#04 人生九割血筋で決まる。って、あいつが言ってた
永禄十二年(1569)一月十七日(旧暦)清涼殿・殿上の間・下侍
立ち合いの者が加害者だったので衣服の破損は不問に処された。
拙いながらも拝舞を舞い小壁下で日給簡をつけたあと湯漬けを食した。味はどうだっただろう。歴史の重みを感じる味だったのかもしれない。つまり古古古古米くらいだったのかも。
朝廷のお財布がちょっとだけ心配になる天彦だったが、これにてお仕舞い。新任蔵人として帝との直接主従関係は締結された。身が引き締まる思いだ。ふぁぁぁ大あくび。
緊張の場面で笑いがこらえられないのと同じ現象が発生したと言い逃れて、天彦は布団に潜り込む。むろんすべてはご公務である。布団に転がりこうして全身を弛緩させている今も漏れなくご公務。御馳走さまです。
尤も朝廷を頂点とする公家社会、多くの場合が建前ありきなのであまり格式張るのも違う気がする。あちらさんだってこんなガキに多くは望んでおるまい。本気の奉公を求められていたら逆に引く。
と、なれば残すは朝まで宿直という名のお泊り会。天彦はそんな感覚に意識を切り替えると、「……」あっというまに眠りこけた。
「え。どない」
隣で寝付けない以々(もちもち)は呆れた。
気が立って眠れそうにないんや。どないしよもっちぃ。とどの口がほざく。その当人がその一秒後に寝落ちしているではないか。残された彼は天彦の図太い神経に呆れ果てる。と同時に頼もしくも思った。
あれだけ手酷い仕打ちをされたのだ。少なからず目に負の感情が宿っていて不思議ではない。むしろ自然。
ところが天彦にはその兆候が欠片もなく、傍で見ていてもまったく感じさせなかった。何なら新内待来臨に浮かれている様子さえ垣間見せていたではないか。
安定して不安定なんが身共の持ち味、きらん。と不意に自己紹介された言葉を思い出す。
思い起こしても意味は不明。しかしこうして身近で接していると頭では理解できない文言も、なぜか感覚や心でなら理解できてしまうからこれまた不思議な気分であった。
以々のいる下侍(休憩所)には所衆や官吏含めた二十数名の蔵人が宿直の任にあたっていた。そしてそのほとんどが眠りにつけていないよう。息遣いや気配からはそう覗えた。
と以々が羊を数えようとしたとき、下侍の気配が一瞬にして様変わりした。
室内が焦りと戸惑いの感情であふれ返ったのだ。むろん以々も同様に。あるいは突き抜けて動揺しているかもしれないが現象としては何をどうすればよいのかわからず、咄嗟的に本能的に彼は額を畳みにこすり付けていた。
「お邪魔さん。じっと眠っとき」
深みのある声が静まり返った下侍に、まるで浸透していくかのように小さく響く。
誰もが固まり下知に従う。身動できずに息さえ凝らして。これ以上ない絶対の下知だから。氏神が顕現してもこうはならない。そんな曲者どもの集まりであっても帝の降臨は格別だった。
系譜の始まり、あるいは最終のお人
正親町天皇。今上天皇であらせられる現在は単に帝。あるいは主上。近しい者や真逆の遠い人などは親しみと畏怖をこめてさん付けで呼ばっしゃる。そんなお人。
現代でもリタイアが脳裏に浮かぶ年代にあって依然として畿内安定を切に願い真摯に公務と向き合うお方。またはその代表格が来臨された。
帝はひょいひょいと布団の間を縫うように進む。まるで目的が定まっているかのように一目散に。
やがてお目当ての場所にたどり着いたのだろう。すっと膝を折りじーっとその小さな頭を見つめ始めた。
――ひいぃっ。
果たして悲鳴は上がったのか上がらなかったのか。いずれにしても以々は生きた心地がしなかった。何しろ彼の視線からは帝の横顔が真面に見えるのだから。それも手を伸ばせば届くかもしれないそんな至近に。
