#11 独り善がりの口づけと愛と
元亀二年(1571)四月十七日
「外します。暴れんといてくださいよ」
天彦は顔面に被せられていた頬被りが外されると、苛立つ感情そのままの視線で周囲を探る。
そこはやはり船上だった。そしてどうやら船橋のよう……。
ガレオン船。
言わずと知れた海洋帝国が誇る軍船であり、時代の最先端をゆく大型貿易帆船だった。
すると船籍は、……第一感はイスパニア(スペイン)だが彼我の関係性からあり得ない。
候補は幾つか脳裏に浮かぶが今は後。
「何の心算や、……お雪」
「答え、要りますやろか」
「要るから聞いてんのやろ」
「……家中一同の総意です」
嗚呼……。
天彦はその場に膝から崩れ落ちた。
くそ、くそ、くそ、くそ。
世界は身共から、このちっぽけな心まで奪うんか。
果たして誰に向けての呪詛なのか。
天彦は船橋に設えられた特別席の足元に敷かれている床板を強かに殴り続けた。
と、
「なんや……!」
「そんなきつう床どついたら、お手手さん痛ぁ痛ぁなります」
「なったらどうした!」
「お世話が大変です。つまり某が大変なります」
「そんなん要るかッ」
「要るッ」
っ――、
「放せぇ」
「いつまで駄々を捏ねてるんです。あいつらに面目が立たんと思わはらへんのですか」
「思うかっ」
「思えっ」
雪之丞にきつく抱き留められ、やはり一つ上のお兄ちゃんなのだと痛感する。
まったく1ミリも、抵抗できる余地はなかった。
言葉でもフィジカルでも、あるいは五感のすべてで上回られてしまっては、勝目などありはしない。
だが天彦は抵抗した。無駄だと知りながらも。あるいは無駄だからこそ、感情をこれでもかとぶつけ散らした。
「は、放せぇ、放して……、なんでや、なんでなんや、なんでなんや、嫌や、嫌やろ、こんなん、ぜったい……何でなん、みんな……」
零れて乾いてを繰り返し、すっかり枯れ果ててしまったはずの天彦の涙が、ぽろり。
薄紅色の頬を伝った。
菊亭天彦十一歳。独り善がりの愛情は、けっして届くことは無いと思い知る。
「これ、家来総代として与六から預かってます」
「……」
雪之丞からそっと差し出された一通の文。
天彦は色味のない双眸で気なく受け取ると、ぱらぱら。投げやりに開く。
と、そこには総勢十七名の直臣による連名の血判状が押されてあった。
そして主家をご主君をもう二度と裏切れない。そんな誓いの文言が、まるで神仏に奉納仕る誓詞奏上のような、凛々しく潔い、断固たる決意を思わせる文体で仰々しく認められてあった。
文末には“天意と共にあらんことを”――の句がそっとぎゅっと閉じられていた。
「揃いも揃ってどいつもこいつも。意地張って、……いったいそれが何になるん」
「若とのさんのお命です」
「うるさい! もう黙って」
「はい」
答えはすでに出ているのに。問わずにはいられない価値観の違い。
それこそ字義通り未来永劫、けっして埋まることのないだろう死生観を前にすれば、しかしなんと己のちっぽけなことか。なんと己の儚いことか。
武士(家来)の命は何よりも軽く、公家(主君)の命は何よりも重たい。
いったいこの差は、この価値観は何から由来しているのか。それとも……。
「家令が申しておりました。菊亭のお取り潰しが決まったと。この決定は上意であると」
「……、上、意」
「はい。如何な宮様とて、覚悟を決めた織田さんの威光には逆らえんと。家令は推測したはりました。上杉さんの同意を確認して、家令と扶は、秘密裏に会合を開いたそうです。それで、この若とのさんの追放の決定が、……当たり前に、某は呼ばれてません」
「ふっ、それはそうやろ」
「酷いです」
「酷ないよ。酷いのは……、身共や」
「え」
拙い説明だった。けれど事情は凡そ掴めた。
上意を知った上で自分(天彦)を逃す策を立てた首謀者はラウラで、家中を扇動したのはおそらく与六。あるいは是知も加担したのかも。
いずれにせよ自分の知らないところで着々と進行していた裏エピに、ふっ。思わず乾いた笑みが零れてしまう。
もちろんダブルミーニング。己の愚かさと、そして事この期に及んでもまったく信用されていない雪之丞の、何たる雪之丞なことかの意味で。
だが可笑しみはない。これっぽっちも。すると必然笑みもまったく零れない。
虚無。
あるのはそこはかとない虚無感だけ。
愚かしさよりも悔しさよりも腹立たしさよりも何よりも、ぽっかり空いた虚しさが小さな胸をチクチクと突いた。
「身共に、身共の命に価値なんかない」
「あります」
「ない」
「あります」
「ない」
「あれ! あると言ったらあれ!」
「……ほな、ある」
「……はい」
語気に気圧されたからではない。
雪之丞の、その美しくも愛らしい双眸から惜しみない雫が零れ落ちていたから。
天彦は床に座り直すと、何を思ったのか手紙を読み直すのではなく、手紙に鼻を寄せて香りを嗅いだ。
そしてぎゅ。手紙をぎゅっと胸に包み込んだ。そこに微かに沁みる儚く淡いエメラルドタイムの香りを抱き寄せるように。
そして力のない目で、
船首の遥か先に広がる茫洋とした大海原をじっと見つめると、自虐的に言い放つ。
「天意と共にあらんことを」
天彦は最後までやはり菊亭天彦を貫いた。菊亭天彦のままだった。
独り善がりの口づけと愛情ごっこに明け暮れる、小悪党以上善人未満のパンピーとしての。
そしてぽつり、
「誰に対しても何一つ、約束を守れんかった身共やけど」
「はい」
「お雪ちゃんとの約束だけは、どうやら果たせそうやな」
「はい!」
皮肉にも口にした法螺の中でも一番特等に守れそうにもなかった、雪之丞との約束だけはどうやら守れそうだった。
お仕舞い。
1年11か月、お付き合いくださいまして、ほっっっんとありがと┏○ペコッ
感謝を込めてフィナーレの雑感は割烹にでも認めましょうか。
ここに長く書き込むとなんか怒られそうな予感がひしひしとしますので、このくらいで仕舞います。
それではドクシャーお元気で、またがあれば、ばいばいまったねー
PS
わははは、スピンオフにつづくのじゃ――!!!
完結詐欺すぎてもはやドクシャ―の誰も完結を信じていないことが発覚しました!
だったら早く読みに来てね。待ってるから(๑><๑)てへぺろ




