち! お家の一大事かかってますんやで」

「心配かけて堪忍さんな。でもどうもないで」

「それを決めるのは若とのさんやないっ」

「え、ほなだれ」


 するとすかさず雪之丞とラウラが胸を張った。こっそり佐吉も。佐吉おまっ。

 天彦の家内格付けが判然としたとこころで人目が刺さる。痛すぎる。


「とりあえず帰ろ。話はそれからや」

「はい。お帰りなさい若とのさん」

「ただいま」




 ◇




「よう帰った。ご苦労さんなこっちゃ」

「只今戻りましてございます」

「うんうん。ほんで初参内はどないやった。ゆっくり聞かせてもらおうか」

「え、厭ですけど。というより帰ってください」

「おい」


 だがいつもの御付きも若干どころではない心苦しい顔で暗に詫びているのでけっして間違ってはいないはず。


 天彦のご機嫌は最高潮に悪かった。

 適当に往なして応接してもよかったのだが、疲れて帰ってきて自室に、それも上座におっちんされていたら瞬間的に苛ついてしまった。

 それもこれも応接間と自室が兼用なのが悪いのだ。愛は要りません下さい個室を。


「子龍。ハズレか大ハズレか、どちらの話を先にききたい」

「おまえ阿保やろ」

「何を! そこへ直れっ」

「さいぜんからずっと直っておりますけど。これ以上どないしますん。そのご立派なお頭で方法教えてください」

「ぬぐぅぅぅ」


 さすがに実益も気配を察した。よくよく見ると天彦の様子が可怪しい。

 目はギンギンに充血していて、衣冠束帯が要所で綻んでいる。消耗品だがけっして安い代物ではない。特に天彦は物持ちがいい。少なくとも物の価値を忘れてはしゃいで傷めるような人物ではない。つまり、


「……誰にやられたんや」

「生きてたらいろいろありますやろ」

「申せ」

「厭です」

「おのれ、言わんかい。お前は吾の家来やぞ」

「あ、ハイ」


 負けた。秒より早く。怖いねんキレた実益。しかもブチキレやん。


「これ告げ口違いますからね。勘違いせんといて――」

「やかましい。はよ吐け」

「大炊御門です」

「おのれ経頼――っ!」


 実益は怒髪天を突く勢いで立ち上がると猛然と駆けだして行きそうな動きをみせた。が、そこまで。彼の傍付きは有能だった。


「しばらく」

「あいやしばらく」

「何卒お待ちを」


 言葉こそ慇懃だが実益は半ば力技で取り押さえられ、行動の自由を完全に束縛されてしまう。実に手慣れた挙動であった。グッジョブ土井修理亮。


「ええい、離せっ、離さんかっ」

「お静まりを」

「落ち着かれませ」

「何卒」


「吾を誰と心得るかっ、は、な、せぇ――っ!」

「御曹司が」

「白い目で」

「見ておられますぞ」


 すると実益はじたばたするだけ無駄。とばかり白旗をあげた。むろんこれでもかのジト目を天彦にぶつけながら。なんでっ。


「まあしゃーない。子龍」

「はい」

「借りとく」

「え」

「麿は借りやとゆうた」

「聞こえてます。何をですのん」

「そやから家来の報復もできひん愚かな麿が一つ借りとくゆうてるんやろ」

「え、そんなん一つや二つと違……、あ」


 御付きの人たちが猛然と首を左右に振っていた。あぁやったったん。


「おまえ」

「嘘です。得意の嘘をつきました」

「嘘はつかへん。それが子龍の持ち味や」

「はい」

「まあええ。なんぞ面白いことあるやろ。それで参ったんや」

「え」

「え、やない。仕入れたで噂」

「どこからでしょうか」

「決まってるやろ。子龍のぱっぱや。頭捻ったんやろ。麿も混ぜんかい。ぱっぱで合うてるんやな中納言さんは」


 どうでもええわ。そんなことより……。


 天彦はすぐに察した。どのルートかは定かではないが情報が洩れていることを。

 誰だ。徳蔵屋は違う。銭の種をみすみす逃すような間抜けではない。あれは紛れもなく守銭奴だ。ラウラもない。彼女は守銭奴寄りの守銭奴だから。……お雪ちゃんさぁ。


 かなりの確度で当たっているだろう予感に、天彦は半分残念半分失望でがっくりと肩を落とした。

 悪意はないはず。きっと。信じたい。だが致命傷になるほど口が軽い。あるいはヘリウムガスよりも軽いだろう。天彦はもう一度音が聴こえるほど肩をがっくしと落として項垂れた。