以々がどうにか息を凝らして潜んでいると、すると気配がもう一つ。衣擦れの重みから女官であることが覗えた。直視はできない。だが言葉に言い表せない嫋やかな気配を感じる。それは以々が知っている感覚ではなかった。もっと重厚な何か。
「左丞相も勾当内侍も自慢しよる。亜将なんぞ命に代えてとまでゆうて継承を請願してきよった。訊けば宇佐八幡さんの化身や申すやないか。どないなもんかと思うてな」
「それがほんまならお驚きさんなことであらしゃいます。けれど当人さんは六郷満山の鬼の知恵とゆうてはらしゃいます」
「さよか。しかしちんまいな。まだお稚児さんやないか」
帝は暗にそれが事実なら自らとは血縁になると仰せなのだ(宇佐神宮の主祭神、八幡大神は応神天皇が神格化された姿とされているから)。
むろん冗句を交えた一流の弄りであるが、言われた側は肝が冷える冗句であろう。さすがの天彦も既に完全に目を覚ましていた。
もう十歳や。実質でも八歳や。稚児はないやろ、あかんやろ。
むろんそんな思いは全部まるっと飲み込んで狸寝入りを決め込むのだ。万万万が一にも会話になったらお仕舞いだから。襤褸が出る気しかないから。
天彦はそういう点では自分に自信があった。誰よりも自分をよく知っていた。特に愚かしさにかんしては一流の自分論説者である。
一方ではただでは済まないとも確信していた。むろん済めばいいなとは希望的に思っているが、済むはずがないとも確信している。
なぜなら後世に伝え訊く正親町天皇評では、必要なことを見極め見栄や美意識は横に置ける人物とあったから。天彦もそう直観している。実に合理的な人であると。
形式張っていると本音は引き出せない。そうお考えあってのこの御来臨だと天彦は踏んだのだ。
なにしろ達ての本願寺推しだからして。困窮していた帝を茶々丸ぱっぱ(門主顕如)は莫大な献金で後支えをして盛りたてた。以降茶々丸ぱっぱとは昵懇の間柄とも伝え訊く。つまりこれは勅勘を被ったか。
普段はてんであてにならない直感的第六感が、この時ばかりは妙な冴えを見せてくる。そんな厭な予感がひしひしとしてくる。そして経験則から厭な方の予感はやたらと確度が高かったのも背中を押す。押すな押すなフリじゃないぞ。
「なんでお茶茶を売ったんや。なんぞ遺恨でもあったんか」
やはりきた。
もはやこれまで。言い逃れはできない。あるいは親のエゴとプライドで身に余る三ランク上の寺子屋に押し込まれたから身共のせいやない。と言い逃れのレクイエムを奏でるつもりだったが無理っぽい。そんな気配では微塵もない。
天彦は腹をくくって覚悟を決めた。これが最後になるかもしれん。嘘だけはないように。そのたった一つの思いを胸にすっと上半身を起こすと、すぐさま淀みない所作で教わった故実の礼をとって顔を伏せる。
自分の言葉で、飾らず話す。衒いなど無用。小起用に小手先を利かしても所詮付け焼刃、遥か高みから見透かされて仕舞いだ。
真摯に真っすぐ。それだけを心掛けて「面をあげや、直言を許す」の言葉を待ってゆっくりと顔を上げた。
「お人さん。六郷満山の鬼の知恵などと抜かしたら承知せんで。訊かせ」
これが帝、これが天皇。その声音には隔絶された絶対性が潜んでいた。
それを神秘性ととるかは受け手によろう。だが天彦には歴戦の古兵にしか感じられない。普通にコワい。むっちゃ怖なん。
これぞ歴戦の大名と丁々発止やり合ってきた旦力だろう。天彦は圧倒されながらも、しかし冷静にけっして立ち向かわずに受け流すよう心掛けた。
「友、でしたから」
「ほんで」
「当時は本気で思っていました。今は……、迷ってます。いえ友であることは疑っていません。果たして正しかったのかどうか。そのことに疑義があるのです。つまり思うのです。あるいはひょっとして欺瞞ではないのかと。あれ以来茶々丸のことを考えない日がないんです。いやそれも違うか。ふとした瞬間につい考えてしまうんです。身共は友を裏切ったのではないやろか、と」