 育成とは楽なものではない。誰にでも簡単にできるなら教育者を先生と呼んで敬わないはず。そう考えると気も晴れる。心のライセンスしかもっていないのだし。つまり素人。

 それにそもそも論、人が人である以上誰もが欠点を抱えている。むしろ欠点こそ味と捉え気長に付き合っていくのが筋、付き合っていく他あるまい。見捨てられない以上。


 天彦はこれを収穫として気分を切り替え、けれど事実は重く受け止める。


「で、なんや。取って置きの飯の種は」

「油です」

「……油?」

「はい」


 香水、パヒューム、フレグランスオイル、フローラルアロマ、ポプリオイル、フレーバーオイル。呼び方は何だっていい。


 昨年の秋口に雪之丞・佐吉と三人でせっせと鬼汗を掻いて拾い集めたオレンジ色の小さなお花。徳蔵屋半造にエタノール(日本酒由来のエチルアルコール)を用意させたのが十月中旬。漬け込んでおおよそ二月。そろそろ浸かっている頃合いだろう。

 肝である無水エタノールが用意できなかったのが唯一の不安材料だが、出来栄えは悪くないはず。それほど厳密性を問われる製品ではない。その程度の確信は持っていた。


「香の代わりになる油か。それは興味深いな」

「売れますやろか」

「それは知らん。たぶんやが女子おなごさんは飛びつかはるやろ」

「売れんでもええんです。身共が自分で使いますから」

「子龍にはそないな高尚な趣味があったんか」

「はい。ほんで宮中で金木犀の君ゆわれるんです」

「お前、それ源氏やぞ」

「あ」

「あとゆうといたるけど、主上さん怒らせたらほんまもんやからな。さすがに麿でも無理ぞ、朝敵となった子龍を救うんは」

「う」


 はいはい、解散。


 実益はまったく同情する素振りさえ見せず天彦を一瞥すると立ちあがる。そして素っ気なく「どこや」「二番蔵です」頷くこともせず、そそくさと金木犀油を保管している蔵へと勝手に足を向けていた。


 なんで。




 ◇




「なんたる。すーはーええ匂いや。さすがは我が子龍、褒めて遣わす」

「光栄ですけどあげませんよ」

「寄越せ」

「厭です」

「なんでやおくれ」

「いやや。だって頑張ってんもん」

「ほな売れ。なんぼや」

「それは徳蔵屋が参ってから」

「あれに値付けさせるんかい。あれは悪党やぞ」

「小悪党です」

「何がちゃう」

「まったくちゃいますよ。信用はできません。でも信頼はできます」

「またけったいなこと言いだしおった。どない違う」

「信用は過去に対して積み重なるもの、信頼は未来に対して覚えるものです。銭に聡い徳蔵屋がこの普遍的な可能性に感付かないはずがない。この汎用性の高さに気づかないはずがない。そやから信頼できるんです。まあ座組むつもりですけど」

「ふーん。わからん」


 でしょうね。

 双方納得の不理解を確信して実益はだが的を射た。


「要するに売れるから敵対せんっちゅうことやな」

「はい」

「なんや。端から確信もっとるやないか」

「てへ」


 痛っ――!