そうするとなんやわからん、ここがぎゅうっと苦しいんです。
天彦は心臓を掴むように胸の前の虚空を掴んで言った。切羽詰まった以上の切実な口調と、これ以上ないだろうほどの深刻な表情で。
「お人さん、お前さんなりの大儀はあるのんか」
「はい。臣、藤原朝臣菊亭天彦、天地神明に御誓い申し上げまして確とございます」
あるいは瞳を潤ませている天彦を帝はじっと見つめると、不意にどこか悪戯な笑みを浮かべ遊ばせた。そして「なんや鬼でもお狐さんでもあらへんやないか」と快活に仰ると天彦の髪をくしゃくしゃと撫でつけ立ち上がる。
「藤原朝臣菊亭」
「はい」
「朕は見てるで」
「はっ」
「ようさん扱き遣たる。気張りや」
言い残し去っていった。
殿上の間にご奉公するということはこういうことか。ゲロ吐きそう。
天彦は心底疲れ果てた表情で一度、大きなため息を吐いた。
果たして許されたのだろうか。わからない。だが極限だった緊張からは解放された。今はそれで十分だ。
室内にはこの時ばかりは天彦の感情と同じ温度差の解放感が訪れていた。
◇
永禄十二年(1569)一月十八日(旧暦)清涼殿小庭外
しんどい。いくらなんでもしんどすぎるやろ。
あのあと結局朝まで寝付けなかった。大部分がそうだろうから天彦は本来謝罪すべき立場である。だが現在そんな細やかな気は回らない。何しろ上に下にと周囲から鬼ほど注目されていて、遠巻きな視線無数、直截的な問い合わせも複数あってうんざり辟易げんなりとほほ中だから。
日給を付けてようやく新任一日目を終えた。口が裂けても無事とはいえない。だが家人には万事無事と報告するだろう。心配をかけるわけにはいかないので。
けれどそれは嘘ではない。万葉の時代から優しい嘘はウソにカウントされないとしたものだから。知らんけど。
「夢のようやったわ」
「ほな夢やろ」
「え、違うよ。何ゆうてはんのん、あれは現よ」
「ほな現実やろ。どっちゃでもええわ」
「ええ」
天彦の投げやりな言葉に以々は呆れる。
だが天彦の心の奥底が知れた今、以々に悪感情はまったくない。むしろ好感度爆上がり中。この親密さの切っ掛けをくれた義理姉勾当内侍に心底感謝をしているほど。
別れのとき。以々は故実をとる。
「お疲れさんであらしゃいました。明日もお世話さんにならしゃいます」
「ほなね」
「もう。せっかく麻呂が形式張っているのに」
「親友に形式なんか要ったかな。要ったんやったら認識を改めるけど、どない」
天彦にとっての親友の定義とはこう。
もし以々が親しき仲にも何某と言い始めたら考え直すか距離が遠のく。むろんだからといって急速に色褪せもしなければ嫌いなどしないとしても。
けれどたとえば茄子の摩擦係数が思いのほか高すぎて透明袋から取り出しにくいのと同じくらいにはそれ要らんやろ、感は覚えてしまう。要するに粗末(無遠慮)であればあるほど友としての距離感は近いということを意味する。よって逆説的に親しき仲には礼など要らないとなる。q.e.d。
「はっ!? し、親友、むふ、むふふ。げふんげふん。ふん、そやね。し、親友やから当然形式張った挨拶なんか要らんよ。麻呂と天彦は親友やからね!」
「まさかの違う角度っ。ほんで二回ゆう」
「え、なに」
「こっちの話やデレるなきしょい。お前のそれは猫をネコちゃんと呼ぶ香ばしさがあるで。何とかできるんやったら何とかし」
「でれ、でれなに。え、お猫さん!? なんとかってなに。ゆうてはることひとつもわからへん。教えて」
「知らん知らん、お家帰ってお辞書さん引き。ほな帰るで」
「あ、待っ――」
待たない。天彦は神速(自己評価)の速歩きで殿上の間を後にした。走ってはいけない規則は厳守しつつ。