 脛をおもくそ蹴られて悶絶。痛い痛いと大袈裟に痛がっているとそこにラウラが心配して蔵をのぞき込んできた。おいで。手招きで招き入れる。


「まあ……! なんていい香り。フレグランスオイルでしょうか」

「先、心配しよか」

「ふーふーしましょうか」

「また今度して。そや厳密にはアルコール分あるからちゃうけど」

「ではパヒューム。いずれにしても凄い。まさかこんな辺境の地でパヒュームオイルに出会えるとは」

「おい。事実としてもゆうたらあかん」

「あ、口が滑りました」

「滑らせすぎや。ほんでどない、半造呼びつけてくれたか」

「はい。確と本日隅中ぐうちゅうに参るように申し付けております。しばらくほどで参りましょう」

「もうかなり回ってると思うけど。あいつ値打ちこきよるからな。よし次からは一刻早やいめに呼びつけたり」

「ではそのように」


 小悪党の悪徳高利貸しなんぞ待たせてなんぼ。

 天彦とラウラの会話を実に興味深げに聞き入る実益だったが、


「一人くれ。もろたろ」

「え」

「この伴天連混じりども、子龍の知恵袋やろ。一人寄越せ。ゆうてるんや」


 天彦がラウラを見ると恐縮した風に、けれど見る者が見れば心中の苦みが滲み出た微妙な顔で首を小さく左右に振る。


「ということです」

「普通は大いに感激されることやけどな。麿、亜将ぞ。清華家の筆頭ぞ」

「はい。存じ上げておりますし身共もまったく同じ思いです。なんで?」

「奉公とは御身分にするものではございませんので」

「だそうですよ。身共モテモテや」

「ほなしゃーない」


 この淡白さが実益の善さでもあり弱みでもある。


「ほな子龍がこい」

「え、いいんですか。行きます。よかったこれで出仕やめれるやろし」

「来るな」

「ええ」

「やかましい。食い扶持だけが増える怠け者は要らん、来るな」

「ははは、知ってるくせに」

「そやった。お前はずぅっとそんなやった」

「はい」

「胸張るな」


 今のところ反作用はしていない。だが当たり前だが人がいいだけでは生き残れない。敵は本懐を“舐められたら殺す”に定めている武人という名の狂人ばかり。

 人が善いとは誉め言葉にはならないのだ。だが天彦は実益の持つ善性ともいうべきその人の好さに何よりも惹かれていた。


 だが実益は頭領である。西園寺という巨大看板を率いる領袖。いずれは大名へと伸し上がるかもしれない戦国公家大名。過酷で悲惨で残酷な決断を迫られるときが必ずくる。

 ずっと付き添ってやることはできない。何か重大な決定に影響を与えることもきっとできない。けれどせめてそのときは少なくとも共に歓び涙してやろうと決めている。

 成り行き次第では命を張ってやってもいい。くれてやるわけにはいかないが。自分のちっぽけな命に価値があるとは思えないので。


 それが目下、天彦がベストだと思う実益との距離感であった。

 むろん実益に代わるオルタナティブが現れてもこの感情は揺らがない。はず。


「ひと樽どのくらい取れるんや」

「5升取れればええ方でしょう。上手いこと絞ればもうちょっととれるかも」

「5升か。ふむ、ほなご祝儀や。ひと樽100貫文で買うたろ」

「え。……桁、間違うてませんか」

「なんや不服か」

「まさか。よすぎて怒られませんか」

「誰にや。子龍貴様、麿のことなんやと――」

「売った! 売ります! 買うてください。ありがとうございます実益さん」

「ふん小分けにせえよ」

「はい。ラウラ、用人さんらで手分けして専用の器に移し替えさせてくれるか」

「はい。承りました」


 売れた。ご祝儀相場込みでもひと樽100貫文。きゅるん。

 少しの手間と鬼安い人件費しか掛かっていないのに。1、2、3、4……、お世話になったとこに贈ってもまるまるふた樽は余るはず。しかも金木犀の生える山はかなりの穴場、時代きたやろ。こない。


 だが転生の面目は立ったはず。これで能無し雑魚のじゃない方サブキャラとは言わせんぞ。言われる。まだまだクソ雑魚いので。




 ◇




「なんと菊亭さんも偉いもん拵えはって」


 徳蔵屋半造は心底魂消た風に言う。

 この機会に一息に息の根を止めてやろうかとも思っていたが天彦は手を緩めた。

 徳蔵屋は確実に武田の手の内。それを証拠に四郎勝頼と接近した途端、荘園の返還と謝罪を先方から正式に申し出てきた。

 節操なく詰めるのも手だが、天彦は引くことにした。四郎勝頼にあまり借りを作るのもよろしくないと判断して。


「売れるか」

「売れるも売れる。バカ売れでっせ」

「うん。買い取れ」

「全部でっか」

「そや」

「よっしゃ。その意気に感じて徳蔵屋が200貫文で買わせて頂きまひょ。但し持ち込んだ材料費は精算させて頂きますよって。悪しからず」

「それはええ。何に対して200貫文や」

「むろんひと樽です」

「いくらになる」

「ざっと差っ引いて180貫文ほどでっしゃろ」


 天彦は実益を見た。実益は無言で遠ざかっていくのだった。台無しだよ。











【文中補足】

 1、十二刻(正刻を採用している)

 字刻 口語・読み    表記  鐘

 子 (夜半・やはん)  0時  夜/暁九つ

 丑 (鶏鳴・けいめい) 2時  夜/暁八つ

 寅 (平旦・へいたん) 4時  暁七つ

 卯 (日出・にっしゅつ)6時  明六つ 

 辰 (食事・しょくじ) 8時  朝五つ ←天彦の宿直が明けた時間

 巳 (隅中・ぐうちゅう)10時  朝/昼四つ ←半造はここに遅れて来た

 午 (日中・にっちゅう)12時  昼九つ

 未 (日昳・にってつ) 14時  昼八つ

 申 (晡時・ほじ)   16時  昼/夕七つ

 酉 (日入・にちにゅう)18時  暮六つ

 戌 (黄昏・こうこん) 20時  宵/夜五つ

 亥 (人定・にんじょう)22時  夜四つ


 ※猶、雰囲気物ですので厳密には使用しません。あくまで参考程度にとどめおきください。


 2、内裏勤務体制

 基本的に出仕は日勤と宿直の二交代制。

 参考勤務時刻、日勤は食事刻(辰8時)から晡時(申16時)まで。

 宿直は本文参照。週に一、二度の持ち回り制。原則新任に押し付けられる。


 3、量

 5しゃく=90ml

 1合=180ml

 1升=10合 1,800ml

 1斗=10升 18L

 1こく=10斗 180L


 猶、大原則として斗量計算(不整合な升で計る)なため厳密性は問えない。















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― 新着の感想 ―
[良い点] これでハーフ南蛮娘、残り2人も雇用出来ますね。にしても彼女たちと天彦との間に子供ができたら家系としては特徴があって面白くなりそう。
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